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どう感じる?そして、どうする?

今日は、ワクチンについて。わたしの知っていることを書きます。 コロちゃん騒動で「ワクチンさえできれば!」「はやくワクチンできないかなー」という 文字をSNSで頻繁に見かけるようになりました。 そう思っている人たちが山ほどいるんだろうな、と感じています。 そして同じように、そう思っていない人たち、これも山ほどいます。世界中に。 先に言っておくと、私は ”そう思っていない人” です。 コロちゃんについてもインフルエンザやその他の病気についても、 ワクチンに期待をしていませんし、避けたいと思っています。 何故わたしがその立場をとっているか、下の動画をご覧ください。 特に、 ワクチン接種を自分以外の誰かに強制できる立場にある方、 「ワクチンは打つものだ」という意見以外は知らなかった方、 これから子どもを授かりたいと考えている方、 もしそんな方がこのブログをご覧になっていたら、 この動画のうちの一つでも見ていただけたらと思います。 言論統制の厳しい今、特に最初のDr.キャリーの動画は、この三つの中では 削除される可能性が一番高いと思います。 全て日本語または日本語字幕です。 ◆内科医 Dr.キャリー・マディ による説明、22分(BitChute) The Truth 今回のコロちゃん向けワクチンはどんなものか  ( 翻訳編集/Divine Angel Place) ◆誠敬会クリニック銀座 吉野敏明先生による説明、7分(YouTube)  ワクチンの話(前半)   ( 今日時点で後半はまだUPされていないようです )  ※どうやら後半編はYouTube側から削除されてしまったようです ◆くすりを使わないTokyo DDクリニック 内海聡先生による説明、20分(YouTube) ワクチンの正体シリーズ①   (このシリーズは⑤まであります) Dr.キャリーの動画は私も最近見ました。 ああ、これは日本の内閣府が計画しているムーンショット計画にも関係する話だな、 という感想を持ちました。 自分の信じていることと違う意見に対して、ついつい批判をしがちです。 しかしどんな判断も、その人の自由。 発言に対しての規制はあっても、何を考えるかへの規制はありません。今のところは。 なにかを知って、感じて、考えて、判断して、選択して、動く。 わたしたちは自由。 with Big love and

悟りをひらく瞬間、真理が解かった瞬間

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今朝、Spotifyで音楽を聴きながら洗面所でお化粧をしていたときのこと。 突然に「わかった」ことがあって、涙が溢れ出てきて、割と大泣きしました 笑。 そのとき、特に何かについて考えていたわけではなかったので、本当に唐突でした。 それは自分の人生について、のようなことについて ”わかった” のです。 いままでのすべてがピーーーーンとつながって、感謝と感動と 何か大きなエネルギーへの畏怖みたいなもの、この瞬間からのわたしの在り方への決意、 全てひっくるめたような感情が湧き出ていました。 そして泣きながら「この体験は発信しなければ」とも思ったので書いています。 ほんと意味不明、な感じだと思うけれど・・・ なんかこれって、悟りを開いた瞬間の人とか、真理がわかった瞬間の人とか、 もしかしてこんな感じなんじゃないか?? と、ちらっと思いました。 子どものころに見た漫画か映画かで、そんな場面があったような記憶があって、 その時の様子に似ているような気がする、と思ったのです。 (手塚治虫さんのブッダだったか、別の何かか。。。) これまで ”ある瞬間唐突に幸せ感が溢れ出てきて感動して嬉しくて涙が出る” ということは まあまあ時々ありました。 これも特になにか考えていたことがあったり、幸せだなあと思いながら何かをしている ときなどではなくて、ただの移動中とか、お洗濯物を干しているときとか、なんでもない 日常の途中に突然来る瞬間です。 今回のは、唐突度としてはコレと同じですが、内容がちょっと違う。種類が違うというか。 わたしには初めての体験でした。 でもこれって悟りなのか真理なのか、それがどんなものか知らないのでわかりません。 うーん、おもしろい。

幸せレベル

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先日の十五夜、そして満月の日を境に、わたしの幸せレベルが少し増したな、 と感じています。 まず、自分のいる場所(24時間過ごす場所)が変わったことが、だいぶ大きいと思います。 自分的幸せレベルの標準ポイントに、少しずつ近づいている。 だれでも、一日の中で様々なことを感じて考えて、 気分が上がったり下がったりしていると思うのですが、 「ああ、快適」「ああ、幸せ」と感じることが絶対的に増えている。 そんな感じです。 浅見帆帆子さんの本に  ”自分の知らないところで物事は進んでいる”   というようなことが書かれています。     本の中では主に、自分の理想像(夢や目標)に向かって今日も近づいている・自分のしらないところで物事が動いている 、と。 (この本以外の彼女の本にも書いてあったような気がします) どこに意識を向けているか、ということって、とても大切だなと思います。 人はいろんな気分のときがあるので、四六時中UP↑↑ではなく、例えばわたしだったら 「わたしにとってベストなタイミングですべてが起こる(着地する)」 と信じているので 「あ~あ・・・涙」という気分のときがあったとしても、 それはそれで「今ストレスたまってるな」「幻滅しているな」とかしておいて、 心の奥の奥底では ”絶対に大丈夫” という確信を持っている。 で、絶対に大丈夫、と信じているので、いろんな気分のときがあっても大丈夫。 わかってもらえるでしょうか。うまく言えないのですが、そんな感じなんです。 何の話をしたかったのか揺らいでいますが、とにかく 幸せレベルがあがったな!と感じているという状況でした。 美しい月の光でした

くもりなき眼で物事を見定める

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少し前から、わたしの頭の中に頻繁にキーワードのように現れる言葉は、 タイトルにある「くもりなき眼で物事を見定める」です。 ジブリ映画 ”もののけ姫  (宮崎駿監督)” の中で、アシタカが村から旅立つ前、 村の呪術師ヒイ様の言葉の中にあるものです。                    この映画も好きな映画だけれど、とびぬけて好きで何度も観ているというものではなく、 このセリフがあった場面は「言われてみればそういう場面があったね~」というレベル。 それでも、この言葉は、ある日突然わたしの頭の中にポッと出てきた。 いま思えば、この言葉って物凄く深く、何事にも通ずる言葉だな、と思うのです。 なにかの出来事、誰かのこと、ものごと、これらを、それそのままに正確に見るって、 実はできていないことが多い。 そこには、自分の感情が付随していたり、自分の過去の体験を判断基準として善悪の評価を 付けていたり、おそらくほぼ必ずなにかしらのフィルター有りの状態で、 出来事や相手を見ているのだと思います。 で、そういうフィルターで見ているから、それに続く結果なり次の段階なりに進む。 友人のヒーラーまいちゃんの講座やブログ で「物事はただ起きているだけ」と教えてもらい 頭で理解していたことが、近ごろどんどん腑に落ちる状態になってきています。 というか、腑に落ちてきていることを気づいたからこそ、以前が「頭で理解していた」 状態だったことに気づいたというか。 それで、くもりなき眼になるためには瞑想がとっても効果的らしいことも知って、 最近は瞑想の練習もしています。 そんな風に過ごしていたら、わたしが何冊か愛読している作家 浅見帆帆子さんが 瞑想の本を出されていることを知り読んでみました。 amazonへ飛びます。 こちらから購入いただけると嬉しいです♡ 修行僧などが真理を知る、とか、宇宙とつながる、とか、思いもよらないアイデアが浮かぶ とか、そういうことも、要は、くもりなき眼であるからこそなんだな~、と ふつふつと実感し始めています。 なんかすごいよね!!!!!!

なんで??

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わたしは「なんで?」と疑問をもつタイプだと思います。 例えば学生時代の記憶、一部抜粋してみます。 小学生・・・風景写生で黒い水の流れる川をそのまま描いた。先生「川っていうのは青でしょ」。私の心の中「(あの川黒いよ。なのになんで青?)」。 中学生・・・私の心の中「(なんで髪を結うゴムの色が決まってるの?なんで耳より高い位置で髪を結ったらいけないの?なんで一年先輩なだけでそんなに威張るの?)」。 高校生・・・私の発言「なぜ傘の色は紺か黒でなければいけないのですか?なぜ真冬の寒い時期に制服の上にコートを着てはいけないのですか?」 。先生「変な質問をする奴がいる(怒)」。私の心の中「(え??ただの疑問なのになんで怒るの?なんで答えてくれないの?)」。 その他にも学生時代は、様々なことに対して山ほどの「?」がありました。それ以上の追求は許されなかったり、自分もきちんと言えなかったりで、分からずじまいのことが多かったです。 この世には大人の事情的なものがある、ということが徐々に分かり始めると、今度は、「じゃあ一体その事情とやらができている背景は?」と考え始める。 〇〇である、としておいた方が都合の良い人たちがいる、とか、それで儲かる人たちがいる、とか、その方が管理する手間が省けて楽、とか、単に多数決とか、昔から常識とされているから、学会ではそれが通説、とか。 「なんで??」から始まって、どんどん考えたり調べたりしていくと、この世の仕組み的なところに辿り着いたり、その中は見えなくてもいつも同じ扉の前に辿り着くことが分かったり。 又はどこにも辿り着けず、そのままそのことは忘れていたり。 ぜんぜん関係のなさそうな複数の物事が、実は奥の方でつながっていたことが何かをキーに分かったり。 今はインターネットがあるので、多くのことが調べられます。なんで?の答えやヒントがインターネットの中にあることも多い。 情報量が多い反面、どういった立場の人がそれを載せているのか注意する必要があるし、検索上位に表示される情報がインターネット側で振り分けられている言論統制的な状態があることも承知しておく必要がある。(場合によっては本の方が知りたい情報が調べられる) なにを検索ワードにするか、どこからどこへ繋げるか、なにを信じるか。 結局は自分だなー、と思うのです。 因みに、宇宙人はいてもおかしくないでしょ、と

GAIA

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ガイア理論という考え方があることを知りました。正確に言うと、この考え方に〇〇理論という名前が付けられていることを知りました。 これは、地球をひとつの巨大な生命体として考え、単に表面的な地球というよりも、そこに住む生物、空気、水などもすべて含めた地球全体であり、地球と生物が相互的に関係しあい環境を作り上げている、という思想。 実はわたしは、いつのころからか、「地球って人間の身体みたいじゃない?」と考えるようになりました。 何故そう考えたかというと、 わたしの身体(あなたの身体も)をどんどん拡大して見ていくと、実は身体中の表面にも内部にも住人がいることが見える。わたしの身体には何百兆個の細菌や酵母菌などの微生物たちが住んでいて、それぞれがそれぞれの活動をしていて、それぞれの寿命を生きている。 わたしの身体を眺めてみたところで、まさかそこに何百兆もの共存者がいるとは思いもよらないし、もしかして、微生物たちも自分が住んでいる場所がどこなのか、まさか住んでいる場所自体が生命を持っているだなんて、思いもよらないことかもしれない。(蟻もこんな感じかな~と思います) 地球もそれと似てない?と、あるとき思いついたのです。 わたしたちは自分たちの生きている場所の姿を見ることができる。飛行機に乗れば地面からどんどん離れ、人が見えなくなり、建物が見えなくなる。それが宇宙飛行士であれば、森が見えなくなり土地の形があやふやになり、やがて一つの青く光る星があるということだけが見える。 逆に、宇宙から一つの青い星をどんどん拡大して見ていくと、徐々に土地の形状が見えてきて、森や人間の作った町が見えてきて、たくさんの生物や人間がいることが見えてくる。拡大を進めれば、菌やウイルスもいる。 ね?なんだか似てると思いませんか? 地球を身体と仮定したとき、わたしは微生物の一人。 微生物たちの調子やバランスが崩れてきたり死んだり癌化してしまったりすると、身体や精神も同じように崩れ死を迎えることもある。逆に、身体が死ねば微生物たちも死んでしまう。 相互関係。どっちが偉いとか優れているとかはなく、まさに共存。 ミラノ~東京の間のどこかの風景

満月18時間前

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9月2日(水)14:22、日本では満月でした。 その前の晩、お友達から不思議なお誘いを受けて出かけていました。 「ミステリアスなお菓子の引き取りに行くから一緒に行こう」 という。 ミステリアスでした。 到着した場所は、ハーブの生い茂るお庭のあるお宅。 道の向こう側にはたくさんのバラを育てるビニールハウス。 ローズマリーの間を抜けていくと、灯りのともされたお菓子の受け渡し窓が。 お菓子とともにミニバラのブーケも。 お友達は、やさしいピンク色のバラのブーケを選んでいた。 昔のままの雑木林がちらほら残る地域、周りは真っ暗。 湿度とほんのり涼しい夜風。 ローズマリーとバラと焼き菓子の匂い。 空には明るく光る月。 物語の中に入り込んだような、お菓子の受け渡し時間。 お友達がバラをおすそ分けしてくれました。 (ローズマリーもちょこっと道端から) 家に活けているその香りを嗅ぐと、あの夜の不思議な感覚が胸のあたりにフワリと よみがえるのです。 匂いと記憶と感情の密接な関係。 そして私も、ただのモノを提供するのではなく、そのモノに付随する物語も一緒に提供できる人になりたいと思いました。 そのようなモノを受け取ることが自分も好きだし、わくわくする。 魅せ方、プロデュース力、ブランド力、いや、その前にやはり自分の在り方かな。

アノスミア

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 昨夜読み終わった本。 ”アノスミア  わたしが嗅覚を失ってからとり戻すまでの物語 モリー・バーンバウム著” 私は職業柄、匂いとか嗅覚の仕組みにとても興味があります。 これまでもいろいろ読んだり調べたりはしてきましたが、実際に嗅覚を失った人の実体験を知るのは初めて。 目が見えなかったら、耳が聞こえなかったら、こんなことに困るだろうなという想像は多くの人がある程度はできると思う。(もちろん実際の半分も想像できないと思いますが) 匂いが分からなかったら?? きっと多くの人は「うーん、そこまで困らなさそうじゃない?」と考えるのではないでしょうか。 違うんです!!! 日々無意識に感じていて、でもそれが嗅覚とは関係なさそうな、人として人生を生きるうえで実は物凄く重要な大切な部分が失われることになる。そして、じわじわとその影響が心に忍び寄ってくる。 そんなことを知りました。 他にもいろいろ。 実体験のお話なので、研究では〇〇だった、とかではなく、日常での細かい部分など、へえ~がたくさんある内容でした。

匂い追跡

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ある日のカフェにて。 そのカフェは、フレンチプレスを使ったコーヒーを出してくれるお店。 抽出に4分待っている時の香り、カップに注いだ時の香り。 途中で入店して来られた女性客から飛んできた香水の香り。(強めでした・・・) イベントスペースで行われていたアロマセッションの精油の香り。 精油瓶の蓋を開けたな~というのが見えて、少し時間差で、空気の中に流れてくる精油の香りをクンクンと探す。 さまざまな香りのする空気の中で、私の鼻の前を通る香りを追ってゆく。 そんなカフェ時間でした。 写真は年末に訪れたネパールでの朝食。この時もいろんな匂いがしたのです。 これを見ると思い出すのは、パンに添えられたバターを見たフランス人旅行者が 「おー僕はこれをずっと求めていた!!!!!」と盛り上がっていたこと。 バターの国だもんね。  

わたしの自由時間 in 人生

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人生を80年としたとき、自分の自由になる時間がその中のどれくらいあるのか?米国のある調査ではこのような時間割だったということを知りました。  睡眠に使う時間 約28年  仕事に使う時間 約10年半  インターネット、SNS、TVなどを見ている時間 約9年  通勤通学に使う時間 約1年4カ月 ここまでを足し算すると、48年9カ月。 家事・食事・入浴・身支度・子育て等、多くの人にとって必須の時間をここに足して、人生80年から引くと、  残りは 約9年 この残りが何かというと、 ”純粋に自分の自由に使える時間”  だそうです。それが9年。 日本では残業や休日出勤など、まだまだ多くの人が普通にしていることだと思うので、仕事に使う時間はおそらくもっと増える。 それに、日本の学校は親に参加させる行事が多い(学校が休みの日なのに部活があって試合があってその送迎をしたり他にも色々ありますよね)ので、子どもさんのいる方は必須時間の割合ももっと多いはず。 すると、残った9年という時間はどんどん少なくなってゆく。それに、体調が悪くて寝込んだり入院などしたら、またここから時間が減ってゆくのです。 人生で睡眠に使う時間は長いから寝具は心地よいものを、というようなことは知っていましたが、その他の時間の割合に関しては知りませんでした。 まさに時は金なり。(ちょっと違うかな?) 自分の命の時間をどんなことに使うのか、どんな気分で過ごすのか、だれと過ごすのか、どんな経験をしたいのか、今まで以上に気にしたいです。 約9年と言われる自由になる時間、これをどんどん増やしていきたいなと思いました。何に関しても、選ぶことのできる自由を持っている人になりたい。 そのために何ができるかなー?? この時間割の話は、わたしの好きなYouTubeチャンネル 神王TVのこちら  で知りました。 昨日あるカフェでパッと開いた本のページ