ニュースの時間です

ニュースの時間です = 情報を提供する時間です


「ネットもテレビもラジオもなかった時代は

自分の目の前に起きていることだけが現実だった」

と、どなたかが言っていた。

よしりん先生(吉野敏明医師)のYouTubeだったかな?


今日は何度もこの言葉が頭に浮かぶので、ここに書いてみています。

これ、確かにそうですよね。

目の前のこと以外は知りえない環境では、それが自分の現実の全て。


便利なツールを手にした人たち、

そのツールを活用して情報提供をしてくれる側の人たち、

それによって、自分の目の前の出来事以外のことも「情報」として

提供され、知ることができ、それを「現実」だと思う。

思う、思い込む、思わされる、どれが適切だろうか。


喧嘩をしてる二人がいて、そのうちのどちらかから話を聞いたとする。

この場合、私は「もう片方からも聞かないと全体が見えないなあ」と思う。

片方からの情報だけだと、どうしても偏りが生じる気がするから。


世界中で報道されているニュースも似たような感じだと思っている。

報道している人なり会社なりの立場があり、

それは利益をあげるべき企業でもあり、

その企業に出資している人がいてその立場もあり、

そのうえで行われるのがニュース(情報提供)だと思っている。

見ている私たちは、その誰かからの情報を提供される側。


事実の全体をそのまま伝えてくれているだろうか?

事実のある一方の面だけにフォーカスしていないだろうか?

この情報提供はなぜ繰り返し繰り返し行われているのだろうか?

ニュースで提供されることだけが世界中で起きていることだろうか?

提供されるニュース以外にも日々様々なことが起きているのではないか?

日本では提供されないニュースでも世界で話題になっていることはないか?


ニュースはあくまで提供する側が選んだことだけ、がニュースになる。

なのでニュースで見かけることだけが全てではない。


いろいろ思いますが、

今現在わたしは、屋根のある部屋で床に座ってパソコンに向かっている、

お腹は満たされ、外からは車の音と鳥の声が聞こえ、この姿勢がちょっと辛い。

以上が今の私の現実でした。

アップルパイ、おやつ、コーヒー、ドリップパックコーヒー、ウェストゴートコーヒー、ビオあつみ






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