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前世/過去世というものがあるのかないのか

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私は子供のころから「ある」と思っていたし、「私はまた生まれ変わる」とも思っていた。一体いつ頃から何をきっかけに、そう思うようになったのかは覚えていない。 これを当然のことと思っていたので、ある時「は?前世ってなに??」と真剣に返された時、私も真剣に「え?まさかこの人、前世の存在は無いと思ってるってこと?」と驚いた記憶がある。 ところがこの1年くらいで、実はこの信念が揺らいでいます。揺らいでいるというか、理解が変わりつつあるというか。次のように考えています。まだ「そうかもしれない」程度の段階で、検証中というか、探り中ではあります。 例えば『前世はある』とする場合の前提は、ひとつの(一人の)魂があって、それが体を変えながら様々な人生を体験する、ということですよね。いまの私の体の中にある私という魂は、体が死んでも ”私という魂” のまま、またいつか別の人生を別の体の中でスタートする、体は変わったけれど魂は同じ(魂は同じ個性)。 だから、過去のどこかの人生で体験したことは実は魂が覚えていて、今の人生で、他人よりも上手くできたり興味が強かったりする。それとか、過去の人生で体験しきれなかったこと、やり残したことなどを、今の人生で向き合うことになる、とか。 前世があると信じている人たちの理解はこういうことだと思うし、私もそう思っていました。それにヒーリングセッションをするときに見える映像は、まさにクライアントの過去世の映像が見えていた(と思っていた)。 前世がないとしたら、じゃあ、セッションのときに見えている映像は何なんだ? 、ということの答えとしては、『その人が今世を生きるために持ってきたツールの1つが見えている』という答え。 新しい人生を始めるとき、魂は、その人生にどんなツールを持っていくか選べる。ゲームの世界でいうところの装備みたいな。「新しい冒険に出発する前に道具屋さんから装備を選ぼう、ロープ・ナイフ・シャベル・・・・」のように。 「今回の人生では〇〇を体験したいから、、、あの時代のAさんの宮中での生活の記憶と、Bさんの調理の記憶と、Cさんのxxの記憶を持って行こう!」のような感じで、いつかの誰かの人生の記憶をツールとして選んできている。 まずこの考えの前提として 『魂は固定されていない』ということ。私の魂は、このまま私としてまた別の体に入って別の人生を始めるのではない。

[受講者募集]4月21日(木)点描曼荼羅画の描き方講座

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受講者さんを募集中です。 この日に開催リクエストをいただきました。一緒に受けたい方を募集しています。 あと3名様承れます(4/7時点)。 応募、問い合わせは、ウェブサイト予約ページよりお願いいたします。 こちら 今回開催する講座はこのようなものです ↓↓ 日時:  2022年 4月21日(木)10:00~18:00 場所: 静岡県浜松市中区にて(詳細は問合せ後にお知らせします) ■宙を奏でる点描曼荼羅画  ファースト(基本・基礎・入門)講座 基本から作画、展開、曼荼羅画概要をわかりやすく解説。 宙を奏でる点描曼荼羅画を一人で下図から描けるようになります。 ご希望の方は、講座修了後に次のステップ(ファースト講座→セカンド講座)へ進むことができます。 1名様より受講いただけます。   [対面] 時間 約6時間 × 1回 または 約3時間 × 2回 料金 13,200円 (テキスト代4000円、レッスン、修了証、レンタル専用文具一式、消費税、 込み)    ※出張講座は別途出張費をいただきます   宙を奏でる点描曼荼羅画とは、私の描いている点描曼荼羅画の種類です。 描くことは、楽しかったり感性が刺激されることはもちろんのこと、 直感力、ものごとを多角的に見る力、自分を俯瞰する力、なども養われ、 自分を整える、ということができるようになると感じています。 詳しくはこちらをご覧ください。 こちら 準備の関係で、なるべく早めにお申し込みいただけると助かります。 よろしくお願いいたします。 問合せ・申込は こちら

インドネシアに行くとワニに食べられる

「インドネシアなんか行くじゃない。ワニに食べられるよ!」 これは私が祖母から言われた言葉。15年以上前のこと。 その時、私はアジア一帯を旅する計画をたてていて、インドネシアも訪れようとしていた国のひとつだった。 うろ覚えだけれど、多分祖母と会ったときに旅に出る話をして、その中でインドネシアという名前が出た途端に、上の言葉を言われた。 とにかくものすごい剣幕で、真剣に、言われたことは覚えています。 その国だけには絶対行くな、という雰囲気。絶対危険、という雰囲気。 あの時、確か私は笑いとばしたように記憶している。 『ワニがいるのかもしれないけど、大げさだなあ。私は食べられない。』みたいな感じで。 (ちなみに結局この旅ではインドネシアには行かなかった) なんでこの話を書いたかと言うと、お風呂の中で突然思い出したから。 それは以下のようなことを考えていたとき、突然思い出しました。 私の近しい人があることを選択しようとしていることを知った。 そのことは、私個人的には「危険が伴う」と理解していることで、その近しい人には それをしてほしくない、と思っていた。 私は「それは危険」だと信じている、相手は「危険はない」と信じている。 選ぶのは本人の自由であるので、私が口出ししてワーワー言うことではないし、 そのことについては、これまで何度か私の信じている情報を伝えたことがある。 そのうえで、相手は私とは違うことを信じて、自分でそれを選んだ。 『どうしよう、またもう一度話をしてみようか、するならどのように言うのがベストか』『本人が良いと信じて決めたことなのに、また危険話をしても不安をあおって余計によくないかな』『もう情報提供する段階は過ぎたのかも』『どうするのがベストか』 半日くらいグルグルと考えていました。そしてその夜お風呂に浸かってボーっとしていました。そしたら突然、頭のなかに祖母が登場して、冒頭のワニの台詞と笑い飛ばした私、の光景が出てきた。 最初は『え?なに?ばあば、なんで出てきた??』とキョトンとしたのだけれど、ハッと気づきました。 答えが来た! そう、これは私がぐるぐる考えていたことに対する答えだと感じました。この会話のパターン、それぞれの人の立場、まったく同じ。それを祖母が教えてくれた。 (ばあば、ありがと!) ある物事について、危険/危険じゃない という正反対の意見がある