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地球と一緒に生きてる感って?

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今朝、体操をしていた時、 「そうだ、私こんなこと思ってたんだった」 と、思い出したことがありました。 地球と共に生きる ということについて。 この言葉を聞いたとき、どんな感じのことが思い浮かびますか? 昔の私のイメージは、 地球と共に生きる=自然と共に生きる だった。 周囲に自然が多くあるような環境の中に家があって、 木や石などの自然素材を多く使った家で、 地元の土から採れたてのものを食べ、 衣類は化学繊維や化学染料でないものを着て、 みたいなイメージ。 逆に言うと、 見渡す限りの地面がアスファルトやコンクリートで覆われた環境で、 24時間換気システムの音がブーンと鳴る建物に住み、 スーパーで年中手に入る形の揃ったキレイな野菜を食べ、、、 という状況は、 地球と共に生きる、とは離れたところにいるように感じていた。 当時の私自身がそういう生活で、 さらには「こういう感じ、今の私に全然合ってないかも」と、 気づいていたので、 自分なりの快適さに近づけるために、 できる限りの工夫をして暮らしていました。 その途中で「ん??????」 という瞬間が。 私の中での『新たな視点』を発見したのです。 当時の発見内容は以下です。 「ちょっと待って。いま私の身の周りにあるもの。 ビニール素材だろうが、アスファルトだろうが、化学繊維だろうが、 何もかも、地球にある物質から作られたものだよね? ”これは地球外素材です” みたいな物って、ひとつもないよね? 合成されたり色々手は入っていたとしても、 元々は地球素材だよね?」 「ってことは? 私、いまこの瞬間も、地球と共に生きている。 地球に囲まれて生きている。 地球のエネルギーと共に生きている、、、じゃん!」 以上が、発見内容でした。 考えてみると、当たり前の当たり前、なことだけれど、 この発見をしたことで、私の心の安心レベルが、まあまあUPしました。 しかも、 ある特定の環境や状況でのみレベルUPしているのではなく、 どこに居たとしても、 「私、いつもいつでも地球のエネルギーの中にいるんだな~」 などと、心の底から感じることができるようになって、 そういう意味での安心感がいつもある(又は思い出せる)感じになったのです。 それに、それまで毛嫌いして、 嫌悪感とか敵対心みたいなものがあったような物に対しての 感情も変わった。 そういう感情はな...

「できないこと」に遭遇した時の大人と子供の違い

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大人になると、 できること、知ってること が増える。 そういう、ある種「スムーズな状態」を当たり前として、 その中で毎日生活をする。 なので、 たまに「できないこと」に遭遇すると、 すごくストレスを感じたり、 中には、恥ずかしく思う人もいるだろう。 もしくは、できない人を見て、 非難したり、バカにしたりする人もいるかもしれない。 何しろストレスを感じるので、 ちょっとやってできないと、 「私には無理」「私にはむいてない」 「もう〇歳だから、こういうのは難しい」 などと言って、 すぐにやめてしまう。 何しろストレスだから。 じゃあ、子どもの頃はどうだっただろうか? 幼少期は「できないこと・知らないことだらけ!」なので、 その状態を当たり前として生きる。 なので、なんでも淡々と練習する。 練習を繰り返して、できるようになる。 子どもの頃は、 練習を繰り返すのが当たり前 だったはず。 自転車に乗れないからって、 お箸がうまく使えないからって、 悩んで、2回くらい練習してやめて、 とかじゃなかったはず。 そのことを思い出してみると、 大人だって、練習を繰り返せば、 できるようになることだらけだと思う。 できない知らないがあっても、ただ単に、 「今はできない」だけ。 「今は知らない」だけ。 人それぞれのタイプや、取り組む物事の種類によって、 できるようになるまでの時間や、できるレベル、 は、もちろん人それぞれ。 自分なりの納得感や満足感を感じられれば、 それでいいと思う。 忘れちゃいけないのは、 それをするのが好きなら、 できるようになった自分を想像するとワクワクする、 ならば、 すぐにやめずに練習を繰り返す。 プロに学ぶとか、工夫する。 だって、それが好きなんだから。 逆に、ちょっとやってみたら、 実はそれをするのが好きじゃなかった、 別にできるようにならなくても構わない、 ならば、 さっさと辞めていい。 だって、好みのものと違ったから。 大して好きじゃないものをやり続けるのは苦痛でしかないし、 我慢してるとエネルギーが漏れていき他のことにまで影響してしまうし、 ストレスホルモンを無駄に消費して身体にもよくない。 まとめると、 「好き」なら、できるようになるまで練習を繰り返す。 練習できないなら、 物理的に続けられる方法を考えて工夫する、 精神的ブロックがあるならブロックを...

私の1冊目の本が出ました

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人生で、最も長く付き合う人は誰? その人は、自分。 好きな人のことを知りたくて知りたくて、、、 となるのと同じくらい、 自分のことを、もっと知ってあげる。 無視しない、しっかり見つめる。 本当はどう思ってるんだろう? 本当はどうしたかったんだろう? それは好き? それは嫌い? 今日のお昼ご飯に何を食べたいか、 休憩時間に何を飲みたいか、 というところから、 それを始める。 日常というフィールドの中に、 小さな満足感を散りばめていく。 満足感で埋めていく。 そしたら、結果、 人生はどうなっていくと思う? 今回の本では、 意識・思考・感情の使い方や知恵について 諸々まとめました。 まとめました、というか、 日常の中で具体的に試していけることを たくさん書きました。 本を読むことが好きであれば、 ぜひ読んでもらえたら嬉しいです。 そして、 感想をシェアしてもらえたら、より一層、 嬉しいです。 ------- 想像=創造 ~日常生活をあなた好みにするためのアレコレ~ 瀬戸里絵(著) クエーサー出版 2026年1月7日発売 アマゾンにて https://amzn.asia/d/cU1rGn4 -------

出版する本のこと

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もしも、 自分の人生を、自分でつくっていけるとしたら? しかも、100%自分の好きなように。 そして、今からでもそれが可能だとしたら? 人生を変えたい、生き方を変えたい もっといい人生にしたい その想いが強いほどに、 何かを頑張ったり、正解ルートを探したり、 大きくジャンプできる方法を探したり、 してしまいがちになるかもしれない。 私は、その鍵は、 「いま進行中の日常生活の中にある」 と思っています。 人は、心から安心しているとき、 好きなように表現ができる。 人の意識の力は、本当に、 どこまでも影響を及ぼしていきます。 もっともっと、自分の感覚を信じ、 使いこなし、 自分の望む物語を展開していけるとしたら? この本は、 すでにあなたの中にある感覚や感性、思考回路を、 もっと自然に使って生きていくための本です。 スピリチュアルだけでなく、 理論だけでなく、 哲学だけでなく、 特別な能力でもない。 右脳と左脳、 感性と理性、 アートとサイエンス。 両方を上手に行き来しながら、 あなた好みの日々をつくりだしていくための、 具体的な視点や知恵を綴りました。 今の人生で、 体験したいことを体験し、 表現したいように表現し、 人生の終わりの時に 「あ~、満足した~」 と思って旅立ちたいですか? 私はYESです。 この本は、そうでありたい人へ向けて書きました。 ――― 想像=創造 ~日常生活をあなた好みにデザインするためのアレコレ~ 瀬戸里絵(著) クエーサー出版 2026年1月7日発売 アマゾンで販売 https://amzn.asia/d/hT6XpnM

サンタさんの存在

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サンタさんについて、今朝「そうかも、、、!」と閃いたこと。 今の私的には、おそらくそう、だと思うこと。 まず、結論から。 『いろんな存在がサンタさんの役目をしている』 です。 親が、祖父母が、サポーターの人たちが、という意味ではなく、 生きている人間以外の存在のことを意味している。 怖い話じゃないです。 私の仮説は、 地球にいる人間以外の存在たち、例えば、 ・非物質の存在 ・家そのもの ・風や木々などの自然 などが、サンタさんやトナカイやソリの「ふり」をしている。 そう思うような動きをする。 例えば、 家であれば、ガタッと音を立てて「誰か来た?」と思わせる。 風であれば、風向きや強さを工夫して「ソリの音!?」と思わせる。 非物質存在であれば、人影を装い「サンタさん?」と思わせる。 みたいな感じ。 これらのことは、 「すべての存在はそれぞれ、個性と意思を持っている」 ということが前提。 本当のところはどうなのか知らないけど、私はそれを信じている。 でね、そうであれば、 その存在のなかでも、遊び心を働かせた存在が、もしいたとしたら、 こういうことをしてもおかしくないと思ったのです。 なぜそれをするか、なぜ遊び心を働かせるのか、というと、 それはもちろん、 人間側の意識に反応してのこと。 例えば、その家の子供が、 心の底からサンタさんの存在を信じていて、 心の底から「会いたい」と思っていたとしたら。 もしかしたら、 純粋に発せられた、その子の望みに応えるかもしれない。 もちろん応えないかもしれなくて、 それは、その存在たちの個性や気まぐれの問題。 もっと言えば、 人間のその子と他の存在が、無意識レベルで、 エネルギー場で話をして 「こういう体験つくろっか」「いいねいいねやろう」 と了解をしあった間柄だけが、その体験をつくりだす。 かもしれない! 私は子供のころ、周りと比べたら割と高年齢まで サンタさんの存在を信じていた。 学校でみんなが「そろそろ分かってきた」という雰囲気を出していても、 あるいは、ダイレクトに「あれ、親だよね」と言っていても、 私は心の中で、 「そうは言っても、絶対いるに違いない」 と信じていた。 それに今思うとうろ覚えで、本当にそうだったのか分からないけれど、 ベランダで何か音がした、家族はみんな家の中なのに という経験の記憶もある。 信じるがあまり、...

本が出ます

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本が出ます。 1年くらいコツコツと書き進め、 今年の夏に書き終えました。 また追って、詳細を紹介させていただきます。 誰でもが意図をもって、 想像して創造することを 続けられるように。 瀬戸里絵 2025年12月22日

ワタシ・イセカイデ・デキタ②

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前回の続きです。 異世界Bで私が試したことは。 ワタシノ イシキノ チカラ! です。 自分の意識の力を使って、自分の望む状態状況をつくりだすこと。 これって、 理論を理解して練習したら、誰にでもできるようになることです。 なんだけど、 自分の状態がブレブレでやっても、うまくいかない。 やはり土台が重要だし、土台は自動的にできることはなく、 自ら意識して作らなければいけない。 異世界Aと異世界B、 それぞれでの私の状態を振り返ると、よく分かる。 まず、異世界Aでの私はどうだったか? 不慣れな異世界にキョロキョロ 心も頭もエネルギーも、落ち着いていなかった この場で「自分はどう過ごしたいか」方向性を決めていなかった ここを去るとき「どんな感じで去りたいか」を決めていなかった ただの「来訪者」になっていて、相手のペースに巻き込まれていた 異世界Aの流れに飲み込まれ、選択権を相手に渡していた 異世界Aでの私は、すっかり意識の力を使うことを忘れ、 何も意図せず、ただただ反応し、 私に選択権があることすら忘れ、 ある意味ボーっと流されるままに時を過ごしていた。 なので結果的に、 相手の「良かれ」をすべて受け入れて(=相手の意図の影響を受け)、 ありがたいんだけれど、よく考えると実は、 「自分の本当の気持ちと違うかも、、、」 が心の中にあったりして、 感謝と違和感の両方が交じり合った気持ちで終えることになった。 その経験を踏まえ、異世界Bで私はどうしたか? ここは異世界なんだ、と改めて自分の中で意識した 異世界の価値観の中にいる緊張感と恐怖感に気づき、その感覚をじっと見つめた けれども誰も敵ではなく、みんな私の応援団だと思い出した 「ここで私は本当はどうしたい?」を考え、そうすると決めた 「私はどんな気持ちになってここを出たい?」を考え、そうすると決めた いつでもどこでも私に選択権がある、と思い出した 異世界Bの人と私は同等の立場なんだと、思い出した 私が色々考えをめぐらすのと同じく、相手もそうしている、と思った これらのことをやりました。 そして結果的に、 私が最も安心して納得する結論を、異世界Bで手に入れ、 ルンッ という気分で帰路につきました。 まとめると、Bでやったことは、 ここで私はどんな体験をしたいか決める そうなることを信じる したい体験と同じ波動の自分を事前につく...

ワタシ・イセカイデ・デキタ①

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異世界へ行って帰ってきたところで、 感覚を忘れないうちに、ここに記します。 まず1日目、異世界A での話。 異世界すぎて、 「???」と感じることがアレコレあったけれど、 途中で気づきました。 「ア、ココデハ ワタシガ イセイジン ダッタ!」 そっちの世界には、そっちのルールや当たり前がある。 そこの世界で「マル」とされていることを、私に提供してくれる。 「???」が続きながらも、よく考えてみると、 ん?? この世界の人たちは私の応援団になってくれている。 だって、そこで「マル」とされていることを、 どんどん私に提供してくれるんだから。 そうだそうだ、みんな私の応援団なんだ。 そうだ、やっぱり全部が「ありがとう」なんだな。 と思った。 この想いは、本当に自然に湧いてきたものだったのだけれど、 なんだけれど。 同時に隣にあったのは、 フツフツとした何かの違和感だった。 まるで、 小さな親切を受け入れたのは私なのに、 「大きなお世話かも」とも思うような、、、。 その系統の感覚に似ていたかもしれない。 そして2日目、異世界Bへ行くことに。 異世界Bは、異世界Aのボスからの強いおすすめで行くことになった場所。 おすすめを断りきれなかった私の心の中は 「 メ ン ド ク サ イ  」 だった。 その心の奥の声を表すかのように、 異世界Aで用意された ”Bへの招待状” は、 暴風で飛んでいってしまった。(本当に飛ばされて数人で探したけれど見つからなかった) 私のことを想うAの世界の人たちは、 招待状をわざわざ再発行して、 私のカバンに収まる大きさに折り曲げて渡してくれ、 私がそれをカバンに入れるのを見届けてくれた。 その招待状を持って、異世界Bへ行ったわけですが、 結論から言うと、 異世界Bでの体験は、Aとは全く違うものになった。 感謝と違和感が同時にあった異世界Aとは違い、 異世界Bから帰ってきた今の私は、 ワタシ、スッキリ!!!! アーリーガートーウーーーーーー!!! という気持ち100%なのであります。 私の心の中の話なので、ちょっと伝わりづらいかもしれませんが、 本っ当に、全然違う結果になった。 実は、 異世界Bの方が、Aよりも1万倍以上巨大な世界であり、 目に見える範囲だけでも、相当な人数の異世界人がいる。 異世界感が半端ない。 その中で、違う結果になったのは...

生体水のように

インスタでフォローしている清水宏治さん @ki_ya_koji  の投稿で読んだ文章。 じわーっと印象に残り、そのことについて何度も考え(というか想い?)を巡らせた。 以下一部引用 ”熱や風のインパクトを与えることなく静かに水に移動してもらうので、出てきた水はまさに生体水。生きているように感じる。” この投稿は、低温酵素乾燥機で杉の木を乾かすときの話。 清水さんは木を加工し建築に携わる方。 (全文の載った投稿は こちら ) 私はこれを読むことで、自分が普段していることが視覚化された感じがして、 より一層はっきりと明確になった。 視覚化だけでなくて、触覚化?も。 「水」って、 視覚的にも知っているし、 触ったこともあるし、全身浸かったこともあるし、 触覚的にも質感も、知っている。 だから、清水さんが水の動きのことを書いてくれていたおかげで、 「あ~これだよね」 と思ったのだと思う。 私のしていることは、エネルギーの移動。 清水さんの文章を基本にして、言い換えるとこうなる。 ”私の思考の制限というインパクトを加えずに、そのエネルギーをそのまま曼荼羅や香りとして表現する。” 相手と対話をして、そこから感じ取ったエネルギーを、 私の手を使って曼荼羅として描くし、 私の嗅覚を使って香りとして仕立てる。 エネルギーはカタチもないし、私の目には見えない。 でも絶対にある。 そこに、私の頭で考えた「こうすべき」「このほうがいいはず」という コントロールのエネルギーをギューギュー押しつけて、 相手の純なエネルギーを「私のよかれ」に変化させようと計るとしたら、 「生体水」にはならないと思う。 対話型セッションでなく、私が一人で創作をする時も、やっていることは同じ。 エネルギーというと、いまいちイメージがつかなくても、 木の水の例えを想像すると、私はしっくり来た。 もともと、その杉の木の中に流れていた水は、 無理やり蒸発させられるのではなく、ただそのまま別の場所へ移動する。 ただ移動しただけなので、そのまま生きている感じ。 そして、木の方はスッキリ軽くなり、新たな環境に最適な状態になり、 また新たな場で生き続ける。 と、書いていると、私がしていることは、 エネルギーの移動でもあるけれど、COPYっぽさもあるような気もする。 移すだけでなく、写す、とか。 形の無いエネルギーと、...

りえの相談部屋OPEN

 一時しのぎ、応急処置、の解決ではなく、 本気の解決 をします。 本気の解決とは、根本的な解決という意味。 解決=変化、したように見えて、またすぐに同じ状態になってしまうのではなく、 変化した状態をキープできるあなたになること、を大切にしています。 しかも頑張ってキープするのではなく、自然な状態で。 「あれ?そういえば最近、前は気になってたアレ、全然気になってなかった」 みたいな感じで。 そのための鍵は 潜在意識 と 波動エネルギー 。 その領域に変化を起こしていくことで、上に書いたことが可能になります。 相談の内容、解決したいこと、サポートしてほしいこと、 ナビゲートしてほしいこと、 人それぞれですが、以下に一例を書きます。 どうにかしたい問題、抜け出したい状態、 実は我慢していること、実はあきらめていること、 抱えている時限爆弾、 叶えたい夢、実現させたいこと、 自分のことがよくわからない、自分を知りたい、自分を変えたい、 人生をステージアップさせたい、もっと羽ばたきたい、 ぶれないように伴走してほしい、 本当にしたいことができるようになりたい、 ずっとほのかに気になっていることがある、 e.t.c. 人間関係、仕事、経済、健康状態、家庭、周囲環境、 心のことも思考回路のことも、身体のことも、 他人のことも、とりまく状況のことも、 目に見えないことも、 分野を問わず、内容を問わず、 話しを聞いたうえで、変化に必要だと思うことをしていきます。 すべてに共通してることは、 あなたの内側の状態が先にあり、あなたの外側の状態が後にある ということ。 内側の反映で、目に見えるものや状態がつくられます。 すべての生き物に共通する宇宙の摂理。 あなたの日々、ひいてはあなたの人生を、 もっと快適に、もっと満足したものにするための、 ナビゲーター役が相談部屋の主である私です。 りえの相談部屋

二人展「絵ト香」9月13日-14日

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展示会をおこないます。 私は点描曼荼羅画(原画)と香りの演出をします。 友人は祗園祭をテーマとした絵画とアクセサリーを。 とても美しく、静けさを感じられる空間です。 二人展「絵ト香」 感性という光が照らすエレガンスの輪郭 アートとあなたの対話 ようこそ、静と涼の空間へ 2025年9月13日(土)14日(日) 11時~17時  日曜は16時まで ギャラリーRound Table 静岡県浜松市中央区半田山3-47-6 アーティスト二名による絵画、香り、装身具を展示販売いたします。 京都の氷菓子と共に抹茶を御用意しております。 すべての感覚を開き、熱から解放されるような時を 満喫いただけたら幸いです。 ※お茶セットは椅子席にて千円現金払いにて ※駐車場は店舗前と敷地外(スタッフがご案内します) ~ARTISTS~ 北村 梢 京都市出身、浜松市にて活動中。祇園祭をテーマとし、水彩、アクリル絵の具を用いて表現。鉾の持つ独自性や神秘的な側面にフォーカスした絵画。 @cozart_japan cozmic hour 北村梢によるアクセサリーブランド。コンテンポラリー要素がありながら、伝統の技法も用いた新しい形の装身具。是非手に取ってご覧ください。 @cozmichourjapan 瀬戸 里絵 曼荼羅画家、調香師、人生デザインナビゲーター。右脳と左脳、アートとサイエンスを統合し、模様や香りを創る。個々人の日常パラダイス化のナビゲートをし、人生パラダイス化、ひいては地球パラダイス化を視野にいれ活動。 @rie.s.seto   @rieseto55   https://rtable.jimdofree.com/ ~VENUE~ ギャラリーRound table 「街が緑で呼吸する」をテーマに、建築・インテリア・外構・造園・住空間のコーディネートを提案しているランドマークプランニング株式会社が運営。ギャラリーは、深い軒のある木造平屋建築。足を踏み入れてこそ体感できる内側への広がり。住空間からの連続性を持たせた四季を感じられる中庭があり、茶室をそなえている。裏千家茶道教室、ピアノ教室やミニコンサートなども行っている。 https://landmark3473.co.jp/    https://www/roundtabl...

セルフヒーリングコースとヒーラー養成コースの違い

セルフヒーリングコースとヒーラー養成コースの違い。 久しぶりにその違いを聞かれたので、ブログにしてみます。 まず両方に共通していることは、 「自分の本質を見つけられる」 「自分で自分の現実を変化させられる(意図して創れる)」こと。 そしてそれは 「潜在意識の部分から変化を起こせる」 そのため 「一時的でない根本的な変化であり”元に戻ってしまう”現象が起きない」こと。 両者の違いは、大きくは、 セルフヒーリングコースは、上記のことを自分に対してできる。 ヒーラー養成コースは、上記のことを自分にも他者にもできるし、 エネルギーワーク全体を自分にも他者にもできる(見えない存在、物、土地、オーラ、チャクラ、などなど関連)。 です。 ヒーラー養成コースの方が、守備範囲も深さも広いという感じです。 できることが増えます。 「人に対してやるつもりはない」「仕事にするつもりはない」という人であっても、 自分のことに対しても守備範囲が広まるので、 単純に「便利!」だと私自身は実感しています。 更に言うと、 私がこれまで見ていた感じからは、ヒーラー養成コースの生徒さんたちの方が、 自分の人生を変化させるスピードが速いような感覚があります。(個人によります) この理由を分析してみたのですが、 ヒーラー養成コースは、コース内に「ペアワーク」という練習が含まれていて、 他者に対してセッションを行う実技の時間があります。 練習といえども、本当に相手の相談を聞いて問題解決をし、 逆に自分も相談をする側になります。 この練習が、相談する側でもされる側でも、もの凄く勉強になりますが、 特に、相談される側の役目をした時に「!」があります。 例えば「お金を稼ぐ」という分野について自分自身の思い込みやトラウマが根強くあると、 その分野について相談されると、いまいちスッキリ解決できないとか、 相手の相談を解決しているつもりが、自分のことで気づきがあるとか。 結果的に、 「自分の内側のことを、もっと見て、変えていきたい」 というような心境になる、、、という感じでしょうか。 ペアワーク以外のことでは、 講師の私と関わっている時間の長さや会話する頻度、 会話内容の深さや広さ、 支払った金額による覚悟度合いの深さ、 なども関係あるかもしれません。 セルフヒーリングコースも、ヒーラー養成コースも、 私的にはどちらも同...

「苦手」を分解

私はオンラインで何かを学んだり、教えたり、 することになんの抵抗もない。 距離や時間にとらわれなくて済むことが物凄く便利だと感じるし、 学ぶときも教えるときも、 「伝えたいことが伝わらない」というような 不便さや不都合さは今のところ感じていない。 だから自分的には、とっても活用している。 そのうえで、リアルの良さも物凄くあると思うし、 リアルでしか感じられないものはある。 もしかしたら、オンラインに対する私の感じ方は、 私の学びたい内容や教えていることのタイプが、 オンラインに向いているだけかもしれないけれど。 ということを考えていたときに、思ったことを以下に。 今から書くことは、 誰か特定の人のことを言っているのではないことを 先に記しておきます。 「オンラインが苦手」という言葉を、よくよく聞いていくと、 本当に純粋に「オンラインが苦手」なわけではないことがある。 実は、 オンラインをすることの周囲にある、さまざまなことに不都合があって、 結果的に「オンラインで何かをするのが不便、面倒、苦手、ハードル上がる」 という状態になっている。 例えば、自宅でオンライン参加する場合、 家にはWi-Fiもあるし、操作もわかるし、その点は何の問題もなし。 なんだけれど、 ・自宅の背景が片付いていないため映したくない ・バーチャル背景にしたら良いけれど、上記の前提が先ず嫌な感じがする ・家の中に1人でいられる環境や部屋が無い ・家だとたくさんの物が目について集中できない ・家の外に出て人と触れ合いたい ・相手と実際に繋がりたい(会いたい)思惑がある ・言いたいことがある時に雰囲気で察してもらえない ・察してもらえないので自ら挙手などで示す必要があり、それがハードル 純粋な「オンライン苦手」ではないケースをザッと分解してみた一例。 こういったことが隠れている可能性がある。 物理的なハードルと、心理的なハードル。 整理整頓、モノが溢れている、というような物理的なことも、 その奥を見ていくと、心理的な部分に辿り着いたりする。 もちろん、家のつくりや、同居人の事情などで、 一人になれる空間も時間も本当に作れない、という人もいると思う。 1,2時間なら外のカフェなどでできるけれども、 1日かかるものだったりすると、同じカフェに居続けるのは無理だし。 (車の中でやる、という人に会ったことがあ...

ワクワクする方を選ぶこと

何かを選ぶときの選び方で 「気が乗る方を選ぶ」 「気が楽になる方を選ぶ」 「好きと感じる方を選ぶ」 「ワクワクする方を選ぶ」 「違和感のない方を選ぶ」 というものがある。 ざっくり言うとそうした方が 「あなたの望む世界への近道ですよ」 という理由でそうする。 一方で、 何かを選ぶときの「その感じ」は あなたのどの部分に繋がっているか? どの部分から発信されているものなのか? という見方もあって。 様々な思い込みで覆われた状態のあなた がいたとすると、 その覆われた状態をベースとして 「気が乗る、気が楽」 などが発信される場合がある。 正しくは、 発信されるものは実はもう一つあるんだけれど、 そっちの声よりも、上記の声の方が 大きく目立つ&聞き慣れているために、 上記の声を「私の心の声」だとして 採用してしまいがちになる。 例えとして、次のようなケース↓ 「Aを選ぶ方が気が乗る、ワクワクする」 この奥にあるものは、 Aの方が有名だから、 そっちを選んでおけば間違いない。 他人に批判されないだろう。 選んだことを後悔しなくて済むだろう。 Big Name だったからさ、と説明できるだろう。 というような 「対他人」から「自分を守る」意味で、 Aを選ぶことに気が乗ったり、 安心感を感じたり、ワクワクしたり する。 この思いたちを分解してみると、 「周囲の目(評価)によって 私の選択が正解かどうかが決まる」 という思い込みがある。 (一例なので他パターンもあるヨ) この例のような場合だと、 その選択は、 本当のあなた、がしたものではなくて、 何かに覆われたあなた、がしたものになる。 とか考えていると、 一体自分はどうなんだろうか、と 頭がごちゃごちゃしてくるかもしれない。 けれども、 私が今のところ思っていることは、 どんな選択をしても別にいい。 誰かの意見に従ったとしても、結局最後は自分で選んでいる。 覆われた自分ベースの選択でもいい。 そのときの自分にはそれが最良だった。 必要だと思えば、すべての体験は後で学びや気づきに変えられる。 自らの疑問が出てきた時、何か変えたいことが出てきた時に、覆っているものを剥がしていけばいい。 ということ。 ちなみに上に書いた「実は発信されているもう一つのもの」は、 小さな小さな違和感 です。 ワクワクに気づくのも大事だけれど、 ...

ツインレイから連想したこと

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今朝、目が覚めたかどうかの時に突然「ツインレイ」という言葉が 聞こえたような、閃いたような、感覚がした。 (実は昨日も同じような時間帯に違う言葉を思いついた) まだ頭がしっかり働いていない状態で、私の中で次のような思考が走った。 覚えているうちに書きます。 「ツインレイ?なんだっけそれ?」 「あ~、ひとつだった魂が今世ではふたつにわかれた、だから、 究極のソウルメイトだ、とか言われているやつだ」 「対馬」 「は?対馬って?九州の?いきなりなに?」 「あ、ふたつに分かれてる島だ」 「そういえば、対馬ってイギリスの形に似てるな~」 「あ、もしかしてツインレイってそっち?場所の話?」 実は、日本列島は世界の縮図、という説が私は好きで、 時折思い出しては、自分が訪れた場所や住んだ場所が、 日本に当てはめるとどこ? 他国に当てはめるとどこ? と地図を見ながら楽しんでいる。 この説は割と真面目に研究している人たちがたくさんいて、 単に地形で当てはめるだけでなく、 その土地に根付く文化なども比較していたりして、とてもおもしろい。 で、今朝の経緯から、久しぶりにまたこの説のことを調べていて、 とてもしっくりきたことが。 実は私が住んでいた静岡県西部地方が、世界でいうところのどこなのか、 いまいちずっと不明瞭だった。 これまで私が見つけた仮説にはしっくり来ていなかった。 今朝はじめて見つけた人の仮設を読んで「これだ」と思った。 それによると、 静岡県浜松市付近は、インドのムンバイあたり。 (インドの先端の三角の形の部分を、静岡県御前崎市の先端の部分とする) これを見た瞬間、自分の中でいろいろな回路がピピピッと繋がった。 私が浜松市付近で経験してきたこと、 バックパッカー時代にインドを旅していたときに経験したこと、 実際の出来事としての体験と、そこからの感情や思想もすべて含めて、 「あ~、、、なんか、なるほどかも」 とリンクした。 ツインレイに話を戻すと、 もともと地球には、大陸は一つだけだった。 それが裂けてバラバラになって、今のような状態になった。 日本列島は、そのバラバラになった形をぜーんぶ ギュッと小さくまとめたみたいな形。 (自然にそうなったか、地球の意思か、別の宇宙人の意思か、、、) もともと一つだったものが分かれた ツインは双子、一対のモノ、二つで一つのセット、という意味...

意識を使いこなすと便利だし社会貢献になる

私たち人間の意識は、 二種類から成り立っていることがわかっている。 それぞれ役目が違う。 ・顕在意識__自分で認識できる 頭で考えるような思考、理性、論理的 ・潜在意識__無意識 生命の維持(血流とか体温とか)、記憶、感情、習慣、癖、本能 人間は「頭でっかち」(頭でばかり考える)とは言うものの、 実は、頭で考える担当の顕在意識は、 意識全体の、たった1~3%。 くらべて、無意識の領域の潜在意識の方は、 残りの97~99%を受け持っている。 いまこうして、これを読んでいる間にも、 身体の中ではホルモンが出て、あらゆる臓器が動いて、 一瞬も止まることなく血流量や体温が監視されて、 生命維持がおこなわれている。 これは潜在意識の仕事の範囲なので、 私たちは意図してやっているわけではなく無意識。 (すごい!) それとか、 過去のありとあらゆる記憶データをもとにして、 今の状況が瞬時に判断されていて、 どう反応するかが決まる。感情が出る。 同時にホルモンが出る。 全部無意識のうちに。 これも潜在意識の領域。 どんなに知識を得ても、どんなに考えても、論理を組み立てても、 どれだけ「頭でわかった」と思っていても、 圧倒的に大きな領域を占め、 圧倒的に大きな影響力のある 潜在意識の厚みには、顕在意識は勝てない。 勝てない、というと語弊があるかもしれない。 いろいろなパターンがあるので。 例えば、こういうこともある。 ある程度までは顕在意識だけで突き進むことができても、 あるときどこかで、 「頭打ち」 を感じることになるときが来る。 どうがんばっても、どう工夫しても、 「これ以上いけない」 というときが来る。 顕在意識だけでそこまでできたら、ある意味すごいと思う。 だって、たった1~3%の範囲の中でそこまでできたのだから。 例えば、そういう人が、潜在意識も活用できたら? あと97%も伸びしろや可能性がある、とも言える。 人は誰でも、 何かを考えた結果、 行動したり、言葉を発したり、ものをつくったりする。 同じように、 何かを感じた結果、 行動したり、言葉を発したり、ものをつくったりする。 考えたり感じたり、は目に見えない。 でもいつでも必ず、 この、目に見えない「意識と感情」が先にあり、 そのあとに、 目に見える言動がある。 そう考えると、 すべての出発点である目に見えない「意識と感...

小学校で学びたかったこと身に付けたかったこと

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いま思うと、 「なんかこれって、小学校6年間で義務教育のひとつとして、 知りたかったし、身に着けておきたかったなー。 そしたらその後めちゃくちゃ楽じゃん。」 と思うことが私はいくつかあります。 なぜ小学校かというと、 身体の発達と脳の発達の面で、まさにつくられていく途中だから。 新しいものを吸収して、 身体の感覚として身に付けたり、癖にできたり。 思考回路が育ち太くなり、思考癖をつけたり。 そういったことが容易にできる年齢。 脳の仕組みによると、7,8歳くらいまでがより一層そういう感じらしい。 アルファ波が優位なので、脳波的にはとってもリラックスした状態で、 そういう状態のときは「スッと」物事が自分の中に入っていく。 よくもわるくも。 で、小学校で学びたかったと私が個人的に思っているものとして、 まず身体のことについては、身体の使い方!!! 立ち方、歩き方、座り方、すべてにおいての重心の置き方とバランス 身体のほぐしかた、ゆるめかた、整え方 呼吸の仕方、整え方 調子を崩したときの整え方 こういったことを体育で教えてほしかった。 生徒全員、一生において役立つと思うから。 50m走が何秒とか跳び箱何段とかは、 当時私は割とどうでもよいと思っていた方、というか なぜそんなことをしなくてはいけないか疑問に思っていた。 けれど、やらねばならぬ、と思って一生懸命やっていた。 頭と心の面については、思考と感情の仕組み!!! ものごとにはいろんな側面があるんだよ、とか どの視点を持つかは人それぞれ違っていいよ、とか 視点を変えることで気分というものが変化するんだよ、とか それとか、 人の態度の裏には必ずその人なりの理由や背景があるんだよ、とか 本当のところはその人にしかわからないんだよ、とか とか、 感情にはこんな種類があるよ、とか この感情のときあなたはどんな行動をすると思う?、とか 同じものを見聞きしたときに人それぞれどんな感情を持つかの違いを体験する、とか これらもやっぱり、全員に対して一生役立つことだと思う。 身体と心と頭は、生きている限り、 絶対に一生、一秒たりとも離れずに、一緒に過ごすもの。 しかも調子が悪いと、 生活すべてに影響を及ぼすもの。 生活のルーティンにも、人間関係にも、経済状態にも、 ぜんぶに。 Chat gptさんに脳波と年齢の関係の図をつくってもらった。...

春分点のエネルギー状態

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昨日は春分の日、地球が春分点を通過する日。 ちょうど数日前に、作家のさとうみつろうさんのYoutubeを見て、 彼が声掛けをしていた春分点通過イベントに参加してみた。 地球上で多くの人が一斉に願いを放った瞬間、 地球のエネルギー状態がどのような影響を受けるのか、 ということを乱数発生器を使って測定もする。 因みに、各自の願いごとは、事前にGoogleフォームで入力しておくだけ。 詳しくはこの動画 で、 実際の春分点は3月20日の18:01(日本時間)だったのだけれど、 たまたま彼がライブ配信をしているのを知って、 たまたまタイミングがあったので見てみた。 純正律に調整されたピアノを彼が弾いていて、 視聴者や現場にいる人たちは瞑想をするスタイル。 その間に春分点を地球が通過していた。 私は途中から、寝てるような起きているような状態でいた。 それで思ったことは、 みつろうさんありがとう ということだった。 なんだか彼の生き方に感動の気持ちがわいてきて、 それで涙が出てきた。

あと一歩のところでMottainai!

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見ていて、すっごく勿体ないと思うこと。 見ている側だからこそ気づける 「あと一歩なのに」って、あると思う。 職業柄もあると思うけれど、私は割とそういう事がある。 自分の生徒さんからのメッセージや、 生徒ではない人からのメッセージなど、 やり取りをしていくなかで、そういう場面に出くわす。 この人、変わりたいんだな 変わろうとしている最中なんだな という人ほど、 あと一歩のところで何かを『やめる』という状態が起きている。 やめる理由は人それぞれだけれど、 「なんかしらないけど嫌になった」 「他のことですごく忙しくなったから無理」 「考えているうちに忘れてしまった」 などが多い気がする。 この状態になるのは、その人が悪いとかではない。 だって本人は、そもそも 「やる気だった」 「変わりたいと思っていた」 「●●にしたいと思っていた」 この気持ちは嘘ではない。 「〇〇のせいだ!」というのを敢えて言うとすると、 これは、 その人の潜在意識のせい です。 私は潜在意識のことを勉強して、こういうことがあるのだと知って、 その後、自分のことでも人のことでも、 実体験として「本当にそうだ」と分かった。 潜在意識が変化を拒んでいる。 変化しないように、今のままのあなたでいるように、 やる気をなくさせて、 忘れさせて、 やらないためのあらゆる理由を天才的に閃かせる。 現状維持が潜在意識の役目だから。 反対から見ると、 やる気がなくなったり、 あと一歩のところで辞めたりする ってことは、 『そのまま進むと変化するよ』 ということ。 サインを出してくれている。 私の講座の生徒さんも、 サポート期間中に上手に私を使ってくれる人は (報告や相談や質問をよくしてくる人) 私が第三者として、その状態に気づくので、 「それはサインだから」と軌道修正できる。 潜在意識にとっての『現状』が、新たなものに更新されれば、 その新しい現状は、潜在意識が自動的に維持してくれるので、 もうこっちのもん。 この話は以前もブログにした気がするけれど、 とても大切なので何度でも気にせず書きます。 今日ちょうど、メンターというものについて意識を向けたので 連想したのだけれど、 自分のメンターをつくって、 コンサルティングを定期的に受けている人も、きっと、 メンターが第三者として、 自分の状態に気づいてくれるというメリットも...

嫌いなはずの数字から受け取った初めての感覚

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先日、確定申告データを送信し終えた。 (多分できたはず・・・) 入力作業をしながら、 いつもと違うことが起きていることに気づいた。 作業中の自分の心の状態が「快適♪」だったのです! 快適どころか感謝の感情まで伴っていた。 去年までは、ただの数字の入力作業、 というだけの時間だったはずなのに 「あ~これだけ使ったということは、使えるお金があったんだなあ この分だけ手に入れたものがあるということだなあ ありがたいなあ」 「あ~この頃こういう仕事をさせてもらったなあ たのしかったなあ、ありがたいなあ」 とか思っていたんですよ、 お金を支払った方も、受取った方も、両方に対して同じように。 気づいたらしみじみとそんなことを感じながら入力の手を動かしていた。 去年の売上や利益が良かったから、という理由ではないです。 結果を見たら、おととしと同じくらいだったし。 数字を扱っているときに、自然にこんな感情になるということは 私的には天地がひっくり返るくらい驚くことで、 「あれ?ん?なに?私どうしたの?」 と先ずは思った。 私は計算が非常に苦手で、10本指で足りない計算になると混乱する。 電卓を使うとしても、答えを出すために割るのか掛けるのかなども すごく考えないとわからない。 数字を見ただけで 「ツ―――――――――」という思考停止の音が聞こえてくる。 頭の神経回路がおかしくなる感じがする。 乱視と近視と遠視と涙目が一気に出てきたように 視界がぼやけてくる。 というわけで、 確定申告のために支出と売上の数字を入力することすらストレスだった。 ストレスに感じることなので、毎日コツコツなんてできなくて、 申告の時期になると集中して一気にやっていたのです。 ほとんど思考停止の状態で入力するので 左側に1000(イチ マルマルマル) 右側に1000(イチ マルマルマル) 登録、次へ みたいな感じでつぶやきながら、入力作業を12ヶ月分繰り返していただけ。 そこに心は無かった。 今回、いままでとは違う感覚になっていた理由を考えてみた。 去年から私は自分自身の人生全体のステージアップというか アップデートを望んでいて、 実際、現実に見える形でそれが動き始めていた。 その関連で感じ方も変わったのではないか、と思う。 お金や仕事をすること、などにまつわる思い込みやトラウマなどは セルフヒーリングで潜...