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9月, 2020の投稿を表示しています

なんで??

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わたしは「なんで?」と疑問をもつタイプだと思います。 例えば学生時代の記憶、一部抜粋してみます。 小学生・・・風景写生で黒い水の流れる川をそのまま描いた。先生「川っていうのは青でしょ」。私の心の中「(あの川黒いよ。なのになんで青?)」。 中学生・・・私の心の中「(なんで髪を結うゴムの色が決まってるの?なんで耳より高い位置で髪を結ったらいけないの?なんで一年先輩なだけでそんなに威張るの?)」。 高校生・・・私の発言「なぜ傘の色は紺か黒でなければいけないのですか?なぜ真冬の寒い時期に制服の上にコートを着てはいけないのですか?」 。先生「変な質問をする奴がいる(怒)」。私の心の中「(え??ただの疑問なのになんで怒るの?なんで答えてくれないの?)」。 その他にも学生時代は、様々なことに対して山ほどの「?」がありました。それ以上の追求は許されなかったり、自分もきちんと言えなかったりで、分からずじまいのことが多かったです。 この世には大人の事情的なものがある、ということが徐々に分かり始めると、今度は、「じゃあ一体その事情とやらができている背景は?」と考え始める。 〇〇である、としておいた方が都合の良い人たちがいる、とか、それで儲かる人たちがいる、とか、その方が管理する手間が省けて楽、とか、単に多数決とか、昔から常識とされているから、学会ではそれが通説、とか。 「なんで??」から始まって、どんどん考えたり調べたりしていくと、この世の仕組み的なところに辿り着いたり、その中は見えなくてもいつも同じ扉の前に辿り着くことが分かったり。 又はどこにも辿り着けず、そのままそのことは忘れていたり。 ぜんぜん関係のなさそうな複数の物事が、実は奥の方でつながっていたことが何かをキーに分かったり。 今はインターネットがあるので、多くのことが調べられます。なんで?の答えやヒントがインターネットの中にあることも多い。 情報量が多い反面、どういった立場の人がそれを載せているのか注意する必要があるし、検索上位に表示される情報がインターネット側で振り分けられている言論統制的な状態があることも承知しておく必要がある。(場合によっては本の方が知りたい情報が調べられる) なにを検索ワードにするか、どこからどこへ繋げるか、なにを信じるか。 結局は自分だなー、と思うのです。 因みに、宇宙人はいてもおかしくないでしょ、と

GAIA

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ガイア理論という考え方があることを知りました。正確に言うと、この考え方に〇〇理論という名前が付けられていることを知りました。 これは、地球をひとつの巨大な生命体として考え、単に表面的な地球というよりも、そこに住む生物、空気、水などもすべて含めた地球全体であり、地球と生物が相互的に関係しあい環境を作り上げている、という思想。 実はわたしは、いつのころからか、「地球って人間の身体みたいじゃない?」と考えるようになりました。 何故そう考えたかというと、 わたしの身体(あなたの身体も)をどんどん拡大して見ていくと、実は身体中の表面にも内部にも住人がいることが見える。わたしの身体には何百兆個の細菌や酵母菌などの微生物たちが住んでいて、それぞれがそれぞれの活動をしていて、それぞれの寿命を生きている。 わたしの身体を眺めてみたところで、まさかそこに何百兆もの共存者がいるとは思いもよらないし、もしかして、微生物たちも自分が住んでいる場所がどこなのか、まさか住んでいる場所自体が生命を持っているだなんて、思いもよらないことかもしれない。(蟻もこんな感じかな~と思います) 地球もそれと似てない?と、あるとき思いついたのです。 わたしたちは自分たちの生きている場所の姿を見ることができる。飛行機に乗れば地面からどんどん離れ、人が見えなくなり、建物が見えなくなる。それが宇宙飛行士であれば、森が見えなくなり土地の形があやふやになり、やがて一つの青く光る星があるということだけが見える。 逆に、宇宙から一つの青い星をどんどん拡大して見ていくと、徐々に土地の形状が見えてきて、森や人間の作った町が見えてきて、たくさんの生物や人間がいることが見えてくる。拡大を進めれば、菌やウイルスもいる。 ね?なんだか似てると思いませんか? 地球を身体と仮定したとき、わたしは微生物の一人。 微生物たちの調子やバランスが崩れてきたり死んだり癌化してしまったりすると、身体や精神も同じように崩れ死を迎えることもある。逆に、身体が死ねば微生物たちも死んでしまう。 相互関係。どっちが偉いとか優れているとかはなく、まさに共存。 ミラノ~東京の間のどこかの風景

満月18時間前

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9月2日(水)14:22、日本では満月でした。 その前の晩、お友達から不思議なお誘いを受けて出かけていました。 「ミステリアスなお菓子の引き取りに行くから一緒に行こう」 という。 ミステリアスでした。 到着した場所は、ハーブの生い茂るお庭のあるお宅。 道の向こう側にはたくさんのバラを育てるビニールハウス。 ローズマリーの間を抜けていくと、灯りのともされたお菓子の受け渡し窓が。 お菓子とともにミニバラのブーケも。 お友達は、やさしいピンク色のバラのブーケを選んでいた。 昔のままの雑木林がちらほら残る地域、周りは真っ暗。 湿度とほんのり涼しい夜風。 ローズマリーとバラと焼き菓子の匂い。 空には明るく光る月。 物語の中に入り込んだような、お菓子の受け渡し時間。 お友達がバラをおすそ分けしてくれました。 (ローズマリーもちょこっと道端から) 家に活けているその香りを嗅ぐと、あの夜の不思議な感覚が胸のあたりにフワリと よみがえるのです。 匂いと記憶と感情の密接な関係。 そして私も、ただのモノを提供するのではなく、そのモノに付随する物語も一緒に提供できる人になりたいと思いました。 そのようなモノを受け取ることが自分も好きだし、わくわくする。 魅せ方、プロデュース力、ブランド力、いや、その前にやはり自分の在り方かな。

アノスミア

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 昨夜読み終わった本。 ”アノスミア  わたしが嗅覚を失ってからとり戻すまでの物語 モリー・バーンバウム著” 私は職業柄、匂いとか嗅覚の仕組みにとても興味があります。 これまでもいろいろ読んだり調べたりはしてきましたが、実際に嗅覚を失った人の実体験を知るのは初めて。 目が見えなかったら、耳が聞こえなかったら、こんなことに困るだろうなという想像は多くの人がある程度はできると思う。(もちろん実際の半分も想像できないと思いますが) 匂いが分からなかったら?? きっと多くの人は「うーん、そこまで困らなさそうじゃない?」と考えるのではないでしょうか。 違うんです!!! 日々無意識に感じていて、でもそれが嗅覚とは関係なさそうな、人として人生を生きるうえで実は物凄く重要な大切な部分が失われることになる。そして、じわじわとその影響が心に忍び寄ってくる。 そんなことを知りました。 他にもいろいろ。 実体験のお話なので、研究では〇〇だった、とかではなく、日常での細かい部分など、へえ~がたくさんある内容でした。