投稿

ラベル(自然)が付いた投稿を表示しています

生体水のように

インスタでフォローしている清水宏治さん @ki_ya_koji  の投稿で読んだ文章。 じわーっと印象に残り、そのことについて何度も考え(というか想い?)を巡らせた。 以下一部引用 ”熱や風のインパクトを与えることなく静かに水に移動してもらうので、出てきた水はまさに生体水。生きているように感じる。” この投稿は、低温酵素乾燥機で杉の木を乾かすときの話。 清水さんは木を加工し建築に携わる方。 (全文の載った投稿は こちら ) 私はこれを読むことで、自分が普段していることが視覚化された感じがして、 より一層はっきりと明確になった。 視覚化だけでなくて、触覚化?も。 「水」って、 視覚的にも知っているし、 触ったこともあるし、全身浸かったこともあるし、 触覚的にも質感も、知っている。 だから、清水さんが水の動きのことを書いてくれていたおかげで、 「あ~これだよね」 と思ったのだと思う。 私のしていることは、エネルギーの移動。 清水さんの文章を基本にして、言い換えるとこうなる。 ”私の思考の制限というインパクトを加えずに、そのエネルギーをそのまま曼荼羅や香りとして表現する。” 相手と対話をして、そこから感じ取ったエネルギーを、 私の手を使って曼荼羅として描くし、 私の嗅覚を使って香りとして仕立てる。 エネルギーはカタチもないし、私の目には見えない。 でも絶対にある。 そこに、私の頭で考えた「こうすべき」「このほうがいいはず」という コントロールのエネルギーをギューギュー押しつけて、 相手の純なエネルギーを「私のよかれ」に変化させようと計るとしたら、 「生体水」にはならないと思う。 対話型セッションでなく、私が一人で創作をする時も、やっていることは同じ。 エネルギーというと、いまいちイメージがつかなくても、 木の水の例えを想像すると、私はしっくり来た。 もともと、その杉の木の中に流れていた水は、 無理やり蒸発させられるのではなく、ただそのまま別の場所へ移動する。 ただ移動しただけなので、そのまま生きている感じ。 そして、木の方はスッキリ軽くなり、新たな環境に最適な状態になり、 また新たな場で生き続ける。 と、書いていると、私がしていることは、 エネルギーの移動でもあるけれど、COPYっぽさもあるような気もする。 移すだけでなく、写す、とか。 形の無いエネルギーと、...

二人展「絵ト香」9月13日-14日

イメージ
展示会をおこないます。 私は点描曼荼羅画(原画)と香りの演出をします。 友人は祗園祭をテーマとした絵画とアクセサリーを。 とても美しく、静けさを感じられる空間です。 二人展「絵ト香」 感性という光が照らすエレガンスの輪郭 アートとあなたの対話 ようこそ、静と涼の空間へ 2025年9月13日(土)14日(日) 11時~17時  日曜は16時まで ギャラリーRound Table 静岡県浜松市中央区半田山3-47-6 アーティスト二名による絵画、香り、装身具を展示販売いたします。 京都の氷菓子と共に抹茶を御用意しております。 すべての感覚を開き、熱から解放されるような時を 満喫いただけたら幸いです。 ※お茶セットは椅子席にて千円現金払いにて ※駐車場は店舗前と敷地外(スタッフがご案内します) ~ARTISTS~ 北村 梢 京都市出身、浜松市にて活動中。祇園祭をテーマとし、水彩、アクリル絵の具を用いて表現。鉾の持つ独自性や神秘的な側面にフォーカスした絵画。 @cozart_japan cozmic hour 北村梢によるアクセサリーブランド。コンテンポラリー要素がありながら、伝統の技法も用いた新しい形の装身具。是非手に取ってご覧ください。 @cozmichourjapan 瀬戸 里絵 曼荼羅画家、調香師、人生デザインナビゲーター。右脳と左脳、アートとサイエンスを統合し、模様や香りを創る。個々人の日常パラダイス化のナビゲートをし、人生パラダイス化、ひいては地球パラダイス化を視野にいれ活動。 @rie.s.seto   @rieseto55   https://rtable.jimdofree.com/ ~VENUE~ ギャラリーRound table 「街が緑で呼吸する」をテーマに、建築・インテリア・外構・造園・住空間のコーディネートを提案しているランドマークプランニング株式会社が運営。ギャラリーは、深い軒のある木造平屋建築。足を踏み入れてこそ体感できる内側への広がり。住空間からの連続性を持たせた四季を感じられる中庭があり、茶室をそなえている。裏千家茶道教室、ピアノ教室やミニコンサートなども行っている。 https://landmark3473.co.jp/    https://www/roundtabl...

対話型調香セッションawai

これまでおこなっていた調香セッションをリニューアルしました。 いまのところ価格も以前のままだし、やり方が大きく変わったわけではないけれど、 私的には大きく変化した感覚を持っています。 旧『ナカソトノカオリ』は、2024年10月10日より 『 a 〇 i 』(awai)となりました。 ウェブサイトに載せている文章を抜粋します。 /////// ●香りと感情の関係   セッションで使用する香料は、植物から抽出された香気成分です。 香りを嗅ぐと、香りは電気信号に変換され脳へ届きますが、 嗅覚は他の感覚器官 (視覚・触覚・味覚・聴覚) には無い独自の特性を持っています。 嗅覚以外の器官は感覚を感じると、まずは左脳 (理性や思考を司るエリア) へ電気信号が伝わります。しかし、 香りの電気信号だけは左脳を経由せず 右脳へ直行し ます。右脳は感情や記憶や本能を司るエリアで、潜在意識に含まれます。香りを嗅ぐと、思考がアレコレと考え始めるよりも前に、潜在意識の部分への働きかけが起きるということです。   そのことを知ってか知らずか、古代から世界中の儀式の場で、 精神的な変化や場の浄化、人以外の存在との繋がり、などを目的として 植物の香りが活用されてきました。 例えば寺院で線香が使われるように ” 香りのない宗教は存在しない ” とも言われます。 (唯一、神道では表向きは香りを使用しないようです)   私たちが言葉を発したり行動をするとき、出発点となるものは感情です。 ささやかな揺らぎの感情から爆発的なものまで、感情が スイッチとなり言動活動に結びつきます。 その感情の部分に働きかけるものが、先に記した通り香りです。   目に見えない感情、そこに影響を与える香り、が先にあり、 その次に、目に見える言葉や行動が生まれます。     ●あなただけの香りが持つ力   香りを創る前に、あなたとの対話の時間をもちます。 このセッションを受けるきっかけや香りの好みの傾向などを伺いますが、 私はその場で生まれる直感的な流れを大切にしているため、 質問の内容は人により千差万別です。 耳に聞こえる言葉だけでなく、ふとした表情や反応、感情の揺らぎなど、 そこにある全てのエネルギーを感じさせていただく時間です。   対話の中で私が...

左回転で身体が緩むのか?

イメージ
「お腹に手を置いて、左回りにゆっくりなでると、身体が緩む」 私がこれを始めて聞いたのは、多分お父さんから。 聞いたのは20年以上前か、さらにそれより前、 まだあんまりインターネットが普及していなかった時代。 その時に理由も教えてくれたと思うが、それは覚えていなくて、 「ネジは左に回すと緩み、右に回すと閉まる。それと同じと覚えておけば良い。」 と言われたことは覚えていた。 ただ私は普段ネジそのものを触る機会があまりなかったので、 いちいち「ネジってどっちがどうだったっけ?」となってしまって、 まずはネジを触った数少ない記憶を思い出すところから始めたり、 「自分のどっちから見て左周りだっけ?」と考えてみたり、 いちいち面倒な感じになっていた。 今思うと、ネジは水道の蛇口と同じだから、 左に回すと緩んで水が出る&蛇口が軽くなる 右に回すと閉まって水が止まる&蛇口が固くなる のイメージの方が、当時の私には合っていたかもしれない。 その頃はまだ、そういう仕組みの水道も多かったし。 (もしかして父はネジ=蛇口は当たり前に同じものと思うはずだ、として「ネジ」と言っていたのかも。仕組みを知らない当時の私は連想できなかった。) 今だったら「ペットボトルの蓋を開ける時と閉める時」というイメージが良いかも。 そしてその後、 お茶を急須から器に注ぐとき、手をなんとなく回転させながら注ぐ理由は その方がお茶が美味しくなるから。日本でもトルコでも云々。 というような情報を見かけた。 なんだけれど、やっぱりそこでも私は、 回転させる理由は美味しくなるから、は分かったけれど、 なんで美味しくなるのか、の理由を覚えていない。 。 。 。 そのまま20年が過ぎました。 そしてこの文章を書いている日の前日、友人がお茶を淹れてくれた時に 「左周りと右回り、それぞれにかき混ぜて飲み比べてみて」と言ってきた。 「そうそう、それ!」と思い出し、それぞれの味わいの違いを楽しみながら、 違いが生まれる理由は何だと思うか尋ねてみた。 その友人は、中医学も西洋医学も専門にしていたり、様々知識の深い人。 友人曰く、 地球の自転が左回転(北極側から見た場合)なので、 ・左回転は無意識に人は安心する ・道に迷った人を探すとき左→左→左で探すと見つかりやすい  (迷いながら自然に左ルートを選んで進んでいる可能性高いから) ・陸...

私はスピリチュアル系か?

イメージ
この2年くらいで出会った人から、時々 「りえさんのようなスピ系みたいな人って云々」という言葉を聞くことがあって、 その都度私は心の中で「え?私ってスピ系と思われてるの?」と少し驚く。 少し驚くけれど、大抵そのときの話の焦点はそこではないので、 その部分は聞き流して、話しの本筋の方に集中して耳を傾けている。 そもそも「スピリチュアル系」とは何か、というのは人によって認識の違いはあれど、 「こういうことが好きな人たち」みたいな、 世の中で言われる(おそらくメディアが広げた)認識というのがある気がする。 私が感じている「スピリチュアル系の人」は次のような感じ。 神社仏閣系統が好き、お参りにいくのが好き、龍とか妖精とか好き、神様系の話が好き、崇めている対象がある、占いとか好き、目に見えない存在が好き、高次元が好き、パワースポットが好き とかとか? いま思いついたものを羅列しました。 私はヒーリングスクールやセッションの仕事を始めて、 講師も受講生も含めて、そこで関係する人たちと触れ合う中で気づいたことは、 「出身地の違い」 みたいなこと。 上に羅列したような界隈の人が多いように感じたことが何度かあったことで、 「私、そこ界隈の出身じゃないんです」と思うに至ったし、 それが私の特徴なのかも、と思った。 因みに出身地が違うからといって、仕事をするうえで困ったことはない。 ただ単に、私とは違う見方の話を耳にする機会があったり、 私の知らない世界の話(占いの館とか)を耳にするだけ。 で、やっぱりそういう時も話しの本筋はそこではないので困ることはない。 (自分自身の生徒たちは、類は友を呼び、私と似た系統の人が多かったりする) 私は上に羅列したものは、しない、行かない、興味がわかない、という感じ。 あっても、たまにチラッと覗き見するとか、参考情報のひとつにするとか、 いいとこどりして終わりとか、その程度です。 何かが視える聞こえるで困った経験もない。 存在は知っているし尊重はしているが崇めてはいない。 なんというか、全員同じ(レベル?階層?)だと思っているというか。 おそらく単なる興味の方向性の違いや、信じているものの違い、かもしれない。 物質的なものではないものをSpiritualと言うならば、 私は、この世はスピリチュアルで成り立っている、信じている。 この世は目に見えないものの方...

香りは装身具にもなり戦略的にも使える

イメージ
下部の ”なぜ香りなのか?” は、先日、私のホームページの調香セッションのページに補足で追記した内容。 この投稿の前いくつかにわたって書いた脳とか感情などについての 投稿にも関係しているので、 両方読んだ方はつながりが感じられると思います。 潜在意識、思考、感情、メンタルなどに、とてもとても関りがあるのです。 ーーーーー なぜ香りなのか? 味覚、触覚、聴覚、視覚、嗅覚。このなかで嗅覚はとてもユニークな動きをします。 嗅覚以外の感覚は、それを感じると、 まずは理性・思考・分析・言語などを司る左脳へ信号が伝わります。 しかし嗅覚だけは左脳を通らず、 本能・感情・記憶・閃きなどの右脳エリアへ電気信号が直行します。 思考でアレコレ考え始める前に、潜在意識や本当の自分へ香りの信号が届くということです。 このページの上の方に「香りでできることの例」を載せていますが、マインドセットも気持ちの切替も自分軸の強化も、こういった理由の元、香りのサポートによって深い部分でそれができるわけです。 アレコレ考えず頑張らずシンプルに、ただ単に香りを嗅ぐだけでそうなる。 体の仕組みにのっかるだけなのでとても楽で簡単です。 しかもその香りは植物の香りで、しかも自分用に調合された香りであったら、 より一層「自分に届く」そして「自分と響き合う」と、私は感じています。 ※植物の香りが良くて化学合成の香りは悪い、とは一概には言えません。 使い方や使う量、個人差など様々なことのバランスで、危険性や合う合わないが変化します。 ーーーーー 服、靴、鞄、ジュエリー、お化粧、などと同等の感覚で、装身具のひとつとして香りを使うもよし。または上記の仕組みから、自分の脳に対して意図的、戦略的に香りを使うもよし。 どちらにしても、気分を変えてくれるもの、であることは間違いありません。

私の個展のお知らせ(2024年2月静岡県浜松市)

イメージ
  ∞ 個展のお知らせ ∞ 私の通うカフェで展示をさせて頂くことになりました。 在イタリア時代の一時帰国中、おいしいエスプレッソが恋しくなった時にこのカフェに助けられました。最近の私のお気に入り組み合わせは、カウンター上の焼菓子 + アメリカーノです。 飲み物で両手を温めながら、曼荼羅たちをぼんやり眺める時をお楽しみください ☕ ️ 🏵 ️ [会期] 2024 年 2 月 2 日 ( 金 ) 〜 2 月 27 日 ( 火 ) [営業日時]基本は 11 時〜 20 時、水曜は休み 又は 夕方閉店 [場所]  Instagram @westgoatcoffee  West Goat Coffee  静岡県浜松市中央区千歳町 104-2 浜松駅から徒歩5分 ◎ 入店の際はお飲物をご注文ください ◎ 作品はすべて原画の一点ものです ◎ すべて販売可能です ◎ 今回の個展限定価格にする作品もあります ◎ 作品購入は現金のみ受け付けます ◎ 購入当日にお持ち帰りいただけます ∞ はじめましての方へ ∞ 私の描く曼荼羅画は宗教画とは異なります。 宙を奏でる点描曼荼羅画 ( そらをかなでるてんびょうまんだらが ) と言い、事前にデザインを考えることなく、直感的に対称的に、すべてを点で描く曼荼羅画です。 この曼荼羅画は、まっくらな宇宙のような黒い紙の上に一粒の点を置くところから始まり、やはり一粒の点を最後に置いて終わります。それぞれの一粒は独立した点であると同時に、すべてに繋がる点でもあります。曼荼羅は平面でありながら球体でもあり、全方位への無限の広がりを持ちます。 描き手である者が自身の思考を入れずに描くことで、できあがった曼荼羅は、個人の狭い枠に囚われない世界を持つのだろうと思います。 瀬戸里絵 ____ 体験会・講座は、ご希望日時を相談いただき互いの都合を合わせて開催しています。講座は対面もオンラインも可能です。 点描曼荼羅画の販売、オーダー制作もしています。作品購入はオンラインショップ又は dm からどうぞ。オーダー制作承っています (1 万円〜 ) 。 詳しい内容は こちら をご覧ください。   ——

自分という漢字の意味

イメージ
自分 という漢字って、なんでこの漢字なんだろ。 という疑問がここしばらくなんとなく頭の隅っこにあった。 ネットを調べれば、漢字の由来とか意味とか様々出てくるんだけれど いまいち意味不明というか、私には理解ができなかった。 (因みに、私は誰が何を言っていようが、世間の大多数の意見だろうが、自分が納得できたものを、自分にとっての正としている) そのうち何かわかるだろうと思っていたら、 私の中にピンっと閃いた勝手な解釈があって、それを書きます。 自分 = みずからをわける 自らを分ける と書く 自分は自らを分けたもの これが一番自分的に「そうだ」と思った。 私が勝手に閃いたことなので、正しいかどうかは知らないし、 この漢字を当てはめようと決めた人の解釈とは違うかもしれない。 けれど私の中で納得できているので、これでよいのだ。 この解釈の元はどんな風かというと、 私は宇宙のすべての存在はもともとひとつだった、と思っていて、 肉体という物質とサヨナラする時には(死)、 またこのひとつの ”なにか” へ戻って合体・融合する。 また生まれるときがきたら、この ”なにか” から分離して 新たな誰かになる。 人も動物も、植物も、鉱物も、様々なモノも、虫も、ぜんぶ同じ。 目に見えているところとは別次元に存在しているであろう存在たちも、 宇宙のどこかの惑星に住んでいる存在たちも、 ぜんぶのぜんぶが元は同じ。  なので この ”なにか” 自体が自分でもある。 そこから分かれたものがあなたであり、私であり、自分。 真実は死んだ瞬間に「あ!」っと思い出すのかどうか、分からないけれど 今のところこんな感じに思っておくことにしている。 せっかくだから「ああ、そうかあ~」と思い出して納得を感じてから死にたいなあ。 もし思い出すとしたら、瞬間的にぜんぶが分かる感じなんじゃないだろうか。 死んだか死んでないかの瞬間に。 宇宙とはなにか。

中心にあるもの

イメージ
今まで割と「自分の芯をしっかりさせる」「土台をしっかりさせる」 みたいな言い方をすることが多かった。 この間あることを考えながらノートに書いた言葉があって、 その言葉が最近の自分的にとてもしっくりきた。 「自分のなかの核」 この核のイメージは、ギュー――――ッと凝縮していて、すごくパワフルで、 エネルギーがあって、生命の源みたいな感じ。 自分の可能性を制限する感情や思考のヨドミは、 日常的にメンテしながらどんどん取り去って、どんどんクリアになって、 核のエネルギーを覆うものなく生きよう。

超高速で移動していることと歴史とか

イメージ
昔なにかで知ったことですっかり忘れていたことを、久しぶりに思い出した。 「あなたはいま椅子に座って動いていない、 と思ってますよね? いいえ、動いてます。 おおよそ秒速440mで移動してるんですよ。」 という内容。 地球の自転をあなたは感じていないですよ、ということだった。 ついでにこれを言った人は 「人間の感覚が正しいとは限らない」 という言葉も言っていた。 地球にいる存在は全員もれなく、1秒で440m移動している。 もしそれを外から見ていても、速すぎて見えないくらい速い。 こう書いていてまた思い出したけれど、地球がものすごい高速で動いているのを 映像にした作品も見たことがある。それは公転を描いたもの。 この映像は現在の天文学からすると正しいとか正しくないとかの議論があるようだけれど とにかく『動いているんだ』ということは分かる。 Youtube貼り付け以下 最初に書いた 「椅子に座って動いてないと思ってるかもだけど440m/秒で移動してるよ、あんた」 というものは、さとうみつろうさんの動画の中に出てきた。 ついでに、 もしこの動画を見た人は、ぜひ以下の動画も見てみると良いと思った。 この↑動画は多くの人が拡散していて見られているようだけれど、 以下の動画も、根深い背景を知るという意味でセットだな、と私は思う。 エネルギーに関する世界の構造がどうなっているのかの歴史の動画。 構造というのは、いわゆる利害関係で、儲かる人儲からない人、 新大陸発見や戦争の背景などの一側面が分かる。 だから石油が安くつくれるなんてことを一個人がすると 「危険」なんだ、ということが分かる。 しかもその一個人が日本人であるということも問題なんだろうな、と想像する。 歴史、 教科書で教えられるものや、今現在に本などで残っているもの、 それは過去のある時点で力を持っていた人たち側からみた歴史。 要はその人たちにとって、そう言っておけば都合がよかったり、 そう言っておけば自分たちのメンツが保たれる、といったもの。 AさんとBさんの喧嘩も、それぞれ言い分があるし、それぞれの立場や背景がある。 ・・・ 新大陸を発見し、 そこにいた野蛮な先住民たちと戦い、 勝ち、平和な国を作りました。 ・・・  ある日、見知らぬ大勢の人たちが突然やってきて、 出ていけと言われました。 自分たちの生活を守るために戦いま...

保護か捕獲か

イメージ
とあるものを読んでとても疑問がわいた。 大まかに言うとこんな内容だった↓ ”うちの庭に猫が遊びにくる。おそらく野良猫。遊びにくるのは二匹。 一匹で来るときもあれば、二匹一緒に来るときもある。 庭の居心地が良いようで、来るとゴロンくつろいでいたり、 遊んでいたりする。 保護したいのだけれど、保護するとなると二匹だし、 二匹保護する余裕はないので、どうしよう。” 私の疑問は「それって保護なの?捕獲なの?」というもの。 この猫たちは、おそらく野良猫なのだろう。言い方を変えれば、野生の猫。 怪我をして困っているふうでもなく、 食べるものを求めてきているふうでもなく、 ただ遊びに来ているだけ。 野良というか野生というか、そういう動物たちの保護活動を 私はしたことがないし、実態を詳しく知らない。 人間から見てどんな感じだったら「保護しよう」となるのだろう。 保護する側と、保護される側。 保護なのか捕獲なのか。 すっごくいろんな意見がありそうなことだなあ、と思った。 いろんな都合とか。 人間側にも、動物側にも、ね。 ここまで書いていて思ったけれど、 なんで猫と犬がそういう対象になっていて、同じく野生の鳥などは、 対象としないのだろう。 「猫と犬は人と一緒にいるもの。ウロウロしていてはいけないもの。」 みたいな考えがあるのかな?

アバター

イメージ
私は映画 「AVATAR 」(2009年 ジェームス・キャメロン監督)がとても好き。 人と話しているときにそれを伝えたら、その人はこんな感じのことを言った。 因みにその人は、この映画を観たことがないという人。 「え、、、あの映画って、人間がなにかに繋がれて人間でなくなって、戦って、みたいなやつでしょ」 その言葉の中には『りえさんがそんなの好きなんて意外なんだけど』という雰囲気があったように感じた。 それを聞いて私は「あ!」と思った。 「私が観て注目していたAVATARの世界と、この人が思っているAVATARの世界が違う」 ということが分かった。 例えば。 ピラミッド型のモノがあるとして、 私はそれを真上から見て「正方形だ」と思っている。 花子さんはそれを真横から見て「三角形だ」と思っている。 単に見ている側面が違うだけ。 それと同じようなことが今回のAVATAR好き/嫌い問題である。 私はAVATARの映画の何もかもが好きなわけではなく、何がすごく好きだったかというと、 パンドラという星に住むナヴィという民族たちの生き方。 生き方というか、在り方というか。 自分たち以外の生命体(植物も動物もすべて)との関係性が好きだった。 リスペクトしあい、自分たちもすべての循環の中の一部であることを知っていて、 それを楽しんでいて。 そして陽の沈んだ後のパンドラの森は、ぞわっとするほど美しかった。 今でもあの森を想うと、全身がぞわっとする。 言葉にするとうまく言えないが、パンドラの森の世界観が好きだった。 人間が何かに繋がれて、脳の中でアバターとして別世界を体験し、戦って、 みたいなことには、あまり注目していなかったので、その辺は私にとっては 補足映像?みたいな感じだった。 「また、人間はこうやって占領して戦って、ほんとバカ」とは思ったけど、 私の心はそこはサッと通り抜けて、ナヴィの森の世界へ飛び立っていた。 ということで、私がこの映画の何が好きなのか、を相手に伝えた。 私が好きだと思ったこの世界観は、その人も好きそうな気がする。 因みに2022年公開のAVATAR2は、全体的にあまり心躍らなかった。 極めつけは映画の最後の最後。 ラストのシーンのメッセージにドン引きし、映画館を後にした。 映像はとても美しかったです。 という感想を私は持った。 AVATARという英単語の語源は ...

食事療法のイロハ

イメージ
 前回、食事情のことについて書いたが、 いまは本でもSNSでもYoutubeでもBlogでも情報を取ろうと思えばいくらでもある。 日本語以外の言語の分かる人は、日本で言われている以外の情報も取れる。 私は20歳代前半からこういったことを学び始めたので、 当時は、本を読むか、有料セミナーに参加するか、 スポンサー無しで有志で発行されている新聞や雑誌を読むか、などが情報を得るツールだった。 さまざまたくさん読んだり聞いたりしてきた。お金も時間もたくさん使った。 わたしの尊敬する一人である、うつみん先生が、有料級動画をUPしているので紹介。 Youtubeで無料です。 食事情、実際はどうで、じゃあどうしたらいいのか、なにを選んだらいいのか、 自分にはなにが合っているのか、など、分かりやすく簡単にお話してくれています。 シリーズものなのでいくつもあるんだけど、とりあえずコレを。 食事療法のイロハ

アルバニアとミラノと日本の事情

イメージ
ミラノに住んでいた時、いろんな国の人と話す機会があった。 ある日、バス停でバスを待っていたとき。 その時わたしは、日本人の友達と二人でいたので、日本語で話をしていた。 バス停にはもう一人、バスを待っている男性がいて、わたしたちに話しかけてきた。 「いま話しているのはどこの国の言葉ですか?」と質問された。 日本語だと答えて、そこからお互いが何故ミラノに住んでいるのかを少し話した。 その男性はアルバニア(うろ覚えだが確かそのあたりの地域)の出身の方で、 単身赴任でミラノに働きにきているとのことだった。 どういういきさつだったか覚えていないけれど、そこから食べ物の話になって、 男性は、故郷アルバニアの食べ物がとてもおいしいこと、野菜もお肉も生命エネルギーにあふれていること、 新鮮なものが手に入ることが当たり前だったこと、野菜への農薬、お肉への投薬など ほとんど無しに育つものが手に入ること、などを教えてくれた。 そして同時に、ミラノの食材のことを強く批判していた。お肉も薬で膨らませていたり、 農薬も使っていたり、ぜんぜん新鮮じゃなくて 云々。 私はそれを聞きながら、こう思った。 「このおじさん、わたしが今ここで日本の現状を伝えたら卒倒するんじゃないかな。 実際日本に来て、普通にその辺で売られているものがどんなものか知ったら、 目から鱗どころか、肩から首が落ちる勢いなんじゃないかな」 日本で許可されている農薬使用量や化学肥料、動物への投薬や育てる環境のことや動物が食べる飼料のこと、 イタリアを含むEUで許可されているそれらの種類や量のこと、 私は両方とも知っていたので、はっきり言ってイタリアに住むようになったときに すごく安心した面がある。普通の庶民のスーパーで、ボーっと何も考えずに食材を 買ったとしても、日本の数十倍(最低でも10倍)は安全、と知っていたから。 そして、知識として知っている状態だっただけのそれが、 日を追うごとに、体で感じるようになった。 特に舌、味覚。そして、肌感覚というか、目に見えないんだけれどエネルギー的に感じるもの。 アルバニアの男性が言うところの「食べ物から感じる生命エネルギー」とか 作り手の愛情のエネルギーとか、そういったものも以前よりもどんどん感じるようになっていった。 このバス停での数分、 日本の庶民のスーパーで買い物をしていた私が感じていた...

杜人、大地の再生

イメージ
  ドキュメンタリー『杜人』を観てきました。 環境再生医と呼ばれる造園技師、矢野智徳さんの大地の再生の話。 私は土壌や植物や構造物などの専門知識は無いけれど、その深いところで、矢野さんやその周りに集まる人々と同じような世界を私も見ている ( 大切に感じている ) と思った。 上映が始まって 3 分で鳥肌がたち、それは何度もあり、何度も感動を感じた。私の身体にいる微生物達がワ〜っと騒いでいた。 滞らせない、流れをつくる、ガチガチにコンクリートで固めてしまったところは穴を開けてあげれば良い。 この地球も、地元の山も、山から海へと繋がる地域も、目の前の鉢植えも、全部同じ。人の身体も、植物の身体も、大地も同じ。 規模の大きなことも、小さなことも、ぜーーーんぶ同じ。そして繋がっている。 「地域を地域らしく」という言葉も心に残っている。 上映中、思い出した光景や人や出来事もあった。 私が日本にいない間にできていた、地元の海と陸を隔てる巨大なコンクリートの壁のこと。 屋久島で SUMU YAKUSHIMA というプロジェクトを通じて環境と共生する家をつくる菌築家の小野司さんのこと (@tkka_n @sumu_yakushima ) ※ 私がもし家を建てることがあったらこんな思想の元に建てたいと思っている など。 ドキュメンタリーの中では、見たことのある顔が何人か出てきたし、聞いたことのある団体やお店の名前も出てきた。私が興味を持ってネット上でフォローしている方々だと思う。現実世界の古い知人たちも登場して、その時は思わず名前を呟いて笑顔になった。 私が普段言葉にならないような感じで大切に感じていることを、他人の姿と言動を持って、明確に見せてもらえた気がします。 帰り道これにまつわるいろんなことを考えながら歩いていたとき、口笛を吹きながら陽気な雰囲気でキックボードで横を通り過ぎた人がいて、その自分の世界に入ったノホホンな感じにつられて、私は思わず笑顔になった。 笑顔になったことで、私が多分しかめっ面で考え事をしていたことに気づいた。 ここでもまた、自分のしたい事や在りたい生き方を再確認させてもらいました。 因みに、このドキュメンタリーを観ることになった経緯はこう。 数日前にチラッと目に留まったフライヤーが、このドキュ...