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日常がパラダイス = 人生がパラダイス

日常の繰り返し(積み重ね)が人生 生活の繰り返し(積み重ね)が人生 だと私は思っている。 なので「人生よくしたい」「たのしい人生にしたい」「あの人の生き方あこがれる」 とか思うのであれば、日常生活をよくすること、日常生活をたのしくすること、 日常生活をパラダイスにすること。 「日常にうんざり」という気持ちを持ったままで、『楽しい』を求めて 旅行をしたり、お酒を飲んだり、環境を変えたり、人間関係を変えたりすると 「これをしている ”時だけ” は楽しい」 「これをしている ”時だけ” は日常を忘れられる」 という『一時的な快楽』になる。 そこから日常へ戻ったら、また以前と同じ日々。 例えば楽園的なところへ引っ越ししたとしても、そこの環境に慣れてきて そこがまた日常になれば、以前の自分がムクムクと出てくる。 そしてなぜかまた以前と似たような問題を抱えるようになる。 なぜか?この理由は明らか。 まずエネルギー的観点から言うと 自分そのものが何も変わっていないので、その自分の波動(周波数)は 似たような波動(周波数)のものと共振する。 引き寄せ始める、周囲に集め始める。類は友を呼ぶ、の法則と同じ。 そして脳の仕組みから言うと、 自分の潜在意識(無意識領域)のなかに溜め込んでいるものを整理していないので、 また以前の自分と同じような思考パターン、行動パターン、情緒の揺れパターンになる。 人は潜在意識(無意識領域)にストックしている膨大なデータを元にして、 見る・聞く・考える・行動する、という脳の仕組みになっているから。 『不満な今』『こうしたいけど叶ってない今』を抱えている人が、 環境を変えること、気分転換のための何かしらをすること、人間関係を変えること、 などはとっても大切なことだと思う。 変化を求めるときは私もこれらをする。 ここで間違えちゃいけないのが こういうこと ”も ” する ということ。 外側のことだけ変えればOK、ではない。 「一時的な満足でいい」という人は、外側のことだけ変えればいいと思う。 もしくは「悩みをかかえた状態の方が好き」という人も、 やはり外側のことだけ変えればいいんじゃないかと思う。 これも好みだから。 話を戻すと、 外側のこと ”も” 変えながら、内側のこと ”も ” 変える。 内側のこと=自分の中身=顕在意識と潜在意識とエネルギー領域 そうす

私の個展のお知らせ(2024年2月静岡県浜松市)

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  ∞ 個展のお知らせ ∞ 私の通うカフェで展示をさせて頂くことになりました。 在イタリア時代の一時帰国中、おいしいエスプレッソが恋しくなった時にこのカフェに助けられました。最近の私のお気に入り組み合わせは、カウンター上の焼菓子 + アメリカーノです。 飲み物で両手を温めながら、曼荼羅たちをぼんやり眺める時をお楽しみください ☕ ️ 🏵 ️ [会期] 2024 年 2 月 2 日 ( 金 ) 〜 2 月 27 日 ( 火 ) [営業日時]基本は 11 時〜 20 時、水曜は休み 又は 夕方閉店 [場所]  Instagram @westgoatcoffee  West Goat Coffee  静岡県浜松市中央区千歳町 104-2 浜松駅から徒歩5分 ◎ 入店の際はお飲物をご注文ください ◎ 作品はすべて原画の一点ものです ◎ すべて販売可能です ◎ 今回の個展限定価格にする作品もあります ◎ 作品購入は現金のみ受け付けます ◎ 購入当日にお持ち帰りいただけます ∞ はじめましての方へ ∞ 私の描く曼荼羅画は宗教画とは異なります。 宙を奏でる点描曼荼羅画 ( そらをかなでるてんびょうまんだらが ) と言い、事前にデザインを考えることなく、直感的に対称的に、すべてを点で描く曼荼羅画です。 この曼荼羅画は、まっくらな宇宙のような黒い紙の上に一粒の点を置くところから始まり、やはり一粒の点を最後に置いて終わります。それぞれの一粒は独立した点であると同時に、すべてに繋がる点でもあります。曼荼羅は平面でありながら球体でもあり、全方位への無限の広がりを持ちます。 描き手である者が自身の思考を入れずに描くことで、できあがった曼荼羅は、個人の狭い枠に囚われない世界を持つのだろうと思います。 瀬戸里絵 ____ 体験会・講座は、ご希望日時を相談いただき互いの都合を合わせて開催しています。講座は対面もオンラインも可能です。 点描曼荼羅画の販売、オーダー制作もしています。作品購入はオンラインショップ又は dm からどうぞ。オーダー制作承っています (1 万円〜 ) 。 詳しい内容は こちら をご覧ください。   ——

【補足】重い方へ引っ張られることの何がだめなのか?

 ひとつ前の投稿の補足です。質問が飛んできました。 「気分や感情が重い方へ引っ張られると、なにがだめなのか?」 まずは、 良いとか悪いとかはないです。 重い方が好きだったり、そこに浸りたい気分の時ならばそうしたらいいし、 軽い方が好きな人はそうしたらいい。 単なる好みです。 で、 私は軽い方が好きなので、自分も軽くいたいし、自分の周囲は軽い人々でいてほしい。 なので、重さを取る方法、軽さをキープする方法などを教えているわけです。 突然ですが、私の活動の目的は『地球平和』です。 私の想う地球平和とは、 個人個人が精神的にも体的にも自由で、それぞれが好きなことをしていて、 それぞれが自分の満足感の中に生きていて、それぞれ尊重しあっていて、 それぞれ感謝の気持ちを持って、地球と共に生きている 言葉で簡単に言うとこんな感じ。 それで、 この地球平和の状態になるためには ”類は友を呼ぶ” の法則を大活用することで、 私一人からでも、そこのあなた一人からでも、可能なのです。 波動とか量子力学のことを知っている人ならば(学者レベルでなくて表面的に知っている感じでも全然OK) 聞いたことがあると思いますが、 類は友を呼ぶ、とか、似た者同士が集まる、とか、一緒にいると顔が似てくる、とか、共振とか共鳴とか、 そういったことは、なぜそうなるのかを説明できるのです。 私一人が軽い波動(エネルギーとか気とか周波数とか)になると、どうなるか? 大雑把に言うと、 私が軽い波動を発していると、類友の法則によって、 私と同じような波動の人・物・出来事が私の周りに集まってくる/起きてくる。 私一人が変化したら、私の周りも似たようなエネルギーになる。 誰かがものすごく楽しそうに大笑いしていると、 内容を知らなくてもこっちもつられて笑えてきたり、楽しくなったりする。 それと同じことです。 自分もそういう方が好きだな~、という人が講座を受講してくれて、 その人が軽い波動に変化していくと、 その人の周囲でも上に書いたことと同じようなことが起きてくる。 で、その人の周囲環境がそうなっていくので、その人自身はますます居心地がよくなって、 ますます軽い波動になっていく。 そして、その人の周囲の誰かも誰かもその波動になっていくので、 そのまた周囲もそうなっていく。 こういった連鎖が起きてくるので、 日本各地、地球のい

重い方へ引っ張られるのが通常モード

地球にいる限り、重力というものがあって、重たいもの引っ張られる。 ボーっとしていようが、意識していようが、引っ張られる。 でも、ひとつ。 重力からは絶対的に自由なものがある。 自由というのは、自分の意図でどうにでも変えられる、という意味。 それは、私たちの意識。 (ここでは、感情も思考も含めて、あえて意識と表現します) ただし、意識も同じく、放っておいたら重い方へ引っ張られるので、 意図して引っ張られないようにすることが大切。 ネガティブとされるものが重たい方向。 イライラ、モヤモヤ、違和感、恐怖感、引っ掛かり、我慢、 不快感、不満感、罪悪感 こういったものがすべて重たい方向の感情。 放っておいたら、どんどんどんどんどんどん、 この重たい感情の中へ巻き込まれ続け、 ぐるぐるぐるぐる考え続ける。 例えそこへ蓋をして見えないようにしたとしても、それは一時的なこと。 押し込められたそれらは、いつかまた必ず出てくる。 放っておいたらそうなるので、 自分で意図的に、コントロールして、 巻き込まれ続けない自分でいられるようになると、すごく快適に生きられると思っている。 その方法を私は講座で教えています。 これまでも、これからも、 日本語でニュースになっているものも、なっていないものも、 地球ではいろいろなことが起きているし、 今も進行形なものもあるし、これからも起きる。 そんな中で、 自分が自分であること。 自分を保っていられること。 しかも一時的に無理やりそうするのではなく、 自然な形で、気楽にそれができていること。Keepできていること。 それはすごく大切なことだと私は思う。 特に大人は。 身近に子どもたちがいる環境に居る大人は、さらに特に。 例えば、 重たいものを持ちながら、重たいものに引っ張られ続けながら、 好きなことをしたり、希望を叶えるために動いたりするのは、 効率が悪い。 心も体もとても元気な時などに一時的にはできるかもしれないけれど、 やはり一時的だし、柱が弱いというか、ちょっと何かあったら倒れる系。 見えないようにしたりするのではなく、 日々ちょこちょこ掃除をして澱みや曇りを取りながら、 身軽な状態で歩んでいくほうが私は好き。 そして、そういう人が周囲にいる環境が私は好きなので、 講座をして教えているし、学んで実践してくれる人が増えれば増えるほど 嬉しくてたま

中心にあるもの

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今まで割と「自分の芯をしっかりさせる」「土台をしっかりさせる」 みたいな言い方をすることが多かった。 この間あることを考えながらノートに書いた言葉があって、 その言葉が最近の自分的にとてもしっくりきた。 「自分のなかの核」 この核のイメージは、ギュー――――ッと凝縮していて、すごくパワフルで、 エネルギーがあって、生命の源みたいな感じ。 自分の可能性を制限する感情や思考のヨドミは、 日常的にメンテしながらどんどん取り去って、どんどんクリアになって、 核のエネルギーを覆うものなく生きよう。

原因と結果

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因果応報、すべて自分が源、原因と結果の法則、思考の現実化 言い方はいろいろあるけれど「起こったことには全て原因があるよ」という意味。 自分の身や自分の目の前に起こったことは、すべて自分が起点になっている。 誰かのせいでも、何かのせいでもない。 自分は無力な被害者ではない。 「これを食べたらお腹をこわした」 みたいな日常のささいなことも、その食べ物のせいではないし、 病気や事故であっても同じく。 「私は被害者」なのではない。 って、話していると 自分を責めなければいけないような気分になる人がいるかもしれない。 決して自分を責めるのではないのだけれど、 ここのところの説明をする時にしっくりくる言葉が いままでイマイチ見つかっていなかった。が、 最近、発見! 「自分を責めてくださいと言っているのではなく、 自分がつくった現実だ、ということを受け入れてください、 ということです。」 これ↑は、ミナミAアシュタールさんの話を聞いていて出てきたフレーズです。 「自分のせいなんだ」と落ち込んだり責めたりするのではなく、ただ単に、 「あ、私こんな現実つくってる」と、まずは受け入れる。 そこで終わらずそのあとが大切で、 「私のどんな思考がこの現実をつくったかな?」と考える。 加えて、 「私は本当はどうだったら心地いいんだっけ?」と考える。 「あーやばいやばい私こんな風にしちゃった」と、 グルグル落ちる方向に巻き込まれたままでいないこと。 いろいろ考えるのは当然なのだけれど、 考えるときの方向性、矢印の向きを間違えないこと。 そして忘れてはいけないのは、 「私がこの現実をつくってしまった」ということは、 「私は自分で現実をつくりだせる」ということ。 ヒーリング講座の受講生さんたちは 「現実は自分がつくっている」ということの意味や仕組みは知っているはず (覚えていなかったらテキストを読み返してネ)。 これは宗教的な考えでも、スピリチュアル的な考えでも、SF的な考えでもなく、 この世の中、この宇宙の仕組み。 いまの地球の物理学で分かっているところでいうと、量子力学の話。 私は、自分に起こる出来事を見て 自分の考えていること(考えていたこと)を知る、という時もある。 因みに、ヒーリング講座受講生さんたちは、 「私のどんな思考がこの現実をつくったかな?」の部分を 無意識下の領域からも探し出せる

自分探しと自分剥がし

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「自分探し」ということで、旅に出たり、いつもと違うことをしてみたり、 気になるものを片っ端から学んでみたり。 でも。 外側のどこかには探している自分はいない。 そしてある時気づく。 「なんだ、私のなかに全部あるんだった。」 自分探し、という言葉を、自分剥がし、に変えてみる。 地球に生まれた瞬間から、周囲の大人たちによって刷り込まれていくアレコレ。 大人から刷り込まれ済みのクラスメイト達から言われる言葉たち。 自分の周りにペタペタと貼り付けていく、 常識・普通・一般的・平均的・道徳的・宗教的 などの自分を覆うラップのようなもの。 いつしかそのラップは『自分を守ってくれているもの』だと思うようになり 剥がすことが怖くなる。 変化が怖くなる。 同じようなラップを被った人と一緒にいることが安心であるかのように思う。 同じようなラップを被っていない人を見ると「変な人」だと思ったり、 「でもちょっとあこがれる」と思ったり、 「あの人を見るとイライラする」だったりもする。 自分を覆っているラップをもしも剥がしたら 何が起きると思う? どうなると思う? 私は、息がしやすくなって風通しがよくなって気持ちよさそうだと思う。 セルフヒーリング講座の受講生さんたちや、 私の個人セッションを受けた人たちが、 どんどん軽くなっていくのを見て、なんて気持ちよさそうなんだ! と思う。 そもそも、自分はラップに覆われている、と気づくかどうか。 気づく鍵は「あれ?」という疑問や違和感、モヤモヤ感。 その小さな「ん?」が起きた時、 「まあ、それが普通なんだししょうがないでしょ」 「そういうもんでしょ」 「気のせいかな」 と、流さないことも鍵だったりする。

「祈り」ながらあなたは何を想像しているか?

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以前インスタストーリーズに載せたところ、割と反応があったので、 こちらにも書き残します。 祈り、願い には、タイプというか方向性がある。 それを祈り/願いながら、自分は何を想像しているか? それがポイントのひとつ。 「転びませんように」 と祈り/願いながら、何を想像してる? 転んで痛がっている状況を想像してない? そして「転んだらヤバいわー」と怖いと思っていない? 宇宙は、この想像の通り叶えてくれる。 「オッケー! ”転んでる自分” のイメージね。叶えとくねー!」 となる。 じゃあ、例えば。 「軽やかに走っていけますように」 と願ったとしたら、何を想像する? 「オッケー!そのイメージの通りに叶えるね!」 となる。 わたしのメニューの中にある『セルフヒーリング講座』では、 こういったことも基本知識の一つとして教えています。 思考、イメージ、の方向性を間違えると、全然望まない出来事が起こる。 自分に対しても、だし、他者に対しても、世の中に対しても、同じく。 (でも脳はそれを『間違い』だと思っていないのがポイント) 祈りとか願い、 と言うと何か大きな出来事などを思うかもしれないが、 人は誰でも日々ずっとずっと祈り/願い続けている。 ご飯食べたいなー もう寝たいなー 行きたくないなー これ全部祈りであり願いですね。 それらを、正しくスムーズに、軽やかにしなやかに、叶える方法がある。 些細なことでも大きなことでも、同じ方法を使う。 セルフヒーリング講座詳細は こちら (わたしのHPに飛びます) このことをストーリーズに書くきっかけになったのは、 私の尊敬する一人であるさとうみつろうさんのYoutube動画。 それは こちら 。

異世界体験

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最近のいつもの自分とは違う行動をしてみた日があった。 そうしたら、その場に集まっていた人々は、最近の自分の周囲にいるような人々とは 違うタイプの人々で、 話題の内容も違うし、盛り上がるポイントも違うし、興味の方向性も違うし、 知識のベースも違うし、情報源も違うし、 とにかくいろいろなことが最近の私とは異なっていて、 「ほお~」「ふーーーん」 という感じだった。 生きている世界が違う、というのはこういう感じなんだと、体感できた。 それで。 ただ単に「へえ~違うんだな~」で終わらない自分の心の中に気づいた。 なんだかモヤモヤがその後数時間続いたことで、 「こうであるべき」が自分の中にあることに気づけた。 それはセルフヒーリングで手放せたので、また一皮むけた。 おかげさまって、こういうこと。ありがとう、この体験、この登場人物。 セルフヒーリングができるって、本当に便利! 実は、上記のような体験をしたちょうど数日前に、似たような話を聞いたばかりだった。 私にその話をしてくれた人は、 地域の中である役割の担当になったことで、 自分の日常では出会わないタイプの人々と一緒に活動することとなった。 なにかの話し合いの時も、なにかのイベントの時も、その延長の打ち上げ的な時も、 とにかくあらゆる場面で「違い」を体感した。 というような内容だった。 それを聞いたばかりで、私も同じような体験をすることになった。 自分の中のどこかで、異世界体験してみたい、と思っていたのかもしれないし、 又は、自分の制限をどんどん外していきたい、と思っていたから、 その制限に気づく状況がこのカタチで用意されたのかもしれない。 思い込みとは、自分のなかでつくりあげている思考の枠/壁/制限のこと。 例えば、朝食は食べるべき、とか、男は〇〇であるべき、とか、何歳までに△△、とか。 思い込んでいる状態なので、それが当たり前だと思っていて、 それが思い込みだとか制限だとかは、なかなか気づかない。 他人の話を聞いたりすることが刺激となって、ハッと気づくことも多いと思う。 なので、ありがとう、なのであります。

家族だから、家族なのに。

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親だから、子だから、兄弟だから、家族だから。 親なのに、子なのに、兄弟なのに、家族なのに。 「だから」「なのに」の後には、例えばこんな言葉がつくことが多いだろう。 仲良くしなくてはいけない/仲良くするのが当然。 会わなくてはいけない/会うのが当然。 助け合わなくてはいけない/助け合うのが当然。 面倒をみなくてはいけない/面倒をみるのが当然。 私はこれについては、こうするべきとは全く思っていない。 自然にそうできる人もいるし、我慢して努力してそうしている人たちもいるし、 するのが当たり前なんだと思い込んでしている人もいる。 全然そんな風にかかわりたくなくて離れている人もいる。 血が繋がっていようが、育ての親だろうが、一個人と一個人なのだから、 性格やタイプなどが違っていて、人として合わないとか、あまり好きになれない、 ということだってあると思う。 長い間一緒に時間を過ごすことで、お互い「慣れている」ということはあるだろう。 でも、それと、好きかどうかとか、合うか合わないか、とかは別。 それとか、 前までは気も合っていたけれど、なんだか合わなくなってしまい距離が空いている、 ということだって大いにあると思う。 私は、友人関係と同じように捉えたら良いと思うけれど、 「家族だから」という言葉に囚われの身となっていると、 「そうは言っても家族だし、、、」となる。 家族だろうが誰だろうが、まずは、人と人である。 自分とは異なる、人。自分ではない人、他人。別人。 その言い方に冷たさを感じるならば「他者」と言ってもいい。

催眠術をとく

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このところ、少し前のことであっても、 ものすごーーーーーーーく前のことのように感じる。 例えば1ケ月前の出来事を、1年以上前、あるいはもっと前、のように感じる。 以前から私はこの傾向はあったのだけれど、最近特に強い。 私の中には36兆個くらいの細胞たちが生きていて、その細胞たちは3カ月くらいで すべて入れ替わるのだそうだ。 だから3カ月前の私と今の私では全くの別人と言っても良いかもしれない。 数で言ったら36兆個分も違っているのだから。 この「別人に感じる感覚」についても、私は上に書いた年月のことと同じように感じていて、 1年前の自分は、今の自分とは完璧別人だと思うし、 3カ月前も別人だと思う。1カ月前はまあまあ違うかな、くらい。 別人に感じる、という意味は多重人格的ということではなくて、 なんというか、 ステージが違うというか、生きているステージ?場所?空間?次元?が違うように思う。 なんかそんな感じなのであります。 いまこれを書いていて、ふわっと感じたことがあって、 じゃあだからと言って、時間が過ぎるのが常に猛スピードに速いと思っているか、 と言ったら、そうでもない。 例えば先ほど(ふわっと感じたこと、と上記に書いた瞬間)、 時間がものすご~くゆっくり揺らめいている、うごめいている、くらいの感じに 感じた瞬間があった。 宇宙には時間なんてなくて、それはただ人間が地球でつくった概念であって洗脳であって、 「時間は伸び縮みする」というのが真実なんだろうなあ、と思う。 洗脳って、催眠術みたいなものだと思うが、 きっと文明社会に生きる人間はすべて、催眠術にかかった状態で生きているんじゃないか。 かかり具合とかが人によって違うっぽいけど。 私は催眠がとけた状態がどんな自分で、どんな地球になるのか、 見てみたい。

最近のお知らせアレコレ

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しばらく間があきましたが元気です。 最近のお知らせをまとめます。 ◎ボディ―ヒーリングのモニター募集します  新しく習得した技術です。エネルギーワークなので遠隔で行います。  医療行為に代わるものではありません。  体にある不要なエネルギーを取り去り、その人のエネルギー全体を上げていく(本来の状態へ戻していく)ことが目的です。  女性の場合は、子宮に特化して行うこともできます。  自分の練習のためと、様々なパターンを知りたいので、モニター募集します。  私の気が済むまでは無料です。その後は有料モニターか、モニター終了か、その時になったら決めます。  きちんとフィードバックをくださる方にお願いしたいです。  ご興味ある方、ご連絡お待ちしています。 ◎五元素の転写ミストを販売します  日本で生きている人ならば、誰でもが食べている農作物の育っている場所のエネルギーを水に転写しました。  北海道のある地域の自然農法数十年の場所です。年中、風が強く吹き抜け、冬は雪ですべてが埋まりリセットされる場所。  その農作物の育つ過程のエネルギーを私が感じ取り、それに合う精油のエネルギーと融合させ、香りをつけました。  とてもパワフルなエナジーミストが2種類できあがりました。 ◎点描曼荼羅画の展示販売をします  陶芸家の長谷川文陽氏の作陶展にて、私の曼荼羅画も展示販売させていただきます。  6月3日~11日  10時~17時 (最終日は16時まで、5日は休業日)  サーラプラザ佐鳴台  静岡県浜松市中区佐鳴台1-11-5 ◎点描曼荼羅画のワークショップと展示販売をします  全国各地の作家、アーティスト、暮らしの手仕事を営む人々が集う ”Tabibito Art &Craft 2023” に参加します。  6月3日~11日 11時~18時 (5日6日は休業日)  ushimado TEPEMOK ウシマドテレモーク   岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓4448    私のワークショップは 7日16時~17時半、8日13時~14時半  おひとり3000円 予約制  宇宙の幾何学模様の作品を生み出すワークショップです。  その日その時その場所その自分、だからこその作品ができあがります。 ◎マインドフルネスチャイとアクセスバーズのコラボ企画をします  アクセスバーズで思考やエネルギーの滞りを流し、伺った

わたしの人生で100%決まっていること

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 今日は新月。新月は願い事ノートを書く日としている。 「今日は願い事を書く日だな~」とか思っていたら、こんなことを思いました。 以下は今日のインスタグラム投稿にも書いたものです。 ・・・ 私の人生で 100% 決まっていることは、ただ1つのことのみ。「いつか死ぬ」ということ。 そのいつかが世に言われる『平均寿命の頃』だとは限らない。 これを投稿する前かもしれないし、明後日かもしれない。 私は割と子どもの頃から、こんなふうな事を考えていたと思う。 病気だったわけでもなく、高齢だったわけでもないのに、ある日突然死ぬ、遺体が無く顔を見たのは生きていた時が最後 そういう経験を子どもの頃にしていたり、その後も、似たような経験をした人が身近に何人かいた。 この経験のおかげで、なんとなくいつも「死とか終わり」を意識していることができている。 いつも考えているわけではなくて、信念の1つになっているみたいな感じだと思う。 そんな風なことが、信念というか軸の1つにあって、 そのおかげで云々 … と話しが続いていくわけであります。 今日は新月だな〜 願いごとノートの日だな〜 最近またあることについて気持ちが盛り上がってきているな〜 やっぱり私はそれがしたいんだな〜 とか思っていたら、このような投稿になりました。 🌝 セルフヒーリング講座の受講生のみなさん、新月エネルギーを活用して願いごとリスト更新してくださいね、その時の重要キーポイントも忘れずに。私も書きます 💫 ・・・ インスタには書いていないけれど、追加でここに書きますが、 上の経験にある『突然死ぬ』という人たちには共通点があります。 亡くなった人の共通点ではなくて、残された側の共通点は全員女性。亡くなった人たちは彼女たちの夫だった人々です。 みんな割と若い年齢の時にパートナーを亡くした。 なぜか私は子供の頃から、そういう女性たちが身近に何人かいました。 身近だったので、その女性たちの生き方を見て感じて知るという経験もしました。 久しぶりにこのことに意識を向けました。 死の方面に意識を向けたのではなく、自分がどう生きるか、の方向に意識を向けました。 やりたいことをやろう、行きたいところへいこう、会いたい人に会おう、 自分の時間を何に使うか、自分で決めよう。 したい体験をしよう!

不要物を出せる身体でいること(精神的にも)

「まず溜めているものを出すこと、不要なものはなるべく入れないこと、良いものをいれること、不要物を出せる自分でいること」 これ、まるで身体の健康維持のための言葉のようですが、意識や感情も全く同じだなあと思っています。 私は意識や感情についての講座も開いているのですが、 その説明文言をなんとなく書き換えたくなり、PCに向かっていて、そう気づきました。 以下がその文言です。 ・・・・ 誰でもが無意識化にためこんでいるものを、先ずは解放してあげること。 講座内で学ぶことの一つです。 ここでは目に見えないエネルギー的なもののことを言っていますが、身体と同じです。 身体に良い、と言われる栄養をいくらたくさん入れてあげても、 それと同時に、負担になるものを入れていたり、 これまで溜め込んでいる不要物を出さないことには、意味がない。 先ずは、出す、とても大切なことだと思っています。 出す(=解放する)作業というのは、おそらく私は一生し続けるのだろうと思います。 日常を生きている限り、望んでいなくても、入ってくるものはあります。 入ってくるのを恐れるのではなく、入ってきたことに気づき、それを出せる自分でいたら良い。 繰り返しますが、身体と同じ。解毒できる身体でいたら良いのです。 そして、自分にとっての不要物をなるべく避ける術や知識を学び、実行することで、 解毒しなければいけないような毒は、身の回りから減っていきます。 こういう事というのは、言い方次第で、世に言うスピリチュアルな雰囲気にもなるし、 違うものにもなりますが、 言いたいことは一つです。 仕組みを知って実行することで、自分の人生を自分で動かすことができる、と私は信じています。   次の言葉は、私が25歳頃からの愛読書の著者である浅見帆帆子さんの言葉です。 ( 言葉そのままではないですが意味は同じです) 『 ”そのままのあなたで良い”   ”変わらなくて良い” というのは、素のあなたのことである 変わった方がよいのは、 ”いろいろとたくさんくっつけているあなた” 、である 』   私はこの講座内容を友人から学びました。その友人とは20年くらいの付き合いです。 しょっちゅう会う関係ではないけれど、彼女の人生の変化はしっかり見ています。 学んだ時「これは絶対みんな知っていた方がいい!」と強く感じたのを覚えています。 それは、感覚的

前世/過去世というものがあるのかないのか

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私は子供のころから「ある」と思っていたし、「私はまた生まれ変わる」とも思っていた。一体いつ頃から何をきっかけに、そう思うようになったのかは覚えていない。 これを当然のことと思っていたので、ある時「は?前世ってなに??」と真剣に返された時、私も真剣に「え?まさかこの人、前世の存在は無いと思ってるってこと?」と驚いた記憶がある。 ところがこの1年くらいで、実はこの信念が揺らいでいます。揺らいでいるというか、理解が変わりつつあるというか。次のように考えています。まだ「そうかもしれない」程度の段階で、検証中というか、探り中ではあります。 例えば『前世はある』とする場合の前提は、ひとつの(一人の)魂があって、それが体を変えながら様々な人生を体験する、ということですよね。いまの私の体の中にある私という魂は、体が死んでも ”私という魂” のまま、またいつか別の人生を別の体の中でスタートする、体は変わったけれど魂は同じ(魂は同じ個性)。 だから、過去のどこかの人生で体験したことは実は魂が覚えていて、今の人生で、他人よりも上手くできたり興味が強かったりする。それとか、過去の人生で体験しきれなかったこと、やり残したことなどを、今の人生で向き合うことになる、とか。 前世があると信じている人たちの理解はこういうことだと思うし、私もそう思っていました。それにヒーリングセッションをするときに見える映像は、まさにクライアントの過去世の映像が見えていた(と思っていた)。 前世がないとしたら、じゃあ、セッションのときに見えている映像は何なんだ? 、ということの答えとしては、『その人が今世を生きるために持ってきたツールの1つが見えている』という答え。 新しい人生を始めるとき、魂は、その人生にどんなツールを持っていくか選べる。ゲームの世界でいうところの装備みたいな。「新しい冒険に出発する前に道具屋さんから装備を選ぼう、ロープ・ナイフ・シャベル・・・・」のように。 「今回の人生では〇〇を体験したいから、、、あの時代のAさんの宮中での生活の記憶と、Bさんの調理の記憶と、Cさんのxxの記憶を持って行こう!」のような感じで、いつかの誰かの人生の記憶をツールとして選んできている。 まずこの考えの前提として 『魂は固定されていない』ということ。私の魂は、このまま私としてまた別の体に入って別の人生を始めるのではない。

乾いた森に静かな雨が降った日(屋久島)

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2022年3月26日(土)に、私の調香部門の新しいラインを発表しました。 ブレンド精油シリーズ 『 Link to_  』。 私の記憶の中にある、ある風景や情景を、香りの中に納めました。 地中から地表、周囲の空気、天の様子、すべてを含めています。 その時へ、空間ごとリンクするような香り。 その時と今の、境目が薄くなるような香り。 あなたの空間で香りを開き、時を楽しむ。 そんなシリーズです。 香料はすべて天然香料である精油を使っています。 第一作目は、ある日の屋久島。 乾いた森に静かな雨が降ったあの日のこと。 ユズ、ネロリ、ナツメグ、ホーウッド、サイプレス、ヒノキ、サンダルウッド、ベチバー、オークモス、をブレンドしています。 ご興味ある方はこちらから詳細ご覧ください。 (オンラインショップが開きます) Ame No Mori - Yakushima 2013 May - このシリーズでは、私の訪れた地球の様々な場所を香りで表現していきます。 お楽しみに!  

芳香は方向

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漢字にすると違う意味を持つものになるけれど、音(読み方)としては同じ言葉。 日本語はそういった単語が多くありますよね。 芳香と方向。 これは 神王TV を見ていたときに出てきたものでした。 (神王TVは様々なジャンルのテーマを扱っていて、豆知識的なものや潜在意識系のものが好き) 香りのない宗教は無い、といわれるように、香りと宗教的世界観みたいなものは密接にかかわりがあります。 日本なら、お墓や仏壇のお線香は良く見かける風景。 ピラミッドの時代でも香りは儀式に使われていたようです。木の樹脂を燃やす。使われていたのは、フランキンセンスやミルラの樹脂。 アメリカ大陸の原住民の方々は、ジュニパーの枝を燃やしていた、とか。 他にも様々な植物を様々な人々が儀式的に使っていた(いる)のです。 共通しているのは、なにかを燃やして煙を出していること。 その煙が、神様的な存在との繋がりをつくってくれたり、魔除けや浄化、意識の変化をさせてくれる。そう信じているから大切な儀式に使っているわけです。 その煙が、どこかへ連れて行ってくれる、どこかやなにかと繋がる、方向を示してくれる。 何かが燃えて出る煙というのは、必ず香りがあります。煙=香りです。 香りによって方向が示される、なにかと繋がる。芳香と方向、芳香は方向。 自分の中の奥深い意識、潜在意識の方向性を香りで導いたり、意識を瞑想状態に導いたり、 植物の香りというのはそういったことができる力を持っていると私も実感しています。 何かの香りを嗅いで気分転換、というのもその一種ですね。 セルフイメージを高める、自己肯定感を強める、そんなことのサポートも植物の香りでできると思っています。 私が調香で使うのも全て植物香料、精油です。液体になってもまだ生きていると感じている。 植物は地球における脇役のように(風景の一部、みたいな)思われがちだし、私もついそう思ってしまうこともあるけれど、ものすごい力を持つ生命体。 他の生命体に比べて動きがものすごー----くゆっくりだったり、いわゆる顔がないし、身体の構造が違うので、モノ、みたいに感じられてしまうのだと思います。 樹脂を燃やして出た美しい煙のアート

Magic Moments

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  いつまでも”コレ”というアイデアが浮かばず、なんだか手がつけられずにいたカレンダーづくりの仕事。 ある時から考えるのをやめていたら、突如として動きが出て、あっという間に出来上がりました。(とはいえ数日はかかってますが) しかもとても良い気分で、つくることができました。 使う写真は全て私が撮ったものなのですが、その写真たちを眺めながら、まるでその風景を本当に見ているような気分になり、ゆったりとしました。 これを手にしてくださった方々も、やはり、その風景の中に溶け込むかのように、 ゆったりとしてもらえたらいいなあ、と思っています。 私は 浅見帆帆子 さんの本やYouTubeを見ているのですが、まさにその中で言われている通りのことを今回のカレンダーづくりを通して経験しました。 それは「いったんそのことを手放す(考えるのをやめる)こと」ということ。 ただ単にやめるのではなく、最善のタイミングで最善のアイデア(情報とか)が来る、と信じて自分の頭の中でアレコレ考えるのをやめる、ということです。 今回の私の場合で言うと、9月に入ったころから「もう来年のカレンダーを発売し始めている人がいる!」と目にするようになり、まだ何も考えていなかった私はヤバイカモ、と思い始めていました。 そして毎年親族から言われていた「10月末頃にはモノとしてあるといいんだけど、日本はその頃には店頭にカレンダーが並んでいるし」という意見を思い出しました。 撮った写真は大量にあって、様々なテーマにも対応できる分だけあるのに、肝心のテーマがいまいち定まらない。急がなくちゃ、という気持ちだけが心の中で渦を巻いている。 この状態とこの気分で作っても、絶対良いものにはならない、ただの綺麗な写真のカレンダーとなるだけだ、と分かっている。でもどうしよう。 そんな状態がしばらく続き、途中から「もう1月はじまりはやめて、4月はじまりのカレンダーにしちゃおうかな」と思い始め 「もう気分が乗るまでほおっておこう」と決めました。 そうしたらある時から、全体の雰囲気が頭に浮かび始め、それに沿って大量の写真からピックアップを始め、サクサクと出来上がりまで至ったわけです。 結果的に、1月が始まる前には全然間に合っているし、自分の気分がとても良い状態で作業することができたので、そのエネルギーもカレンダーに乗って、良いものができたのではな

コーヒーのパッケージ写真

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私がドリップパックコーヒーを買う時、そのパッケージのデザインに惹かれて買うことが良くあります。 そうすると、だいたい中身のコーヒーも「おいしいなあ」と感じるものだったりします。 ただ、これには前提があって、そのドリップパックコーヒーを売っているお店自体も、 私が好きだな、と感じるお店であること。 好き、ということが繋がっている感じですかね。 今朝はこのドリップパックコーヒーを開けました。 ネパールで育ったコーヒー。 中身は同じなのだけれど、パッケージの写真が数種類ありました。 いくつか好きな写真を選んだ中の一つが、今朝のこちら。 すごく好きな写真なのです。 「いいなあ、好きだなあ」と思いながら、コーヒーを淹れました。 飲みながらも、この写真を眺めて、また「好きだなあ、美味しいなあ」と思いました。 量子力学の世界で ”それを観察した途端に、そのモノは観察者の影響を受ける” というような説があります。 だから、この世にある ”実験”というものの結果は、たとえ同じ条件で行ったとしても、 実験を行う人が違えば結果は違うことがある、と言う話。 これが本当のところはどうなのかは知りませんが、私の ”このコーヒー美味しい現象” は 観察者である私の影響を存分に受けているから、私にとっては美味しいのかもしれない。 そんなことを思った朝でした。 因みにネパールへは二度、訪れたことがあって、一度目に行ったときはコーヒー屋さんなんて見かけなかったのだけれど、 初回から何年もたって二度目に行ったときは、都市部のカトマンドゥで何軒か見かけました。 どのお店もネパールで育ったコーヒーを売りにしていて、飲んでみたものはとっても美味しく感じました。(ハンドドリップコーヒーでした) ネパールで庶民たちに昔から飲まれているチャーよりもだいぶ高額だったことも記憶にあります。 (いきなり話が逸れるけれどレコードとかCDとかを買っていた時も割とそれで当たりを引いていて、ジャケットデザインの世界観が好きな場合、その中身の音楽の雰囲気も好きということが良くあった。ただし、まずは大枠のジャンルを選んだ中から選ぶ、という方法だった。因みにそれによる弊害があったとしたら、アーティスト名や曲名が覚えられないということ。何故なら、そのジャケット全体のデザインや雰囲気でそれを認識しているので、そこに書いてある文字の内容は全

ヒーラータイプ&オーラ鑑定を受けました

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まいちゃんのヒーラータイプ&オーラ鑑定セッション を受けました。 (まいちゃんとは、これまで何度かこのブログに登場しているプロのヒーラー、友人であり先生である) 私は今回、プチヒーリング付き、のメニューで申込をしました。 結論から言うと、申込をしてすごく良かったです。 自分がやりたいこと、自分の仕事について、やるべきことについて、 更なる自信がついて、良い意味でドッシリとした感じがします。 それに、自分でできることだけれど、時々自分以外の人にしてもらうというのは、 とても良いと思いました。勉強にもなるし、新たな気づきがあったり、見直しがあったり、 なんだか流れが良くなる感じというか。 美容師さんが自分の髪を他の美容師にあえて切ってもらう、みたいな感じでしょうか。 (人によるかもしれないが、美容師さんから聞いた話と共通点を感じたので例に出してみた) 普段、気になったことは、セルフリーディング&ヒーリングで解決していますが 最近ちょっと感じていたことは、自分のことをするのがイマイチやりづらい、 ある段階から先へ進めない感じがする、という状態。 他人のリーディングヒーリングは問題なくできているのに。 そこをまいちゃんにみてもらいました。 「え!あのイメージってそういう意味だったんだ!!」という意外な盲点というか 気づきがあり、結果的に、やはり宇宙はいつも答えてくれていた、 というのが良く分かりました。 気になっていることは、さっさと解決するのがいい。 さっさとそこから抜け出して、日々やりたいことに時間もエネルギーも使いたいです。 その方が私は楽しいし嬉しい。 因みに私の第三の目は、ばーーんっ!!と光っていて、ビジュアルでみるのが得意だね、 と言われました。自分でもそうだと思います。 そしてヒーラータイプとしては、 そこにゴチャゴチャと色んなものがあった時に、不要なものをどんどん取り除いて 必要なポイントを見つけ出し、そこに向けて行動だったりをしていけるように導く、 のようなことが得意なタイプだそう。 これを聞いて過去を思い返してみると、確かに思い当たる節がたくさんあります。 私のオーラの一番外側は赤色だそうで、その意味も聞いたおかげで、あるイメージが湧き、 ますますヒーリングがやりやすくなりました。 繰り返しになりますが、ときどき人にしてもらうって良いなあ、と改めて。 ま