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余白

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「世の中にはわかんないことたくさんあるからねえ」 私の頭の上あたりで先生が言ったその言葉を聞いて、 ああ私は先生のこの在り方が好きなんだな とわかった。 わかんないことがたくさんある世の中に生きている と思っているということは、なんかそこに、 余白というか、可能性というか、何かの余地みたいなものを残している ということの気がする。 それがその人の柔軟な姿勢だったり、振れ幅だったり、受け入れる器だったりに関係するのかもしれない。 一年以上ぶりの久しぶりにカイロプラクティックにメンテナンスへ行き、思ったこと。 久しぶりの先生は、年齢のこともあって体は一回り小さくなった気がしたけれど、 柔らかな穏やかな物腰と、深い知性は、変わっていなかったと思う。 先生とは趣味の話などは今までしたことがなかったが、この日は写真の話などもして楽しかった。

自分という漢字の意味

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自分 という漢字って、なんでこの漢字なんだろ。 という疑問がここしばらくなんとなく頭の隅っこにあった。 ネットを調べれば、漢字の由来とか意味とか様々出てくるんだけれど いまいち意味不明というか、私には理解ができなかった。 (因みに、私は誰が何を言っていようが、世間の大多数の意見だろうが、自分が納得できたものを、自分にとっての正としている) そのうち何かわかるだろうと思っていたら、 私の中にピンっと閃いた勝手な解釈があって、それを書きます。 自分 = みずからをわける 自らを分ける と書く 自分は自らを分けたもの これが一番自分的に「そうだ」と思った。 私が勝手に閃いたことなので、正しいかどうかは知らないし、 この漢字を当てはめようと決めた人の解釈とは違うかもしれない。 けれど私の中で納得できているので、これでよいのだ。 この解釈の元はどんな風かというと、 私は宇宙のすべての存在はもともとひとつだった、と思っていて、 肉体という物質とサヨナラする時には(死)、 またこのひとつの ”なにか” へ戻って合体・融合する。 また生まれるときがきたら、この ”なにか” から分離して 新たな誰かになる。 人も動物も、植物も、鉱物も、様々なモノも、虫も、ぜんぶ同じ。 目に見えているところとは別次元に存在しているであろう存在たちも、 宇宙のどこかの惑星に住んでいる存在たちも、 ぜんぶのぜんぶが元は同じ。  なので この ”なにか” 自体が自分でもある。 そこから分かれたものがあなたであり、私であり、自分。 真実は死んだ瞬間に「あ!」っと思い出すのかどうか、分からないけれど 今のところこんな感じに思っておくことにしている。 せっかくだから「ああ、そうかあ~」と思い出して納得を感じてから死にたいなあ。 もし思い出すとしたら、瞬間的にぜんぶが分かる感じなんじゃないだろうか。 死んだか死んでないかの瞬間に。 宇宙とはなにか。