私はスピリチュアル系か?

この2年くらいで出会った人から、時々

「りえさんのようなスピ系みたいな人って云々」という言葉を聞くことがあって、

その都度私は心の中で「え?私ってスピ系と思われてるの?」と少し驚く。

少し驚くけれど、大抵そのときの話の焦点はそこではないので、

その部分は聞き流して、話しの本筋の方に集中して耳を傾けている。


そもそも「スピリチュアル系」とは何か、というのは人によって認識の違いはあれど、

「こういうことが好きな人たち」みたいな、

世の中で言われる(おそらくメディアが広げた)認識というのがある気がする。

私が感じている「スピリチュアル系の人」は次のような感じ。


神社仏閣系統が好き、お参りにいくのが好き、龍とか妖精とか好き、神様系の話が好き、崇めている対象がある、占いとか好き、目に見えない存在が好き、高次元が好き、パワースポットが好き


とかとか?

いま思いついたものを羅列しました。


私はヒーリングスクールやセッションの仕事を始めて、

講師も受講生も含めて、そこで関係する人たちと触れ合う中で気づいたことは、

「出身地の違い」

みたいなこと。

上に羅列したような界隈の人が多いように感じたことが何度かあったことで、

「私、そこ界隈の出身じゃないんです」と思うに至ったし、

それが私の特徴なのかも、と思った。


因みに出身地が違うからといって、仕事をするうえで困ったことはない。

ただ単に、私とは違う見方の話を耳にする機会があったり、

私の知らない世界の話(占いの館とか)を耳にするだけ。

で、やっぱりそういう時も話しの本筋はそこではないので困ることはない。

(自分自身の生徒たちは、類は友を呼び、私と似た系統の人が多かったりする)


私は上に羅列したものは、しない、行かない、興味がわかない、という感じ。

あっても、たまにチラッと覗き見するとか、参考情報のひとつにするとか、

いいとこどりして終わりとか、その程度です。

何かが視える聞こえるで困った経験もない。

存在は知っているし尊重はしているが崇めてはいない。

なんというか、全員同じ(レベル?階層?)だと思っているというか。

おそらく単なる興味の方向性の違いや、信じているものの違い、かもしれない。


物質的なものではないものをSpiritualと言うならば、

私は、この世はスピリチュアルで成り立っている、信じている。


この世は目に見えないものの方が多く、

目に見えないものが目に見えるものに与えている影響が多大だと理解している。


例えば、

人は気分や感情や思考(目に見えない)によって

行動も言葉も(目に見える)すごく変わる

とか。


病は気から、という言葉があるとおり、

目に見えない精神的な抑圧によって、目に見える物質の臓器に影響が出る

とか。


「あの人、きれいな言葉で言ってるけれど、なんか変じゃない?」

というようなことも目に見えない部分をキャッチしている証拠。


日本語で「気」のつく単語を使う時って、

だいたい目に見えない系のことを話している時なんじゃないかな。

雰囲気、気持ち、気分、やる気、気圧、気合、色気、嫌気、内気、空気、気質、気功、運気


あとは、

物理の法則で「波動(エネルギー)が先にあり、現実化は後」というものがあり、

すべての発信元は自分の思考や感情(目に見えない)。

その現実(目に見えるもの)が気に入らないのならば、自分で変えられる。

作ったのも自分だから、嫌なら別のモノを作ったらいい、と思っている。


話を戻すと、

私がいまこうして体を持ってここに居るのは、遺伝子がずっと続いてきたからで、

過去のすべて(目に見えるもの、見えないもの、人も人でないものも全部)

の様々な関係性が

かちッかちッと歯車がはまるように合ってきたからで、

そのすべてに「ありがたいなあ~」としみじみ感じています。

実際に夜眠る前に、それを想ってから寝ている。

たまに忘れちゃうときもあるけど。


ということで、

私はSpiritual(目に見えないこと)はとても重要視している人。


スピリチュアル、スピ系、瀬戸里絵


私が情熱をもってしていること('ω')ノ

∞自分で自分の人生をデザインするスクール

セルフヒーリング講座 と ヒーラー養成講座

∞問題を問題でなくする個人セッション

設定変更セッション

∞感情と行動のスイッチになるあなたの香りを創る個人セッション

調香セッション

∞直感力と多角的視点を育てるアート

宙を奏でる点描曼荼羅画講座




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