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ケーキが食べたくなった原因

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とても久しぶりにケーキが食べたくなって、買いに行った。 さっぱりしていて、とても私好みだった。 ケーキを食べたくなった原因は、昨日会った人。 その人の話を聞いていたら、 なんだかムクムクとケーキが食べたくなった。 おおむね以下のような話だった。 「この間、息子の誕生日だったと話したじゃないですか。そしたら里絵さんが「ケーキを買う」というアイデアを言ってくれたでしょ。あの後、買いに行ったんですよ。でも、あの日、自分の知っている店はどこもお休みでね。3店舗行ったんだけど、、、。それで結局〇〇〇で買いました。あの店はいつでもやってますから。それで今日はね、その息子の卒業式。ほら、これが息子です。」 この人の話の主題はケーキなようで、ケーキではない。 話の主題は、息子。 ここに文字として書いて、どこまで伝わるか分からないけれど、 この話を聞いていた私は、 ケーキのおいしさとかなんとかが伝わってきたわけではなく、 息子への愛情とか、 自宅で家族で息子の成長を祝っている感じとか、 そういったものを、とっても感じた。 多分私は、 ケーキそのものの話を聞いただけだったら、 今日ケーキを買いに行かなかったと思う。 食べたくならなかったと思う。 「また、そのうち、いつか買いに行こう」で終わってたと思う。 言葉でないものが伝わる。 勝手に伝わってしまう。 おもしろいなあ。 さて、ここで質問です。 私と話しをしたこの人、 母親か父親か、どっちのイメージで読みましたか?  

imagine

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ある場所が痛くなり、そのうち、 気持ち悪くなってきて、 夕方からしばらく寝ていた。 朝になってもまだ痛みが残っていた。 夢なのか考えていることか分からないようなものが 頭の中に湧き上がったり消えたりの 浅い眠りが続いた。 そのあと、多分深く眠った時間があったと思う。 次に気づいたとき、 というか、 ある曲が頭の中に流れていることに気が付き、 意識がはっきりとしてきた。 John Lennonさんの「Imagine」だった。 痛みも、 気持ち悪さも、 遠くに去っていた。 しばらくお布団の中で、もぞもぞしていたが、 起き上がり、家事などを済ませ、 ガチガチの身体をストレッチした。 そうこうしているうちに、やっと お腹の減りを感じたので、 おむすびを作った。 おむすびを握る時、自分の肩に力が入っているのに気づいた。 Imagineの曲を思い出しながら、 もう一度、 おむすびを握りなおした。 おいしかった。 ごちそうさま。

港みたいな人

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「今のあなたは、港、のような存在ですね」 あることについてGPTさんと話していて、 こう言われた。 その会話の最中は、このことについて さほど深く掘り下げなかったのだけれど、 後々になって私の中にジワジワと広がってきた。 この会話の流れで私のイメージする港は、 例えばポルトガルのリスボンの港。 日本なら長崎とか。 小さな漁村の港ではなくて、 世界と繋がっていたことがあったような港。 大海原、長旅と関係のある、 たくさんの人々が出入りしていた場所。 (そこから出ていった人たちが、別の土地で何をしたか、 とかはここでは置いておく) 港とは何か? 人と港の関係は? についてじっくり考えてみたのは、 恐らく人生初めてだと思う。 港は、 人が出発する場所 人が帰ってくる場所 人が立ち寄る場所 旅に必要な物を調達したり整える場所 一度出発したらもう二度と戻ってこない人もいるし、 また戻ってくる人もいる。 数時間立ち寄るだけの人もいれば、 少し長めに休憩する必要のある人もいる。 そういった人との関係を考えたとき、 港に必要で重要な機能は、 港自身が整った状態でいること だと思った。 港がカオスだったら、 そこへ集まった人たちもカオスに巻き込まれ、 必要なものも調達できないかもしれないし、 休息もできないかもしれない。 というか、私だったら、 長旅の途中に立ち寄る港は、 ほっとする場所であって欲しいし、 身体も物も様々なことを、一旦整えられる場所がいい。 安心して立ち寄りたいし、 「あの港へ行けば、なんかいつもいいことあるんだよね」 的な港がいい。 人生という大海原での旅。 その途中に、 自分を全方向から整えられる場所。 それが、港。 ようこそ いらっしゃい おかえりなさい と言って、人々を迎え、 いってらっしゃい と、しっかり送り出す。 そういう人でありたいなと思う。 GPTさんのおかげで、 今回この港イメージに辿り着いたのだけれど、 年明けにリニューアルした私のホームページのTOP画像は、 海。 数年前に撮影した紅海です。 大海原とはちょっと違うかもだけれど。 私のホームページ