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ヒーラータイプ&オーラ鑑定を受けました

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まいちゃんのヒーラータイプ&オーラ鑑定セッション を受けました。 (まいちゃんとは、これまで何度かこのブログに登場しているプロのヒーラー、友人であり先生である) 私は今回、プチヒーリング付き、のメニューで申込をしました。 結論から言うと、申込をしてすごく良かったです。 自分がやりたいこと、自分の仕事について、やるべきことについて、 更なる自信がついて、良い意味でドッシリとした感じがします。 それに、自分でできることだけれど、時々自分以外の人にしてもらうというのは、 とても良いと思いました。勉強にもなるし、新たな気づきがあったり、見直しがあったり、 なんだか流れが良くなる感じというか。 美容師さんが自分の髪を他の美容師にあえて切ってもらう、みたいな感じでしょうか。 (人によるかもしれないが、美容師さんから聞いた話と共通点を感じたので例に出してみた) 普段、気になったことは、セルフリーディング&ヒーリングで解決していますが 最近ちょっと感じていたことは、自分のことをするのがイマイチやりづらい、 ある段階から先へ進めない感じがする、という状態。 他人のリーディングヒーリングは問題なくできているのに。 そこをまいちゃんにみてもらいました。 「え!あのイメージってそういう意味だったんだ!!」という意外な盲点というか 気づきがあり、結果的に、やはり宇宙はいつも答えてくれていた、 というのが良く分かりました。 気になっていることは、さっさと解決するのがいい。 さっさとそこから抜け出して、日々やりたいことに時間もエネルギーも使いたいです。 その方が私は楽しいし嬉しい。 因みに私の第三の目は、ばーーんっ!!と光っていて、ビジュアルでみるのが得意だね、 と言われました。自分でもそうだと思います。 そしてヒーラータイプとしては、 そこにゴチャゴチャと色んなものがあった時に、不要なものをどんどん取り除いて 必要なポイントを見つけ出し、そこに向けて行動だったりをしていけるように導く、 のようなことが得意なタイプだそう。 これを聞いて過去を思い返してみると、確かに思い当たる節がたくさんあります。 私のオーラの一番外側は赤色だそうで、その意味も聞いたおかげで、あるイメージが湧き、 ますますヒーリングがやりやすくなりました。 繰り返しになりますが、ときどき人にしてもらうって良いなあ、と改めて。 ま...

お墓というモニュメントとは

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「自分が死んで魂と言われるものになったとき、  お墓の中になんて絶ーーーーっっ対にいないよ」 あるときからこのように思っていました。いつからだろう、中学生とか高校生かな。 私の実家は両親それぞれ仏教のある宗派に属していて、寺院にお墓があります。 なので、いわゆる仏教的行事の時は(お盆とか、〇回忌とか)そのお墓へお参りに行くし、 自分が大人になってからは、ふと思い立ったときにお花とお線香を持っていったりも しています。 因みに、現在のところ私自身は無宗教です。 私を火葬した後の骨は、海に撒くとか土にそのまま埋めるとかがいいなと考えています。 納骨のためのある特定の区画の樹木葬みたいなのは私はちょっと違うなと感じていて、もっと自然の中に自然に、というイメージを持っている。 上のように思い始めたのは、おそらく幼い頃から私の中に、ふつふつと違和感が芽生えていたからで、 行事とかお葬式とかでお墓の前に行くたびに 「この石の小さな空間の中にずっといるなんて、なんか変じゃない?ご先祖様たち本当にここにいるの?家にだってお仏壇があって、お仏壇にも毎朝お参りして、更にお墓にもして、一体どっちにいるわけ?変な事だらけ。私は死んだら身体から自由に羽ばたきたい。」 などなどと、長い年月をかけて私の頭の中に浮かんできていた。 それである時  ”お墓とは死んだ人のためのものではなくて、生きている人のためのもの  生きている人が死んだ人達を忘れないようにするため、思い出すためのもの” そのようにも考えるようになりました。どこかでそんな感じのことを読んで納得したのかもしれません。 宗教だってある一面はビジネスで、檀家になってもらい、お墓の土地やお墓自体の購入、 ある時期ごとにある行事や儀式への参加、などのことをしてもらいたいわけです。 (宗教否定とか嫌味で言ってるわけではなくて、世の中を見ていて、そうなんだろうなと私が個人的に感じていること。) とはいえ、お墓の前やお仏壇の前へ行くと、手を合わせてご先祖様たちに感謝の気持ちを伝えたりもします。 お墓へお水をかけたり、汚れていたら掃除もする。 お墓やお仏壇の前に行かない時、普段自宅に居る時などでも、ご先祖様たちのことを想います。 身体を持った私という存在の遺伝子をつないでくれた。たった一人かけただけでも、 もしくは誰かや何かのタイミングがちょ...

イタリアから日本へ、調香セッションやっとローンチしました

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少しずつ準備を進めていたメニューを、今日ローンチしました。 ローンチするタイミングを自分的に探っていたのですが、 今日になってやっとその気になり、気持ちが盛り上がりまして。 100%オリジナルの、あなたの香りをつくるセッションです。 ミラノでしていたものをブラッシュアップさせ、 より一層わたしの得意分野を融合させたものにしました。 香りは100%天然香料、植物から採れるエッセンシャルオイルを使用します。 植物の香りが、人の脳に与える影響はとっても凄いのです。 それは身体の様々な部分にも関係するし、感情や気分にも大きく影響し、 目には見えないエネルギーの部分にだって影響します。 香りを纏うことが好き、と言う方にも、香りから何かしら特定の影響を受けたい場合 にも、とってもとってもおすすめです。 しかも、その方に合わせたブレンドを創るので、やはり特別だし効果的なわけです。 私がこれまで積み上げてきた イギリスアロマテラピー、フランスアロマテラピー、フランスアロマコロジー、 調香、リーディング、ヒーリング、 の知識と技術を総動員したセッションになります。 楽しんでいただける方がたくさんいらっしゃいますように。 どうぞ、よろしくお願い申し上げます。 パーソナルアロマ調香セッション  ”ナカソトノカオリ” 今のあなたに合う香り、つくります

ホピ族から火を受け継いできた日本人

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とっても凄い。。。。。 と感じた動画です。 動画です、というか、ストーリです。それも壮大な実話。インタビュー形式です。 何世代ものあいだ、ある民族の中で守られてきたものが、この間の夏至の日に解き放たれた。 どうぞ動画をご覧ください。 地球や人類のために様々な行動をされている、さとうみつろうさんの動画です。 私はとても興味深く観ました。 偶然か運命か、導きか、この役目をすることになったのは沖縄人の男性なのですが、 ちょうど近頃わたしは、沖縄人と縄文人の関係、縄文人と世界の先住民族との関係、 などなどの情報を知ったり聞いたり読んだりしていたところだったので、 なんだか余計に、納得するものがある内容でした。 あちらこちらにキーワードが散りばめられている感じでした。

アカバンしたりされたり、立場による創意工夫

「 おすすめのサイト」という項目に登録していたリンクを変更しました。 私が、勉強のため、様々な角度からみたニュースを知るため、などに 楽しみに見ていたサイトが続々と削除されてしまいました。 Youtubeなどの動画サイトやSNSなどの、いわゆるアカバンというものですね。 削除したのはもちろんご本人達ではなく、会社側です。 言論統制が激しくなっている今、会社側にとって都合のよくない発言は 無視されたり、消されたり、検索しても出てこない仕組みになったり、いろいろです。 削除されては、新しいアカウントを立ち上げ、また削除され、また立ち上げ、 と追いかけっこのようにしている方もいらっしゃるし、 これまでの場所では当たり障りのない話をし、消されにくいとされる別の動画サイトで 様々な話をする、とか、こちらもいろいろ。 それぞれの側がたくさん工夫して、お互いの立場を守っている、という感じでしょうか。 おすすめサイトは、私がよく見るものを載せていますが、これしか見ていないわけでは ありませんし、その時々の私の状態でよく見るものも変わっています。

概念と現実/座ZEN

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先日、私としては珍しい行動をしました。 「これは参加したい!この人に会いたい!この場に行きたい!」と強く思った ワンデイリトリート がありわざわざ新幹線に乗って出かけたのです。(わざわざ何かのイベントなどに時間を合わせてお金を使って参加、ということは普段あまりしない) ヨガ・感情リリース・座禅の内容で、それぞれのスペシャリストの方々とのトークセッションもあり、朝から夕方まで気持ちの良い空間を過ごすことができました。 最後の座禅は、 京都の栖賢寺の住職 宗貫 さんとの時間。 目を開いたまま瞑想をする、という感じの時間でした。このブログでも時々書いているように、私もほぼ毎日瞑想はしていますが、目は閉じています。何故なら、閉じたほうが集中できる気がしていたので。 座禅の前にあった宗貫さんのお話でとても心に残っていることは ”すべてをあるがままにしておく” ということ。あるがままの現実をそのまま感じながら、ただそこに居る。それは、周りの音だったり目の前の景色だったり、肌で感じる湿度や、漂ってくる匂い、頭のなかに浮かぶ思考だったり。 それら全てのことを自分でどうこうしようとせず、ただそのままにする。その中で自分は座禅をする。 目を開いていたら私は空っぽになれない、と思い込んでいる節があった私としては、この座禅の時間がとても良い時間となりました。 今そのままを感じながら、自分の中がとても静かな時間を過ごすことができたと思う。これを書いている今日も、そのように瞑想をしてみました。 宗貫さんが「瞑想で目を閉じていても、それって瞼の裏側を見てるだけですから」とおっしゃっていたのが、確かに!という感じでちょっと面白かったです。 因みに、この座禅の時、若干の修行が私の身に起こりました。 「あるがままにそのままに」とかいうお話を聞いて頷いている最中に、少し大きめのクモが私の少し前を横切って、すぐ近くで停まった。虫が苦手な私は、ついいつものようにギョッとし、「座禅が始まってから私の方に来たらどうしよう」という不安が湧き出てきたのですが、不思議なことにこの時はその不安とかギョッとした感覚を流すことができたのです。 この ”流す”って、後で考えても ”その気持ちを抑え込んだ” とは違う感じで。だからなのか、そのクモは座禅の最中も視界には居たけれどそのままどこかに歩いていってしまった。 概念と現実...

支払う側がお金を頂く、という仕組みがある

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こういう作り手の人から買いたいな この人のお店で買いたいな 〇〇さんの手からできたものを買いたいな 〇〇さんのうみだすサービスを受けたいな こんな風に思うことってありませんか。 私はこの数年で徐々にそのように思うようになってきました。 大量生産の工場製品や大型スーパーは、いろいろな意味で便利だったりお値段が安かったり 助かることもとっても多いのだけれど、 なるべく地域でお金を使おう/回そう、とか どんな人がどんな想いを持ってそれを生み出したか(扱っているか)を知って 共感や感動をおぼえたもの(人)にお金を使おう/回そう、とか そんな風に思って使うお金には、なんだか循環みたいなものを感じたり それで私の元に来たモノやサービスにはとても愛着が湧いたり。 勝手にそんな風に感じております。 (工場製品だって、そのアイデアを生み出した人がいて商品化への道のりがあって  多くの人が関わって世の中に出てきているので、悪いと思っているわけではないです) しかし、私はすべてを上記のようには購入していない。 理由の一つにあるのは、お金、です。 支払うことができる経済力がなければ、それを買うことはできないわけです。 Youtubeで、今とは異なるお金の仕組みを作ろう、という動画を見ました。 結論から言うと、お金を使う側の人にお金を与える仕組み。 どんな良いサービスを生み出す人がいても、 経済的な理由でそれにお金を使うことができない人が世の中に多ければ せっかくの良いサービスが役に立つことができない。 イコール、循環が止まる。(動画ではGDPの話をされていました) だから支払う側の人にお金を与える。 しかし、ただ誰にでもポイポイ与えるわけではない、 というのがこの仕組みの良く考えられているところ。 素粒子物理学の専門家でありAI専門家でもある船井先生という方が 研究されている仕組みです。 もうすでに社会実験に入れるくらいの感性度合いだそうです。 いまのお金のシステムが作られた経緯から始まり、分かりやすく説明。 説明というか、対談形式でリビングルームで話している感じです。 これ、いいな~、と思いました。 1時間弱x2本立て、で長いですがとても興味深い内容でした。 お金というモノ自体をなくそう、とか、物々交換的な時代に戻ろうとか、 最近そういった系統の情報をよく見聞きするようになりました。

雰囲気、雨の前

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ほのかに雷の音が聞こえて、洗濯物を室内へいれた。 さっきまでは晴れていたけれど、いまは雲が増えてきていて、灰色の雲もある。 雨が降るかもしれない。 それで思ったのだが、やっぱりミラノの雨の前って分かりやすい。 雨が降ってくるぞ~! というのが明確に分かることが多い。 それは、こんな感じです。 晴れている → 物凄い突風が吹く → あたりがサ~ッと暗くなる  →真っ黒でモクモクした雲がこちらに近づいてきている → 大きな音で雷が鳴る →路駐の車たちが雷の振動に反応してピーピー言い出す(盗難サイレン) →ドシャ―ッと大粒の雨が降ってくる まるで漫画か何かのように、 ゴロゴロゴロ!!ドシャ――っ!! という感じなわけです。 前触れからすぐに降るだけ降って、サッと晴れる。 (11月頃の雨期的な時期のときは、もう少し違う感じです) これはまるで人を表しているかのようだ、と私は思うのです。 雨の降り方までイタリア人っぽいし、日本人っぽい。 もちろんいろいろな人がいるので全員が当てはまることはないのだが 系統を表しているような気がするのです。 ウキウキしているのも、怒っているのも、機嫌があまりよろしくないのも、 愛し合っているのも、好きも嫌いも、 とっても分かりやすいイタリアの人々。 因みに例えば洋服の柄とかも、分かりやすいデザインのもの(薔薇!とか赤!とか)が 「なんて美しいのでしょう」 と言う人が多かったように感じるし、 お化粧の濃さ、香水をつける量、これも ”しっかり” が多かったと感じるし それが良しとされていたと思う。 ほのかに、とか、この微妙な色合いが、とか、さりげなく、とか そういった感覚の人は少数派かもしれない。 日本で生まれ育った多くの人々は、イタリアのそれとは正反対で、 とっても分かりにくいと思うのだが、どうでしょう。 感情を隠すし、お化粧は薄いし。 雨も、降りそうで降らない。 さっきの雷から1時間。 空気を読む、察知する、しかないかしらね~

そう思い込んでいる、と気づかないのが思い込み

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「洗濯は毎日していますよ。でも洗濯物を干す、ということは  今まで一回もしたことはないですね~。」 ということを聞いて、少しびっくりしたのと同時に、自分の思い込みに気づいた、 という話です。 結論から先に書くと、私の思い込みはこんなものでした↓↓ ”洗濯物は晴れていたら外に干す、雨の日は仕方ないから室内に干す” 洗濯物を干したことがない、と言っていらした方は、すべて乾燥機を使用しているそう。 因みにお布団も干したことはないし、お布団はクリーニングへ出す、とのことでした。 ご実家もそうだった、ともおっしゃっていた。 それを聞いて 「そっか、別に外に干さなくたっていいんだ。その手もあったか。」と。 私って狭い範囲で考えていたんだな~、と気づくきっかけとなりました。 実は今の日本の家で、洗濯物を外に干す、ということが私にとって ”どうにかしたいこと” だったのです。 (イタリアの家では事情が違っていたのでこの問題はなかった) うちはマンションなのですが、リビングダイニングに面したベランダが一つあって、 私はベランダで寛ぐ時間を持ちたいので、植物や小さなテーブルと椅子を置いていて、 その風景は、室内から見ても楽しめるようにしている。 そして、ベランダの手すりの中心には、元々、洗濯物干しが取付られている。 「せっかくのベランダが洗濯物を干した途端に景観台無し」 そう思っていました。人が来るときは洗濯物を干さないようにしたり。 ベランダが二つ欲しい!!!と思っていました。(洗濯物用と寛ぐ用) 例え自分しか見ないとしても、寛ぐスペースから見える場所には干したくない。 そうするためには、そういう構造の家に引っ越すしか手はないかな~、と考えていた。 (人が来る日に干さなければいけない時は、ちょっとした工夫をしていました) 今の家に乾燥機を置くかどうか(因みにスペースは無い)とか、 置けたとしても運転費を気にして毎回使わないかも、とか、 太陽に干した方が気分いいよね、とか、 そういうことはちょっと横に置いておいて、 ”晴れている日は外へ干す” という思い込みがあったことに気づいて それが外れたというだけで、 なんだかとっても自由感が増した感じがします!頭がスーッとする! 洗濯ごときで・・・、とか、 乾燥機買わないんだったら結局今までと同じでしょ、とかの声が聞こえてきそうですが。 しかー...

ハンバーグを食べたい理由

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 唐突にこんな質問を受けました。 「いま一番食べたいものを教えてください。なんの制限もないとして。  直感で答えてください。」 パッ直感で思いついたものを言いました。 「赤身肉のハンバーグ!」 そしたら次の質問を受けました。 「なぜそれが食べたいのか理由を教えてください。」 私の頭の中の声 『あれ?直感でって言われたから、直感で思いついたものを言ったんだけどな』 そこで私は、赤身肉のハンバーグが食べたいと思った理由を考えて答えました。 この理由、後付けで考えた理由です。 パッと思いついたもの、ふと浮かんだもの、に理由はない。 理由はわからないが思いつくものが直感だから。 世界の成功者と言われる方々へのインタビューなどで なぜその分野に取り組もうと思ったか、という系の質問に答える場面では たいてい後付けの理由を述べている、と何かで読んだことがあります。 本人としては「ピンときた」のような、論理的な理由にならないとされそうな ことがきっかけだったりするのだそうです。 赤身肉のハンバーグ、食べたいな。