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"いま” という時間はあるのかないのか

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「いま」と言った瞬間、思った瞬間、感じた瞬間、 その「いま」は通り過ぎて過去のものになっている。 一体「いま」って、いつのことだろうか? そもそも「いま」なんて存在するのかな? と最近考えています。 このところ練習している瞑想でも「いまに在ること」は大切なのだそうだし、 わたしの描いている曼荼羅画でも「いまここ」を大切にしている。 曼荼羅画のレッスンをするときも、口をすっぱくして、 「先のことを考えず、いま目の前の点だけを見てくださいね」 とか、 「ここをこうしたら、この後こうなって・・・と考えず、いま見えた個所を信じて」 などと受講生さんに伝えています。 そもそも時間が線のように後ろへ後ろへ流れているのか、 パラレルワールドのように散らばっているような感じなのか、 どうなんでしょう。 「”いま”とは何か」みたいなことを考え出すと、頭の中のぐるぐるが止まらなくなるので 瞑想中や曼荼羅画を描いているときは、それはとりあえず横に置いておかなくては。 何かの本で読んだ文章。とても美しいな、と感じました。 ここから感じられるその世界が美しい。          植物が何故こんなにも美しいかわかる?         彼らは、ただそこに在る、だから輝いているの。 10月後半頃のミラノは黄金色に染まります

瞬間を感じる力

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前回のブログは、とてもたくさんの方に読んでいただけたようで嬉しいです。 読んでくださたった皆様、ありがとうございました。 その辺を歩いていて感じたこと。 「なんかわたし、何気ない瞬間を大切にするようになったかも??」と思いました。 昔から割と、なんでもないことに幸せを感じられるタイプではあったけれど、 それが更にパワーアップしているような気がしました。 この8カ月で。 そう、コロちゃん騒動のおかげです。 目の前の風景とか、食べるもの、目の前にいる誰か、物、などなど全ては 明日は同じように目の前に存在しているか分からない、 ということが身に染みて分かった8カ月だったからかもしれません。 そもそも、人間に生まれたからには、全員100%の致死率で死ぬわけなので、 あと5年後か、30年後か、5分後か、明日か、いつかは誰にも分からないけれども いまこの瞬間と同じトキを今後も過ごせるかどうかは、まったく不確定。 ということは頭では理解していたつもりだけれど、 この8カ月でその理解度が更に上がった、とでもいうのでしょうか。 「この幸せな瞬間を味わおう」とニンマリしながら歩いた時間でした。 この感覚を忘れているときもあるだろうけれど、なるべく、ね。 コロちゃん騒動、わたしをそんな風にしてくれて どうもありがとう。 これってとっても大切な感覚だと思う! 皆様はどうかな?? 写真を見返して気づいたけれどイタリア国旗柄の道路でした(日本だよ)