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生体水のように

インスタでフォローしている清水宏治さん @ki_ya_koji  の投稿で読んだ文章。 じわーっと印象に残り、そのことについて何度も考え(というか想い?)を巡らせた。 以下一部引用 ”熱や風のインパクトを与えることなく静かに水に移動してもらうので、出てきた水はまさに生体水。生きているように感じる。” この投稿は、低温酵素乾燥機で杉の木を乾かすときの話。 清水さんは木を加工し建築に携わる方。 (全文の載った投稿は こちら ) 私はこれを読むことで、自分が普段していることが視覚化された感じがして、 より一層はっきりと明確になった。 視覚化だけでなくて、触覚化?も。 「水」って、 視覚的にも知っているし、 触ったこともあるし、全身浸かったこともあるし、 触覚的にも質感も、知っている。 だから、清水さんが水の動きのことを書いてくれていたおかげで、 「あ~これだよね」 と思ったのだと思う。 私のしていることは、エネルギーの移動。 清水さんの文章を基本にして、言い換えるとこうなる。 ”私の思考の制限というインパクトを加えずに、そのエネルギーをそのまま曼荼羅や香りとして表現する。” 相手と対話をして、そこから感じ取ったエネルギーを、 私の手を使って曼荼羅として描くし、 私の嗅覚を使って香りとして仕立てる。 エネルギーはカタチもないし、私の目には見えない。 でも絶対にある。 そこに、私の頭で考えた「こうすべき」「このほうがいいはず」という コントロールのエネルギーをギューギュー押しつけて、 相手の純なエネルギーを「私のよかれ」に変化させようと計るとしたら、 「生体水」にはならないと思う。 対話型セッションでなく、私が一人で創作をする時も、やっていることは同じ。 エネルギーというと、いまいちイメージがつかなくても、 木の水の例えを想像すると、私はしっくり来た。 もともと、その杉の木の中に流れていた水は、 無理やり蒸発させられるのではなく、ただそのまま別の場所へ移動する。 ただ移動しただけなので、そのまま生きている感じ。 そして、木の方はスッキリ軽くなり、新たな環境に最適な状態になり、 また新たな場で生き続ける。 と、書いていると、私がしていることは、 エネルギーの移動でもあるけれど、COPYっぽさもあるような気もする。 移すだけでなく、写す、とか。 形の無いエネルギーと、...

りえの相談部屋OPEN

 一時しのぎ、応急処置、の解決ではなく、 本気の解決 をします。 本気の解決とは、根本的な解決という意味。 解決=変化、したように見えて、またすぐに同じ状態になってしまうのではなく、 変化した状態をキープできるあなたになること、を大切にしています。 しかも頑張ってキープするのではなく、自然な状態で。 「あれ?そういえば最近、前は気になってたアレ、全然気になってなかった」 みたいな感じで。 そのための鍵は 潜在意識 と 波動エネルギー 。 その領域に変化を起こしていくことで、上に書いたことが可能になります。 相談の内容、解決したいこと、サポートしてほしいこと、 ナビゲートしてほしいこと、 人それぞれですが、以下に一例を書きます。 どうにかしたい問題、抜け出したい状態、 実は我慢していること、実はあきらめていること、 抱えている時限爆弾、 叶えたい夢、実現させたいこと、 自分のことがよくわからない、自分を知りたい、自分を変えたい、 人生をステージアップさせたい、もっと羽ばたきたい、 ぶれないように伴走してほしい、 本当にしたいことができるようになりたい、 ずっとほのかに気になっていることがある、 e.t.c. 人間関係、仕事、経済、健康状態、家庭、周囲環境、 心のことも思考回路のことも、身体のことも、 他人のことも、とりまく状況のことも、 目に見えないことも、 分野を問わず、内容を問わず、 話しを聞いたうえで、変化に必要だと思うことをしていきます。 すべてに共通してることは、 あなたの内側の状態が先にあり、あなたの外側の状態が後にある ということ。 内側の反映で、目に見えるものや状態がつくられます。 すべての生き物に共通する宇宙の摂理。 あなたの日々、ひいてはあなたの人生を、 もっと快適に、もっと満足したものにするための、 ナビゲーター役が相談部屋の主である私です。 りえの相談部屋

二人展「絵ト香」9月13日-14日

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展示会をおこないます。 私は点描曼荼羅画(原画)と香りの演出をします。 友人は祗園祭をテーマとした絵画とアクセサリーを。 とても美しく、静けさを感じられる空間です。 二人展「絵ト香」 感性という光が照らすエレガンスの輪郭 アートとあなたの対話 ようこそ、静と涼の空間へ 2025年9月13日(土)14日(日) 11時~17時  日曜は16時まで ギャラリーRound Table 静岡県浜松市中央区半田山3-47-6 アーティスト二名による絵画、香り、装身具を展示販売いたします。 京都の氷菓子と共に抹茶を御用意しております。 すべての感覚を開き、熱から解放されるような時を 満喫いただけたら幸いです。 ※お茶セットは椅子席にて千円現金払いにて ※駐車場は店舗前と敷地外(スタッフがご案内します) ~ARTISTS~ 北村 梢 京都市出身、浜松市にて活動中。祇園祭をテーマとし、水彩、アクリル絵の具を用いて表現。鉾の持つ独自性や神秘的な側面にフォーカスした絵画。 @cozart_japan cozmic hour 北村梢によるアクセサリーブランド。コンテンポラリー要素がありながら、伝統の技法も用いた新しい形の装身具。是非手に取ってご覧ください。 @cozmichourjapan 瀬戸 里絵 曼荼羅画家、調香師、人生デザインナビゲーター。右脳と左脳、アートとサイエンスを統合し、模様や香りを創る。個々人の日常パラダイス化のナビゲートをし、人生パラダイス化、ひいては地球パラダイス化を視野にいれ活動。 @rie.s.seto   @rieseto55   https://rtable.jimdofree.com/ ~VENUE~ ギャラリーRound table 「街が緑で呼吸する」をテーマに、建築・インテリア・外構・造園・住空間のコーディネートを提案しているランドマークプランニング株式会社が運営。ギャラリーは、深い軒のある木造平屋建築。足を踏み入れてこそ体感できる内側への広がり。住空間からの連続性を持たせた四季を感じられる中庭があり、茶室をそなえている。裏千家茶道教室、ピアノ教室やミニコンサートなども行っている。 https://landmark3473.co.jp/    https://www/roundtabl...

セルフヒーリングコースとヒーラー養成コースの違い

セルフヒーリングコースとヒーラー養成コースの違い。 久しぶりにその違いを聞かれたので、ブログにしてみます。 まず両方に共通していることは、 「自分の本質を見つけられる」 「自分で自分の現実を変化させられる(意図して創れる)」こと。 そしてそれは 「潜在意識の部分から変化を起こせる」 そのため 「一時的でない根本的な変化であり”元に戻ってしまう”現象が起きない」こと。 両者の違いは、大きくは、 セルフヒーリングコースは、上記のことを自分に対してできる。 ヒーラー養成コースは、上記のことを自分にも他者にもできるし、 エネルギーワーク全体を自分にも他者にもできる(見えない存在、物、土地、オーラ、チャクラ、などなど関連)。 です。 ヒーラー養成コースの方が、守備範囲も深さも広いという感じです。 できることが増えます。 「人に対してやるつもりはない」「仕事にするつもりはない」という人であっても、 自分のことに対しても守備範囲が広まるので、 単純に「便利!」だと私自身は実感しています。 更に言うと、 私がこれまで見ていた感じからは、ヒーラー養成コースの生徒さんたちの方が、 自分の人生を変化させるスピードが速いような感覚があります。(個人によります) この理由を分析してみたのですが、 ヒーラー養成コースは、コース内に「ペアワーク」という練習が含まれていて、 他者に対してセッションを行う実技の時間があります。 練習といえども、本当に相手の相談を聞いて問題解決をし、 逆に自分も相談をする側になります。 この練習が、相談する側でもされる側でも、もの凄く勉強になりますが、 特に、相談される側の役目をした時に「!」があります。 例えば「お金を稼ぐ」という分野について自分自身の思い込みやトラウマが根強くあると、 その分野について相談されると、いまいちスッキリ解決できないとか、 相手の相談を解決しているつもりが、自分のことで気づきがあるとか。 結果的に、 「自分の内側のことを、もっと見て、変えていきたい」 というような心境になる、、、という感じでしょうか。 ペアワーク以外のことでは、 講師の私と関わっている時間の長さや会話する頻度、 会話内容の深さや広さ、 支払った金額による覚悟度合いの深さ、 なども関係あるかもしれません。 セルフヒーリングコースも、ヒーラー養成コースも、 私的にはどちらも同...

「苦手」を分解

私はオンラインで何かを学んだり、教えたり、 することになんの抵抗もない。 距離や時間にとらわれなくて済むことが物凄く便利だと感じるし、 学ぶときも教えるときも、 「伝えたいことが伝わらない」というような 不便さや不都合さは今のところ感じていない。 だから自分的には、とっても活用している。 そのうえで、リアルの良さも物凄くあると思うし、 リアルでしか感じられないものはある。 もしかしたら、オンラインに対する私の感じ方は、 私の学びたい内容や教えていることのタイプが、 オンラインに向いているだけかもしれないけれど。 ということを考えていたときに、思ったことを以下に。 今から書くことは、 誰か特定の人のことを言っているのではないことを 先に記しておきます。 「オンラインが苦手」という言葉を、よくよく聞いていくと、 本当に純粋に「オンラインが苦手」なわけではないことがある。 実は、 オンラインをすることの周囲にある、さまざまなことに不都合があって、 結果的に「オンラインで何かをするのが不便、面倒、苦手、ハードル上がる」 という状態になっている。 例えば、自宅でオンライン参加する場合、 家にはWi-Fiもあるし、操作もわかるし、その点は何の問題もなし。 なんだけれど、 ・自宅の背景が片付いていないため映したくない ・バーチャル背景にしたら良いけれど、上記の前提が先ず嫌な感じがする ・家の中に1人でいられる環境や部屋が無い ・家だとたくさんの物が目について集中できない ・家の外に出て人と触れ合いたい ・相手と実際に繋がりたい(会いたい)思惑がある ・言いたいことがある時に雰囲気で察してもらえない ・察してもらえないので自ら挙手などで示す必要があり、それがハードル 純粋な「オンライン苦手」ではないケースをザッと分解してみた一例。 こういったことが隠れている可能性がある。 物理的なハードルと、心理的なハードル。 整理整頓、モノが溢れている、というような物理的なことも、 その奥を見ていくと、心理的な部分に辿り着いたりする。 もちろん、家のつくりや、同居人の事情などで、 一人になれる空間も時間も本当に作れない、という人もいると思う。 1,2時間なら外のカフェなどでできるけれども、 1日かかるものだったりすると、同じカフェに居続けるのは無理だし。 (車の中でやる、という人に会ったことがあ...

ツインレイから連想したこと

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今朝、目が覚めたかどうかの時に突然「ツインレイ」という言葉が 聞こえたような、閃いたような、感覚がした。 (実は昨日も同じような時間帯に違う言葉を思いついた) まだ頭がしっかり働いていない状態で、私の中で次のような思考が走った。 覚えているうちに書きます。 「ツインレイ?なんだっけそれ?」 「あ~、ひとつだった魂が今世ではふたつにわかれた、だから、 究極のソウルメイトだ、とか言われているやつだ」 「対馬」 「は?対馬って?九州の?いきなりなに?」 「あ、ふたつに分かれてる島だ」 「そういえば、対馬ってイギリスの形に似てるな~」 「あ、もしかしてツインレイってそっち?場所の話?」 実は、日本列島は世界の縮図、という説が私は好きで、 時折思い出しては、自分が訪れた場所や住んだ場所が、 日本に当てはめるとどこ? 他国に当てはめるとどこ? と地図を見ながら楽しんでいる。 この説は割と真面目に研究している人たちがたくさんいて、 単に地形で当てはめるだけでなく、 その土地に根付く文化なども比較していたりして、とてもおもしろい。 で、今朝の経緯から、久しぶりにまたこの説のことを調べていて、 とてもしっくりきたことが。 実は私が住んでいた静岡県西部地方が、世界でいうところのどこなのか、 いまいちずっと不明瞭だった。 これまで私が見つけた仮説にはしっくり来ていなかった。 今朝はじめて見つけた人の仮設を読んで「これだ」と思った。 それによると、 静岡県浜松市付近は、インドのムンバイあたり。 (インドの先端の三角の形の部分を、静岡県御前崎市の先端の部分とする) これを見た瞬間、自分の中でいろいろな回路がピピピッと繋がった。 私が浜松市付近で経験してきたこと、 バックパッカー時代にインドを旅していたときに経験したこと、 実際の出来事としての体験と、そこからの感情や思想もすべて含めて、 「あ~、、、なんか、なるほどかも」 とリンクした。 ツインレイに話を戻すと、 もともと地球には、大陸は一つだけだった。 それが裂けてバラバラになって、今のような状態になった。 日本列島は、そのバラバラになった形をぜーんぶ ギュッと小さくまとめたみたいな形。 (自然にそうなったか、地球の意思か、別の宇宙人の意思か、、、) もともと一つだったものが分かれた ツインは双子、一対のモノ、二つで一つのセット、という意味...

意識を使いこなすと便利だし社会貢献になる

私たち人間の意識は、 二種類から成り立っていることがわかっている。 それぞれ役目が違う。 ・顕在意識__自分で認識できる 頭で考えるような思考、理性、論理的 ・潜在意識__無意識 生命の維持(血流とか体温とか)、記憶、感情、習慣、癖、本能 人間は「頭でっかち」(頭でばかり考える)とは言うものの、 実は、頭で考える担当の顕在意識は、 意識全体の、たった1~3%。 くらべて、無意識の領域の潜在意識の方は、 残りの97~99%を受け持っている。 いまこうして、これを読んでいる間にも、 身体の中ではホルモンが出て、あらゆる臓器が動いて、 一瞬も止まることなく血流量や体温が監視されて、 生命維持がおこなわれている。 これは潜在意識の仕事の範囲なので、 私たちは意図してやっているわけではなく無意識。 (すごい!) それとか、 過去のありとあらゆる記憶データをもとにして、 今の状況が瞬時に判断されていて、 どう反応するかが決まる。感情が出る。 同時にホルモンが出る。 全部無意識のうちに。 これも潜在意識の領域。 どんなに知識を得ても、どんなに考えても、論理を組み立てても、 どれだけ「頭でわかった」と思っていても、 圧倒的に大きな領域を占め、 圧倒的に大きな影響力のある 潜在意識の厚みには、顕在意識は勝てない。 勝てない、というと語弊があるかもしれない。 いろいろなパターンがあるので。 例えば、こういうこともある。 ある程度までは顕在意識だけで突き進むことができても、 あるときどこかで、 「頭打ち」 を感じることになるときが来る。 どうがんばっても、どう工夫しても、 「これ以上いけない」 というときが来る。 顕在意識だけでそこまでできたら、ある意味すごいと思う。 だって、たった1~3%の範囲の中でそこまでできたのだから。 例えば、そういう人が、潜在意識も活用できたら? あと97%も伸びしろや可能性がある、とも言える。 人は誰でも、 何かを考えた結果、 行動したり、言葉を発したり、ものをつくったりする。 同じように、 何かを感じた結果、 行動したり、言葉を発したり、ものをつくったりする。 考えたり感じたり、は目に見えない。 でもいつでも必ず、 この、目に見えない「意識と感情」が先にあり、 そのあとに、 目に見える言動がある。 そう考えると、 すべての出発点である目に見えない「意識と感...

小学校で学びたかったこと身に付けたかったこと

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いま思うと、 「なんかこれって、小学校6年間で義務教育のひとつとして、 知りたかったし、身に着けておきたかったなー。 そしたらその後めちゃくちゃ楽じゃん。」 と思うことが私はいくつかあります。 なぜ小学校かというと、 身体の発達と脳の発達の面で、まさにつくられていく途中だから。 新しいものを吸収して、 身体の感覚として身に付けたり、癖にできたり。 思考回路が育ち太くなり、思考癖をつけたり。 そういったことが容易にできる年齢。 脳の仕組みによると、7,8歳くらいまでがより一層そういう感じらしい。 アルファ波が優位なので、脳波的にはとってもリラックスした状態で、 そういう状態のときは「スッと」物事が自分の中に入っていく。 よくもわるくも。 で、小学校で学びたかったと私が個人的に思っているものとして、 まず身体のことについては、身体の使い方!!! 立ち方、歩き方、座り方、すべてにおいての重心の置き方とバランス 身体のほぐしかた、ゆるめかた、整え方 呼吸の仕方、整え方 調子を崩したときの整え方 こういったことを体育で教えてほしかった。 生徒全員、一生において役立つと思うから。 50m走が何秒とか跳び箱何段とかは、 当時私は割とどうでもよいと思っていた方、というか なぜそんなことをしなくてはいけないか疑問に思っていた。 けれど、やらねばならぬ、と思って一生懸命やっていた。 頭と心の面については、思考と感情の仕組み!!! ものごとにはいろんな側面があるんだよ、とか どの視点を持つかは人それぞれ違っていいよ、とか 視点を変えることで気分というものが変化するんだよ、とか それとか、 人の態度の裏には必ずその人なりの理由や背景があるんだよ、とか 本当のところはその人にしかわからないんだよ、とか とか、 感情にはこんな種類があるよ、とか この感情のときあなたはどんな行動をすると思う?、とか 同じものを見聞きしたときに人それぞれどんな感情を持つかの違いを体験する、とか これらもやっぱり、全員に対して一生役立つことだと思う。 身体と心と頭は、生きている限り、 絶対に一生、一秒たりとも離れずに、一緒に過ごすもの。 しかも調子が悪いと、 生活すべてに影響を及ぼすもの。 生活のルーティンにも、人間関係にも、経済状態にも、 ぜんぶに。 Chat gptさんに脳波と年齢の関係の図をつくってもらった。...

春分点のエネルギー状態

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昨日は春分の日、地球が春分点を通過する日。 ちょうど数日前に、作家のさとうみつろうさんのYoutubeを見て、 彼が声掛けをしていた春分点通過イベントに参加してみた。 地球上で多くの人が一斉に願いを放った瞬間、 地球のエネルギー状態がどのような影響を受けるのか、 ということを乱数発生器を使って測定もする。 因みに、各自の願いごとは、事前にGoogleフォームで入力しておくだけ。 詳しくはこの動画 で、 実際の春分点は3月20日の18:01(日本時間)だったのだけれど、 たまたま彼がライブ配信をしているのを知って、 たまたまタイミングがあったので見てみた。 純正律に調整されたピアノを彼が弾いていて、 視聴者や現場にいる人たちは瞑想をするスタイル。 その間に春分点を地球が通過していた。 私は途中から、寝てるような起きているような状態でいた。 それで思ったことは、 みつろうさんありがとう ということだった。 なんだか彼の生き方に感動の気持ちがわいてきて、 それで涙が出てきた。

あと一歩のところでMottainai!

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見ていて、すっごく勿体ないと思うこと。 見ている側だからこそ気づける 「あと一歩なのに」って、あると思う。 職業柄もあると思うけれど、私は割とそういう事がある。 自分の生徒さんからのメッセージや、 生徒ではない人からのメッセージなど、 やり取りをしていくなかで、そういう場面に出くわす。 この人、変わりたいんだな 変わろうとしている最中なんだな という人ほど、 あと一歩のところで何かを『やめる』という状態が起きている。 やめる理由は人それぞれだけれど、 「なんかしらないけど嫌になった」 「他のことですごく忙しくなったから無理」 「考えているうちに忘れてしまった」 などが多い気がする。 この状態になるのは、その人が悪いとかではない。 だって本人は、そもそも 「やる気だった」 「変わりたいと思っていた」 「●●にしたいと思っていた」 この気持ちは嘘ではない。 「〇〇のせいだ!」というのを敢えて言うとすると、 これは、 その人の潜在意識のせい です。 私は潜在意識のことを勉強して、こういうことがあるのだと知って、 その後、自分のことでも人のことでも、 実体験として「本当にそうだ」と分かった。 潜在意識が変化を拒んでいる。 変化しないように、今のままのあなたでいるように、 やる気をなくさせて、 忘れさせて、 やらないためのあらゆる理由を天才的に閃かせる。 現状維持が潜在意識の役目だから。 反対から見ると、 やる気がなくなったり、 あと一歩のところで辞めたりする ってことは、 『そのまま進むと変化するよ』 ということ。 サインを出してくれている。 私の講座の生徒さんも、 サポート期間中に上手に私を使ってくれる人は (報告や相談や質問をよくしてくる人) 私が第三者として、その状態に気づくので、 「それはサインだから」と軌道修正できる。 潜在意識にとっての『現状』が、新たなものに更新されれば、 その新しい現状は、潜在意識が自動的に維持してくれるので、 もうこっちのもん。 この話は以前もブログにした気がするけれど、 とても大切なので何度でも気にせず書きます。 今日ちょうど、メンターというものについて意識を向けたので 連想したのだけれど、 自分のメンターをつくって、 コンサルティングを定期的に受けている人も、きっと、 メンターが第三者として、 自分の状態に気づいてくれるというメリットも...

嫌いなはずの数字から受け取った初めての感覚

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先日、確定申告データを送信し終えた。 (多分できたはず・・・) 入力作業をしながら、 いつもと違うことが起きていることに気づいた。 作業中の自分の心の状態が「快適♪」だったのです! 快適どころか感謝の感情まで伴っていた。 去年までは、ただの数字の入力作業、 というだけの時間だったはずなのに 「あ~これだけ使ったということは、使えるお金があったんだなあ この分だけ手に入れたものがあるということだなあ ありがたいなあ」 「あ~この頃こういう仕事をさせてもらったなあ たのしかったなあ、ありがたいなあ」 とか思っていたんですよ、 お金を支払った方も、受取った方も、両方に対して同じように。 気づいたらしみじみとそんなことを感じながら入力の手を動かしていた。 去年の売上や利益が良かったから、という理由ではないです。 結果を見たら、おととしと同じくらいだったし。 数字を扱っているときに、自然にこんな感情になるということは 私的には天地がひっくり返るくらい驚くことで、 「あれ?ん?なに?私どうしたの?」 と先ずは思った。 私は計算が非常に苦手で、10本指で足りない計算になると混乱する。 電卓を使うとしても、答えを出すために割るのか掛けるのかなども すごく考えないとわからない。 数字を見ただけで 「ツ―――――――――」という思考停止の音が聞こえてくる。 頭の神経回路がおかしくなる感じがする。 乱視と近視と遠視と涙目が一気に出てきたように 視界がぼやけてくる。 というわけで、 確定申告のために支出と売上の数字を入力することすらストレスだった。 ストレスに感じることなので、毎日コツコツなんてできなくて、 申告の時期になると集中して一気にやっていたのです。 ほとんど思考停止の状態で入力するので 左側に1000(イチ マルマルマル) 右側に1000(イチ マルマルマル) 登録、次へ みたいな感じでつぶやきながら、入力作業を12ヶ月分繰り返していただけ。 そこに心は無かった。 今回、いままでとは違う感覚になっていた理由を考えてみた。 去年から私は自分自身の人生全体のステージアップというか アップデートを望んでいて、 実際、現実に見える形でそれが動き始めていた。 その関連で感じ方も変わったのではないか、と思う。 お金や仕事をすること、などにまつわる思い込みやトラウマなどは セルフヒーリングで潜...

直感を無視したらひもじい思いをした

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車で移動しているとき休憩した場所にコーヒー屋台が出ていた。 それを見て「あ、なんかコーヒー飲みたいかも」と思った。 けれども「あと1時間くらいで目的地へ着く。着いたらもうお昼ごはん。」ということを聞き、 「うーん、じゃあやめておこうかな。」とやめた。 そしたらですよ。 その後いろいろあって、結局、水分にありつけたのも食料にありつけたのも、 3時間を過ぎた頃。 すっごく喉が渇いたしお腹も減ったしで 「あの時ふと思ったのを無視しなければよかった。。。」 となりました。 私は普段から直感を無視しない、ということを実践するようにしているし、 生徒さんたちにも口を酸っぱくして言っているのに、 時々こういった、一見些細にみえることで無視してしまう時がある。 その度に「ああ、やっぱりあの時の・・・」と後で分からされる。 そしてまさに今日のことですが、またあった。 朝起きてパジャマから洋服に着替えるとき、 なんとなく「ピンク色のニット」が着たいような気がした。 なんだけれど、 今日は夜に調香の仕事が入っていて、調香の時は黒色の衣類を着ると決めているため、 気分は違うけれど黒い洋服を選んで着た。 (着替えたらいい話だけれど、私は途中で着替えたり洗濯が増えるのが嫌なので一日同じ服で過ごしたい人) そしたら午後になって先方から連絡があり、急な体調不良により延期、となった。 これもまた、 「なんだ、やっぱり朝のあの感覚で合ってた」 という結果でした。 毎度毎度、ちょいちょいと、こんな感じで教えてくれる。 「あなたの感覚はあなたにとって正しいよ!」 ってね。 自分の感覚をいつでも信じること、それを実践すること、 もし実践しなかったとしても、 別のことを選ぶことに決めたのは自分なので、 どんな結果も受け入れること どんな結果だとしても楽しむ心を持つこと

身を任せた流れの先にワニとか居たら?

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「流れに身を任せる」 これを私は大切にしているし、そう心掛けている人は多いんじゃないかなと思う。 このことについて「そう!それ!」と感じることがあったので書きます。 流れに身を任せる、という状態を川に例えたとする。 どんな川を想像する? 私は穏やかな川でノホホンと浮かんでる様子がパッと浮かんだ。 その川が日本海へ向かってるのか太平洋へ向かっているのか、 川の水質状態はこの辺りはキレイだけれど 数十m先に汚水が注ぎ込む場所があるのか、 しばらく進むと200m落差のある滝があるのか、 滝つぼを過ぎると大きなワニ達の住むエリアがあるのか、 自分が流れに身を任せる川は、一体どんな川?? それによって身を任せたいかどうかは、YESかNOか変わると思う。 汚水も滝から落ちるのも嫌だし、 ワニに襲われてGAME OVERもまっぴらごめん、無理。 このイメージのように私は 「それ全然うれしくない、嫌」なパターンが色々あるので、 流れに身を任せる前に『行先』を決めておく。 川のイメージから頭を現実の世界へ戻して言葉を書き進めると、 「私はこうする(こうなる)」と先ずは決める、 その後に初めて「流れに任せる」状態をする。 すると、目的地に到着するまでの間に、 一見、ハプニングと感じる出来事があっても、 一見、まわり道をしたと感じることがあっても、 一見、停滞を感じる時があっても、 すべては『一見』。ぱっと見、そう見えるだけ。 あとになって振り返ると、 それらすべては、到着するまでのストーリーを おもしろくするために起こっているだけだったり、 到着したときの自分がレベルアップしている状態になるための体験だったりする。 「こうする(こうなる)」ということは先に決めているので、 途中に何が起ころうと、 それはただその時々で淡々と対応・処理したらよいだけのことだし、 文句を言ったっていいし気分が盛り下がってもいいけれど、 どんな渦中も瞬間も自分は目的地へ向かって進んでいるのだ、 ということは心の中に留めておく。 「こうする(こうなる)」を決めずに、 または決めているようで決めていない「こうだったらいいな~」くらいで 『流れに身を任せる』をすると、 途中にある様々な川の事情(自分以外の他者の事情や都合)に 巻き込まれたり、もみくちゃになったり、岸に戻されたり、岩でふさがれたり、 要はなにがおこる...

面接はお見合いだと思う

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面接、就学や就職のための面接の話。 サラリーマン時代、私は転職回数が多く、面接回数も多い。 元々ひどく緊張するタイプではないけれど、 通常の自分ではない状態の時もあったと思う。 合格したい、採用してほしい、よく見られたい、などの理由で 自分を装っていたり、うまく話そうとしたり。 なんだけど、ある頃から、面接に対しての私の態度、在り方?が変わった。 なにがきっかけだったのか忘れたけれど、突然こんなふうに思うようになった。 「面接って私のことをアレコレ聞かれるけれど、 私だってそっちのことを色々知りたい。 募集要項だけでは見えないことを色々聞いて、 自分に合う職場なのかどうかを判断したい。」 要は、 ” 面接は雇う側も雇われる側も、お互いのことを知る時間 ” だと思うようになった。 どっちかが主導権を持っているとかはなく、 双方ともに同じ立場だと思うようになった。 それからは緊張はなくなったし、 うまく話そうとか自分を良く見せようだなんていう考えも皆無になった。 そんなことよりも、与えられた面接時間内で、 相手には自分のことをなるべく知ってもらいたいし、 私も相手(会社)のことをなるべく知りたい。 ということで、私から相手へ質問することが増えた。 質問は条件や仕事内容に限らず、 思想とか考え方、雰囲気、などなど色々をキャッチするためのもの。 私が一方的に『面接されている』『審査されている』のではなくて、 私も相手を『面接している』状態だった。 そうすることが、お互いにとっての平和への道だと思っていた。 合わない人を雇用したり、合わない職場で働いたり、することは 後々お互いにすごくストレスになることだと思うから。 それに、自分が合わないポストに頑張ってしがみついているとき、 本当はそこにピッタリの人が活躍する機会と、 会社としてスムーズにまわる可能性を 奪っていることになる。 面接を終えた結果、相手が私を断ってきたこともあるし、 相手は私を採用したいと言ってきたけれど私が断ったこともある。 先日、就職面接の話を聞く機会があって、 こんなことを思い出したのでブログにしてみました。

雨が降ってきたら「やべえ!」のか?

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Aさん「うわ!やべ!雨じゃん!最悪~!!」 Bさん「あ、雨、傘持ってないな~。。。ん?あの雫すごいきれい~」 Cさん「やった!雨!これで庭の水まきしなくていいじゃん!ラッキー!」 Dさん「△×□◇▽涙怒悲・・・」 (他のこと考えてて雨に気づいていない) Eさん「洗濯物濡れちゃう!まあ、乾かせばいいし、いっか」 Fさん「雨、、、あ、もしかしたら後で虹が出るかも(*‘∀‘)) この6人全員が一緒にいたとして、他者の反応に対して「ムッ」としたとします。 例えばこんなふうに。 「こんな最悪な状況で『きれい』とか言って、頭どうかしてんじゃないの?」 「濡れたらどうするの?そんなあっけらかんとして」 「雨が降らなかったらどんなに大変か、全然わかってないなあ」 「また乾かせばいいだけなのに、なんでムカムカしてるんだろう」 「雨なんてどうでもいい。なんでみんなそんな呑気なわけ?なのに私は。。。」 「未来永劫降り続けるわけじゃあるまいし、大げさだなあ」 「雨ってすごくきれいな風景が見れるんだよ!?気づいてよー」 「私に雨は止められないんだからしょうがないじゃん」 こんな感じの言い合いとか? 心の中での言い合いの人も多そうですが。 これ、100人いたら100通りの反応があるはず。 その中で更に、 100%嫌がってる系の人たち~全然気にしない系の人たち 似たような反応の人たちごとに、大まかなグループに分けることができる。 (同じグループにいる人たちが似た者同士、類友、似た波動・周波数の人たち。隣のグループとはなんとなく話が合うこともあるし合わないこともある。すごく離れたグループだと全く嚙み合わないし、会うこともない。同じグループの中でも更に同じように細分化がある。) 雨が降ってきた、という事実は全員共通で同じ1つの出来事。 けれども反応(解釈)は人の数だけある、みんな違う。 更には、 同じ人であっても、先月の反応と今月の反応は違うことだってある。 なぜかというと、その時のその人の事情や都合によるから。 しかもその事情や都合は、本人にしか分からない物のことも多い。 AさんがFさんの言葉を聞いて 「ん?虹が出るの?それは見てみたいかも」と、もしも思えば、 次に雨が降ったときにFさんのような反応に変わるかもしれない。 Cさんの身になにか大変なことが起こっているときには、 Dさんのように雨に気づ...

対話型調香セッションawai

これまでおこなっていた調香セッションをリニューアルしました。 いまのところ価格も以前のままだし、やり方が大きく変わったわけではないけれど、 私的には大きく変化した感覚を持っています。 旧『ナカソトノカオリ』は、2024年10月10日より 『 a 〇 i 』(awai)となりました。 ウェブサイトに載せている文章を抜粋します。 /////// ●香りと感情の関係   セッションで使用する香料は、植物から抽出された香気成分です。 香りを嗅ぐと、香りは電気信号に変換され脳へ届きますが、 嗅覚は他の感覚器官 (視覚・触覚・味覚・聴覚) には無い独自の特性を持っています。 嗅覚以外の器官は感覚を感じると、まずは左脳 (理性や思考を司るエリア) へ電気信号が伝わります。しかし、 香りの電気信号だけは左脳を経由せず 右脳へ直行し ます。右脳は感情や記憶や本能を司るエリアで、潜在意識に含まれます。香りを嗅ぐと、思考がアレコレと考え始めるよりも前に、潜在意識の部分への働きかけが起きるということです。   そのことを知ってか知らずか、古代から世界中の儀式の場で、 精神的な変化や場の浄化、人以外の存在との繋がり、などを目的として 植物の香りが活用されてきました。 例えば寺院で線香が使われるように ” 香りのない宗教は存在しない ” とも言われます。 (唯一、神道では表向きは香りを使用しないようです)   私たちが言葉を発したり行動をするとき、出発点となるものは感情です。 ささやかな揺らぎの感情から爆発的なものまで、感情が スイッチとなり言動活動に結びつきます。 その感情の部分に働きかけるものが、先に記した通り香りです。   目に見えない感情、そこに影響を与える香り、が先にあり、 その次に、目に見える言葉や行動が生まれます。     ●あなただけの香りが持つ力   香りを創る前に、あなたとの対話の時間をもちます。 このセッションを受けるきっかけや香りの好みの傾向などを伺いますが、 私はその場で生まれる直感的な流れを大切にしているため、 質問の内容は人により千差万別です。 耳に聞こえる言葉だけでなく、ふとした表情や反応、感情の揺らぎなど、 そこにある全てのエネルギーを感じさせていただく時間です。   対話の中で私が...

左回転で身体が緩むのか?

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「お腹に手を置いて、左回りにゆっくりなでると、身体が緩む」 私がこれを始めて聞いたのは、多分お父さんから。 聞いたのは20年以上前か、さらにそれより前、 まだあんまりインターネットが普及していなかった時代。 その時に理由も教えてくれたと思うが、それは覚えていなくて、 「ネジは左に回すと緩み、右に回すと閉まる。それと同じと覚えておけば良い。」 と言われたことは覚えていた。 ただ私は普段ネジそのものを触る機会があまりなかったので、 いちいち「ネジってどっちがどうだったっけ?」となってしまって、 まずはネジを触った数少ない記憶を思い出すところから始めたり、 「自分のどっちから見て左周りだっけ?」と考えてみたり、 いちいち面倒な感じになっていた。 今思うと、ネジは水道の蛇口と同じだから、 左に回すと緩んで水が出る&蛇口が軽くなる 右に回すと閉まって水が止まる&蛇口が固くなる のイメージの方が、当時の私には合っていたかもしれない。 その頃はまだ、そういう仕組みの水道も多かったし。 (もしかして父はネジ=蛇口は当たり前に同じものと思うはずだ、として「ネジ」と言っていたのかも。仕組みを知らない当時の私は連想できなかった。) 今だったら「ペットボトルの蓋を開ける時と閉める時」というイメージが良いかも。 そしてその後、 お茶を急須から器に注ぐとき、手をなんとなく回転させながら注ぐ理由は その方がお茶が美味しくなるから。日本でもトルコでも云々。 というような情報を見かけた。 なんだけれど、やっぱりそこでも私は、 回転させる理由は美味しくなるから、は分かったけれど、 なんで美味しくなるのか、の理由を覚えていない。 。 。 。 そのまま20年が過ぎました。 そしてこの文章を書いている日の前日、友人がお茶を淹れてくれた時に 「左周りと右回り、それぞれにかき混ぜて飲み比べてみて」と言ってきた。 「そうそう、それ!」と思い出し、それぞれの味わいの違いを楽しみながら、 違いが生まれる理由は何だと思うか尋ねてみた。 その友人は、中医学も西洋医学も専門にしていたり、様々知識の深い人。 友人曰く、 地球の自転が左回転(北極側から見た場合)なので、 ・左回転は無意識に人は安心する ・道に迷った人を探すとき左→左→左で探すと見つかりやすい  (迷いながら自然に左ルートを選んで進んでいる可能性高いから) ・陸...