前世/過去世というものがあるのかないのか

私は子供のころから「ある」と思っていたし、「私はまた生まれ変わる」とも思っていた。一体いつ頃から何をきっかけに、そう思うようになったのかは覚えていない。

これを当然のことと思っていたので、ある時「は?前世ってなに??」と真剣に返された時、私も真剣に「え?まさかこの人、前世の存在は無いと思ってるってこと?」と驚いた記憶がある。


ところがこの1年くらいで、実はこの信念が揺らいでいます。揺らいでいるというか、理解が変わりつつあるというか。次のように考えています。まだ「そうかもしれない」程度の段階で、検証中というか、探り中ではあります。


例えば『前世はある』とする場合の前提は、ひとつの(一人の)魂があって、それが体を変えながら様々な人生を体験する、ということですよね。いまの私の体の中にある私という魂は、体が死んでも ”私という魂” のまま、またいつか別の人生を別の体の中でスタートする、体は変わったけれど魂は同じ(魂は同じ個性)。

だから、過去のどこかの人生で体験したことは実は魂が覚えていて、今の人生で、他人よりも上手くできたり興味が強かったりする。それとか、過去の人生で体験しきれなかったこと、やり残したことなどを、今の人生で向き合うことになる、とか。

前世があると信じている人たちの理解はこういうことだと思うし、私もそう思っていました。それにヒーリングセッションをするときに見える映像は、まさにクライアントの過去世の映像が見えていた(と思っていた)。


前世がないとしたら、じゃあ、セッションのときに見えている映像は何なんだ? 、ということの答えとしては、『その人が今世を生きるために持ってきたツールの1つが見えている』という答え。

新しい人生を始めるとき、魂は、その人生にどんなツールを持っていくか選べる。ゲームの世界でいうところの装備みたいな。「新しい冒険に出発する前に道具屋さんから装備を選ぼう、ロープ・ナイフ・シャベル・・・・」のように。

「今回の人生では〇〇を体験したいから、、、あの時代のAさんの宮中での生活の記憶と、Bさんの調理の記憶と、Cさんのxxの記憶を持って行こう!」のような感じで、いつかの誰かの人生の記憶をツールとして選んできている。


まずこの考えの前提として 『魂は固定されていない』ということ。私の魂は、このまま私としてまた別の体に入って別の人生を始めるのではない。

今の私の体が終わるときがきたら、今の私の魂は、宇宙のどこかにある大きなエネルギーに吸収されて合体して、ひとつのエネルギーとなる。それでまた時が来たら、そこからポヨっと離脱したエネルギーが、魂として別の体に入って、別の人生をスタートする。

元のエネルギーはひとつ。なわけだから、私の魂、あなたの魂、それぞれが永遠に存在するとかではなくて。


ここまで長々と読んでくれている方、わかってくれるかしら。このイメージ。だらだらと永遠に書き続けそうな感じなので、ここでやめます。

ツールという考え方は ミナミAアシュタール さんの話で初めて聞き、そこから自分でも考えだしました。


前世があって、また転生して、という考えは特定の宗教の考え方。全部は知らないけれど、例えば、仏教、ヒンドゥー教はそう教えていますよね。いまの人生で良いことすれば次の人生でもっとハッピーになれるよ、みたいな。


本当のところはどうなのか、私にはまだはっきり分かりませんが、上記の「いろんな記憶をツールとして持ってきているだけ」の考え方は、割としっくりと感じるところがあって、「そうかもしれない」という態度で、私なりに探りを入れている最中なのであります。


と、書きながら今思ったけれど、記憶として持っていることには変わりないわけで、ただそれがツールなのか前世なのか、という認識の違いなだけだから、別にどっちでも信じたい方でいいのかな、とか思いました。


まとまりのない感じで終わります。





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