投稿

そうだ、私は誰かの微笑む顔を見て感動したいんだ

イメージ
” 僕も最近、人になにかをする時は、 「その人のため」ではなく、 「その人の嬉しそうな顔が見たいという自分のため」と信じるようになった ” これは、谷口たかひささん(Ig @takahisa_taniguchi ) のインスタグラム投稿文章の 一部の引用です。 この投稿を読んで、自分のウェブサイトのAbout Meの自己紹介を少し変えました。 私もそうだ。 と改めてしっかりと確認することができた。 私はもともと、100%の気持ちで「あなたのため」という言葉を受け取れないタイプです。 「その人のためだったかどうかは、結局は受け取った本人の都合や状況による」 「あなたのため、と言っているが実は自分の不安を解消するためだよね?」 というように捉えることが、これまでもよくありました。 「あなたのため」という言葉の中に違和感を感じる、というか。 たかひささんは こういう方 で↓ 今回話題にした投稿はこの表紙のもの↓ 私のサイトの今のAbout Meは こうなりました ↓ ちなみにサイトの中は、自己紹介に限らず、ちょこちょこ変えています。 表現の仕方とか、言葉とか。 その時の自分にしっくりくるものにしておきたいな、と思っています。

クラリオン星人そうた君とのお話会

イメージ
 「宇宙のお話会 ~宇宙人は小学5年生~ 」というものに参加してきました。 会場には300人ほど集まっていました。 やはりリアルで会うというのは良いな~と感じました。 私がオンラインでは感じられない様々なものを感じられます。視覚、聴覚以外の感覚で受け取るもの。 クラリオン星人そうた君の話す内容どうこう、よりも、価値観の違う人同士のやり取りを見て聞いて、いろいろ思うことが多く、それが興味深かった。 価値観の違う人同士とは、地球の人(参加者たち)と、地球とは全く異なる価値観の星の人(感情というものが存在しない星の人であるそうた君)。 感想を書こうかなと思ったのですが、主宰のヨンソさんが昨日Voicyにアップしていたものが まさに私の感想と同じだったので、リンクを貼って終わりにします。 ヨンソさんVoicy 「感情は自分を知る為の大切なサイン」   ←アプリでなくても聞けます 因みに、クラリオン星人そうた君のことはYoutubeで知り、彼が小学3年生だったときのものから見ていました。 OWS TVで、宇宙人は小学3年生、4年生、5年生、とシリーズになって再生リストのところに保存されています。最初の出演動画はたぶんコレ↓かな?

脳のメンテナンスをする

イメージ
脳のメンテナンス。 それは、日々の思考や心の状態の整理整頓、断捨離、デトックス、手放し、解放。 言い方はいろいろあると思いますが、そのようなことです。 美容や健康のためということで、エステやマッサージや整体やネイルサロンや 諸々に通っている人は多いですよね。 でも「私、月一で脳のメンテナンス通ってるんだ~」という人は、私は聞いたことがありません。 年末からアクセスバーズの予約がいくつか入り「アクセスバーズってやっぱりいいよね」 と私自身が再認識していたところ、 「これって脳のメンテナンスだよね」と思いついたのであります。 (思考や心の状態は脳よりも腸が司っている、という話はここでは横に置いておく) 前にもこれはブログに書きましたが、人間は1日に約6万回の思考をしているそうです。 起きている時間は、瞬間ごとになにか考えているということ。 「思考は現実化する」「考えていることが引き寄せられる」と言います。 これは本当にそうだと私は思っています。 そして感情(気分)は、そのとき自分が何を考えているのかを教えてくれるサインでもあります。 感情(気分)がマイナスなときが続くと、呼吸が浅くなり、そのうち胃が痛くなったり、 頭が痛くなったり、肩がパンパンに張ってきたり、と体にも影響が出るし、 そうすると他の予定や他の人に対してまで、影響が出る。 要は、感情(気分)や思考が、自分の言動に思いっきり影響を与える。 もっというと、自分の日常生活、人生に、思いっきり影響を与えるわけです。 アクセスバーズは、感情や思考のデトックスができる。 今まで生きてきて知らずのうちに自分の中に溜め込んできている様々なモノで 今の自分には不要になっているモノを取り除くのです。 パソコンに溜まった不要なデータをDeleteして、動きを軽くしてあげるように。 タンスの中にギューギューに詰まったもう着ない洋服を断捨離して隙間を空けるように。 モノというのは、 なにかに対する思い込み・制限・ブロック・こうであるべきという思考・トラウマなど 自分では気づいていないエネルギー的なものも含みます。 新しいなにかは、空いたスペースに訪れる。 自分の人生にとてつもなく影響を与える、思考や感情のメンテナンスを時々してあげて サラッとサッサと軽やかになって、 今までの自分では思いつかなかったアイデア出しができたり、 自分に余

たまごがさきかにわとりがさきか

イメージ
「体が調子悪くなってるから心までやられちゃうんだよ」 「体のコントロールができると、心のコントロールもできるようになりますよ」 「あなたのその思い癖が、内臓のその部分に影響を与えているのです」 「感情を制する者はすべてを制する」 「病は気から」 最近、耳にしたり目にしたりした言葉たちです。 どちらもある、ということですよね。どちらもあると、私は思う。 ちょっと似た感じの話を思い出しました。 「あー、今日の夕飯なにかな?焼き魚が食べたいなー」 と、ある人が考えていた。 ちょうどその頃、その人の妻(母だったかも)が食材の買い物をしていて 「今夜は焼き魚にしようかな」 と考え、魚を買って帰った。 これは量子論的に言うと  「焼き魚が食べたい」という思考エネルギーが発せられ それをキャッチした妻(母)が「今夜は焼き魚にしようかな」と、ふと思う。 もしくは「今夜は焼き魚にしようかな」という妻(母)の思考エネルギーを キャッチした結果「夕飯は焼き魚がいいな」と、ふと思う。 どちらがどちらか云々、、、という話を聞いたことがあります。 どちらがどちらだったか、忘れてしまいました笑 ある日ドーナツが食べたくて買ってきました

There is no spoon

イメージ
Don`t think you are, know you are. Your mind makes it real. There is no spoon. これらは映画 Matrix の中に出てくる台詞で、私の中に深く印象として残っているもの。 1999年に公開された初代Matrixです。 映画の中の字幕では、確か、 速く動こうとするな、速いと知れ 心が現実にする スプーンなんてないんだ とそれぞれ書かれていたと思います。 映画の中の話ではなくて、この世の仕組みをついた言葉だと私は思っている。 この初代Matrixが公開された当時は、そういう映画がある、ということは知っていましたが 単なるアクション映画か何かだと勝手に思い込み、当時の私は観ようと思いませんでした。 それから2,3年たって観ることになったのですが、観てものすごい衝撃を受けました。 どう感じたかというと、 「え。。。??これって私が小さい頃から考えていたことだよ?なんで映画になってるの?」 ということ。 私が子どものころ考えていたことはこうです。 実は自分の体はどこか別のところで寝ていて、 いまいるこの世界はただの夢とか想像じゃないか と、ふんわりぼんやり思っていた子どもでした。 なので映画の中でその部分が出てきたときに、衝撃を受けました。 私の想像がこの人に伝わっていたのか、とか、この人も同じように考えていた人だったのか、私も自分の頭の中を映画化する能力があれば、とか笑 真実はどうなのか知らないけれど、映画の中というのは真実が散りばめられていたりする、というようなことも有りえるだろうなと思うと、楽しいです。 モロッコのどこかで撮った扉

今年やりたいこと100

イメージ
12月末、浅見帆帆子さんのYouTubeを見て「2021年にやったこと100個」をノートに書きだしました。 正確には12月末に書けず、1月に入ってから続きを書きました。 帆帆子さんの言うように、すっごく細かい自分しか知らないような日常のことも含めて100個。ありとあらゆること。 そして1月に入って、帆帆子さんのYoutubeが新しくアップされていることに気づき、見てみたら、今度は ”「2022年にやりたいこと100個」を書いてみて” とおっしゃっている。 正直言って「また100個も書くのかあ。。どうしよ。」と思いました。 しかし! そう思ったということは、それは私の現さん! (現さん=自分の現状維持機能のこと) 書かない自分=今までと同じ自分をキープしようとしている。 ということで、どうなるか実験も兼ねて100個書いてみました。 なにより帆帆子さんは毎年それをしていて、書いた通りになっているそうなので、私だってやってみたい。やってみないとどうなるか分からないし。 1月3日に書きはじめ、事情により数個で止まり、6日に一気に残りを書きました。 今年やったこと100、今年やりたいこと100、どちらも書いてみて感じたことは、 やったことの方は、書いたものを眺めてみると「私って〇〇のことも〇〇のことも〇〇のこともやって、十分やったね、これは」と思える。 やりたいことの方は、書いたものを眺めてみると、そうなったときの嬉しい気分やその次の展開の妄想などがどんどん湧き出てきて楽しくなってくる。 つまり、両方とも気分が良くなります! いまこの瞬間の気分が次の瞬間を創造するので、これはとても良いかも。 浅見帆帆子さん動画 「思い通りの1年になるために」

民意

日本刀。私にとってそれは ”存在自体は知っていたけれど、時代劇の中のものだったり、美術品として好んでいる人が現代にもいるらしい” 程度の認識のものでした。 自分の生活の中には全く関わることのなかったもの。 それが今の夫との出会いで大きく変わりました。 夫の父は福岡県で刀鍛冶を職業として生きている人。 NHK WORLDで日本刀の特集があり、義父も取材を受け、世界へ向けて放映されました。 その日本語記事が公開されたのでご紹介します。 日本刀を未来に伝える ~伝統の継承と課題~ この番組の中には、義父ともう一方の刀鍛冶が出ています。刀匠の世界の最高位 「無鑑査」をもっている二人。 この記事を読んで私が感じたことは、対照的な考えを持つ二人だな、ということ。 だからこそ選ばれて取材を受けたのかもしれません。 それぞれの想う日本刀の未来があり、そこへ向かってそれぞれが生きている。 それぞれの信じる世界の中で生きている、そんな感じを受けました。 人は皆、それぞれの信じる(想う)世界の中でのみ生きる、自分の信じる世界を自分で創りあげている。 どちらが良い悪いではなく「それぞれ違う」のですよね。 義父の言葉が印象的でした。 「現代の人が、それを宝ととらえるかどうかなんですね。刀の世界をどう考えるのか。千年以上続いてきたものを、もう無くなってもいいやって思えば、日本では、無くなるでしょう。皆さんどう考えるかですよね。日本刀を絶やすか、まだ続けさせるか。これは誰が選ぶのでもない、皆さん全体が選ぶものですからね。我々が一生懸命訴えても、そういう時代じゃないって言われれば、それで終わりなのです」 NHK WORLDで放映された番組はこちら NEWSLINE  (英語放送 約4分) こういった各国や各地域に伝わる伝承文化がどうなっていくか、それはその地域に生きる人の意思や意識や考え方によって、その先が決まっていくように思います。 これって、伝承文化の話に留まらない。 例えば会社という組織だって「働かせてやってる」「働かせていただいている」ではないと私は感じていて、その会社で働きたいという人がいなければそこは会社として成り立たないしやっていかれないわけです。 国もそう。いくら国が規則を決めて「〇〇しなければ投獄」「〇〇しない人はxxへ入れない」と言っても、国民の多くがそれに従わなければ、その規

思いつきのクリスマスデコレーション

イメージ
ふと思いついて、自分で描いたミニミニ曼荼羅をぺたぺた貼り付けてみました。 私はキリスト教徒でもないし、クリスマスに限らず、誕生日以外の様々なイベントごとの装飾やらなにやらはあまりしない方。 (クリスマスをイベントの一種として書いて、信者の方には失礼いたします) とは言え、クリスマスシーズンの欧州の雰囲気というのは素敵だなあと感じています。 このミニミニ曼荼羅は、直径2~3cmの紙サイズに描いたものです。 一緒に貼り付けてある抹茶色の鹿とイタリアカラーのテープは、 奈良の友人からの贈り物についていたもの。かわいいでしょ。  

なるべくStay Local

イメージ
この5年くらいで私の思考は次のような感じになっています。 「なるべく地元の個人商店からお買い物したいな」 「なるべく地元にお金が回るようにしたいな」 なるべく、で良いのです。完璧は目指さない、けれども基本はこの↑感じで生活がしたい。 そんな風に生活する人たちが増えて、地元内で様々なものが循環するようになっていったら、 結局はとっても豊かな暮らしになるのではないか。豊か、の意味は、お金だけでなく、 安心感が増すとか、生きる力が増すとか、繋がりが強くなる、とか。 私はなんでもかんでも”繋がろう”みたいなのは苦手で、必要なときに必要な人がそれぞれ、的な 意味です。必要なのに孤立したまま、ということにならないような繋がり。 そのような地元が各地域にできていって、また地元同士で必要なときは、協力したり 助けたり、ができる。 現代の日本のように、「もっともっと」「拡大拡大」「グローバル」としなくても 十分に豊かな暮らしができるのではないかと思っています。   昨日は私の地元の公園で 『LOCAL COFFEE FES』 というイベントが開かれ 行ってきました。地元でコーヒー業を営む個人商店が公園の広場に出店し、来場者は いろいろなコーヒー店の味を楽しむことができるというイベント。 もちろんコーヒー豆は外国産なわけですが、それぞれの店主さんが情熱と愛をもって 扱っている豆(その生産者さんたちとの繋がりだったり)。 そこで私はちょっとおもしろいなと感じる感覚を得ました。 私は夫と二人で出かけて、元々混雑が苦手なので、終了時間30分程度前に行きました。 もう売り切れているお店もあった中から、せっかくなので、知らないお店のコーヒーを選びました。私が感覚で選んだ二店。 そしたらそれぞれ全然違うタイプのコーヒーで、 一つは香りも味も下に感じる刺激も「あ~まろやかでなんだかほっこり美味しいね」 もう一つは「都会的な感じでキリッとしているね、うん美味しい」 このような感じだった。印象は違うけれど、どちらも美味しかったです。 そのあと家に帰ってきて思ったのですが、 あの公園で足の裏に土を感じ、周りには木々があり、 人々がMyマグカップを持ちながらゆっくり歩き回る、曇り空の寒い日曜の午後、 その雰囲気の中で飲むコーヒーは「まろやかでなんだかほっこり」の方が とっても美味しく感じました。きっとあの時

芳香は方向

イメージ
漢字にすると違う意味を持つものになるけれど、音(読み方)としては同じ言葉。 日本語はそういった単語が多くありますよね。 芳香と方向。 これは 神王TV を見ていたときに出てきたものでした。 (神王TVは様々なジャンルのテーマを扱っていて、豆知識的なものや潜在意識系のものが好き) 香りのない宗教は無い、といわれるように、香りと宗教的世界観みたいなものは密接にかかわりがあります。 日本なら、お墓や仏壇のお線香は良く見かける風景。 ピラミッドの時代でも香りは儀式に使われていたようです。木の樹脂を燃やす。使われていたのは、フランキンセンスやミルラの樹脂。 アメリカ大陸の原住民の方々は、ジュニパーの枝を燃やしていた、とか。 他にも様々な植物を様々な人々が儀式的に使っていた(いる)のです。 共通しているのは、なにかを燃やして煙を出していること。 その煙が、神様的な存在との繋がりをつくってくれたり、魔除けや浄化、意識の変化をさせてくれる。そう信じているから大切な儀式に使っているわけです。 その煙が、どこかへ連れて行ってくれる、どこかやなにかと繋がる、方向を示してくれる。 何かが燃えて出る煙というのは、必ず香りがあります。煙=香りです。 香りによって方向が示される、なにかと繋がる。芳香と方向、芳香は方向。 自分の中の奥深い意識、潜在意識の方向性を香りで導いたり、意識を瞑想状態に導いたり、 植物の香りというのはそういったことができる力を持っていると私も実感しています。 何かの香りを嗅いで気分転換、というのもその一種ですね。 セルフイメージを高める、自己肯定感を強める、そんなことのサポートも植物の香りでできると思っています。 私が調香で使うのも全て植物香料、精油です。液体になってもまだ生きていると感じている。 植物は地球における脇役のように(風景の一部、みたいな)思われがちだし、私もついそう思ってしまうこともあるけれど、ものすごい力を持つ生命体。 他の生命体に比べて動きがものすごー----くゆっくりだったり、いわゆる顔がないし、身体の構造が違うので、モノ、みたいに感じられてしまうのだと思います。 樹脂を燃やして出た美しい煙のアート