投稿

習慣を変えてみる

イメージ
過去15年間のサラリーマン時代「そうすべき」という思い込みにより 毎日していたことが、実は「そうすべきではなかった」ことが判明。 というか、別の方法もあったんだな、ということに気づきました。 それは、e-mailをチェックするタイミングについて。 毎朝会社のデスクに到着してパソコンを立ち上げ、同時にメールソフトも立ち上げ、 まずはメールチェックから始めていた日が殆どだったと記憶している。 多分わたしの周りの多くの人はそうしていたと思う。 管理職の方々からは「メールチェックだけで一日が終わってしまう」とか 嘆く声を何度も聞いたことがある。 それが、世界で大成功している社長たち起業家たちからすると 「朝一(仕事はじめ)のメールチェック、ぜーーーーったいアカン」 らしいです。 「昼食後のちょっと眠くなる感じの時間に一気に一括処理」 が良いらしい。 大成功者たちは、朝一はメールソフトも立ち上げないし「重要なメール無いかな?」 とチラッと見ることすらしないのだそう。 むしろ、してはいけないのだそう。 このことは、神王TVで紹介されていて知りました。 確かに自己啓発や成功哲学系で有名な  ”7つの習慣 ” スティーブン・R・コヴィ著 この本の中で紹介されている、時間管理のマトリクス表に当てはめて考えてみても メールチェックは仕事始めにすることではなかったような気がする。(今思えば) 「そうは言っても・・・」という心の声が若干出てきますが、 なんでもその道のプロから学ぶのが良い、と思っている私としては 世界の大成功者たちの多くが実践している方法がコレであれば、 真似してみよう!! と思ったのでした。

Tori Hada 🐓

イメージ
タイトルに絵文字を初めて使ってみましたが、反映されるのでしょうか。 さて、鳥肌について。 寒いときに鳥肌になるのは、身体の生命維持機能のひとつで、 「外気温が下がってるよー!体温が下がらないように、せーの!!」ということで、 身体が毛穴付近の筋肉をギュッと収縮させて毛穴を塞ぎ、体毛を立たせて、 体温がなるべく逃げないように下がらないようにしてくれています。 じゃあ、寒くないときの鳥肌は?? 例えば何かを見たり聞いたりして、ゾワーッとして一瞬鳥肌になるとき。 それは怖いモノかもしれないし、感動するモノかもしれないし、人によって色々だと思う。 最近私が注目しているものは、ポジティブ系のときのゾワーッです。 例えば今ちょうど、 鈴木真奈美さんのメルマガ を読んでいたのですが、ここの部分を 読んだ瞬間にゾワーッとしました。 ”  新しい、風の時代は、 「生まれる前に決めてきた、 自分史上最高のストーリーが いよいよ起動するタイミング」 でもあります。 ” 自分のポジティブ系ゾワーッを観察していて最近思っている自論があります。 「これってもしかして私の身体の微生物たちが反応している動きなのでは?」 という超個人的わたしの意見です。 詳しく言うとですね、 人の身体の表面には(体内にもね)、びっしり微生物たちが住んでいる。 そして微生物たちは、わたしの脳の顕在意識の部分よりも敏感にいろんなことを感じ取るし わたしにとって必要なものと不必要なものを知っている。 で、必要なもの(情報とか)を読んだり見たり聞いたりした瞬間に 「きゃーーーーーー(*ノωノ) それそれーーーーー わーーーーーーー(*ノωノ)」 と、身体表面の微生物たちみんなが、まるでウェーブをするかのようにして喜んでいる。 それはわたしという存在への合図でもある。GOサイン、その方向だよ、みたいな。 という自論です。 微生物学的に、解剖生理学的に、正しいかどうかは置いておいて、そう考えると わたし的にはとってもしっくり来るし、なんかおもしろいし、わくわくする。 ので、今のところこのように信じることにしています。 今日は以上です。 ミラノの自宅近所の大好きなお菓子屋さんのパネットーネ パネットーネもパネットーネ菌のチカラで成り立っています これはチョコと生姜入り

いまのところの今(わたしバージョン)

イメージ
  いま描いている宙奏曼荼羅 前回?だったか「今ってなんだろう、今なんて実は無いのでは?」というようなことを 書きました。 そのあと、この曼荼羅を描いているとき、突如、答えが分かりました。 それは「今ってなんだろう?」の答えらしきもの。 「今」は、すべての凝縮。 降りてきたのは、そんな感じのイメージだった。 直線上(例えば左から右へ向かって)に、 過去→→→→ 今 があっての「今」ではなくて、 「今」という点が中心にあって、その周りに過去も未来も全てがあって、 その凝縮が「今」、みたいな。 ここで言う過去とは、わたしの命が誕生してからのことではなく、 わたしという存在がここに存在していることに関わっている全てを指します。 例えば両親を起点にするならば、ご先祖様全ての存在、 そのご先祖様達に関わる周りの人や環境、 もしかしてあるとき道端に落ちていたかもしれない石ころ、たまたま吹いた風、 たまたま見かけた何か、それによって思いついた何か、 などなどの全て。 とにかく全て。 映像のような感覚のような状態で来たので、言葉にするのが少し難しいです。 頭の中をどこかに映せたらいいのに!(近い将来そうなるかもですね) 因みに、曼荼羅を描きながらこのことを考えていたわけではないし、 ブログを書いた後にずっと考え込んでいたわけでもありません。 でも、ある時点で頭の中で質問していたことの答えが来た。 宙奏曼荼羅を描いているときは、瞑想と似たような状態になっていて とてもリラックスしている。 なので、今回のような感じで、フワッと降りてくることも割とあると思っています。 まさに直感。 ここでいきなり宣伝ですが、 直観力も鍛えられる 宙奏曼荼羅のレッスン は、いままで対面でのみ開催していました。 先日、初のオンライン開催をしてみて とてもスムーズで何の問題もなく、生徒さんたちと楽しい時間を過ごしました。 ということで、今後はオンラインも開催していきます。 地球上どこの国でも、ネット環境と道具配送環境さえ整っていれば、 受講いただけます! (ちなみに初オンラインの生徒さんたちはイタリア在住) お問合せ、ご要望、お待ちしております :)

"いま” という時間はあるのかないのか

イメージ
「いま」と言った瞬間、思った瞬間、感じた瞬間、 その「いま」は通り過ぎて過去のものになっている。 一体「いま」って、いつのことだろうか? そもそも「いま」なんて存在するのかな? と最近考えています。 このところ練習している瞑想でも「いまに在ること」は大切なのだそうだし、 わたしの描いている曼荼羅画でも「いまここ」を大切にしている。 曼荼羅画のレッスンをするときも、口をすっぱくして、 「先のことを考えず、いま目の前の点だけを見てくださいね」 とか、 「ここをこうしたら、この後こうなって・・・と考えず、いま見えた個所を信じて」 などと受講生さんに伝えています。 そもそも時間が線のように後ろへ後ろへ流れているのか、 パラレルワールドのように散らばっているような感じなのか、 どうなんでしょう。 「”いま”とは何か」みたいなことを考え出すと、頭の中のぐるぐるが止まらなくなるので 瞑想中や曼荼羅画を描いているときは、それはとりあえず横に置いておかなくては。 何かの本で読んだ文章。とても美しいな、と感じました。 ここから感じられるその世界が美しい。          植物が何故こんなにも美しいかわかる?         彼らは、ただそこに在る、だから輝いているの。 10月後半頃のミラノは黄金色に染まります

瞬間を感じる力

イメージ
前回のブログは、とてもたくさんの方に読んでいただけたようで嬉しいです。 読んでくださたった皆様、ありがとうございました。 その辺を歩いていて感じたこと。 「なんかわたし、何気ない瞬間を大切にするようになったかも??」と思いました。 昔から割と、なんでもないことに幸せを感じられるタイプではあったけれど、 それが更にパワーアップしているような気がしました。 この8カ月で。 そう、コロちゃん騒動のおかげです。 目の前の風景とか、食べるもの、目の前にいる誰か、物、などなど全ては 明日は同じように目の前に存在しているか分からない、 ということが身に染みて分かった8カ月だったからかもしれません。 そもそも、人間に生まれたからには、全員100%の致死率で死ぬわけなので、 あと5年後か、30年後か、5分後か、明日か、いつかは誰にも分からないけれども いまこの瞬間と同じトキを今後も過ごせるかどうかは、まったく不確定。 ということは頭では理解していたつもりだけれど、 この8カ月でその理解度が更に上がった、とでもいうのでしょうか。 「この幸せな瞬間を味わおう」とニンマリしながら歩いた時間でした。 この感覚を忘れているときもあるだろうけれど、なるべく、ね。 コロちゃん騒動、わたしをそんな風にしてくれて どうもありがとう。 これってとっても大切な感覚だと思う! 皆様はどうかな?? 写真を見返して気づいたけれどイタリア国旗柄の道路でした(日本だよ)

どう感じる?そして、どうする?

今日は、ワクチンについて。わたしの知っていることを書きます。 コロちゃん騒動で「ワクチンさえできれば!」「はやくワクチンできないかなー」という 文字をSNSで頻繁に見かけるようになりました。 そう思っている人たちが山ほどいるんだろうな、と感じています。 そして同じように、そう思っていない人たち、これも山ほどいます。世界中に。 先に言っておくと、私は ”そう思っていない人” です。 コロちゃんについてもインフルエンザやその他の病気についても、 ワクチンに期待をしていませんし、避けたいと思っています。 何故わたしがその立場をとっているか、下の動画をご覧ください。 特に、 ワクチン接種を自分以外の誰かに強制できる立場にある方、 「ワクチンは打つものだ」という意見以外は知らなかった方、 これから子どもを授かりたいと考えている方、 もしそんな方がこのブログをご覧になっていたら、 この動画のうちの一つでも見ていただけたらと思います。 言論統制の厳しい今、特に最初のDr.キャリーの動画は、この三つの中では 削除される可能性が一番高いと思います。 全て日本語または日本語字幕です。 ◆内科医 Dr.キャリー・マディ による説明、22分(BitChute) The Truth 今回のコロちゃん向けワクチンはどんなものか  ( 翻訳編集/Divine Angel Place) ◆誠敬会クリニック銀座 吉野敏明先生による説明、7分(YouTube)  ワクチンの話(前半)   ( 今日時点で後半はまだUPされていないようです )  ※どうやら後半編はYouTube側から削除されてしまったようです ◆くすりを使わないTokyo DDクリニック 内海聡先生による説明、20分(YouTube) ワクチンの正体シリーズ①   (このシリーズは⑤まであります) Dr.キャリーの動画は私も最近見ました。 ああ、これは日本の内閣府が計画しているムーンショット計画にも関係する話だな、 という感想を持ちました。 自分の信じていることと違う意見に対して、ついつい批判をしがちです。 しかしどんな判断も、その人の自由。 発言に対しての規制はあっても、何を考えるかへの規制はありません。今のところは。 なにかを知って、感じて、考えて、判断して、選択して、動く。 わたしたちは自由。 with Big love and ...

悟りをひらく瞬間、真理が解かった瞬間

イメージ
今朝、Spotifyで音楽を聴きながら洗面所でお化粧をしていたときのこと。 突然に「わかった」ことがあって、涙が溢れ出てきて、割と大泣きしました 笑。 そのとき、特に何かについて考えていたわけではなかったので、本当に唐突でした。 それは自分の人生について、のようなことについて ”わかった” のです。 いままでのすべてがピーーーーンとつながって、感謝と感動と 何か大きなエネルギーへの畏怖みたいなもの、この瞬間からのわたしの在り方への決意、 全てひっくるめたような感情が湧き出ていました。 そして泣きながら「この体験は発信しなければ」とも思ったので書いています。 ほんと意味不明、な感じだと思うけれど・・・ なんかこれって、悟りを開いた瞬間の人とか、真理がわかった瞬間の人とか、 もしかしてこんな感じなんじゃないか?? と、ちらっと思いました。 子どものころに見た漫画か映画かで、そんな場面があったような記憶があって、 その時の様子に似ているような気がする、と思ったのです。 (手塚治虫さんのブッダだったか、別の何かか。。。) これまで ”ある瞬間唐突に幸せ感が溢れ出てきて感動して嬉しくて涙が出る” ということは まあまあ時々ありました。 これも特になにか考えていたことがあったり、幸せだなあと思いながら何かをしている ときなどではなくて、ただの移動中とか、お洗濯物を干しているときとか、なんでもない 日常の途中に突然来る瞬間です。 今回のは、唐突度としてはコレと同じですが、内容がちょっと違う。種類が違うというか。 わたしには初めての体験でした。 でもこれって悟りなのか真理なのか、それがどんなものか知らないのでわかりません。 うーん、おもしろい。

幸せレベル

イメージ
先日の十五夜、そして満月の日を境に、わたしの幸せレベルが少し増したな、 と感じています。 まず、自分のいる場所(24時間過ごす場所)が変わったことが、だいぶ大きいと思います。 自分的幸せレベルの標準ポイントに、少しずつ近づいている。 だれでも、一日の中で様々なことを感じて考えて、 気分が上がったり下がったりしていると思うのですが、 「ああ、快適」「ああ、幸せ」と感じることが絶対的に増えている。 そんな感じです。 浅見帆帆子さんの本に  ”自分の知らないところで物事は進んでいる”   というようなことが書かれています。     本の中では主に、自分の理想像(夢や目標)に向かって今日も近づいている・自分のしらないところで物事が動いている 、と。 (この本以外の彼女の本にも書いてあったような気がします) どこに意識を向けているか、ということって、とても大切だなと思います。 人はいろんな気分のときがあるので、四六時中UP↑↑ではなく、例えばわたしだったら 「わたしにとってベストなタイミングですべてが起こる(着地する)」 と信じているので 「あ~あ・・・涙」という気分のときがあったとしても、 それはそれで「今ストレスたまってるな」「幻滅しているな」とかしておいて、 心の奥の奥底では ”絶対に大丈夫” という確信を持っている。 で、絶対に大丈夫、と信じているので、いろんな気分のときがあっても大丈夫。 わかってもらえるでしょうか。うまく言えないのですが、そんな感じなんです。 何の話をしたかったのか揺らいでいますが、とにかく 幸せレベルがあがったな!と感じているという状況でした。 美しい月の光でした

くもりなき眼で物事を見定める

イメージ
少し前から、わたしの頭の中に頻繁にキーワードのように現れる言葉は、 タイトルにある「くもりなき眼で物事を見定める」です。 ジブリ映画 ”もののけ姫  (宮崎駿監督)” の中で、アシタカが村から旅立つ前、 村の呪術師ヒイ様の言葉の中にあるものです。                    この映画も好きな映画だけれど、とびぬけて好きで何度も観ているというものではなく、 このセリフがあった場面は「言われてみればそういう場面があったね~」というレベル。 それでも、この言葉は、ある日突然わたしの頭の中にポッと出てきた。 いま思えば、この言葉って物凄く深く、何事にも通ずる言葉だな、と思うのです。 なにかの出来事、誰かのこと、ものごと、これらを、それそのままに正確に見るって、 実はできていないことが多い。 そこには、自分の感情が付随していたり、自分の過去の体験を判断基準として善悪の評価を 付けていたり、おそらくほぼ必ずなにかしらのフィルター有りの状態で、 出来事や相手を見ているのだと思います。 で、そういうフィルターで見ているから、それに続く結果なり次の段階なりに進む。 友人のヒーラーまいちゃんの講座やブログ で「物事はただ起きているだけ」と教えてもらい 頭で理解していたことが、近ごろどんどん腑に落ちる状態になってきています。 というか、腑に落ちてきていることを気づいたからこそ、以前が「頭で理解していた」 状態だったことに気づいたというか。 それで、くもりなき眼になるためには瞑想がとっても効果的らしいことも知って、 最近は瞑想の練習もしています。 そんな風に過ごしていたら、わたしが何冊か愛読している作家 浅見帆帆子さんが 瞑想の本を出されていることを知り読んでみました。 amazonへ飛びます。 こちらから購入いただけると嬉しいです♡ 修行僧などが真理を知る、とか、宇宙とつながる、とか、思いもよらないアイデアが浮かぶ とか、そういうことも、要は、くもりなき眼であるからこそなんだな~、と ふつふつと実感し始めています。 なんかすごいよね!!!!!!

なんで??

イメージ
わたしは「なんで?」と疑問をもつタイプだと思います。 例えば学生時代の記憶、一部抜粋してみます。 小学生・・・風景写生で黒い水の流れる川をそのまま描いた。先生「川っていうのは青でしょ」。私の心の中「(あの川黒いよ。なのになんで青?)」。 中学生・・・私の心の中「(なんで髪を結うゴムの色が決まってるの?なんで耳より高い位置で髪を結ったらいけないの?なんで一年先輩なだけでそんなに威張るの?)」。 高校生・・・私の発言「なぜ傘の色は紺か黒でなければいけないのですか?なぜ真冬の寒い時期に制服の上にコートを着てはいけないのですか?」 。先生「変な質問をする奴がいる(怒)」。私の心の中「(え??ただの疑問なのになんで怒るの?なんで答えてくれないの?)」。 その他にも学生時代は、様々なことに対して山ほどの「?」がありました。それ以上の追求は許されなかったり、自分もきちんと言えなかったりで、分からずじまいのことが多かったです。 この世には大人の事情的なものがある、ということが徐々に分かり始めると、今度は、「じゃあ一体その事情とやらができている背景は?」と考え始める。 〇〇である、としておいた方が都合の良い人たちがいる、とか、それで儲かる人たちがいる、とか、その方が管理する手間が省けて楽、とか、単に多数決とか、昔から常識とされているから、学会ではそれが通説、とか。 「なんで??」から始まって、どんどん考えたり調べたりしていくと、この世の仕組み的なところに辿り着いたり、その中は見えなくてもいつも同じ扉の前に辿り着くことが分かったり。 又はどこにも辿り着けず、そのままそのことは忘れていたり。 ぜんぜん関係のなさそうな複数の物事が、実は奥の方でつながっていたことが何かをキーに分かったり。 今はインターネットがあるので、多くのことが調べられます。なんで?の答えやヒントがインターネットの中にあることも多い。 情報量が多い反面、どういった立場の人がそれを載せているのか注意する必要があるし、検索上位に表示される情報がインターネット側で振り分けられている言論統制的な状態があることも承知しておく必要がある。(場合によっては本の方が知りたい情報が調べられる) なにを検索ワードにするか、どこからどこへ繋げるか、なにを信じるか。 結局は自分だなー、と思うのです。 因みに、宇宙人はいてもおかしくないでしょ、と...