Google mapへの疑念

Google map、私は頻繁に利用している。

カーナビとして使っているし、
知らない街を歩くときにも使う。
「この辺りに、カフェないかな」と探すときにも使う。
私にとっては、とても有難いツール。

一体いつからGoogle mapが存在していたのか知らないけれど、
私がガラケーからスマホに変えてから、
頻繁に使うようになったんじゃないかと思う。

ある時。
Google mapに対して、チラッと疑いの念を持ったときがあった。
その疑いの内容については、実は今でも
「有り得るかもな」と思ってる。

私は、映画『インターステラー』(クリストファー・ノーラン監督/2014年公開)
が大好きなんですが、
ストーリーの最初の方で「紙の地図に載っていない場所に遭遇する」という場面がある。

その場面と、その後のストーリー展開から私が推測したことが以下です。

”地図作成会社が載せ忘れたのではない。
権力のある誰かが、意図的に、載せないように、手を回していた。
一般庶民がそこへ辿り着けないように。
一般庶民には存在を知られないように。”

この推測と同じことが、
Google mapに起こることだってあり得るんじゃないか?
Googleも一企業。
人間が運営している、経営している。
例えば、もしも、
莫大な資産を持つ人や団体から、多大な資金提供を受けていて、
「このエリアは ”森” ということで。」
って言われたとしたら?

それとか、
「この道は通らないようにルート設定してくれない?」
「ここは混んでる風に表示させて、これ以上車が来ないようにしてくれない?」
って言われたとしたら?

とかね。

可能性0ではないんじゃかなあと思っている。
そもそも可能性が0のものなんて「不老不死」以外は存在しないし、
技術的にはできることなはず。

誰かが提供してくれるものに、100%頼って自分の動きを決めることは、
100%信頼していることとは別物だと、
自分の思考回路を見て思った。

というか、
「こういう可能性もあるかもな。でも今、私はこれを便利に使わせてもらう。」
みたいな心持ちで、
使うことを自分で選んでいる、という感じかもしれない。

だからなのか、なんなのか、
私はGoogle mapに頼りながらも、時折は無視して、
自分の行きたい道を次々に選んで、好きなように進む、
という場合も、まあまあある。
わざと実験的にそうしている場合も、よくある。
どうせ道はどこかで繋がっているから大丈夫。


そうだ、今思い出した大事なことがある!
私の実体験です。

外国で全然知らない街を歩いていたとき、
目的の場所まで、Google mapのルート案内に従って歩いていた。
そして、ふと気づいたら、
「あ、なんかこの道、怖い雰囲気かも、、、」
という道に入ってしまっていた。
画面の中のルート案内ばかりに気を取られ、
実際の身の周りの雰囲気を感じとらずに足を進めてしまっていた。
機械は、
『時間的や距離が最短という意味での効率よいルート』は案内してくれるけど、
人間的な感覚で「雰囲気悪そうだな、怖そうだな、危なそうだな」
というのは加味してくれないし、
そもそも機械には感覚的なことは分からないのだ。
ということを思い知った出来事だった。

なので、やっぱり私的には、
便利なものなので有難く大いに使わせてもらうけれど、
同時に自分の感覚もしっかり使いながら、
MIXで行くよ。
という感じです。

mapに限らず、AIとの会話も、ネット検索も、同じく。

瀬戸里絵

ジェノバ、イタリア、道案内、ルート検索



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