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最高のパワースポット

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自然が多くて自分が気持ちの良いと思う場所に行くと、精神も細胞も浄化されるような感じがするし、旅をして知らない町を歩けばいつもと違うエネルギーを貰えたりする。 どんなに感動する場所に行ったとしても、やはり私は自宅が最高のパワースポットだと思っています。 それにそうあって欲しくて、自宅を居心地の良い場所にすることに心を配っています。 なんといっても、長い時間を過ごす場所なので。 いま私は夫婦で仮住まい中。 自宅から遠く離れた場所のマンスリーアパートで生活をして、かれこれ4カ月が経とうとしています。 スーツケース1つでここに来て、家の中のものはすべて借り物。 自分の趣味とは大きく違うものの中で、日々の生活をおくっています。 自分たち夫婦が、なるべく快適に気分よく過ごせるように作り上げた自宅とは ものすごーーーーーーーーく違う環境にいるわけです。 自分の基準で美味しくて安全だと思うお水を先ほど外で買ってきて、 アパートにあるコップにいれて飲もうとしたとき、 「気に入ってる自分のグラスで飲みたいな」 と思いました。 それは今に始まったことではなく、すべてが借り物なので、すべてにこの感情が当てはまるのです。言い出せばキリがないし悲しくなるので、いちいち口には出しませんが。 (自分の快適なベッドで寝たいな、とかね) 仮生活が1カ月を超えてきたころに思ったことですが、 自宅をパワースポットと思っていたので、その自宅にいられなくなったときに  ”パワーが得られない・出ない・抜けた” 状態になったように感じる(極端に言えばね)。 自分以外の外部にパワースポットを置いていると、それがなくなったときに不足を感じる。 それならば ”自分自身をパワースポット化” したら良いのではないか?? と思ったのです。 私は割とポジティブな方だし、出たとこ勝負というか置かれた場所で楽しむというか、 なるようになる、それが良かったんだという風にしかならない、 のような思い込みを持っています。 なので、今回も毎日暗い気持ちになっているわけではないのですが、 人間なので時々「あ~あ」という時もあります。 自分自身のパワースポット化って、一体どんな状態だろう? どうすればそうなれるんだろう? わかるようでわからない。一言で言えない。 当時なにやらいろいろ考えていたのですが、それもそのうち忘れていて、 いま...

地球温暖化か寒冷化か、または?

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物事には色々な意見、見方があるのが当たり前だと思っています。 だって、人は皆それぞれ脳みそを持っていて、 感じることも考えることも閃くことも人によって違うし、 その人の専門分野や立場、生まれ育った環境、受けてきている影響、信じていること、 などなど数えきれないほどの要因をベースに、 様々な意見が生まれるのだと思う。 昨日インスタグラムを見ていたら、日本ではとても有名なモデルの方の投稿で、 地球温暖化についての本の紹介がありました。 私が注目したのは、コメント欄。 何百人という人々がコメントしているのだけれど、それを読んでブログでも書こうかなー と思ったのでした。 私は温暖化というより「地球は寒冷化している」という意見の方に注目しています。 それはその辺のおじさんが言っている意見ではなく、 NASAも含む、さまざまな国の研究者たちが言っていることです。 観測史上 ”最低”の気温を世界各地で更新し続けていたり、海の海流の変化、 太陽活動のかつてない低下 (→雲の生成量に関係するのだそう)、 などなど。 気温の上昇も下降も、そもそも人間が居ようが居まいが、10万年単位で繰り返していることが分かっている地球の気温変動の一部である、というようなこともあるそうです。 すでに地球は2015年からミニ氷河期に入っている、という研究もあるそう。 因みに2011年(だったかな?)までは、気温上昇し続けていたそうです。 でも去年だって、過去最高気温を更新した場所もあるし、 アイスランドへ行って氷河を見たときに、地元の方が氷河の後退の話をしていました。 暑い!という方に注目してみると、自分の生活範囲の中でもいろいろ発見はあります。 寒い!とか曇りの日や雨の日のことに注目してみたら、どうでしょう。 NASAまでが寒冷化の立場をとっているのにも関わらず、 なぜ今だに 「地球は温暖化している」「氷がとけてホッキョクグマが住む場所がなくなる」 「海面上昇して住む場所を失う国の人々がいる」「CO2削減!!!」 という思想が目立つのでしょう? または目立つように見えるのでしょう? 世の中の本流(とされていること)とは異なる意見があることも知って、 ちょっと違う視点をもって、何故かなと考えてみたり、 じゃあ自分はどういう立場をとるか考えてみたり、 私はなるべくいろいろな角度から物事を見るようにしたいな、...

わびさび

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今日、近所にあるお茶室へ初めて伺いました。 普段着の洋服のまま、椅子に座って気軽にお茶とお菓子を楽しめる場所。 とは言え、お茶を出してくださるのはその道のプロの先生方です。 季節にピッタリの和装が、とても素敵でした。 そして、私はお茶のお作法など全く知らないので、教えていただきながら楽しみました。 たまたまお客様が私一人だったので、ゆったりといろいろなお話をしたのですが、 そののなかで、なるほどな~、と思ったこと。 「千利休は豪華なもの(質の良い本物という意味で)を知ったうえで わびさび、と言っているんですよ。」 なにごともそうですよね、という話になりました。 ピンもキリも知ったうえで、自分に必要なものを引いたり足したり、 丁度よい、心地よいところを探す、というか。 何かの世界を深く経験したり勉強し続けている方のお話は、 とても興味深いです。 お話の合間に、大きな開き戸から見えるお庭を静かに眺めました。 水の流れる音、風で揺れる木々、肌を通りぬける空気、いろいろな匂い、 頭の中がシーンと静まりかえり、浄化されるような数秒がありました。 わび・さび ≪侘 (び)・寂(び)≫ は、日本の美意識の一つ。 一般的に陰性、質素で静かなものを基調とする。本来は詫(わび)と寂(さび)は別の意味だが、現代ではひとまとめにして語られることが多い。人の世の儚さ、無常であることを美しいと感じる美意識であり、悟りの概念に近い、日本文化の中心思想であると云われている。 (Wikipediaより) ↑↑ この後に詫・寂それぞれの意味の説明が、なが~~~くされていました。 お煎茶の道具たち

今日未明、騎士団長が殺害されました。

「騎士団長殺し」村上春樹 新潮社 を読み終えました。 読み始めたら止まらなくなる予感があったので、 仕事や勉強を休むと決めている日に、まとめて読みました。 彼の書く物語が好きで、だいたいの本は読んで手元に置いています。 それを知っている友人が 「日本では 騎士団長殺し っていう本が出たんだよ」 と教えてくれたことがありました。 しかしそれを聞いただけでは「読みたい!」という強い衝動が出てこなかったのです。 自分なりに何故なのかなと考えてみて、思い当たるふしは、 題名が直接的すぎる かな、と。 「今日未明、騎士団長が殺害されました。」 みたいな題名だな、と。 そう考えると、今までの彼の物語の題名は謎めいているものが多い。 1Q84、ねじまき鳥クロニクル、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、 のように。 それだけ目にしても、一体中にはどんな物語が詰まっているのか うまく想像できないような題名。 しかし今回の題名は、何度も言うけれども 「騎士団長が殺されてしまったんだな」 という題名。 誰が何をした(された)、がはっきりしている。 でも何故か、読み始めたら絶対やめられなくなる、という予感はあったし、 ただ単に「騎士団長が殺された」(殺されたのを ”単に” などとは言えないけれど) という話ではないはず、ということは分かっていたのです。 2部に分かれた分厚い殺人事件。 今回もやはり曲がりくねった物語でした。 今回の一時帰国で、本を貸してくれた友人に感謝です。 ありがとう。

フランス現地のアロマ

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去年の冬から勉強していたフランス式アロマセラピー。 修了証を仮住まいの日本へ届けていただきました。 アロマの世界にも、考え方や活用の仕方がいろいろあります。 大きく分けると、イギリス式とフランス式があり、 日本ではイギリス式がメインで教えられていると思います。 (正確にはイギリスから入ってきた知識を元にして、流通している知識、とも言うのかしら) 私が15年以上前に勉強したものもイギリス式で、 自分がしてきたレッスンもその知識が元になっています。 「フランスではこう考えられている」ということを学ぶことで、 より多方面から考えることができるようになり、嬉しいです。 ちなみに、フランスでは・イギリスでは・日本では・・・、と言っても 更に、その先生(専門家)によって考えや立ち位置がいろいろあるのが当たり前で、 絶対こう!ということは無いと思っています。 なので何式であろうと、何人かの先生から学んでみるというのは とても勉強になると思います。 私は今回フランス在住の  栗栖智美先生 から学ぶことを選びました。 知識のアップデートをし続けておられる先生です。 いわゆるアロマセラピーと、アロマコロジー(アロマ+サイコロジー)の分野の レッスンも受けました。 これまでの自分の知識や技術と足し算・引き算しながら、 より私の得意分野に特化したレッスンやセッションを作っているところです。 必要な方々に届けられる日を楽しみに。

もし自分が農薬だったら

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ものごとや現象に良い悪いはない ただそれは在るだけだし起きているだけ と、あるワークショップで学びました。 そこに対して「〇〇はいい!」「△は良くないよ!」思うのは、 各個人の経験や知識、過去に体験したことなどをベースに、 その人の脳内に作り出されている様々な思い込みが そう判断をくだしているだけ。 そのワークショップを受けた後、ふと思いついて、毎日していることがあります。 農薬を絶対的な悪者扱いしていたけれど、 農薬だって「野菜を虫から守る」という与えられた役割を ただ単に全うしているだけだよね。 と思ったのです。 それで、何をしているかというと。 野菜を洗うときに 「人参を守ってくれてありがとねー。もう大丈夫だからね、おつかれさま!」 と思いながら洗う。 頭おかしいと思う人もいるかもしれません笑。 農薬消えてる? いや、目に見えないので本当にどうなっているのかは分かりません。 しかし、なんとなく自分的にいい感じがするので、続けています。 因みに農薬や抗生物質に、なにやら話しかけなくても、 通常は我が家で愛用しているサーバー水につけておき、 農薬も放射能も抗生物質もホルモン剤もいろいろと取り除いて調理しています。 (いま自宅以外の場所で生活をしていて”通常モード”ではなくサーバーも無い生活です) いろいろ勉強すると、疑問もわいてきます。 究極にポジティブな方向に意識を合わせている人だったら、 体に悪いと言われている様々なものの影響も受けないのだろうか? でも人間としての体の仕組み的にはどうなんだろうか? まだまだ私の中には謎が残っています。 ある日つくったモロッコサラダ

見てるのに排除しているものって・・・

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この手品ご存じですか? びっくり!なので、ぜひ見てみてください。 タネや仕掛けがわかるかな!? ※言葉は英語ですが意味が理解できなくても問題ありません。

風の時代へ

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夏至で新月で日食だった6月21日(日)。夏至と日食が重なるのは372年ぶりだったのだそう。私のご先祖さま達は、その時どんなふうに過ごしたのだろうか。 私は、 鈴木真奈美さん の夏至の瞑想会に参加して過ごしました。 初めて参加したのは、昨年の夏至。抽選に当選したら日本に行こう、と決めていたのですが、 本当に当選して。 二回目の今回はオンライン開催でした。とはいえ、まるで同じ部屋にいるような感覚があって、おもしろかったです。 瞑想の前のお話で心に残ったことをいくつか。 天体の動き(占星術の世界なのかな?)から読み解くと、 いまは土の時代、これは250年ほど続いている。 それが2020年12月22日を境に、風の時代へと変わる。 冬至(太陽の光が始まる日)の翌日。 風の時代もまた、200年以上続いてゆく。 いま私たちの生きてきた土の時代は、物質主義。 産業革命、資本主義、モノの所有を重要視、組織を重要視、 そんな時代。 これからやってくる風の時代は、目に見えないものに価値が置かれる。 情報、分かち合い、コミュニケーション、人との繋がり。 いまポイントにしておきたいことは3つ。 (脳の仕組みで”3つ”はメモなどしなくても覚えられる数だそうです) 1.今の環境や今あるもので、ベストを尽くしていくこと  激動の時代、自分ではどうにもならない流れになるときがある。  完璧でなくてもよい。5%10%でもよいのでとにかくやってみて、あとは動きながら  修正していけばよい。 2.自分軸になっていること  何かや誰かを信じて寄りかかっていたり、合わせていたりすると、そこがガラリと  変わったときに自分もなくなってしまう。常に「自分はどうしたいかな?」  「自分の本当の気持ちはどうかな?」と自分に軸を戻す。 3.自分やおきたことにレッテルを貼らない 風の時代って、言葉を聞いただけでも私はなんだか軽やかな感じがします。 その時代に生きられることが嬉しいし、なんだか私はその時代に生きる方が 合っている気がする。風の時代を待っていた。 なんて、勝手に思ったのでした。 因みに最近、明治維新がちょっと気になっていたので調べてみたら、 やはり土の時代の初めのころに起こった出来事。 占星術は私は無知識ですが、知識ある方からの情報を聞くたび、なるほどなことが 多くありますね。 鈴木真奈美さんの本は、何冊か読...

流れされすぎて忘れたこと

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先週のこと。 ある職業の方々に初めて触れ合う機会がありました。 短い時間でしたが、仕事現場を近くで見て、それぞれの立場での役割も知ることができました。 実はとてもお世話になった時間だったのですが、御礼も言わずにその場を離れてしまったのです。流れに乗って次の工程にあれよあれよという間に進んでしまい、気づいたら 「あ!もう私はあの人たちとは会わないんだ!」という段階に。 これはとっても心残りというか後悔というか、そのあとしばらく悔やみました。 自分が触れ合ったからこそ、全体の流れが見えて分かったのですが、 この職業の方々は、「お願いします」は山ほど言われているけれども、 状況的に「ありがとうございました」は言われることが少ないのでは、と思うのです。 取り巻く状況がとても目まぐるしいという理由も大きいのだと思います。 がしかし、状況がどうであれ、この職業の方々がしていることは、軽~いありがとうでは足りないようなこと。 御礼を伝えるべく調べてみたら、いわゆるご意見系の連絡をできるようなメールアドレスや電話番号は無く、知りえる連絡先は緊急時のみのもの。 それならば、と私がやってみたことは、町を歩いているときにその職業の方々の車を見かけたときに念を送った(笑)。 「ありがとう」「おつかれさま」の気持ちを、車に向けてバーーーッと送りました。 この世のすべては素粒子でつながっているので、私の念は届いている。 (私の遠隔ヒーリングもこういった波動が大いに関係しています→ コチラ♡ ) それでも、もし万が一、また触れ合う機会があったら、絶対タイミングを逃さず面と向かって御礼を伝えたいし、この方々でなくとも、誰かに御礼を伝えるタイミングを逃したくないものです。 チャンスの女神さまは一瞬(でしたっけ?)みたいな感じですね。 写真は喫茶店の本棚から。翻訳できない世界のことば、楽しい絵本でした。 同じシリーズで ↓ も良かったです。

テンノキ

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新海誠監督の「天気の子」を見ました。 わたしたちの生きる現実も、観測史上初・統計史上初・〇十年に一度、が多いけれど、 一体、観測や統計をし始めて何年? まだ50~150年くらいなのだそうです。 対して人類が石器を使うようになり250万年くらい。(進化論を信じるならば) 地球が誕生して46億年くらい。 そう思うと、 異常気象であるかないかなんて、まったくわからないですよね。 地球にしてみたら、ただの誤差くらいなのかもしれない。 人だったら「なんか今日は鼻水が出るな~」みたいな。 そして翌日には止まっていて、昨日鼻水が出ていたことなんて覚えてもいない。 そんな感じなのかもしれません。 天気は天の気 元に戻っただけ もともと狂ってる 天気の子、私はBlu-rayで見ました。 まだ上映している映画館もあるのですね。ロングラン!