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4月, 2021の投稿を表示しています

山でヤッホーと言ったらハローと来るか?

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stelvio pass, italy いや、来ないですよね。 山でヤッホーと叫んで、Hey, Hello!!と返ってきたら仰天します。 または、小さな声でヤッホーと囁いたのに、大きな音でヤッホーと返ってくることもない。 今朝、セミナーノートとして使っているノートをパッと開いたら、 先月参加した 鈴木真奈美さんの春分の講演会 のときのメモが目にとまりました。 自分が出したものがそのまま自分にかえってくる、という話題の個所でした。 例えばこんなメモ。 私「〇〇いやだな~」→ 宇宙「Yes! 〇〇いやだな、という状況ね、はいどうぞ!」 私「なんか嬉しいな」→ 宇宙「Yes! なんか嬉しい、という状況ね、はいどうぞ!」 宇宙(か何か、呼び方は何でもよい)は常に、 こちらが発信したことに対して 「YES」で答えてくれる。 その状況をどんどん用意してくれる、ということです。 アラジンの魔法のランプのように。 しかもお願いごとは3つじゃなくて、毎秒、毎瞬間、どしどしどうぞ状態。 引き寄せの法則などを実践されている方には当たり前の話かもしれません。 私「え!〇〇いやだなーって、別にお願いじゃないよ!!」 と言ってもそれは宇宙には通じません。 思ったこと、言ったこと、それが否定形であっても、そのまま受け取ります。 こちらがその感情になるような状況を、どんどん用意してくれます。 ポイントは”感情”。 意思よりも言葉よりも何よりも、”感情” エネルギーの発信が一番強力です。 これはこれまでも時々ブログに書いた まいちゃんの引き寄せセミナー (現在このセミナーはやっていないかも) で学んだことです。 感情のエネルギーを出す(だそうとしなくても勝手に誰でも出ている)と それに応じたエネルギーが事象(とか物体)として自分の前に起きる。 スピリチュアルな話ではなく、物理学の素粒子の世界の当たり前の現象だそうです。 先に書いた、 小さな声でヤッホーと言っても、大きな音のヤッホーはかえってこない これのことですね。 「ウルトラ幸せ!!!」という感情を出せば(そういう感情でいれば) 「Yes, ウルトラ幸せな状況ね、はいどうぞ!!」 が来るわけです。 セミナーを受けたのは先月とかの話で、その時も「そうだそうだ」 と思っていたけれど、 ノートを見て「あ」と思ったということは、 もしかしたらちょっと忘れ

土と生きる

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私の住む浜松市という場所は、風がとても強く吹く場所。 強風、というより、暴風、といった方がしっくりくる程です。 暴風は、毎日、一日中、吹き荒れている。 特に冬がひどい、はずなのですが、 5年ぶりにこの街に戻ってきて冬~春と過ごしていると、 もう春なのに、つ よ い 。。。。 私の記憶違いなのか、しばらく風のない街に住んでいたせいで強く感じるのか、 はたまた気候が変わったのか。 この街から東へ30kmほど離れた掛川市という場所へ行くと 穏やかさを感じるようになります。 浜松市よりも風が弱い気がするし、山(小高い丘のような山)が近くに感じられて 土や木々の気配がより存在する。 心なしか太陽の光も、ポカポカと暖かく感じます。 完全気のせい、な部分もあるかもしれないが、気候の違いは確かにあります。 先日この掛川市にある パン屋さん (とっても好きでした)へ寄った帰り道、 大通りから一本入った道のところに「里山だなー」と感じる風景があり 車を停めて外へ出て、しばらくぼんやり佇みました。 緑の葉をたくさんつけた桜の木が数本あり、 風で揺れる葉っぱの音が、サワサワ―と心地よく聞こえていました。 「あれ?風がけっこうあるなあ」 そう、風はまあまあ吹いていました。浜松市のように、常に。 しかし感じ方が全然違う。 山と土が風を吸収してくれている そう感じました。 私は浜松市のまあまあ中心地のあたりに住んでいて、 地面のほとんどはアスファルトで固められ、空き地はなく、木ではない建物が立ち並び 一軒家の敷地にもあまり土はない、 そんな場所に住んでいます。 土のない場所で吹く風は、どこかにぶつかり跳ね返り攻撃的な風となる。 山と土がある場所は、この攻撃的な感じがまったくない。 実際はどうなのかは分からないけれど、 ぼんやり里山に佇んでみた時間に思ったことでした。 山の役割とは、的な話をなにかで読んだことがありました。 そこに風のことが書かれていたか記憶が怪しいですが、 全ては繋がっていそうなので、風と山・土、の関係性もありそうだなー パン屋さん 、おすすめです。

食費を気にしてみた結果

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食費。 日本へ帰ってきて、生活がガラリと変化した。 生活、と一言で言うけれど、その中にはいろいろ含まれています。 例えば今回のお題に合わせたことを書くならば、 近所の食材店で販売されているもの、買うことのできる食材の変化、食の好みの変化、 食材の価格、夫のお給料 etc 最後の引っ越し荷物も届き(いや、まだ一つだけ届いていないものがある)、 部屋の中から段ボールが片付き、収納が8割がた終わり、 さらに満足度快適度を上げるために、収納方法や場所やインテリアコーディネートに 意識を集中しはじめている最近。 という段階で、日常のお料理も普通にできるようになっているので、 食費を計算してみました。計算したのは2月と3月。 インスタグラムのインテリア系インフルエンサーのご夫婦二人暮らしの方が 「我が家の食費は1か月2万5000円で収まっています」 と書かれていた。 我が家よりも随分少ない金額で、これを読んだとき少し驚きました。 ”お酒、おやつも含む、外食費は含まない” だそう。 このご夫婦の普段の投稿を拝見している限り、例えば節約のために食材選びを 気にしているとか、我慢している、ではなさそうな雰囲気。 どちらかというと食事を楽しむためにこだわっている雰囲気。 (あくまでインスタグラムの写真と投稿から感じている勝手な印象です) そこで。 よくよく食卓の写真を見たり、文章を読んだりしていると分かったことがあって、 夫婦二人で食べる一食の量が、我家の半分または三分の二くらい。 とても素敵な食卓の写真は 「え、これって〇君(私の夫)一人で食べる量だよね?」。 ・量が全然うちと違う(笑)。 ・外食費は含まない、と書いてあったが、外食をどのくらい頻繁にしているかは書かれていない。 ・食材(野菜など)を貰えることのある環境のよう。 ・普段の食の好みの傾向は書かれていない。 ということで、条件が我が家とは色々と異なることが分かりました。 ちょっと考えれば当たり前のことで、 ブログに書くまでもないようなことかもしれないが、 「食費〇円です」→「えー!すごい、うちも頑張らなきゃ」 みたいな表面だけ見て判断する流れにならぬよう、 その中身や裏や事実を見極めなければいけないな、と感じた次第です。 これは食費の話ですけれども、他の様々なことにも当てはまる話だな~と 思ったので書いてみました。 自分が

人類の未来は植物的生物

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私はカフェで仕事をするととても捗るタイプです。 (どのカフェでも良いわけでなく、カフェによります) (1週間に2回くらいはカフェで仕事をできるようになりたいなー) それで。 先日久しぶりに伺った 鴨江珈琲 さん。 こちらは私の興味のある分野の本や雑誌がたくさん置かれていて、 そのとき目に留まったものを読んだり、ぼんやりしたり、美味しい珈琲を飲んだり、 仕事をしたり、という時間を過ごしました。 こういう感じの過ごし方をして、おかげさまで仕事もとても捗りました。 この時読んだのは WIRED  。 この中にチラッと含まれていた漫画が、すごく印象的でした。 攻殻機動隊  (又は Ghost in the Shell )とか The Matrix  とかの話を 見た(読んだ)ことのある方にとっては この世界!という感じの漫画だと思います。 簡単に言うと、 そう遠くない未来、人類は体を改造して脳も改造して生きていて、脳内イメージの中で 様々なことを体験できるような(電脳の世界)時代になっている。 そういったことがどんどんエスカレートしていって、身体を動かす必要がなくなり、 ついには・・・。 という未来の話です。 これ、全然ファンタジーとかSFの話ではないと、私は感じています。 日本の内閣府が発表している ムーンショット 。 ・人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現 ・自ら学習、行動し、人と共生するロボットを実現 etc... 2050年までに達成する目標だそうです。 ”までに実現” ということは、 もう実験段階に入っていたっておかしくないし、準備は絶対に進めているはず。 5Gのスタートや体内に入れるマイクロチップなども、その準備かしらとも思います。 先に書いた ”攻殻機動隊” (わたしは漫画で読みました)とか”Matrix”とか、 いまから何十年も前にあのような世界のアイデアが降りてきて表現している方々、 ほんとうに凄い!!と思います。 そういう世界に生きたいですか? 私も興味はある。便利になるのは嬉しい。 けれども私はどちらかというと、 映画 AVATAR  に出てくる星 パンドラのナヴィ達のように生きる世界が良い。 生命全体で、あのような繋がりをもって、リスペクトをもって、 目に見えるものと見えないもの両方を大切にして、 そんな地球だったらいいな~と思っ

植物の死のハナシ

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お花屋さんのオーナーと話をしていて印象に残ったこと。 「切り花がダメになっても何も言わないのに  観葉植物がダメになると、すっごく悲しむ人が多いんですよー」 オーナーがこのようにおっしゃっていました。 これって本当にそうです。 他の方がどうかは知りませんが、少なくとも私自身のことを思い出しても 心のダメージ具合が違う。 なんでだろうか、と考えてみました。 考えてみた、というか、お花屋さんからそれを聞いた瞬間に頭に浮かんだのは 「土じゃないか?」ということでした。 土に根を張って生きている = 長く生きるものだ 土から離されて根っこを切られて水の中で生きている = 短命であろう みたいな思い込みを、実は持っている。 遅かれ早かれ命が終わる、致死率100%、 ということは生物としては同じはずだけれど、 終わる時がいつであるか、ということを勝手に想像して覚悟していて それより早いか、だいたい合っていたか、でショック度合いが変わる。 という感じかな~、私は。  という考えにいきつきました。 特に切り花が ”花” だった場合、 目に見えて進行具合が分かりますよね(蕾→開花→・・・)。 切り花と言いつつ、葉っぱだけのものだったりすると、お花とはまた違うと思いますが。 と、深堀してみたわけですが、 やっぱりもともと土に根を張って生きるのが自然な姿だった場合、 土から離してしまうと、長生きできないのかな。 お水自体の栄養状態、湿度や光や乾燥、などなど様々な要素も絡むでしょうけれど。 「みんなどうですか?」 と、いま目の前にある切り花たちに聞いてみた。

宇宙出身

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本屋さんに私の描いた曼荼羅を購入いただきました 本と曼荼羅って合うのだなと感じた日   人は誰でも宇宙出身である。 それを細かく見ていくと、 銀河系出身・太陽系出身・地球出身・日本出身・〇〇県出身・△市出身・□□町出身 とかになっていくわけです。 先日、友人と何気ない会話をしていて、 友人が言った事柄に対して、私の口から自然に出てきたフレーズがあり、 言った後に、自分で自分の言葉に「なるほどねー」と思ったことがありました。 こんな会話でした。 「物事がサッと進まないとイライラしちゃうの。  子どもたちに笑われる口癖があって ”パッとピッとプッとやって!” って」 「へえ~ なんか〇〇さんって、きっといつかの過去世のときに   イメージした途端にパッとそれが目の前に現れたり完成したりする星に  いたんじゃない?それがいまもどこかに記憶として染みついていて  地球の遅さにイライラしちゃうんじゃない」 これ、読んで「は???」となる方もいらっしゃるかもしれません。 私もこの友人も、 生まれ変わりとか、宇宙には他の生命もいるとか、そういったことが有り得るよね、 という前提をもっているので、そういう人ならではの会話。 私は、頭の中にあるイメージが言葉としてパッと出てこないことが多く 「このイメージを相手も頭の中で自然に共有できたらいいのに!」と よく思っています。 昨日も話をしていて、そう感じている自分に気づいたとき、 更に別で気づいたことがありました。 ”あ、私もどっかの星で生きていた時の癖が抜けてないのかも ” どっかの星がどこかは分からないし、いつだったのかも分からないし、 もしかして大昔の地球の人間の能力のひとつだったのかもしれない。 とにかく、だれでも、どこかしらの ”宇宙出身” 。 ロマンですね~