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氣と意識のこと

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合氣道の先生との出会いがあり、 日程があえば学びにいっています。 ただし、私が学んでいるのは合氣道ではないです。 氣の使い方、そこから派生した、身体の使い方 を学んでいる。 先日とても久しぶりに教室へ行きました。 その時のテーマは、 「自己氣圧(首と肩)と呼吸法」 だった。 指圧ではなく、氣圧。 その場で実際に身体を動かしながら、 先生の話も聞きながら、 いろんな人体実験もしながら時間を過ごします。 とても久しぶりだったので、 「そうだ!それは前に聞いたんだった」 とか 「そうだ、その体操教えてもらったんだった」 とか、 忘れていたことが割とありました。 そのおかげで、新たに、 「毎日ふとしたときに、この動きを取り入れて習慣にしよう」 と思うことができた。 というか、今これを書きながら、 「自分を風船だと思って座る、歩く。そうしたら余分な力は入らない。」 と言われたことも思い出した。 姿勢をキープしようとするあまり、 変なところが力んでいたり、反り腰になっていたり、しがちです。 それで結局、流れが悪くなって、凝ったりむくんだりすることがある。 先日の回で一番印象に残った言葉は 「自分が宇宙の中心にいるような感じで、 堂々と悠々としていたらいい。」 という言葉でした。 特に「悠々とする」というのが私は気に入った。 このところずーーーーーーっと、 宇宙空間でのびのびと過ごす感覚のイメージがあったので、 それとも重なった。 先生から氣の話を聞いていると、 まさに「意識次第でどうにでもなる」ということだなあと思う。 氣、意識、波動、エネルギー、心、 言葉は変わっても、 だいたい似たようなことを言っているんじゃないかな。 意識さえあれば、どうにでもなる それって、本当に、つくづく、 すごい簡単だし、すごい便利だし、すごいイイ! と思う。 先生のホームページ

地球と一緒に生きてる感って?

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今朝、体操をしていた時、 「そうだ、私こんなこと思ってたんだった」 と、思い出したことがありました。 地球と共に生きる ということについて。 この言葉を聞いたとき、どんな感じのことが思い浮かびますか? 昔の私のイメージは、 地球と共に生きる=自然と共に生きる だった。 周囲に自然が多くあるような環境の中に家があって、 木や石などの自然素材を多く使った家で、 地元の土から採れたてのものを食べ、 衣類は化学繊維や化学染料でないものを着て、 みたいなイメージ。 逆に言うと、 見渡す限りの地面がアスファルトやコンクリートで覆われた環境で、 24時間換気システムの音がブーンと鳴る建物に住み、 スーパーで年中手に入る形の揃ったキレイな野菜を食べ、、、 という状況は、 地球と共に生きる、とは離れたところにいるように感じていた。 当時の私自身がそういう生活で、 さらには「こういう感じ、今の私に全然合ってないかも」と、 気づいていたので、 自分なりの快適さに近づけるために、 できる限りの工夫をして暮らしていました。 その途中で「ん??????」 という瞬間が。 私の中での『新たな視点』を発見したのです。 当時の発見内容は以下です。 「ちょっと待って。いま私の身の周りにあるもの。 ビニール素材だろうが、アスファルトだろうが、化学繊維だろうが、 何もかも、地球にある物質から作られたものだよね? ”これは地球外素材です” みたいな物って、ひとつもないよね? 合成されたり色々手は入っていたとしても、 元々は地球素材だよね?」 「ってことは? 私、いまこの瞬間も、地球と共に生きている。 地球に囲まれて生きている。 地球のエネルギーと共に生きている、、、じゃん!」 以上が、発見内容でした。 考えてみると、当たり前の当たり前、なことだけれど、 この発見をしたことで、私の心の安心レベルが、まあまあUPしました。 しかも、 ある特定の環境や状況でのみレベルUPしているのではなく、 どこに居たとしても、 「私、いつもいつでも地球のエネルギーの中にいるんだな~」 などと、心の底から感じることができるようになって、 そういう意味での安心感がいつもある(又は思い出せる)感じになったのです。 それに、それまで毛嫌いして、 嫌悪感とか敵対心みたいなものがあったような物に対しての 感情も変わった。 そういう感情はな...

サンタさんの存在

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サンタさんについて、今朝「そうかも、、、!」と閃いたこと。 今の私的には、おそらくそう、だと思うこと。 まず、結論から。 『いろんな存在がサンタさんの役目をしている』 です。 親が、祖父母が、サポーターの人たちが、という意味ではなく、 生きている人間以外の存在のことを意味している。 怖い話じゃないです。 私の仮説は、 地球にいる人間以外の存在たち、例えば、 ・非物質の存在 ・家そのもの ・風や木々などの自然 などが、サンタさんやトナカイやソリの「ふり」をしている。 そう思うような動きをする。 例えば、 家であれば、ガタッと音を立てて「誰か来た?」と思わせる。 風であれば、風向きや強さを工夫して「ソリの音!?」と思わせる。 非物質存在であれば、人影を装い「サンタさん?」と思わせる。 みたいな感じ。 これらのことは、 「すべての存在はそれぞれ、個性と意思を持っている」 ということが前提。 本当のところはどうなのか知らないけど、私はそれを信じている。 でね、そうであれば、 その存在のなかでも、遊び心を働かせた存在が、もしいたとしたら、 こういうことをしてもおかしくないと思ったのです。 なぜそれをするか、なぜ遊び心を働かせるのか、というと、 それはもちろん、 人間側の意識に反応してのこと。 例えば、その家の子供が、 心の底からサンタさんの存在を信じていて、 心の底から「会いたい」と思っていたとしたら。 もしかしたら、 純粋に発せられた、その子の望みに応えるかもしれない。 もちろん応えないかもしれなくて、 それは、その存在たちの個性や気まぐれの問題。 もっと言えば、 人間のその子と他の存在が、無意識レベルで、 エネルギー場で話をして 「こういう体験つくろっか」「いいねいいねやろう」 と了解をしあった間柄だけが、その体験をつくりだす。 かもしれない! 私は子供のころ、周りと比べたら割と高年齢まで サンタさんの存在を信じていた。 学校でみんなが「そろそろ分かってきた」という雰囲気を出していても、 あるいは、ダイレクトに「あれ、親だよね」と言っていても、 私は心の中で、 「そうは言っても、絶対いるに違いない」 と信じていた。 それに今思うとうろ覚えで、本当にそうだったのか分からないけれど、 ベランダで何か音がした、家族はみんな家の中なのに という経験の記憶もある。 信じるがあまり、...

本が出ます

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本が出ます。 1年くらいコツコツと書き進め、 今年の夏に書き終えました。 また追って、詳細を紹介させていただきます。 誰でもが意図をもって、 想像して創造することを 続けられるように。 瀬戸里絵 2025年12月22日

生体水のように

インスタでフォローしている清水宏治さん @ki_ya_koji  の投稿で読んだ文章。 じわーっと印象に残り、そのことについて何度も考え(というか想い?)を巡らせた。 以下一部引用 ”熱や風のインパクトを与えることなく静かに水に移動してもらうので、出てきた水はまさに生体水。生きているように感じる。” この投稿は、低温酵素乾燥機で杉の木を乾かすときの話。 清水さんは木を加工し建築に携わる方。 (全文の載った投稿は こちら ) 私はこれを読むことで、自分が普段していることが視覚化された感じがして、 より一層はっきりと明確になった。 視覚化だけでなくて、触覚化?も。 「水」って、 視覚的にも知っているし、 触ったこともあるし、全身浸かったこともあるし、 触覚的にも質感も、知っている。 だから、清水さんが水の動きのことを書いてくれていたおかげで、 「あ~これだよね」 と思ったのだと思う。 私のしていることは、エネルギーの移動。 清水さんの文章を基本にして、言い換えるとこうなる。 ”私の思考の制限というインパクトを加えずに、そのエネルギーをそのまま曼荼羅や香りとして表現する。” 相手と対話をして、そこから感じ取ったエネルギーを、 私の手を使って曼荼羅として描くし、 私の嗅覚を使って香りとして仕立てる。 エネルギーはカタチもないし、私の目には見えない。 でも絶対にある。 そこに、私の頭で考えた「こうすべき」「このほうがいいはず」という コントロールのエネルギーをギューギュー押しつけて、 相手の純なエネルギーを「私のよかれ」に変化させようと計るとしたら、 「生体水」にはならないと思う。 対話型セッションでなく、私が一人で創作をする時も、やっていることは同じ。 エネルギーというと、いまいちイメージがつかなくても、 木の水の例えを想像すると、私はしっくり来た。 もともと、その杉の木の中に流れていた水は、 無理やり蒸発させられるのではなく、ただそのまま別の場所へ移動する。 ただ移動しただけなので、そのまま生きている感じ。 そして、木の方はスッキリ軽くなり、新たな環境に最適な状態になり、 また新たな場で生き続ける。 と、書いていると、私がしていることは、 エネルギーの移動でもあるけれど、COPYっぽさもあるような気もする。 移すだけでなく、写す、とか。 形の無いエネルギーと、...

二人展「絵ト香」9月13日-14日

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展示会をおこないます。 私は点描曼荼羅画(原画)と香りの演出をします。 友人は祗園祭をテーマとした絵画とアクセサリーを。 とても美しく、静けさを感じられる空間です。 二人展「絵ト香」 感性という光が照らすエレガンスの輪郭 アートとあなたの対話 ようこそ、静と涼の空間へ 2025年9月13日(土)14日(日) 11時~17時  日曜は16時まで ギャラリーRound Table 静岡県浜松市中央区半田山3-47-6 アーティスト二名による絵画、香り、装身具を展示販売いたします。 京都の氷菓子と共に抹茶を御用意しております。 すべての感覚を開き、熱から解放されるような時を 満喫いただけたら幸いです。 ※お茶セットは椅子席にて千円現金払いにて ※駐車場は店舗前と敷地外(スタッフがご案内します) ~ARTISTS~ 北村 梢 京都市出身、浜松市にて活動中。祇園祭をテーマとし、水彩、アクリル絵の具を用いて表現。鉾の持つ独自性や神秘的な側面にフォーカスした絵画。 @cozart_japan cozmic hour 北村梢によるアクセサリーブランド。コンテンポラリー要素がありながら、伝統の技法も用いた新しい形の装身具。是非手に取ってご覧ください。 @cozmichourjapan 瀬戸 里絵 曼荼羅画家、調香師、人生デザインナビゲーター。右脳と左脳、アートとサイエンスを統合し、模様や香りを創る。個々人の日常パラダイス化のナビゲートをし、人生パラダイス化、ひいては地球パラダイス化を視野にいれ活動。 @rie.s.seto   @rieseto55   https://rtable.jimdofree.com/ ~VENUE~ ギャラリーRound table 「街が緑で呼吸する」をテーマに、建築・インテリア・外構・造園・住空間のコーディネートを提案しているランドマークプランニング株式会社が運営。ギャラリーは、深い軒のある木造平屋建築。足を踏み入れてこそ体感できる内側への広がり。住空間からの連続性を持たせた四季を感じられる中庭があり、茶室をそなえている。裏千家茶道教室、ピアノ教室やミニコンサートなども行っている。 https://landmark3473.co.jp/    https://www/roundtabl...

対話型調香セッションawai

これまでおこなっていた調香セッションをリニューアルしました。 いまのところ価格も以前のままだし、やり方が大きく変わったわけではないけれど、 私的には大きく変化した感覚を持っています。 旧『ナカソトノカオリ』は、2024年10月10日より 『 a 〇 i 』(awai)となりました。 ウェブサイトに載せている文章を抜粋します。 /////// ●香りと感情の関係   セッションで使用する香料は、植物から抽出された香気成分です。 香りを嗅ぐと、香りは電気信号に変換され脳へ届きますが、 嗅覚は他の感覚器官 (視覚・触覚・味覚・聴覚) には無い独自の特性を持っています。 嗅覚以外の器官は感覚を感じると、まずは左脳 (理性や思考を司るエリア) へ電気信号が伝わります。しかし、 香りの電気信号だけは左脳を経由せず 右脳へ直行し ます。右脳は感情や記憶や本能を司るエリアで、潜在意識に含まれます。香りを嗅ぐと、思考がアレコレと考え始めるよりも前に、潜在意識の部分への働きかけが起きるということです。   そのことを知ってか知らずか、古代から世界中の儀式の場で、 精神的な変化や場の浄化、人以外の存在との繋がり、などを目的として 植物の香りが活用されてきました。 例えば寺院で線香が使われるように ” 香りのない宗教は存在しない ” とも言われます。 (唯一、神道では表向きは香りを使用しないようです)   私たちが言葉を発したり行動をするとき、出発点となるものは感情です。 ささやかな揺らぎの感情から爆発的なものまで、感情が スイッチとなり言動活動に結びつきます。 その感情の部分に働きかけるものが、先に記した通り香りです。   目に見えない感情、そこに影響を与える香り、が先にあり、 その次に、目に見える言葉や行動が生まれます。     ●あなただけの香りが持つ力   香りを創る前に、あなたとの対話の時間をもちます。 このセッションを受けるきっかけや香りの好みの傾向などを伺いますが、 私はその場で生まれる直感的な流れを大切にしているため、 質問の内容は人により千差万別です。 耳に聞こえる言葉だけでなく、ふとした表情や反応、感情の揺らぎなど、 そこにある全てのエネルギーを感じさせていただく時間です。   対話の中で私が...

左回転で身体が緩むのか?

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「お腹に手を置いて、左回りにゆっくりなでると、身体が緩む」 私がこれを始めて聞いたのは、多分お父さんから。 聞いたのは20年以上前か、さらにそれより前、 まだあんまりインターネットが普及していなかった時代。 その時に理由も教えてくれたと思うが、それは覚えていなくて、 「ネジは左に回すと緩み、右に回すと閉まる。それと同じと覚えておけば良い。」 と言われたことは覚えていた。 ただ私は普段ネジそのものを触る機会があまりなかったので、 いちいち「ネジってどっちがどうだったっけ?」となってしまって、 まずはネジを触った数少ない記憶を思い出すところから始めたり、 「自分のどっちから見て左周りだっけ?」と考えてみたり、 いちいち面倒な感じになっていた。 今思うと、ネジは水道の蛇口と同じだから、 左に回すと緩んで水が出る&蛇口が軽くなる 右に回すと閉まって水が止まる&蛇口が固くなる のイメージの方が、当時の私には合っていたかもしれない。 その頃はまだ、そういう仕組みの水道も多かったし。 (もしかして父はネジ=蛇口は当たり前に同じものと思うはずだ、として「ネジ」と言っていたのかも。仕組みを知らない当時の私は連想できなかった。) 今だったら「ペットボトルの蓋を開ける時と閉める時」というイメージが良いかも。 そしてその後、 お茶を急須から器に注ぐとき、手をなんとなく回転させながら注ぐ理由は その方がお茶が美味しくなるから。日本でもトルコでも云々。 というような情報を見かけた。 なんだけれど、やっぱりそこでも私は、 回転させる理由は美味しくなるから、は分かったけれど、 なんで美味しくなるのか、の理由を覚えていない。 。 。 。 そのまま20年が過ぎました。 そしてこの文章を書いている日の前日、友人がお茶を淹れてくれた時に 「左周りと右回り、それぞれにかき混ぜて飲み比べてみて」と言ってきた。 「そうそう、それ!」と思い出し、それぞれの味わいの違いを楽しみながら、 違いが生まれる理由は何だと思うか尋ねてみた。 その友人は、中医学も西洋医学も専門にしていたり、様々知識の深い人。 友人曰く、 地球の自転が左回転(北極側から見た場合)なので、 ・左回転は無意識に人は安心する ・道に迷った人を探すとき左→左→左で探すと見つかりやすい  (迷いながら自然に左ルートを選んで進んでいる可能性高いから) ・陸...

私はスピリチュアル系か?

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この2年くらいで出会った人から、時々 「りえさんのようなスピ系みたいな人って云々」という言葉を聞くことがあって、 その都度私は心の中で「え?私ってスピ系と思われてるの?」と少し驚く。 少し驚くけれど、大抵そのときの話の焦点はそこではないので、 その部分は聞き流して、話しの本筋の方に集中して耳を傾けている。 そもそも「スピリチュアル系」とは何か、というのは人によって認識の違いはあれど、 「こういうことが好きな人たち」みたいな、 世の中で言われる(おそらくメディアが広げた)認識というのがある気がする。 私が感じている「スピリチュアル系の人」は次のような感じ。 神社仏閣系統が好き、お参りにいくのが好き、龍とか妖精とか好き、神様系の話が好き、崇めている対象がある、占いとか好き、目に見えない存在が好き、高次元が好き、パワースポットが好き とかとか? いま思いついたものを羅列しました。 私はヒーリングスクールやセッションの仕事を始めて、 講師も受講生も含めて、そこで関係する人たちと触れ合う中で気づいたことは、 「出身地の違い」 みたいなこと。 上に羅列したような界隈の人が多いように感じたことが何度かあったことで、 「私、そこ界隈の出身じゃないんです」と思うに至ったし、 それが私の特徴なのかも、と思った。 因みに出身地が違うからといって、仕事をするうえで困ったことはない。 ただ単に、私とは違う見方の話を耳にする機会があったり、 私の知らない世界の話(占いの館とか)を耳にするだけ。 で、やっぱりそういう時も話しの本筋はそこではないので困ることはない。 (自分自身の生徒たちは、類は友を呼び、私と似た系統の人が多かったりする) 私は上に羅列したものは、しない、行かない、興味がわかない、という感じ。 あっても、たまにチラッと覗き見するとか、参考情報のひとつにするとか、 いいとこどりして終わりとか、その程度です。 何かが視える聞こえるで困った経験もない。 存在は知っているし尊重はしているが崇めてはいない。 なんというか、全員同じ(レベル?階層?)だと思っているというか。 おそらく単なる興味の方向性の違いや、信じているものの違い、かもしれない。 物質的なものではないものをSpiritualと言うならば、 私は、この世はスピリチュアルで成り立っている、信じている。 この世は目に見えないものの方...

香りは装身具にもなり戦略的にも使える

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下部の ”なぜ香りなのか?” は、先日、私のホームページの調香セッションのページに補足で追記した内容。 この投稿の前いくつかにわたって書いた脳とか感情などについての 投稿にも関係しているので、 両方読んだ方はつながりが感じられると思います。 潜在意識、思考、感情、メンタルなどに、とてもとても関りがあるのです。 ーーーーー なぜ香りなのか? 味覚、触覚、聴覚、視覚、嗅覚。このなかで嗅覚はとてもユニークな動きをします。 嗅覚以外の感覚は、それを感じると、 まずは理性・思考・分析・言語などを司る左脳へ信号が伝わります。 しかし嗅覚だけは左脳を通らず、 本能・感情・記憶・閃きなどの右脳エリアへ電気信号が直行します。 思考でアレコレ考え始める前に、潜在意識や本当の自分へ香りの信号が届くということです。 このページの上の方に「香りでできることの例」を載せていますが、マインドセットも気持ちの切替も自分軸の強化も、こういった理由の元、香りのサポートによって深い部分でそれができるわけです。 アレコレ考えず頑張らずシンプルに、ただ単に香りを嗅ぐだけでそうなる。 体の仕組みにのっかるだけなのでとても楽で簡単です。 しかもその香りは植物の香りで、しかも自分用に調合された香りであったら、 より一層「自分に届く」そして「自分と響き合う」と、私は感じています。 ※植物の香りが良くて化学合成の香りは悪い、とは一概には言えません。 使い方や使う量、個人差など様々なことのバランスで、危険性や合う合わないが変化します。 ーーーーー 服、靴、鞄、ジュエリー、お化粧、などと同等の感覚で、装身具のひとつとして香りを使うもよし。または上記の仕組みから、自分の脳に対して意図的、戦略的に香りを使うもよし。 どちらにしても、気分を変えてくれるもの、であることは間違いありません。

私の個展のお知らせ(2024年2月静岡県浜松市)

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  ∞ 個展のお知らせ ∞ 私の通うカフェで展示をさせて頂くことになりました。 在イタリア時代の一時帰国中、おいしいエスプレッソが恋しくなった時にこのカフェに助けられました。最近の私のお気に入り組み合わせは、カウンター上の焼菓子 + アメリカーノです。 飲み物で両手を温めながら、曼荼羅たちをぼんやり眺める時をお楽しみください ☕ ️ 🏵 ️ [会期] 2024 年 2 月 2 日 ( 金 ) 〜 2 月 27 日 ( 火 ) [営業日時]基本は 11 時〜 20 時、水曜は休み 又は 夕方閉店 [場所]  Instagram @westgoatcoffee  West Goat Coffee  静岡県浜松市中央区千歳町 104-2 浜松駅から徒歩5分 ◎ 入店の際はお飲物をご注文ください ◎ 作品はすべて原画の一点ものです ◎ すべて販売可能です ◎ 今回の個展限定価格にする作品もあります ◎ 作品購入は現金のみ受け付けます ◎ 購入当日にお持ち帰りいただけます ∞ はじめましての方へ ∞ 私の描く曼荼羅画は宗教画とは異なります。 宙を奏でる点描曼荼羅画 ( そらをかなでるてんびょうまんだらが ) と言い、事前にデザインを考えることなく、直感的に対称的に、すべてを点で描く曼荼羅画です。 この曼荼羅画は、まっくらな宇宙のような黒い紙の上に一粒の点を置くところから始まり、やはり一粒の点を最後に置いて終わります。それぞれの一粒は独立した点であると同時に、すべてに繋がる点でもあります。曼荼羅は平面でありながら球体でもあり、全方位への無限の広がりを持ちます。 描き手である者が自身の思考を入れずに描くことで、できあがった曼荼羅は、個人の狭い枠に囚われない世界を持つのだろうと思います。 瀬戸里絵 ____ 体験会・講座は、ご希望日時を相談いただき互いの都合を合わせて開催しています。講座は対面もオンラインも可能です。 点描曼荼羅画の販売、オーダー制作もしています。作品購入はオンラインショップ又は dm からどうぞ。オーダー制作承っています (1 万円〜 ) 。 詳しい内容は こちら をご覧ください。   ——

自分という漢字の意味

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自分 という漢字って、なんでこの漢字なんだろ。 という疑問がここしばらくなんとなく頭の隅っこにあった。 ネットを調べれば、漢字の由来とか意味とか様々出てくるんだけれど いまいち意味不明というか、私には理解ができなかった。 (因みに、私は誰が何を言っていようが、世間の大多数の意見だろうが、自分が納得できたものを、自分にとっての正としている) そのうち何かわかるだろうと思っていたら、 私の中にピンっと閃いた勝手な解釈があって、それを書きます。 自分 = みずからをわける 自らを分ける と書く 自分は自らを分けたもの これが一番自分的に「そうだ」と思った。 私が勝手に閃いたことなので、正しいかどうかは知らないし、 この漢字を当てはめようと決めた人の解釈とは違うかもしれない。 けれど私の中で納得できているので、これでよいのだ。 この解釈の元はどんな風かというと、 私は宇宙のすべての存在はもともとひとつだった、と思っていて、 肉体という物質とサヨナラする時には(死)、 またこのひとつの ”なにか” へ戻って合体・融合する。 また生まれるときがきたら、この ”なにか” から分離して 新たな誰かになる。 人も動物も、植物も、鉱物も、様々なモノも、虫も、ぜんぶ同じ。 目に見えているところとは別次元に存在しているであろう存在たちも、 宇宙のどこかの惑星に住んでいる存在たちも、 ぜんぶのぜんぶが元は同じ。  なので この ”なにか” 自体が自分でもある。 そこから分かれたものがあなたであり、私であり、自分。 真実は死んだ瞬間に「あ!」っと思い出すのかどうか、分からないけれど 今のところこんな感じに思っておくことにしている。 せっかくだから「ああ、そうかあ~」と思い出して納得を感じてから死にたいなあ。 もし思い出すとしたら、瞬間的にぜんぶが分かる感じなんじゃないだろうか。 死んだか死んでないかの瞬間に。 宇宙とはなにか。

中心にあるもの

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今まで割と「自分の芯をしっかりさせる」「土台をしっかりさせる」 みたいな言い方をすることが多かった。 この間あることを考えながらノートに書いた言葉があって、 その言葉が最近の自分的にとてもしっくりきた。 「自分のなかの核」 この核のイメージは、ギュー――――ッと凝縮していて、すごくパワフルで、 エネルギーがあって、生命の源みたいな感じ。 自分の可能性を制限する感情や思考のヨドミは、 日常的にメンテしながらどんどん取り去って、どんどんクリアになって、 核のエネルギーを覆うものなく生きよう。

超高速で移動していることと歴史とか

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昔なにかで知ったことですっかり忘れていたことを、久しぶりに思い出した。 「あなたはいま椅子に座って動いていない、 と思ってますよね? いいえ、動いてます。 おおよそ秒速440mで移動してるんですよ。」 という内容。 地球の自転をあなたは感じていないですよ、ということだった。 ついでにこれを言った人は 「人間の感覚が正しいとは限らない」 という言葉も言っていた。 地球にいる存在は全員もれなく、1秒で440m移動している。 もしそれを外から見ていても、速すぎて見えないくらい速い。 こう書いていてまた思い出したけれど、地球がものすごい高速で動いているのを 映像にした作品も見たことがある。それは公転を描いたもの。 この映像は現在の天文学からすると正しいとか正しくないとかの議論があるようだけれど とにかく『動いているんだ』ということは分かる。 Youtube貼り付け以下 最初に書いた 「椅子に座って動いてないと思ってるかもだけど440m/秒で移動してるよ、あんた」 というものは、さとうみつろうさんの動画の中に出てきた。 ついでに、 もしこの動画を見た人は、ぜひ以下の動画も見てみると良いと思った。 この↑動画は多くの人が拡散していて見られているようだけれど、 以下の動画も、根深い背景を知るという意味でセットだな、と私は思う。 エネルギーに関する世界の構造がどうなっているのかの歴史の動画。 構造というのは、いわゆる利害関係で、儲かる人儲からない人、 新大陸発見や戦争の背景などの一側面が分かる。 だから石油が安くつくれるなんてことを一個人がすると 「危険」なんだ、ということが分かる。 しかもその一個人が日本人であるということも問題なんだろうな、と想像する。 歴史、 教科書で教えられるものや、今現在に本などで残っているもの、 それは過去のある時点で力を持っていた人たち側からみた歴史。 要はその人たちにとって、そう言っておけば都合がよかったり、 そう言っておけば自分たちのメンツが保たれる、といったもの。 AさんとBさんの喧嘩も、それぞれ言い分があるし、それぞれの立場や背景がある。 ・・・ 新大陸を発見し、 そこにいた野蛮な先住民たちと戦い、 勝ち、平和な国を作りました。 ・・・  ある日、見知らぬ大勢の人たちが突然やってきて、 出ていけと言われました。 自分たちの生活を守るために戦いま...