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5月, 2021の投稿を表示しています

ハンバーグを食べたい理由

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 唐突にこんな質問を受けました。 「いま一番食べたいものを教えてください。なんの制限もないとして。  直感で答えてください。」 パッ直感で思いついたものを言いました。 「赤身肉のハンバーグ!」 そしたら次の質問を受けました。 「なぜそれが食べたいのか理由を教えてください。」 私の頭の中の声 『あれ?直感でって言われたから、直感で思いついたものを言ったんだけどな』 そこで私は、赤身肉のハンバーグが食べたいと思った理由を考えて答えました。 この理由、後付けで考えた理由です。 パッと思いついたもの、ふと浮かんだもの、に理由はない。 理由はわからないが思いつくものが直感だから。 世界の成功者と言われる方々へのインタビューなどで なぜその分野に取り組もうと思ったか、という系の質問に答える場面では たいてい後付けの理由を述べている、と何かで読んだことがあります。 本人としては「ピンときた」のような、論理的な理由にならないとされそうな ことがきっかけだったりするのだそうです。 赤身肉のハンバーグ、食べたいな。

誰かを救いたいと思った時点で ”救いを求めている人がいる世界” を創り出す

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” 誰かを救いたいと思った時点で、「救いを求めている人がいる世界」 を創りだす ” 原文の全文は長いのですがその中のこの部分だけ抜き出すと  ”誰かを救いたいと思った時点で、「救いを求めている人がいる世界」を作ってるのは私だったんだと。” というものでした。 文京区で行われた 片岡ジョージさん (4コマ漫画化家) のお話会に参加された方が書かれたお便りだそうです。 全文を読みたい方は 彼のインスタ投稿 にあります。 この投稿を読んで「はっ!!!」としました。 何言ってるの?の「はあ??」じゃないです。 気づきの「はっ!!!」です。 「最近の私の思考は大丈夫だろうか?」と改めて見直すきっかけとなりました。 自分の目の前の世界は自分で創り出している。 これはいわゆるスピリチュアルとか霊能力とかの話をしているのではなく、 量子物理の話です。 このブログにも時々書いていますが(確か書いてたと思う、それっぽいことを) ”エネルギー(素粒子)とエネルギー(素粒子)がぶつかったときそこに物質が現れる”。 CERN(欧州原子核研究機構)の実験結果。 この地球に生きているということは、 私たちは全員、この法則の中で生きている、ということ。 私たち人は、意識(思考)・ 感情などをエネルギーとして発している。 そしてそれに応じたものが物質化される。 ヤッホーと言ったらハローと来るか 、というブログのように。 じゃあ、誰かを救いたいという要求に対して、用意される答えは? フォーカスする方向性。 すぐ忘れてしまったり、気づくと違う方面にフォーカスしてたり、 私まだまだそういうときがある。 自分の中で習慣化するまで、日々のルーティンに入れています。 因みに、元の話に戻って、ジョージさんにお便りを書いた方の文章の中に もう一つ私には印象深いところがあった。 立場を変えても常に何かと戦っている状態が苦しかった、 というようなことが書かれていて、 それもとても考えるきっかけとなるポイントの一つでした。

致死率100%

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natural cafe tane @ hamamatsu city 私の致死率は100%です。 母のお腹に私が誕生した瞬間から、私は死ぬ運命にあった。 私の死ぬ時は、明日かもしれないし、あと40年後かもしれないし、 もしかしたらこの記事を書き終えずに死ぬかもしれない。 これ、どんな人でも全員例外なく平等に決まっていること。 今のところ。 遅かれ早かれ、どんな死に方かは分からないけれど、絶対に死ぬ。 人間が設定した ”時間の流れ” というものに当てはめるとしたら、 死に向かって時は動いているし、死に向かって日々生きている。 じゃあ、せっかく生きている間、どんな風に生きようかな。 どんなふうに生きたら、私は嬉しいかな、楽しいかな。 どんなことを経験したいかな。 どんな気分で過ごしていたいかな。 なにを大切にしたいかな。 このブログを目にした皆さんはどうですか? 今朝、この ↓↓ 動画を見て、影響を受けてこれを書きました。 沖縄の神人のおばあをもつ点描画家 大城清太さんとの対談

新入りコロちゃんとインフル先輩

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痛快、風刺漫画を紹介する動画です。 動画は10分、皆さん見てどう感じるかしら? 私は超大爆笑でした(爆) 知った事実を大真面目に真剣に相手に伝えると こちらが傷つかないように適度に返事をして軽く流す人もいるし、 まったく右から左へスルーの人もいる。 その事実が、主流メディアの流すものと違えば違うほど、 この傾向があるように感じています。(コロちゃんのことだけじゃなくてね) もちろん中には、疑問をもって調べてくれる人や、受け取ってくれる人もいます。 たまに。 しかし! 笑いって、いいわー。笑いとともに伝わることって、ちょっと違う。 笑いは心を柔らかくしてくれるんじゃないかな。 もしかしてこれを見て 「不謹慎だわ!!」と怒りがこみあげてくる人もいるかもしれない。 そんな時は「自分はどのポイントに怒りを感じているのかな?」と ちょっと自分から離れて観察してみてもおもしろいかもしれません。 そして、 そんな人も心のどこかでクスッと笑う自分がいたりしないかな? ほんと面白いので、ぜひ見てみてください(爆) 4コマ漫画家 片岡ジョージさん  ←Instagram Twitter、Facebookなどもされているようです

ニュースの時間です

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ニュースの時間です = 情報を提供する時間です 「ネットもテレビもラジオもなかった時代は 自分の目の前に起きていることだけが現実だった」 と、どなたかが言っていた。 よしりん先生(吉野敏明医師)のYouTubeだったかな? 今日は何度もこの言葉が頭に浮かぶので、ここに書いてみています。 これ、確かにそうですよね。 目の前のこと以外は知りえない環境では、それが自分の現実の全て。 便利なツールを手にした人たち、 そのツールを活用して情報提供をしてくれる側の人たち、 それによって、自分の目の前の出来事以外のことも「情報」として 提供され、知ることができ、それを「現実」だと思う。 思う、思い込む、思わされる、どれが適切だろうか。 喧嘩をしてる二人がいて、そのうちのどちらかから話を聞いたとする。 この場合、私は「もう片方からも聞かないと全体が見えないなあ」と思う。 片方からの情報だけだと、どうしても偏りが生じる気がするから。 世界中で報道されているニュースも似たような感じだと思っている。 報道している人なり会社なりの立場があり、 それは利益をあげるべき企業でもあり、 その企業に出資している人がいてその立場もあり、 そのうえで行われるのがニュース(情報提供)だと思っている。 見ている私たちは、その誰かからの情報を提供される側。 事実の全体をそのまま伝えてくれているだろうか? 事実のある一方の面だけにフォーカスしていないだろうか? この情報提供はなぜ繰り返し繰り返し行われているのだろうか? ニュースで提供されることだけが世界中で起きていることだろうか? 提供されるニュース以外にも日々様々なことが起きているのではないか? 日本では提供されないニュースでも世界で話題になっていることはないか? ニュースはあくまで提供する側が選んだことだけ、がニュースになる。 なのでニュースで見かけることだけが全てではない。 いろいろ思いますが、 今現在わたしは、屋根のある部屋で床に座ってパソコンに向かっている、 お腹は満たされ、外からは車の音と鳥の声が聞こえ、この姿勢がちょっと辛い。 以上が今の私の現実でした。

StoryとかBackgroundとか

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カフェでコーヒーを注文しました。 そこは、15年以上前だったかに良く訪れていた場所。 今年新たにカフェとして生まれ変わったことを知り、行ってみました。 その時、コーヒーを頼んだのには理由があります。 そのコーヒーの背景を知っていて、 それにより、そのコーヒーを飲んでみたいなと思っていたから。 背景というのはですね、 そのコーヒー豆は誰から買っていて、その人から買っている理由は〇〇で、 豆を売っているその人は××△△のことである生産者さんと出会い、 その生産者さんは□□で、 その生産者さんから豆を買い付けて販売することで〇〇なことに繋がり・・・ というようなストーリーです。 コーヒーが私の身体に入るまでのストーリー。 私はこういったストーリー/バックグラウンドを知るのが好きです。 そのストーリーも含めて ”このコーヒー” として頂く。 知らずに飲むのと知って飲むのでは、心で感じる何かが違うのではないかとも思うし、 もしかしたら味や香りも違って感じるのかもしれない。 そこには完っ璧、 私個人の価値観によるジャッジメントが入っていること間違いなしですが、 それでも単純に、こういうことを知るのが楽しいなと思う。 カフェに行ってそのコーヒーを飲んだことで考えたことは、 この先、そんな遠くない未来、 私を含め平民たちは、もしかしたら工場で作られた工場野菜や人口肉しか 食べられなくなるかもしれない。 もしそうだとしても、というか、今だって、 それが工場で機械管理されて作られたものであろうが、 誰かの手から一つ一つ作られたものであろうが、 モノには必ずストーリーがあるよね、 と思ったのでした。 この世に生まれたからには必ずある。 そして1つのストーリーの周りには、 星の数ほどのストーリーがくっついているとも思う。 壮大だなあ。

IcelandのZINEと思考のこと

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Iceland、そのまま直訳すれば、氷の土地。 ある冬に旅したこの場所をZINEにしました。 写真と短文とちょっとしたコラム。 場所の説明とか旅の仕方のHOW TO本ではなく、 心で感じるものにしたかった。 ZINEのタイトルは ”感 magazine" です。 人は一日に60,000回の思考(考える)をし 〈米国・心理学の研究だそう〉、 一日にする決断は35,000回 〈英国・ケンブリッジ大学 精神医学科 Barbara Sahakian教授の研究〉 。 じゃあ、心で感じる方はどうなんだろう。 哲学の話にもなってしまうのでは、と思いますが。 一人ぼんやり時を過ごすときに、パラパラとめくって、 何かを感じて、その感じた自分をまた眺めて、 そんな本になれたらいいな、と思っています。 とは言え、それは作った私側のアイデアというか希望であって、 実際に手に取ってくださる方がどのように扱ったり感じたり考えたり そこから広がっていくものがどんなものであるか、 それは自由で無限なのだろうとも思っています。 感 magazine  - Iceland -  BASEのショップ 、 読書空間 ひつじ日和 さん、 で販売しています。 蕎麦道楽 百古里庵 さんでは、美味しいお蕎麦をいただきながら読むことができます。 限界集落 天空の館 さんでは、広がる空を眺めながら読むことができます。 ついでの話ですが。 一日に60,000回も考えていて、 そのうちの95%は昨日と同じパターンで考えているのだそうです。 これは人間の恒常性維持機能 = 現状を維持しようとする機能。 昨日のパターンで考えていたら死ななかった。 今日も同じパターンで考えれば生きていられる。 これって生き物としての本能。 しかし人生を変えたい、と思っているタイミングの人にとっては、 これは厄介な一面だと思う。 だって、昨日と同じパターンで考えているから、昨日と同じ今日があるわけです。 明日も明後日も、同じことが続く。 この、現状を維持しようとする機能については、 一年くらい前に 神王TVのゲンさんシリーズ で知りました。 じゃあどうすれば変化できるのか、についても学びました。 とても興味深い内容です。