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ものごとの境界線にあるもの

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 ” ものごとの境界線にあるものっていいですよね。おかずとごはんをまぜると異様においしいし。里山や海辺は表情豊かだし。昼と夜、夜と朝の境目は美しい。蟲の居所も、境界線上です。まぜごはんや海辺のような・・・そんな話を描きたいです。” 漆原友紀 著 「蟲師」3巻の裏表紙より引用 どの巻も表紙の絵の世界観や手触りがとても美しくて、じっと見ている。そこで見つけたのが上記の文章。一度サラッと読んで「ん?」と何かを感じた気がして、また読んだ。 それで思い出したことは自分のこと。 「私っていつも両方に片足つっこんでる感じだなあ」 「私って両方の世界の人たちと交流があるなあ」 「なんか橋渡し役的な位置にいるのかなあ」 というようなことを思ったのが20代前半のころだった気がする。思い出してみると、割と小学生のころから、こんな感じの状況でいることが多かったような。 で、20代のころは「どっちつかずなのかな?」「入り込めてない自分ってどうなんだろう」と、少しネガティブな方面でチラッと考えたこともあった記憶がある。でも、それはチラッと思っただけだったことも覚えている。自分のその状態で特に違和感がないことも知っていたからだと思う。 いまこれを書いていて思い出したが、以前友人がこんなことを言っていた。「私たちって、無所属、だよね」これを聞いて、ほんとそうだしそれがいい、とそのとき思った。 橋渡し的な位置にいる、という表現しか思いつかなかった20代前半のころ。いまは、無所属とか、中立とか中庸とか、そんな言葉も連想する。 で、最初に書いた蟲師の文章を読んだ数日前。”境界線にあるもの” という表現が加わった。 しかも、考えてみると私もその境界線の時間帯の空の様子や空気感が大好きだし、何かと何かを混ぜ合わて生まれる何かが大好き。思えば調香の仕事もそうだわ。 境界線にあるものの、あの何とも言えない、ゆらぎ、ゆらめき、美しさ。 それが大好き。 ということで、私自身も昔からのその自然な状態でいいんだった、と確認した感じだった。 漆原友紀さん、ありがとう。漫画を買ってくれた夫、ありがとう。アマゾンプライムのアニメで見ていた後に、夫が漫画を買って今読み進めているところ。実は夫は昔、漫画を持っていた時期があったが売ってしまい、今回私がアニメを見てはまっていたので、また買い戻す形で買ってくれた。ありがとう。

願うということ

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「わたしもソロモンみたいに空を飛べたらいいなあ」 なぜ?なぜ空を飛びたいの? 「いつも地面の上を歩かなきゃいけないなんて面白くないよお。すごくゆっくりだし。いろいろな所へ行くのにもすごく時間がかかる。それに見えるものも限られてる。地面の上にあるものだけしか見えなくて、つまらない」 あのねえ、サラ、君は僕の質問にちゃんと答えていないみたいだね。 「あら、答えたわよソロモン。わたしが言ったのは、空を飛びたい理由は・・・」 面白くない地面の上を歩き回るのが好きじゃないから、だろう?あのね、サラ、君は『なぜ君が空を飛びたいのか』を話したのではないんだ。君が僕に話してくれたのは『空を飛べないことを君が嫌だと思う理由は何なのか』ということだ。 「どこが違うの?」 ああ、サラ、大きな違いだ。もう一度、答えなおしてごらん。 引用 ”サラとソロモン”   エスター&ジェリー・ヒックス著 この部分を読んで、わたしは心が熱くなった。 なにかを願うとき望むとき、そうする/そうなると決めるとき、この部分はとっても大切なポイントになると思うから。 心がなんだか熱くなったということは、もしかして私も分かっていたつもりだったりとか、 できていない時があったりするのかもしれない。 なにかを願いながら、同時に、それが叶わない場合どういったことがあるか、 ということにフォーカスしていたら(それについて話したり考えたり「うわーやだ」と感じていたりしていたら)、 そっちが叶ってしまい、願っていた方は永遠に叶わない。 それが宇宙の仕組みだし、素粒子や波動の仕組みだから。 長く、強く、感情を伴って、考えたり思っていたり想像していたりしていたことが叶う。 それが自分にとって、都合が悪いことであろうが良いことであろうが、関係ない。 宇宙はシンプル。 ソロモンは上に引用したやり取りの後、もう少し会話があって、その後こう言う。 そうだ、サラ、その調子で、なぜ君が空を飛びたいのかを話してごらん。それはどんな感じがする?どういう風に感じる?それがどんな感じか僕にも感じられるように話してみてごらん。空を飛ぶことはどんな感じがする?地面の上にいることがどんな感じかとか、空を飛べないことがどういうことかについて話すのではなくて、空を飛ぶことがどんな感じがするかを、僕に話してほしいんだ。 それを聞いてサラは、もし自分が空を飛んだら

犬猫インコ、そして鹿

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私は犬(特に大型犬)と猫とインコ(特にセキセイインコ)がとても好きで、 彼らと一緒に暮らす生活もいいなあ、と思っています。 大型犬とインコは実際に長い間一緒に暮らしていました。インターネットで見る動物動画も、犬猫インコのものが多いです。 では鹿は。 このポストカードはリスボンのどこかのお店で出会い買ったもの。 例えば犬猫インコが好きだからと言っても、ポストカードを買うことはありません。 でもなぜか鹿は、ときどきふっと惹かれる絵に出会って、なんだかその世界に魅せられるのです。 しかもそれは、必ず金色の鹿で、木や植物に囲まれた中にいる設定の絵。 なぜだかは不明です。 本物の鹿はそんなに惹かれないし、普段出会うこともないし、鹿の動画も特別見たいとは思わない。 私の初めての金色の鹿のいる世界の絵は、こちらでした。 市の広報誌のページの切り抜きです。たまたま見かけて、ものすごく心惹かれ、切り取って大切に何年も持っています。 誰の絵なのかも知らずにいましたが、何年もたってから、秋野不矩さんという方の絵だと 知りました。 「きんいろのしか」というタイトルの絵本の絵だそうです。

概念と現実/座ZEN

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先日、私としては珍しい行動をしました。 「これは参加したい!この人に会いたい!この場に行きたい!」と強く思った ワンデイリトリート がありわざわざ新幹線に乗って出かけたのです。(わざわざ何かのイベントなどに時間を合わせてお金を使って参加、ということは普段あまりしない) ヨガ・感情リリース・座禅の内容で、それぞれのスペシャリストの方々とのトークセッションもあり、朝から夕方まで気持ちの良い空間を過ごすことができました。 最後の座禅は、 京都の栖賢寺の住職 宗貫 さんとの時間。 目を開いたまま瞑想をする、という感じの時間でした。このブログでも時々書いているように、私もほぼ毎日瞑想はしていますが、目は閉じています。何故なら、閉じたほうが集中できる気がしていたので。 座禅の前にあった宗貫さんのお話でとても心に残っていることは ”すべてをあるがままにしておく” ということ。あるがままの現実をそのまま感じながら、ただそこに居る。それは、周りの音だったり目の前の景色だったり、肌で感じる湿度や、漂ってくる匂い、頭のなかに浮かぶ思考だったり。 それら全てのことを自分でどうこうしようとせず、ただそのままにする。その中で自分は座禅をする。 目を開いていたら私は空っぽになれない、と思い込んでいる節があった私としては、この座禅の時間がとても良い時間となりました。 今そのままを感じながら、自分の中がとても静かな時間を過ごすことができたと思う。これを書いている今日も、そのように瞑想をしてみました。 宗貫さんが「瞑想で目を閉じていても、それって瞼の裏側を見てるだけですから」とおっしゃっていたのが、確かに!という感じでちょっと面白かったです。 因みに、この座禅の時、若干の修行が私の身に起こりました。 「あるがままにそのままに」とかいうお話を聞いて頷いている最中に、少し大きめのクモが私の少し前を横切って、すぐ近くで停まった。虫が苦手な私は、ついいつものようにギョッとし、「座禅が始まってから私の方に来たらどうしよう」という不安が湧き出てきたのですが、不思議なことにこの時はその不安とかギョッとした感覚を流すことができたのです。 この ”流す”って、後で考えても ”その気持ちを抑え込んだ” とは違う感じで。だからなのか、そのクモは座禅の最中も視界には居たけれどそのままどこかに歩いていってしまった。 概念と現実

誰かを救いたいと思った時点で ”救いを求めている人がいる世界” を創り出す

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” 誰かを救いたいと思った時点で、「救いを求めている人がいる世界」 を創りだす ” 原文の全文は長いのですがその中のこの部分だけ抜き出すと  ”誰かを救いたいと思った時点で、「救いを求めている人がいる世界」を作ってるのは私だったんだと。” というものでした。 文京区で行われた 片岡ジョージさん (4コマ漫画化家) のお話会に参加された方が書かれたお便りだそうです。 全文を読みたい方は 彼のインスタ投稿 にあります。 この投稿を読んで「はっ!!!」としました。 何言ってるの?の「はあ??」じゃないです。 気づきの「はっ!!!」です。 「最近の私の思考は大丈夫だろうか?」と改めて見直すきっかけとなりました。 自分の目の前の世界は自分で創り出している。 これはいわゆるスピリチュアルとか霊能力とかの話をしているのではなく、 量子物理の話です。 このブログにも時々書いていますが(確か書いてたと思う、それっぽいことを) ”エネルギー(素粒子)とエネルギー(素粒子)がぶつかったときそこに物質が現れる”。 CERN(欧州原子核研究機構)の実験結果。 この地球に生きているということは、 私たちは全員、この法則の中で生きている、ということ。 私たち人は、意識(思考)・ 感情などをエネルギーとして発している。 そしてそれに応じたものが物質化される。 ヤッホーと言ったらハローと来るか 、というブログのように。 じゃあ、誰かを救いたいという要求に対して、用意される答えは? フォーカスする方向性。 すぐ忘れてしまったり、気づくと違う方面にフォーカスしてたり、 私まだまだそういうときがある。 自分の中で習慣化するまで、日々のルーティンに入れています。 因みに、元の話に戻って、ジョージさんにお便りを書いた方の文章の中に もう一つ私には印象深いところがあった。 立場を変えても常に何かと戦っている状態が苦しかった、 というようなことが書かれていて、 それもとても考えるきっかけとなるポイントの一つでした。

新入りコロちゃんとインフル先輩

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痛快、風刺漫画を紹介する動画です。 動画は10分、皆さん見てどう感じるかしら? 私は超大爆笑でした(爆) 知った事実を大真面目に真剣に相手に伝えると こちらが傷つかないように適度に返事をして軽く流す人もいるし、 まったく右から左へスルーの人もいる。 その事実が、主流メディアの流すものと違えば違うほど、 この傾向があるように感じています。(コロちゃんのことだけじゃなくてね) もちろん中には、疑問をもって調べてくれる人や、受け取ってくれる人もいます。 たまに。 しかし! 笑いって、いいわー。笑いとともに伝わることって、ちょっと違う。 笑いは心を柔らかくしてくれるんじゃないかな。 もしかしてこれを見て 「不謹慎だわ!!」と怒りがこみあげてくる人もいるかもしれない。 そんな時は「自分はどのポイントに怒りを感じているのかな?」と ちょっと自分から離れて観察してみてもおもしろいかもしれません。 そして、 そんな人も心のどこかでクスッと笑う自分がいたりしないかな? ほんと面白いので、ぜひ見てみてください(爆) 4コマ漫画家 片岡ジョージさん  ←Instagram Twitter、Facebookなどもされているようです

IcelandのZINEと思考のこと

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Iceland、そのまま直訳すれば、氷の土地。 ある冬に旅したこの場所をZINEにしました。 写真と短文とちょっとしたコラム。 場所の説明とか旅の仕方のHOW TO本ではなく、 心で感じるものにしたかった。 ZINEのタイトルは ”感 magazine" です。 人は一日に60,000回の思考(考える)をし 〈米国・心理学の研究だそう〉、 一日にする決断は35,000回 〈英国・ケンブリッジ大学 精神医学科 Barbara Sahakian教授の研究〉 。 じゃあ、心で感じる方はどうなんだろう。 哲学の話にもなってしまうのでは、と思いますが。 一人ぼんやり時を過ごすときに、パラパラとめくって、 何かを感じて、その感じた自分をまた眺めて、 そんな本になれたらいいな、と思っています。 とは言え、それは作った私側のアイデアというか希望であって、 実際に手に取ってくださる方がどのように扱ったり感じたり考えたり そこから広がっていくものがどんなものであるか、 それは自由で無限なのだろうとも思っています。 感 magazine  - Iceland -  BASEのショップ 、 読書空間 ひつじ日和 さん、 で販売しています。 蕎麦道楽 百古里庵 さんでは、美味しいお蕎麦をいただきながら読むことができます。 限界集落 天空の館 さんでは、広がる空を眺めながら読むことができます。 ついでの話ですが。 一日に60,000回も考えていて、 そのうちの95%は昨日と同じパターンで考えているのだそうです。 これは人間の恒常性維持機能 = 現状を維持しようとする機能。 昨日のパターンで考えていたら死ななかった。 今日も同じパターンで考えれば生きていられる。 これって生き物としての本能。 しかし人生を変えたい、と思っているタイミングの人にとっては、 これは厄介な一面だと思う。 だって、昨日と同じパターンで考えているから、昨日と同じ今日があるわけです。 明日も明後日も、同じことが続く。 この、現状を維持しようとする機能については、 一年くらい前に 神王TVのゲンさんシリーズ で知りました。 じゃあどうすれば変化できるのか、についても学びました。 とても興味深い内容です。

人類の未来は植物的生物

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私はカフェで仕事をするととても捗るタイプです。 (どのカフェでも良いわけでなく、カフェによります) (1週間に2回くらいはカフェで仕事をできるようになりたいなー) それで。 先日久しぶりに伺った 鴨江珈琲 さん。 こちらは私の興味のある分野の本や雑誌がたくさん置かれていて、 そのとき目に留まったものを読んだり、ぼんやりしたり、美味しい珈琲を飲んだり、 仕事をしたり、という時間を過ごしました。 こういう感じの過ごし方をして、おかげさまで仕事もとても捗りました。 この時読んだのは WIRED  。 この中にチラッと含まれていた漫画が、すごく印象的でした。 攻殻機動隊  (又は Ghost in the Shell )とか The Matrix  とかの話を 見た(読んだ)ことのある方にとっては この世界!という感じの漫画だと思います。 簡単に言うと、 そう遠くない未来、人類は体を改造して脳も改造して生きていて、脳内イメージの中で 様々なことを体験できるような(電脳の世界)時代になっている。 そういったことがどんどんエスカレートしていって、身体を動かす必要がなくなり、 ついには・・・。 という未来の話です。 これ、全然ファンタジーとかSFの話ではないと、私は感じています。 日本の内閣府が発表している ムーンショット 。 ・人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現 ・自ら学習、行動し、人と共生するロボットを実現 etc... 2050年までに達成する目標だそうです。 ”までに実現” ということは、 もう実験段階に入っていたっておかしくないし、準備は絶対に進めているはず。 5Gのスタートや体内に入れるマイクロチップなども、その準備かしらとも思います。 先に書いた ”攻殻機動隊” (わたしは漫画で読みました)とか”Matrix”とか、 いまから何十年も前にあのような世界のアイデアが降りてきて表現している方々、 ほんとうに凄い!!と思います。 そういう世界に生きたいですか? 私も興味はある。便利になるのは嬉しい。 けれども私はどちらかというと、 映画 AVATAR  に出てくる星 パンドラのナヴィ達のように生きる世界が良い。 生命全体で、あのような繋がりをもって、リスペクトをもって、 目に見えるものと見えないもの両方を大切にして、 そんな地球だったらいいな~と思っ

宇宙出身

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本屋さんに私の描いた曼荼羅を購入いただきました 本と曼荼羅って合うのだなと感じた日   人は誰でも宇宙出身である。 それを細かく見ていくと、 銀河系出身・太陽系出身・地球出身・日本出身・〇〇県出身・△市出身・□□町出身 とかになっていくわけです。 先日、友人と何気ない会話をしていて、 友人が言った事柄に対して、私の口から自然に出てきたフレーズがあり、 言った後に、自分で自分の言葉に「なるほどねー」と思ったことがありました。 こんな会話でした。 「物事がサッと進まないとイライラしちゃうの。  子どもたちに笑われる口癖があって ”パッとピッとプッとやって!” って」 「へえ~ なんか〇〇さんって、きっといつかの過去世のときに   イメージした途端にパッとそれが目の前に現れたり完成したりする星に  いたんじゃない?それがいまもどこかに記憶として染みついていて  地球の遅さにイライラしちゃうんじゃない」 これ、読んで「は???」となる方もいらっしゃるかもしれません。 私もこの友人も、 生まれ変わりとか、宇宙には他の生命もいるとか、そういったことが有り得るよね、 という前提をもっているので、そういう人ならではの会話。 私は、頭の中にあるイメージが言葉としてパッと出てこないことが多く 「このイメージを相手も頭の中で自然に共有できたらいいのに!」と よく思っています。 昨日も話をしていて、そう感じている自分に気づいたとき、 更に別で気づいたことがありました。 ”あ、私もどっかの星で生きていた時の癖が抜けてないのかも ” どっかの星がどこかは分からないし、いつだったのかも分からないし、 もしかして大昔の地球の人間の能力のひとつだったのかもしれない。 とにかく、だれでも、どこかしらの ”宇宙出身” 。 ロマンですね~

内海先生

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内海先生は辛口である。超毒舌。 人を馬鹿にする言葉を発するし、人を愚民と呼ぶし、奴隷と呼ぶ。 人に向かって、おまえみたいなやつ死ねバカ!などとも言う。 しかし、私は内海先生が好きだし尊敬している。 知れば知るほど、 こんなに心優しい人はなかなかいないのではないかと思っている。 何故か? 彼がどんな行動をしているかを知ったら、その辛口毒舌には惑わされない。 たまにはちょっとムッとすることもあるけれど。 ーーーーーー 内海聡(うつみさとる)氏 Tokyo DD Clinic ( クスリをやめるクリニック、クスリを使わないクリニック)を経営、医師 NPO 法人薬害研究センター、 株式会社日本再生プロジェクト、 株式会社創想で福祉事業を運営 日本の様々な場所での講演、多くの 著書を出版 株式会社日本再生プロジェクトでは 研修や物販を行っている 2017 年 9 月には株式会社ひまわりチャイルドアカデミーを立ち上げ、 川崎市で保育園を運営する傍ら、 子どもや親子や夫婦に関する問題を取りあげ、 講演会やイベント運営 ”たしかに私は一応医者ですが、 わたしほどクレイジーな医者を 見つけるのは なかなか難しいかもしれません。 日本のネットや著作業界の中で 最も敵が多く、 最も中傷されイカレテいると評され、 100 万人以上の人が賛否両論の中で 私を見ているとか。 FB などをフォローアップしていただければ そのことはご理解いただけると思います。 西洋医学の考え方や方法論や 歴史などの根本的問題はどこにあるのか、 具体的にクスリの危険性、 検査の危険性、 食毒や社会毒の問題、 代替療法の功罪 「イガクムラ」の問題、 優生学と優生学者の問題、 構図を作っているグローバリストの問題、 科学という嘘、症状に対するとらえ方、 解毒法の基礎、病気を治すための考え方、 放射能のこれからの問題、 児童福祉システム=児童相談所が子どもを拉致しているという問題 なども取り上げています。” ーーーーーー このところ彼のYoutubeを見れていなかったのだが、 久しぶりに見たら 「コロちゃん騒動の総括シリーズ」ができていたので シェアします。 騒動が始まってから約1年。 1年たって分かったこと、医学の基礎から見えること、 実際の数字から見えること、科学から分かること、 などを怖がらせるこ

習慣を変えてみる

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過去15年間のサラリーマン時代「そうすべき」という思い込みにより 毎日していたことが、実は「そうすべきではなかった」ことが判明。 というか、別の方法もあったんだな、ということに気づきました。 それは、e-mailをチェックするタイミングについて。 毎朝会社のデスクに到着してパソコンを立ち上げ、同時にメールソフトも立ち上げ、 まずはメールチェックから始めていた日が殆どだったと記憶している。 多分わたしの周りの多くの人はそうしていたと思う。 管理職の方々からは「メールチェックだけで一日が終わってしまう」とか 嘆く声を何度も聞いたことがある。 それが、世界で大成功している社長たち起業家たちからすると 「朝一(仕事はじめ)のメールチェック、ぜーーーーったいアカン」 らしいです。 「昼食後のちょっと眠くなる感じの時間に一気に一括処理」 が良いらしい。 大成功者たちは、朝一はメールソフトも立ち上げないし「重要なメール無いかな?」 とチラッと見ることすらしないのだそう。 むしろ、してはいけないのだそう。 このことは、神王TVで紹介されていて知りました。 確かに自己啓発や成功哲学系で有名な  ”7つの習慣 ” スティーブン・R・コヴィ著 この本の中で紹介されている、時間管理のマトリクス表に当てはめて考えてみても メールチェックは仕事始めにすることではなかったような気がする。(今思えば) 「そうは言っても・・・」という心の声が若干出てきますが、 なんでもその道のプロから学ぶのが良い、と思っている私としては 世界の大成功者たちの多くが実践している方法がコレであれば、 真似してみよう!! と思ったのでした。

悟りをひらく瞬間、真理が解かった瞬間

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今朝、Spotifyで音楽を聴きながら洗面所でお化粧をしていたときのこと。 突然に「わかった」ことがあって、涙が溢れ出てきて、割と大泣きしました 笑。 そのとき、特に何かについて考えていたわけではなかったので、本当に唐突でした。 それは自分の人生について、のようなことについて ”わかった” のです。 いままでのすべてがピーーーーンとつながって、感謝と感動と 何か大きなエネルギーへの畏怖みたいなもの、この瞬間からのわたしの在り方への決意、 全てひっくるめたような感情が湧き出ていました。 そして泣きながら「この体験は発信しなければ」とも思ったので書いています。 ほんと意味不明、な感じだと思うけれど・・・ なんかこれって、悟りを開いた瞬間の人とか、真理がわかった瞬間の人とか、 もしかしてこんな感じなんじゃないか?? と、ちらっと思いました。 子どものころに見た漫画か映画かで、そんな場面があったような記憶があって、 その時の様子に似ているような気がする、と思ったのです。 (手塚治虫さんのブッダだったか、別の何かか。。。) これまで ”ある瞬間唐突に幸せ感が溢れ出てきて感動して嬉しくて涙が出る” ということは まあまあ時々ありました。 これも特になにか考えていたことがあったり、幸せだなあと思いながら何かをしている ときなどではなくて、ただの移動中とか、お洗濯物を干しているときとか、なんでもない 日常の途中に突然来る瞬間です。 今回のは、唐突度としてはコレと同じですが、内容がちょっと違う。種類が違うというか。 わたしには初めての体験でした。 でもこれって悟りなのか真理なのか、それがどんなものか知らないのでわかりません。 うーん、おもしろい。

幸せレベル

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先日の十五夜、そして満月の日を境に、わたしの幸せレベルが少し増したな、 と感じています。 まず、自分のいる場所(24時間過ごす場所)が変わったことが、だいぶ大きいと思います。 自分的幸せレベルの標準ポイントに、少しずつ近づいている。 だれでも、一日の中で様々なことを感じて考えて、 気分が上がったり下がったりしていると思うのですが、 「ああ、快適」「ああ、幸せ」と感じることが絶対的に増えている。 そんな感じです。 浅見帆帆子さんの本に  ”自分の知らないところで物事は進んでいる”   というようなことが書かれています。     本の中では主に、自分の理想像(夢や目標)に向かって今日も近づいている・自分のしらないところで物事が動いている 、と。 (この本以外の彼女の本にも書いてあったような気がします) どこに意識を向けているか、ということって、とても大切だなと思います。 人はいろんな気分のときがあるので、四六時中UP↑↑ではなく、例えばわたしだったら 「わたしにとってベストなタイミングですべてが起こる(着地する)」 と信じているので 「あ~あ・・・涙」という気分のときがあったとしても、 それはそれで「今ストレスたまってるな」「幻滅しているな」とかしておいて、 心の奥の奥底では ”絶対に大丈夫” という確信を持っている。 で、絶対に大丈夫、と信じているので、いろんな気分のときがあっても大丈夫。 わかってもらえるでしょうか。うまく言えないのですが、そんな感じなんです。 何の話をしたかったのか揺らいでいますが、とにかく 幸せレベルがあがったな!と感じているという状況でした。 美しい月の光でした

くもりなき眼で物事を見定める

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少し前から、わたしの頭の中に頻繁にキーワードのように現れる言葉は、 タイトルにある「くもりなき眼で物事を見定める」です。 ジブリ映画 ”もののけ姫  (宮崎駿監督)” の中で、アシタカが村から旅立つ前、 村の呪術師ヒイ様の言葉の中にあるものです。                    この映画も好きな映画だけれど、とびぬけて好きで何度も観ているというものではなく、 このセリフがあった場面は「言われてみればそういう場面があったね~」というレベル。 それでも、この言葉は、ある日突然わたしの頭の中にポッと出てきた。 いま思えば、この言葉って物凄く深く、何事にも通ずる言葉だな、と思うのです。 なにかの出来事、誰かのこと、ものごと、これらを、それそのままに正確に見るって、 実はできていないことが多い。 そこには、自分の感情が付随していたり、自分の過去の体験を判断基準として善悪の評価を 付けていたり、おそらくほぼ必ずなにかしらのフィルター有りの状態で、 出来事や相手を見ているのだと思います。 で、そういうフィルターで見ているから、それに続く結果なり次の段階なりに進む。 友人のヒーラーまいちゃんの講座やブログ で「物事はただ起きているだけ」と教えてもらい 頭で理解していたことが、近ごろどんどん腑に落ちる状態になってきています。 というか、腑に落ちてきていることを気づいたからこそ、以前が「頭で理解していた」 状態だったことに気づいたというか。 それで、くもりなき眼になるためには瞑想がとっても効果的らしいことも知って、 最近は瞑想の練習もしています。 そんな風に過ごしていたら、わたしが何冊か愛読している作家 浅見帆帆子さんが 瞑想の本を出されていることを知り読んでみました。 amazonへ飛びます。 こちらから購入いただけると嬉しいです♡ 修行僧などが真理を知る、とか、宇宙とつながる、とか、思いもよらないアイデアが浮かぶ とか、そういうことも、要は、くもりなき眼であるからこそなんだな~、と ふつふつと実感し始めています。 なんかすごいよね!!!!!!

なんで??

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わたしは「なんで?」と疑問をもつタイプだと思います。 例えば学生時代の記憶、一部抜粋してみます。 小学生・・・風景写生で黒い水の流れる川をそのまま描いた。先生「川っていうのは青でしょ」。私の心の中「(あの川黒いよ。なのになんで青?)」。 中学生・・・私の心の中「(なんで髪を結うゴムの色が決まってるの?なんで耳より高い位置で髪を結ったらいけないの?なんで一年先輩なだけでそんなに威張るの?)」。 高校生・・・私の発言「なぜ傘の色は紺か黒でなければいけないのですか?なぜ真冬の寒い時期に制服の上にコートを着てはいけないのですか?」 。先生「変な質問をする奴がいる(怒)」。私の心の中「(え??ただの疑問なのになんで怒るの?なんで答えてくれないの?)」。 その他にも学生時代は、様々なことに対して山ほどの「?」がありました。それ以上の追求は許されなかったり、自分もきちんと言えなかったりで、分からずじまいのことが多かったです。 この世には大人の事情的なものがある、ということが徐々に分かり始めると、今度は、「じゃあ一体その事情とやらができている背景は?」と考え始める。 〇〇である、としておいた方が都合の良い人たちがいる、とか、それで儲かる人たちがいる、とか、その方が管理する手間が省けて楽、とか、単に多数決とか、昔から常識とされているから、学会ではそれが通説、とか。 「なんで??」から始まって、どんどん考えたり調べたりしていくと、この世の仕組み的なところに辿り着いたり、その中は見えなくてもいつも同じ扉の前に辿り着くことが分かったり。 又はどこにも辿り着けず、そのままそのことは忘れていたり。 ぜんぜん関係のなさそうな複数の物事が、実は奥の方でつながっていたことが何かをキーに分かったり。 今はインターネットがあるので、多くのことが調べられます。なんで?の答えやヒントがインターネットの中にあることも多い。 情報量が多い反面、どういった立場の人がそれを載せているのか注意する必要があるし、検索上位に表示される情報がインターネット側で振り分けられている言論統制的な状態があることも承知しておく必要がある。(場合によっては本の方が知りたい情報が調べられる) なにを検索ワードにするか、どこからどこへ繋げるか、なにを信じるか。 結局は自分だなー、と思うのです。 因みに、宇宙人はいてもおかしくないでしょ、と

アノスミア

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 昨夜読み終わった本。 ”アノスミア  わたしが嗅覚を失ってからとり戻すまでの物語 モリー・バーンバウム著” 私は職業柄、匂いとか嗅覚の仕組みにとても興味があります。 これまでもいろいろ読んだり調べたりはしてきましたが、実際に嗅覚を失った人の実体験を知るのは初めて。 目が見えなかったら、耳が聞こえなかったら、こんなことに困るだろうなという想像は多くの人がある程度はできると思う。(もちろん実際の半分も想像できないと思いますが) 匂いが分からなかったら?? きっと多くの人は「うーん、そこまで困らなさそうじゃない?」と考えるのではないでしょうか。 違うんです!!! 日々無意識に感じていて、でもそれが嗅覚とは関係なさそうな、人として人生を生きるうえで実は物凄く重要な大切な部分が失われることになる。そして、じわじわとその影響が心に忍び寄ってくる。 そんなことを知りました。 他にもいろいろ。 実体験のお話なので、研究では〇〇だった、とかではなく、日常での細かい部分など、へえ~がたくさんある内容でした。

わたしの自由時間 in 人生

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人生を80年としたとき、自分の自由になる時間がその中のどれくらいあるのか?米国のある調査ではこのような時間割だったということを知りました。  睡眠に使う時間 約28年  仕事に使う時間 約10年半  インターネット、SNS、TVなどを見ている時間 約9年  通勤通学に使う時間 約1年4カ月 ここまでを足し算すると、48年9カ月。 家事・食事・入浴・身支度・子育て等、多くの人にとって必須の時間をここに足して、人生80年から引くと、  残りは 約9年 この残りが何かというと、 ”純粋に自分の自由に使える時間”  だそうです。それが9年。 日本では残業や休日出勤など、まだまだ多くの人が普通にしていることだと思うので、仕事に使う時間はおそらくもっと増える。 それに、日本の学校は親に参加させる行事が多い(学校が休みの日なのに部活があって試合があってその送迎をしたり他にも色々ありますよね)ので、子どもさんのいる方は必須時間の割合ももっと多いはず。 すると、残った9年という時間はどんどん少なくなってゆく。それに、体調が悪くて寝込んだり入院などしたら、またここから時間が減ってゆくのです。 人生で睡眠に使う時間は長いから寝具は心地よいものを、というようなことは知っていましたが、その他の時間の割合に関しては知りませんでした。 まさに時は金なり。(ちょっと違うかな?) 自分の命の時間をどんなことに使うのか、どんな気分で過ごすのか、だれと過ごすのか、どんな経験をしたいのか、今まで以上に気にしたいです。 約9年と言われる自由になる時間、これをどんどん増やしていきたいなと思いました。何に関しても、選ぶことのできる自由を持っている人になりたい。 そのために何ができるかなー?? この時間割の話は、わたしの好きなYouTubeチャンネル 神王TVのこちら  で知りました。 昨日あるカフェでパッと開いた本のページ

今日未明、騎士団長が殺害されました。

「騎士団長殺し」村上春樹 新潮社 を読み終えました。 読み始めたら止まらなくなる予感があったので、 仕事や勉強を休むと決めている日に、まとめて読みました。 彼の書く物語が好きで、だいたいの本は読んで手元に置いています。 それを知っている友人が 「日本では 騎士団長殺し っていう本が出たんだよ」 と教えてくれたことがありました。 しかしそれを聞いただけでは「読みたい!」という強い衝動が出てこなかったのです。 自分なりに何故なのかなと考えてみて、思い当たるふしは、 題名が直接的すぎる かな、と。 「今日未明、騎士団長が殺害されました。」 みたいな題名だな、と。 そう考えると、今までの彼の物語の題名は謎めいているものが多い。 1Q84、ねじまき鳥クロニクル、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、 のように。 それだけ目にしても、一体中にはどんな物語が詰まっているのか うまく想像できないような題名。 しかし今回の題名は、何度も言うけれども 「騎士団長が殺されてしまったんだな」 という題名。 誰が何をした(された)、がはっきりしている。 でも何故か、読み始めたら絶対やめられなくなる、という予感はあったし、 ただ単に「騎士団長が殺された」(殺されたのを ”単に” などとは言えないけれど) という話ではないはず、ということは分かっていたのです。 2部に分かれた分厚い殺人事件。 今回もやはり曲がりくねった物語でした。 今回の一時帰国で、本を貸してくれた友人に感謝です。 ありがとう。

風の時代へ

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夏至で新月で日食だった6月21日(日)。夏至と日食が重なるのは372年ぶりだったのだそう。私のご先祖さま達は、その時どんなふうに過ごしたのだろうか。 私は、 鈴木真奈美さん の夏至の瞑想会に参加して過ごしました。 初めて参加したのは、昨年の夏至。抽選に当選したら日本に行こう、と決めていたのですが、 本当に当選して。 二回目の今回はオンライン開催でした。とはいえ、まるで同じ部屋にいるような感覚があって、おもしろかったです。 瞑想の前のお話で心に残ったことをいくつか。 天体の動き(占星術の世界なのかな?)から読み解くと、 いまは土の時代、これは250年ほど続いている。 それが2020年12月22日を境に、風の時代へと変わる。 冬至(太陽の光が始まる日)の翌日。 風の時代もまた、200年以上続いてゆく。 いま私たちの生きてきた土の時代は、物質主義。 産業革命、資本主義、モノの所有を重要視、組織を重要視、 そんな時代。 これからやってくる風の時代は、目に見えないものに価値が置かれる。 情報、分かち合い、コミュニケーション、人との繋がり。 いまポイントにしておきたいことは3つ。 (脳の仕組みで”3つ”はメモなどしなくても覚えられる数だそうです) 1.今の環境や今あるもので、ベストを尽くしていくこと  激動の時代、自分ではどうにもならない流れになるときがある。  完璧でなくてもよい。5%10%でもよいのでとにかくやってみて、あとは動きながら  修正していけばよい。 2.自分軸になっていること  何かや誰かを信じて寄りかかっていたり、合わせていたりすると、そこがガラリと  変わったときに自分もなくなってしまう。常に「自分はどうしたいかな?」  「自分の本当の気持ちはどうかな?」と自分に軸を戻す。 3.自分やおきたことにレッテルを貼らない 風の時代って、言葉を聞いただけでも私はなんだか軽やかな感じがします。 その時代に生きられることが嬉しいし、なんだか私はその時代に生きる方が 合っている気がする。風の時代を待っていた。 なんて、勝手に思ったのでした。 因みに最近、明治維新がちょっと気になっていたので調べてみたら、 やはり土の時代の初めのころに起こった出来事。 占星術は私は無知識ですが、知識ある方からの情報を聞くたび、なるほどなことが 多くありますね。 鈴木真奈美さんの本は、何冊か読

流れされすぎて忘れたこと

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先週のこと。 ある職業の方々に初めて触れ合う機会がありました。 短い時間でしたが、仕事現場を近くで見て、それぞれの立場での役割も知ることができました。 実はとてもお世話になった時間だったのですが、御礼も言わずにその場を離れてしまったのです。流れに乗って次の工程にあれよあれよという間に進んでしまい、気づいたら 「あ!もう私はあの人たちとは会わないんだ!」という段階に。 これはとっても心残りというか後悔というか、そのあとしばらく悔やみました。 自分が触れ合ったからこそ、全体の流れが見えて分かったのですが、 この職業の方々は、「お願いします」は山ほど言われているけれども、 状況的に「ありがとうございました」は言われることが少ないのでは、と思うのです。 取り巻く状況がとても目まぐるしいという理由も大きいのだと思います。 がしかし、状況がどうであれ、この職業の方々がしていることは、軽~いありがとうでは足りないようなこと。 御礼を伝えるべく調べてみたら、いわゆるご意見系の連絡をできるようなメールアドレスや電話番号は無く、知りえる連絡先は緊急時のみのもの。 それならば、と私がやってみたことは、町を歩いているときにその職業の方々の車を見かけたときに念を送った(笑)。 「ありがとう」「おつかれさま」の気持ちを、車に向けてバーーーッと送りました。 この世のすべては素粒子でつながっているので、私の念は届いている。 (私の遠隔ヒーリングもこういった波動が大いに関係しています→ コチラ♡ ) それでも、もし万が一、また触れ合う機会があったら、絶対タイミングを逃さず面と向かって御礼を伝えたいし、この方々でなくとも、誰かに御礼を伝えるタイミングを逃したくないものです。 チャンスの女神さまは一瞬(でしたっけ?)みたいな感じですね。 写真は喫茶店の本棚から。翻訳できない世界のことば、楽しい絵本でした。 同じシリーズで ↓ も良かったです。