流れて交わり、また流れる
「交流」
この漢字をじんわり味わう時間に出会った。
その空間にいた人々、そこに置かれていたインテリア、コーヒーカップ、
椅子、テーブルの石、天井に吊られているランプ、壁にかけられた絵、
扉のノブ、窓の枠、植木、花瓶の花たち
とにかくその場に存在していた全てのモノたち、
それらが交流していた。
その時私は、友人と、その場に偶然居合わせた初めましての人々と楽しく話をしていて、
ああ今日はとても良い出会いや時間を過ごせている日だな~
と感じていて、それを帰宅後にインスタグラムに投稿した。
撮った写真を載せてキャプションを入力しながら ”交流” という言葉をその中で使った途端
「!」と思ったのだ。
あのときすごく心地よい流れみたいなものを感じていたけれど、
あれは私たち人間の会話やエネルギーだけのものではなかった、と。
例えば会話の様子をエネルギーの波みたいなもので表すとするとですよ。
Aさんから発せられた波が、Bさんの元へ届き、そのときのBさんの中にあった
別の波と交わりあい、波の様子が少し変わり、
今度はBさんがその波を発する。
そうやって発せられて、流れて、交わり、また発せられて、流れて、交わり、
それが交流。
この流れと交わりによって、そこに今まではなかった別の新しいモノができる。
アイデアだったり、思想だったり、感情だったり、形の見える物体だったり、
なにかがクリエイトされる。
この波の関係性のなかに、あのときあの場にあったすべてのモノ(人間以外の)も
とても関わっていたような気がするわけです。
私たちと一緒に交わっていたし、流れていた。
一対一じゃなくてね。
心地よい空間の仲間入りをさせてもらえて、ありがとう。
さて、あの日クリエイトされたものは何だったか?