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山でヤッホーと言ったらハローと来るか?

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stelvio pass, italy いや、来ないですよね。 山でヤッホーと叫んで、Hey, Hello!!と返ってきたら仰天します。 または、小さな声でヤッホーと囁いたのに、大きな音でヤッホーと返ってくることもない。 今朝、セミナーノートとして使っているノートをパッと開いたら、 先月参加した 鈴木真奈美さんの春分の講演会 のときのメモが目にとまりました。 自分が出したものがそのまま自分にかえってくる、という話題の個所でした。 例えばこんなメモ。 私「〇〇いやだな~」→ 宇宙「Yes! 〇〇いやだな、という状況ね、はいどうぞ!」 私「なんか嬉しいな」→ 宇宙「Yes! なんか嬉しい、という状況ね、はいどうぞ!」 宇宙(か何か、呼び方は何でもよい)は常に、 こちらが発信したことに対して 「YES」で答えてくれる。 その状況をどんどん用意してくれる、ということです。 アラジンの魔法のランプのように。 しかもお願いごとは3つじゃなくて、毎秒、毎瞬間、どしどしどうぞ状態。 引き寄せの法則などを実践されている方には当たり前の話かもしれません。 私「え!〇〇いやだなーって、別にお願いじゃないよ!!」 と言ってもそれは宇宙には通じません。 思ったこと、言ったこと、それが否定形であっても、そのまま受け取ります。 こちらがその感情になるような状況を、どんどん用意してくれます。 ポイントは”感情”。 意思よりも言葉よりも何よりも、”感情” エネルギーの発信が一番強力です。 これはこれまでも時々ブログに書いた まいちゃんの引き寄せセミナー (現在このセミナーはやっていないかも) で学んだことです。 感情のエネルギーを出す(だそうとしなくても勝手に誰でも出ている)と それに応じたエネルギーが事象(とか物体)として自分の前に起きる。 スピリチュアルな話ではなく、物理学の素粒子の世界の当たり前の現象だそうです。 先に書いた、 小さな声でヤッホーと言っても、大きな音のヤッホーはかえってこない これのことですね。 「ウルトラ幸せ!!!」という感情を出せば(そういう感情でいれば) 「Yes, ウルトラ幸せな状況ね、はいどうぞ!!」 が来るわけです。 セミナーを受けたのは先月とかの話で、その時も「そうだそうだ」 と思っていたけれど、 ノートを見て「あ」と思ったということは、 もしかしたらちょっと忘れ

土と生きる

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私の住む浜松市という場所は、風がとても強く吹く場所。 強風、というより、暴風、といった方がしっくりくる程です。 暴風は、毎日、一日中、吹き荒れている。 特に冬がひどい、はずなのですが、 5年ぶりにこの街に戻ってきて冬~春と過ごしていると、 もう春なのに、つ よ い 。。。。 私の記憶違いなのか、しばらく風のない街に住んでいたせいで強く感じるのか、 はたまた気候が変わったのか。 この街から東へ30kmほど離れた掛川市という場所へ行くと 穏やかさを感じるようになります。 浜松市よりも風が弱い気がするし、山(小高い丘のような山)が近くに感じられて 土や木々の気配がより存在する。 心なしか太陽の光も、ポカポカと暖かく感じます。 完全気のせい、な部分もあるかもしれないが、気候の違いは確かにあります。 先日この掛川市にある パン屋さん (とっても好きでした)へ寄った帰り道、 大通りから一本入った道のところに「里山だなー」と感じる風景があり 車を停めて外へ出て、しばらくぼんやり佇みました。 緑の葉をたくさんつけた桜の木が数本あり、 風で揺れる葉っぱの音が、サワサワ―と心地よく聞こえていました。 「あれ?風がけっこうあるなあ」 そう、風はまあまあ吹いていました。浜松市のように、常に。 しかし感じ方が全然違う。 山と土が風を吸収してくれている そう感じました。 私は浜松市のまあまあ中心地のあたりに住んでいて、 地面のほとんどはアスファルトで固められ、空き地はなく、木ではない建物が立ち並び 一軒家の敷地にもあまり土はない、 そんな場所に住んでいます。 土のない場所で吹く風は、どこかにぶつかり跳ね返り攻撃的な風となる。 山と土がある場所は、この攻撃的な感じがまったくない。 実際はどうなのかは分からないけれど、 ぼんやり里山に佇んでみた時間に思ったことでした。 山の役割とは、的な話をなにかで読んだことがありました。 そこに風のことが書かれていたか記憶が怪しいですが、 全ては繋がっていそうなので、風と山・土、の関係性もありそうだなー パン屋さん 、おすすめです。

食費を気にしてみた結果

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食費。 日本へ帰ってきて、生活がガラリと変化した。 生活、と一言で言うけれど、その中にはいろいろ含まれています。 例えば今回のお題に合わせたことを書くならば、 近所の食材店で販売されているもの、買うことのできる食材の変化、食の好みの変化、 食材の価格、夫のお給料 etc 最後の引っ越し荷物も届き(いや、まだ一つだけ届いていないものがある)、 部屋の中から段ボールが片付き、収納が8割がた終わり、 さらに満足度快適度を上げるために、収納方法や場所やインテリアコーディネートに 意識を集中しはじめている最近。 という段階で、日常のお料理も普通にできるようになっているので、 食費を計算してみました。計算したのは2月と3月。 インスタグラムのインテリア系インフルエンサーのご夫婦二人暮らしの方が 「我が家の食費は1か月2万5000円で収まっています」 と書かれていた。 我が家よりも随分少ない金額で、これを読んだとき少し驚きました。 ”お酒、おやつも含む、外食費は含まない” だそう。 このご夫婦の普段の投稿を拝見している限り、例えば節約のために食材選びを 気にしているとか、我慢している、ではなさそうな雰囲気。 どちらかというと食事を楽しむためにこだわっている雰囲気。 (あくまでインスタグラムの写真と投稿から感じている勝手な印象です) そこで。 よくよく食卓の写真を見たり、文章を読んだりしていると分かったことがあって、 夫婦二人で食べる一食の量が、我家の半分または三分の二くらい。 とても素敵な食卓の写真は 「え、これって〇君(私の夫)一人で食べる量だよね?」。 ・量が全然うちと違う(笑)。 ・外食費は含まない、と書いてあったが、外食をどのくらい頻繁にしているかは書かれていない。 ・食材(野菜など)を貰えることのある環境のよう。 ・普段の食の好みの傾向は書かれていない。 ということで、条件が我が家とは色々と異なることが分かりました。 ちょっと考えれば当たり前のことで、 ブログに書くまでもないようなことかもしれないが、 「食費〇円です」→「えー!すごい、うちも頑張らなきゃ」 みたいな表面だけ見て判断する流れにならぬよう、 その中身や裏や事実を見極めなければいけないな、と感じた次第です。 これは食費の話ですけれども、他の様々なことにも当てはまる話だな~と 思ったので書いてみました。 自分が

人類の未来は植物的生物

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私はカフェで仕事をするととても捗るタイプです。 (どのカフェでも良いわけでなく、カフェによります) (1週間に2回くらいはカフェで仕事をできるようになりたいなー) それで。 先日久しぶりに伺った 鴨江珈琲 さん。 こちらは私の興味のある分野の本や雑誌がたくさん置かれていて、 そのとき目に留まったものを読んだり、ぼんやりしたり、美味しい珈琲を飲んだり、 仕事をしたり、という時間を過ごしました。 こういう感じの過ごし方をして、おかげさまで仕事もとても捗りました。 この時読んだのは WIRED  。 この中にチラッと含まれていた漫画が、すごく印象的でした。 攻殻機動隊  (又は Ghost in the Shell )とか The Matrix  とかの話を 見た(読んだ)ことのある方にとっては この世界!という感じの漫画だと思います。 簡単に言うと、 そう遠くない未来、人類は体を改造して脳も改造して生きていて、脳内イメージの中で 様々なことを体験できるような(電脳の世界)時代になっている。 そういったことがどんどんエスカレートしていって、身体を動かす必要がなくなり、 ついには・・・。 という未来の話です。 これ、全然ファンタジーとかSFの話ではないと、私は感じています。 日本の内閣府が発表している ムーンショット 。 ・人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現 ・自ら学習、行動し、人と共生するロボットを実現 etc... 2050年までに達成する目標だそうです。 ”までに実現” ということは、 もう実験段階に入っていたっておかしくないし、準備は絶対に進めているはず。 5Gのスタートや体内に入れるマイクロチップなども、その準備かしらとも思います。 先に書いた ”攻殻機動隊” (わたしは漫画で読みました)とか”Matrix”とか、 いまから何十年も前にあのような世界のアイデアが降りてきて表現している方々、 ほんとうに凄い!!と思います。 そういう世界に生きたいですか? 私も興味はある。便利になるのは嬉しい。 けれども私はどちらかというと、 映画 AVATAR  に出てくる星 パンドラのナヴィ達のように生きる世界が良い。 生命全体で、あのような繋がりをもって、リスペクトをもって、 目に見えるものと見えないもの両方を大切にして、 そんな地球だったらいいな~と思っ

植物の死のハナシ

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お花屋さんのオーナーと話をしていて印象に残ったこと。 「切り花がダメになっても何も言わないのに  観葉植物がダメになると、すっごく悲しむ人が多いんですよー」 オーナーがこのようにおっしゃっていました。 これって本当にそうです。 他の方がどうかは知りませんが、少なくとも私自身のことを思い出しても 心のダメージ具合が違う。 なんでだろうか、と考えてみました。 考えてみた、というか、お花屋さんからそれを聞いた瞬間に頭に浮かんだのは 「土じゃないか?」ということでした。 土に根を張って生きている = 長く生きるものだ 土から離されて根っこを切られて水の中で生きている = 短命であろう みたいな思い込みを、実は持っている。 遅かれ早かれ命が終わる、致死率100%、 ということは生物としては同じはずだけれど、 終わる時がいつであるか、ということを勝手に想像して覚悟していて それより早いか、だいたい合っていたか、でショック度合いが変わる。 という感じかな~、私は。  という考えにいきつきました。 特に切り花が ”花” だった場合、 目に見えて進行具合が分かりますよね(蕾→開花→・・・)。 切り花と言いつつ、葉っぱだけのものだったりすると、お花とはまた違うと思いますが。 と、深堀してみたわけですが、 やっぱりもともと土に根を張って生きるのが自然な姿だった場合、 土から離してしまうと、長生きできないのかな。 お水自体の栄養状態、湿度や光や乾燥、などなど様々な要素も絡むでしょうけれど。 「みんなどうですか?」 と、いま目の前にある切り花たちに聞いてみた。

宇宙出身

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本屋さんに私の描いた曼荼羅を購入いただきました 本と曼荼羅って合うのだなと感じた日   人は誰でも宇宙出身である。 それを細かく見ていくと、 銀河系出身・太陽系出身・地球出身・日本出身・〇〇県出身・△市出身・□□町出身 とかになっていくわけです。 先日、友人と何気ない会話をしていて、 友人が言った事柄に対して、私の口から自然に出てきたフレーズがあり、 言った後に、自分で自分の言葉に「なるほどねー」と思ったことがありました。 こんな会話でした。 「物事がサッと進まないとイライラしちゃうの。  子どもたちに笑われる口癖があって ”パッとピッとプッとやって!” って」 「へえ~ なんか〇〇さんって、きっといつかの過去世のときに   イメージした途端にパッとそれが目の前に現れたり完成したりする星に  いたんじゃない?それがいまもどこかに記憶として染みついていて  地球の遅さにイライラしちゃうんじゃない」 これ、読んで「は???」となる方もいらっしゃるかもしれません。 私もこの友人も、 生まれ変わりとか、宇宙には他の生命もいるとか、そういったことが有り得るよね、 という前提をもっているので、そういう人ならではの会話。 私は、頭の中にあるイメージが言葉としてパッと出てこないことが多く 「このイメージを相手も頭の中で自然に共有できたらいいのに!」と よく思っています。 昨日も話をしていて、そう感じている自分に気づいたとき、 更に別で気づいたことがありました。 ”あ、私もどっかの星で生きていた時の癖が抜けてないのかも ” どっかの星がどこかは分からないし、いつだったのかも分からないし、 もしかして大昔の地球の人間の能力のひとつだったのかもしれない。 とにかく、だれでも、どこかしらの ”宇宙出身” 。 ロマンですね~

”未来のあなたの楽しい姿を視る” の人気具合

未来のあなたの楽しい姿を視ます ちょっと嬉しいワクワクする気分を感じたいあなたへ という仕事を、実は先月から始めています。 友人が教えてくれたクラウドソーシングのサイトでオープンさせた仕事です。 割と人気だと思っています( *´艸`) 人気かどうかの基準は様々ですが、 それまで利用したこともない、存在すら知らなかったアプリの中で、 初めてページを開設してやってみた、宣伝も全くしていない、 という状態の割には。 そしてご利用いただいた方々の感想も、もちろん様々ですが、 割と喜んでいただけているという手ごたえを感じています。 何よりも、 やっていて私が楽しい!!! やっていることがやっていることなので、 視ている私も幸せを感じるに決まっています。 因みに、このメニューは500円でしているのですが、 実際に私が受け取ることのできる金額は360円。 差額はこのサイト側の報酬となります。 売上の約27%が手数料。 誰かがつくってくれた仕組みに後から乗っかって、 利用させてもらっているわけなので、 パーセンテージの大小はあるにしろ、当然です。 これをしている、ということを公にするのは、これが初めて。 ブログを見てくださっている方で、もしご興味のある方がいらしたら、 是非ご利用くださいませ!

お国事情

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日本に帰国して初めての曼荼羅画講座を開催しました。 「作品ができあがってとっても嬉しかった」 「とても清々しい気分」「とても楽しかった」 等々の感想をいただきました。 そう思っていただけて、しかもそれを知らせていただけて、 私はとても嬉しいです。 嬉しさ、楽しさの循環。 ああ、嬉しいな。 ちなみに家の中がまだ片付いていないので、まずはオンラインでのスタート。 これまでは対面開催しかしていなかったので オンラインで教えることに心配があったのですが やってみたら、ノープロブレム!むしろオンラインがいい! (対面希望の方もいらっしゃるので、片付いたら対面も始めます) 正確には、オンライン開催はロックダウン中のミラノで初めてしたのですが あちらのお国は郵便事情が問題アリアリのため 講座で使う道具類を送るのに一苦労です。 市内郵送であっても、1週間で届くときもあれば、1ヶ月かかるときもあり、 なんなら永遠に届かないときもある。 郵便局の方曰く「大切なものなら自分で持っていくべきよ」とのこと。 だからといって、受取証明が発行される書留的なものにすると 郵送料がとても高くかかるのです。 ということで、心配事がいろいろとあったわけです。 それに比べて日本は、郵便事情が安心安全で、素早いですから、 参加希望の方がいらして、すぐ送って、数日後に開催、でも全然余裕です。 すばらしいことです。 このスムーズさ。 届くかどうか心配しなくてよい安心感。 どこかの国では当たり前のことが、どこかの国では奇跡に値する。 この国では常識だと言われていたことが、別の国では非常識になる。 郵便事情のことだけでなく、他にもいろいろあります。 いーーーっぱいあります。 住んでみたからこそわかることです。 在住者たちの間では #イタリアあるある と呼んでいました。 他の国も同じくいろいろあるのだと思います。 異文化体験は、苦労も涙もあるかもしれないが、 視野がひろがったり、自分の中の”ふつう”がひっくり返されたり、 興味深いこともたくさんあって、わたしは好きです。 スプーンを刺してサーブされたデザート In Milano

流れて交わり、また流れる

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 「交流」 この漢字をじんわり味わう時間に出会った。 その空間にいた人々、そこに置かれていたインテリア、コーヒーカップ、 椅子、テーブルの石、天井に吊られているランプ、壁にかけられた絵、 扉のノブ、窓の枠、植木、花瓶の花たち とにかくその場に存在していた全てのモノたち、 それらが交流していた。 その時私は、友人と、その場に偶然居合わせた初めましての人々と楽しく話をしていて、 ああ今日はとても良い出会いや時間を過ごせている日だな~ と感じていて、それを帰宅後にインスタグラムに投稿した。 撮った写真を載せてキャプションを入力しながら ”交流” という言葉をその中で使った途端 「!」と思ったのだ。 あのときすごく心地よい流れみたいなものを感じていたけれど、 あれは私たち人間の会話やエネルギーだけのものではなかった、と。 例えば会話の様子をエネルギーの波みたいなもので表すとするとですよ。 Aさんから発せられた波が、Bさんの元へ届き、そのときのBさんの中にあった 別の波と交わりあい、波の様子が少し変わり、 今度はBさんがその波を発する。 そうやって発せられて、流れて、交わり、また発せられて、流れて、交わり、 それが交流。 この流れと交わりによって、そこに今まではなかった別の新しいモノができる。 アイデアだったり、思想だったり、感情だったり、形の見える物体だったり、 なにかがクリエイトされる。 この波の関係性のなかに、あのときあの場にあったすべてのモノ(人間以外の)も とても関わっていたような気がするわけです。 私たちと一緒に交わっていたし、流れていた。 一対一じゃなくてね。 心地よい空間の仲間入りをさせてもらえて、ありがとう。 さて、あの日クリエイトされたものは何だったか?

受け取り拒否設定の解除

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  私には受け取り拒否設定をしているところがある、 と分かり、最近ちょこちょこセルフヒーリングをしていました。 (セルフヒーリング方法は まいちゃんのWS で習いました) なんの受け取り拒否設定だったか、というと、 私への賞賛、感謝、そこからつながるお金やモノ、など。 ひとことで言うと”豊かさ” ですね。これって。 私は拒否はしていないと思っていたんです。 でもしていることが分かった。 セルフヒーリングしていくと、小さな頃からしている。 もっというと過去世かご先祖様か、私の知らない時代の知らないおばあ様が出てきた。 その辺も順々に全部セルフヒーリングしました。 豊かさの受け取り拒否。 自分がしているかどうかは、今の自分の現実を観察したらよく分かります。 〇〇の分野は満足なんだけど、□□の分野でいつも困ってる(足りない・不満) みたいなことはないでしょうか。 現実は全部自分がつくっているので。 拒否っていうと言葉も強いし、拒否なんてしてないよ!とか思ってしまう場合もある と思う(←私)ので、スルーしている、と言うと割としっくりくるかも。 メール受信設定と同じですね。 相手からメールが届いて、それを最初から迷惑メールと設定していたら、 そのまま自動でゴミ箱行きで、見ることもない。 もしくは迷惑メール設定していなくても、そのメールをしっかり読むこともなく タイトルを見ただけで、クリックしてそのままゴミ箱へ移動させて、スルーする。 相手は送っているし、一旦自分のところへ届いてはいるのだけれど、 受け取らず(読まず無視して)、スルーする。 少し前に何人かから(二人ですけど)素晴らしいお褒めの言葉をいただいたんです。 ありがとう!と言ったけれど、あとになってよく考えてみると、 そのお褒めの言葉は私の中に入らず、サーーッと通り過ぎていった感がある。 それは物凄い賞賛だったのだけれど、全然じんわり来ていないし、味わっていない。 「あ、私こうやって今までずっとスルーさせてきたんだ」 と思ったわけです。 ちょうど良いタイミングでまいちゃんが こんなブログ をアップしていました。 まいちゃんは、4月から働き方を変えるそうで、いましているWSやセッションなど 大幅値上げの可能性だそうです。泣くかもしれないほどの値上げだそうです。 すでに残席も少ないみたいですが、気になっている方で、いまだ!