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願うということ

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「わたしもソロモンみたいに空を飛べたらいいなあ」 なぜ?なぜ空を飛びたいの? 「いつも地面の上を歩かなきゃいけないなんて面白くないよお。すごくゆっくりだし。いろいろな所へ行くのにもすごく時間がかかる。それに見えるものも限られてる。地面の上にあるものだけしか見えなくて、つまらない」 あのねえ、サラ、君は僕の質問にちゃんと答えていないみたいだね。 「あら、答えたわよソロモン。わたしが言ったのは、空を飛びたい理由は・・・」 面白くない地面の上を歩き回るのが好きじゃないから、だろう?あのね、サラ、君は『なぜ君が空を飛びたいのか』を話したのではないんだ。君が僕に話してくれたのは『空を飛べないことを君が嫌だと思う理由は何なのか』ということだ。 「どこが違うの?」 ああ、サラ、大きな違いだ。もう一度、答えなおしてごらん。 引用 ”サラとソロモン”   エスター&ジェリー・ヒックス著 この部分を読んで、わたしは心が熱くなった。 なにかを願うとき望むとき、そうする/そうなると決めるとき、この部分はとっても大切なポイントになると思うから。 心がなんだか熱くなったということは、もしかして私も分かっていたつもりだったりとか、 できていない時があったりするのかもしれない。 なにかを願いながら、同時に、それが叶わない場合どういったことがあるか、 ということにフォーカスしていたら(それについて話したり考えたり「うわーやだ」と感じていたりしていたら)、 そっちが叶ってしまい、願っていた方は永遠に叶わない。 それが宇宙の仕組みだし、素粒子や波動の仕組みだから。 長く、強く、感情を伴って、考えたり思っていたり想像していたりしていたことが叶う。 それが自分にとって、都合が悪いことであろうが良いことであろうが、関係ない。 宇宙はシンプル。 ソロモンは上に引用したやり取りの後、もう少し会話があって、その後こう言う。 そうだ、サラ、その調子で、なぜ君が空を飛びたいのかを話してごらん。それはどんな感じがする?どういう風に感じる?それがどんな感じか僕にも感じられるように話してみてごらん。空を飛ぶことはどんな感じがする?地面の上にいることがどんな感じかとか、空を飛べないことがどういうことかについて話すのではなくて、空を飛ぶことがどんな感じがするかを、僕に話してほしいんだ。 それを聞いてサラは、もし自分が空を飛んだら

香りは装身具にもなり戦略的にも使える

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下部の ”なぜ香りなのか?” は、先日、私のホームページの調香セッションのページに補足で追記した内容。 この投稿の前いくつかにわたって書いた脳とか感情などについての 投稿にも関係しているので、 両方読んだ方はつながりが感じられると思います。 潜在意識、思考、感情、メンタルなどに、とてもとても関りがあるのです。 ーーーーー なぜ香りなのか? 味覚、触覚、聴覚、視覚、嗅覚。このなかで嗅覚はとてもユニークな動きをします。 嗅覚以外の感覚は、それを感じると、 まずは理性・思考・分析・言語などを司る左脳へ信号が伝わります。 しかし嗅覚だけは左脳を通らず、 本能・感情・記憶・閃きなどの右脳エリアへ電気信号が直行します。 思考でアレコレ考え始める前に、潜在意識や本当の自分へ香りの信号が届くということです。 このページの上の方に「香りでできることの例」を載せていますが、マインドセットも気持ちの切替も自分軸の強化も、こういった理由の元、香りのサポートによって深い部分でそれができるわけです。 アレコレ考えず頑張らずシンプルに、ただ単に香りを嗅ぐだけでそうなる。 体の仕組みにのっかるだけなのでとても楽で簡単です。 しかもその香りは植物の香りで、しかも自分用に調合された香りであったら、 より一層「自分に届く」そして「自分と響き合う」と、私は感じています。 ※植物の香りが良くて化学合成の香りは悪い、とは一概には言えません。 使い方や使う量、個人差など様々なことのバランスで、危険性や合う合わないが変化します。 ーーーーー 服、靴、鞄、ジュエリー、お化粧、などと同等の感覚で、装身具のひとつとして香りを使うもよし。または上記の仕組みから、自分の脳に対して意図的、戦略的に香りを使うもよし。 どちらにしても、気分を変えてくれるもの、であることは間違いありません。

右脳と左脳

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感覚や芸術は右脳、考えたり計算は左脳、と言う。 右脳人間、感覚人間、完璧左脳の人、とかいう言葉も聞いたことがある。 私はインスタの点描曼荼羅アカウントの方で以下のようなことを投稿することが時折あります。 「右脳も左脳も両方を使っていくんですよ」 「直感を使って描くけれど、どうやったらどんな点が描けるか左脳を使って考えて、手を動かして実験して、どうなるか観察するんですよ」 右脳も左脳も、それぞれ役割が違うわけなので、使い分けていけば良い。 現代の特に日本では、左脳を活躍させている人が多いと思う。 活躍させすぎて左脳が過労死するんじゃないか、くらいに使い過ぎていると感じています。 感覚派の人は、ちょっとバカにされる感じが強い時代もあったかもしれない。(今もあるかもしれない) 以下の流れで、私たちの体内(体外も?)で情報の受け渡しが行われているようです。 エネルギー的なものを心(心臓のあたり)で受け取る → それを右脳で感覚的に感じる  → その”感じ”を左脳へ渡す  → 左脳がそれに理由付けしたり分析したり判断したりする → なんらかの言動や行動をする(または行動しないと決める) 右脳も左脳もどっちも必要だし、どっちかだけを使う、使わない、は 無理があるんだなと思います。 時と場合に応じてどっちも使う。 本来は、特に意図せずとも自然に両方を使えるのが通常モードだけれど、 「こうすべき」「こうした方が合理的」「前はこうだった」「普通はこうでしょ」 などで自分を固めていると、せっかく右脳で感じたものを無視して蓋をして、 いつでも左脳優先になる。 左脳優先はみんな相当やってきているので、たまには右脳優先にしてみたらどうなるか、 試してみてもいいんじゃないかなと思う。 ものは試し。実験的に、ゲーム感覚で。 何度かやってみて自分的にイイ感じであれば続けたらいいし、 あんまりだなーという感じであればやめたらいいし、時と場合でやったりやらなかったりでもいい。 浅見帆帆子さんがこんなようなことをおっしゃっていた。 「なにかを決める時、感覚だけで決めていません。割と調べます。そして調べた内容に対して、自分がどう感じるかを見ます。そして最終的に、良いと感じる方や違和感のない方を選びます。」 細かい言葉は違うかもしれないけれど、大まかにこんな感じのことだった。 感覚の右脳も、分析判断の左脳も

私の個展のお知らせ(2024年2月静岡県浜松市)

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  ∞ 個展のお知らせ ∞ 私の通うカフェで展示をさせて頂くことになりました。 在イタリア時代の一時帰国中、おいしいエスプレッソが恋しくなった時にこのカフェに助けられました。最近の私のお気に入り組み合わせは、カウンター上の焼菓子 + アメリカーノです。 飲み物で両手を温めながら、曼荼羅たちをぼんやり眺める時をお楽しみください ☕ ️ 🏵 ️ [会期] 2024 年 2 月 2 日 ( 金 ) 〜 2 月 27 日 ( 火 ) [営業日時]基本は 11 時〜 20 時、水曜は休み 又は 夕方閉店 [場所]  Instagram @westgoatcoffee  West Goat Coffee  静岡県浜松市中央区千歳町 104-2 浜松駅から徒歩5分 ◎ 入店の際はお飲物をご注文ください ◎ 作品はすべて原画の一点ものです ◎ すべて販売可能です ◎ 今回の個展限定価格にする作品もあります ◎ 作品購入は現金のみ受け付けます ◎ 購入当日にお持ち帰りいただけます ∞ はじめましての方へ ∞ 私の描く曼荼羅画は宗教画とは異なります。 宙を奏でる点描曼荼羅画 ( そらをかなでるてんびょうまんだらが ) と言い、事前にデザインを考えることなく、直感的に対称的に、すべてを点で描く曼荼羅画です。 この曼荼羅画は、まっくらな宇宙のような黒い紙の上に一粒の点を置くところから始まり、やはり一粒の点を最後に置いて終わります。それぞれの一粒は独立した点であると同時に、すべてに繋がる点でもあります。曼荼羅は平面でありながら球体でもあり、全方位への無限の広がりを持ちます。 描き手である者が自身の思考を入れずに描くことで、できあがった曼荼羅は、個人の狭い枠に囚われない世界を持つのだろうと思います。 瀬戸里絵 ____ 体験会・講座は、ご希望日時を相談いただき互いの都合を合わせて開催しています。講座は対面もオンラインも可能です。 点描曼荼羅画の販売、オーダー制作もしています。作品購入はオンラインショップ又は dm からどうぞ。オーダー制作承っています (1 万円〜 ) 。 詳しい内容は こちら をご覧ください。   ——

感情ってなんなの?

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感情 というものには、どんなものがありますか?はい、皆さんどんどん書き出してみて。 と言われたら、すごくたくさんワードが出てくると思うけれどどうでしょう。 うれしい、たのしい、おもしろい、イライラ、モヤモヤ、さみしい、ざいあくかん、 きもちいい、ふわふわする、ほんわかする、ずしっとする、ムッとする、まんぞく、 すき、きらい、なんかいや、なんかいい、等々。 じゃあ、この感情たち、それぞれどんな姿をしてますか? と言われても、見えないし物質ではないので姿はない。 姿はないけれども、絶対に存在している。自分の中から出てくる。明らかに「ある」。 感情は、エネルギーです。 電気とか電波と一緒。見えない姿形はない、けれど絶対にある。あるからネットが繋がるし、電化製品が使える。 電気エネルギー。 それで、感情。 この出てきたやつを、世の中では  ”良い感情” と ”悪い感情” 、”ポジティブ” ”ネガティブ” 、”軽い” ”重い” 、 などと分けたりするわけです。 本当は良いも悪いもないのですが、ここではその話は置いておき、 どういう時に感情が出てくるのか?を書いてみます。 感情が出現する前には、必ず、なにかを見る/聞く/体験する、などがありますよね。 例えば 「わあ!それいい!!」という嬉しい系の感情出現の前には、 「ねえ、今度この温泉宿に泊まってみようと思うんだけどどう?」 という提案があったり。 「うっわー、なんなのソレ」というテンション下がる系の感情出現の前には、 自分が全然好きではない出来事を見たり、発言を聞いたり。 でも、どんなに自分が良いと思う提案内容でも、嫌悪感を感じる出来事でも、 人によっては全然良いと思わなかったり、むしろ嫌いだったり、無反応だったりします。 何故、人によって違うのかというと、 判断基準が違うから。 これは良い、これはダメ、ここまでならOK、普通こうでしょ、当たり前じゃん などの判断です。 みんな誰でも、その人の中での良い悪いの線引きだったり、当たり前の枠が決まっている。 その線を越えてくる人や出来事と出会うと、 「ちょっと!!なんなのアレ!?ありえなくない?」とカチンときたりするわけです。 「ありえなくない?」という言葉を聞いていた隣の人は、 「え?別にいいんじゃないの?」という反応の場合もある。 ということで、 感情が発動する前には、必ず、

【補足】重い方へ引っ張られることの何がだめなのか?

 ひとつ前の投稿の補足です。質問が飛んできました。 「気分や感情が重い方へ引っ張られると、なにがだめなのか?」 まずは、 良いとか悪いとかはないです。 重い方が好きだったり、そこに浸りたい気分の時ならばそうしたらいいし、 軽い方が好きな人はそうしたらいい。 単なる好みです。 で、 私は軽い方が好きなので、自分も軽くいたいし、自分の周囲は軽い人々でいてほしい。 なので、重さを取る方法、軽さをキープする方法などを教えているわけです。 突然ですが、私の活動の目的は『地球平和』です。 私の想う地球平和とは、 個人個人が精神的にも体的にも自由で、それぞれが好きなことをしていて、 それぞれが自分の満足感の中に生きていて、それぞれ尊重しあっていて、 それぞれ感謝の気持ちを持って、地球と共に生きている 言葉で簡単に言うとこんな感じ。 それで、 この地球平和の状態になるためには ”類は友を呼ぶ” の法則を大活用することで、 私一人からでも、そこのあなた一人からでも、可能なのです。 波動とか量子力学のことを知っている人ならば(学者レベルでなくて表面的に知っている感じでも全然OK) 聞いたことがあると思いますが、 類は友を呼ぶ、とか、似た者同士が集まる、とか、一緒にいると顔が似てくる、とか、共振とか共鳴とか、 そういったことは、なぜそうなるのかを説明できるのです。 私一人が軽い波動(エネルギーとか気とか周波数とか)になると、どうなるか? 大雑把に言うと、 私が軽い波動を発していると、類友の法則によって、 私と同じような波動の人・物・出来事が私の周りに集まってくる/起きてくる。 私一人が変化したら、私の周りも似たようなエネルギーになる。 誰かがものすごく楽しそうに大笑いしていると、 内容を知らなくてもこっちもつられて笑えてきたり、楽しくなったりする。 それと同じことです。 自分もそういう方が好きだな~、という人が講座を受講してくれて、 その人が軽い波動に変化していくと、 その人の周囲でも上に書いたことと同じようなことが起きてくる。 で、その人の周囲環境がそうなっていくので、その人自身はますます居心地がよくなって、 ますます軽い波動になっていく。 そして、その人の周囲の誰かも誰かもその波動になっていくので、 そのまた周囲もそうなっていく。 こういった連鎖が起きてくるので、 日本各地、地球のい

重い方へ引っ張られるのが通常モード

地球にいる限り、重力というものがあって、重たいもの引っ張られる。 ボーっとしていようが、意識していようが、引っ張られる。 でも、ひとつ。 重力からは絶対的に自由なものがある。 自由というのは、自分の意図でどうにでも変えられる、という意味。 それは、私たちの意識。 (ここでは、感情も思考も含めて、あえて意識と表現します) ただし、意識も同じく、放っておいたら重い方へ引っ張られるので、 意図して引っ張られないようにすることが大切。 ネガティブとされるものが重たい方向。 イライラ、モヤモヤ、違和感、恐怖感、引っ掛かり、我慢、 不快感、不満感、罪悪感 こういったものがすべて重たい方向の感情。 放っておいたら、どんどんどんどんどんどん、 この重たい感情の中へ巻き込まれ続け、 ぐるぐるぐるぐる考え続ける。 例えそこへ蓋をして見えないようにしたとしても、それは一時的なこと。 押し込められたそれらは、いつかまた必ず出てくる。 放っておいたらそうなるので、 自分で意図的に、コントロールして、 巻き込まれ続けない自分でいられるようになると、すごく快適に生きられると思っている。 その方法を私は講座で教えています。 これまでも、これからも、 日本語でニュースになっているものも、なっていないものも、 地球ではいろいろなことが起きているし、 今も進行形なものもあるし、これからも起きる。 そんな中で、 自分が自分であること。 自分を保っていられること。 しかも一時的に無理やりそうするのではなく、 自然な形で、気楽にそれができていること。Keepできていること。 それはすごく大切なことだと私は思う。 特に大人は。 身近に子どもたちがいる環境に居る大人は、さらに特に。 例えば、 重たいものを持ちながら、重たいものに引っ張られ続けながら、 好きなことをしたり、希望を叶えるために動いたりするのは、 効率が悪い。 心も体もとても元気な時などに一時的にはできるかもしれないけれど、 やはり一時的だし、柱が弱いというか、ちょっと何かあったら倒れる系。 見えないようにしたりするのではなく、 日々ちょこちょこ掃除をして澱みや曇りを取りながら、 身軽な状態で歩んでいくほうが私は好き。 そして、そういう人が周囲にいる環境が私は好きなので、 講座をして教えているし、学んで実践してくれる人が増えれば増えるほど 嬉しくてたま

余白

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「世の中にはわかんないことたくさんあるからねえ」 私の頭の上あたりで先生が言ったその言葉を聞いて、 ああ私は先生のこの在り方が好きなんだな とわかった。 わかんないことがたくさんある世の中に生きている と思っているということは、なんかそこに、 余白というか、可能性というか、何かの余地みたいなものを残している ということの気がする。 それがその人の柔軟な姿勢だったり、振れ幅だったり、受け入れる器だったりに関係するのかもしれない。 一年以上ぶりの久しぶりにカイロプラクティックにメンテナンスへ行き、思ったこと。 久しぶりの先生は、年齢のこともあって体は一回り小さくなった気がしたけれど、 柔らかな穏やかな物腰と、深い知性は、変わっていなかったと思う。 先生とは趣味の話などは今までしたことがなかったが、この日は写真の話などもして楽しかった。

自分という漢字の意味

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自分 という漢字って、なんでこの漢字なんだろ。 という疑問がここしばらくなんとなく頭の隅っこにあった。 ネットを調べれば、漢字の由来とか意味とか様々出てくるんだけれど いまいち意味不明というか、私には理解ができなかった。 (因みに、私は誰が何を言っていようが、世間の大多数の意見だろうが、自分が納得できたものを、自分にとっての正としている) そのうち何かわかるだろうと思っていたら、 私の中にピンっと閃いた勝手な解釈があって、それを書きます。 自分 = みずからをわける 自らを分ける と書く 自分は自らを分けたもの これが一番自分的に「そうだ」と思った。 私が勝手に閃いたことなので、正しいかどうかは知らないし、 この漢字を当てはめようと決めた人の解釈とは違うかもしれない。 けれど私の中で納得できているので、これでよいのだ。 この解釈の元はどんな風かというと、 私は宇宙のすべての存在はもともとひとつだった、と思っていて、 肉体という物質とサヨナラする時には(死)、 またこのひとつの ”なにか” へ戻って合体・融合する。 また生まれるときがきたら、この ”なにか” から分離して 新たな誰かになる。 人も動物も、植物も、鉱物も、様々なモノも、虫も、ぜんぶ同じ。 目に見えているところとは別次元に存在しているであろう存在たちも、 宇宙のどこかの惑星に住んでいる存在たちも、 ぜんぶのぜんぶが元は同じ。  なので この ”なにか” 自体が自分でもある。 そこから分かれたものがあなたであり、私であり、自分。 真実は死んだ瞬間に「あ!」っと思い出すのかどうか、分からないけれど 今のところこんな感じに思っておくことにしている。 せっかくだから「ああ、そうかあ~」と思い出して納得を感じてから死にたいなあ。 もし思い出すとしたら、瞬間的にぜんぶが分かる感じなんじゃないだろうか。 死んだか死んでないかの瞬間に。 宇宙とはなにか。

中心にあるもの

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今まで割と「自分の芯をしっかりさせる」「土台をしっかりさせる」 みたいな言い方をすることが多かった。 この間あることを考えながらノートに書いた言葉があって、 その言葉が最近の自分的にとてもしっくりきた。 「自分のなかの核」 この核のイメージは、ギュー――――ッと凝縮していて、すごくパワフルで、 エネルギーがあって、生命の源みたいな感じ。 自分の可能性を制限する感情や思考のヨドミは、 日常的にメンテしながらどんどん取り去って、どんどんクリアになって、 核のエネルギーを覆うものなく生きよう。