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コーヒーのパッケージ写真

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私がドリップパックコーヒーを買う時、そのパッケージのデザインに惹かれて買うことが良くあります。 そうすると、だいたい中身のコーヒーも「おいしいなあ」と感じるものだったりします。 ただ、これには前提があって、そのドリップパックコーヒーを売っているお店自体も、 私が好きだな、と感じるお店であること。 好き、ということが繋がっている感じですかね。 今朝はこのドリップパックコーヒーを開けました。 ネパールで育ったコーヒー。 中身は同じなのだけれど、パッケージの写真が数種類ありました。 いくつか好きな写真を選んだ中の一つが、今朝のこちら。 すごく好きな写真なのです。 「いいなあ、好きだなあ」と思いながら、コーヒーを淹れました。 飲みながらも、この写真を眺めて、また「好きだなあ、美味しいなあ」と思いました。 量子力学の世界で ”それを観察した途端に、そのモノは観察者の影響を受ける” というような説があります。 だから、この世にある ”実験”というものの結果は、たとえ同じ条件で行ったとしても、 実験を行う人が違えば結果は違うことがある、と言う話。 これが本当のところはどうなのかは知りませんが、私の ”このコーヒー美味しい現象” は 観察者である私の影響を存分に受けているから、私にとっては美味しいのかもしれない。 そんなことを思った朝でした。 因みにネパールへは二度、訪れたことがあって、一度目に行ったときはコーヒー屋さんなんて見かけなかったのだけれど、 初回から何年もたって二度目に行ったときは、都市部のカトマンドゥで何軒か見かけました。 どのお店もネパールで育ったコーヒーを売りにしていて、飲んでみたものはとっても美味しく感じました。(ハンドドリップコーヒーでした) ネパールで庶民たちに昔から飲まれているチャーよりもだいぶ高額だったことも記憶にあります。 (いきなり話が逸れるけれどレコードとかCDとかを買っていた時も割とそれで当たりを引いていて、ジャケットデザインの世界観が好きな場合、その中身の音楽の雰囲気も好きということが良くあった。ただし、まずは大枠のジャンルを選んだ中から選ぶ、という方法だった。因みにそれによる弊害があったとしたら、アーティスト名や曲名が覚えられないということ。何故なら、そのジャケット全体のデザインや雰囲気でそれを認識しているので、そこに書いてある文字の内容は全...

出会った二人

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二人が出会ったことを知ったとき、私は身体のどこかで何かを感じました。 小さな感覚なのだけれど、すごく印象深い感覚だった。 ここから何かが生まれる、と思った。始まりを感じた。 その二人とは、藤原ひろのぶさん と さとうみつろうさん。 写真は藤原ひろのぶさんのインスタストーリーより この肩書が適切かは分かりませんが、お二人とも社会活動家。 まさに活動、自分で考えて動いて発信して人に会って、それを続けておられる。 言っていることと、やっていること、これが一致している人たちだと私は感じています。 話の主旨とは関係ないけど、私と同じ年代(一つ違いかな?)。 藤原ひろのぶさんのことはインスタで知りフォローしていて、私の住む街でお話会があり その時に初めて、彼の口から出る言葉で生で話を聞いた。 実はこのお話会に行ったとき「もしこの人ちょっと違う」と感じたら、もうフォローは辞めようと考えていました。 要はそのくらいの姿勢でフォローしていた、ということ。 ちょっと違う、というのは、あくまで私にとって、であったのだけれど、 この世界に対する怒り系のエネルギーみたいなものや他者に強要する姿勢みたいなもの を強く感じる人だったら離れよう、みたいなこと。 みたい、みたい、ですみません。適切な言葉が思い浮かばない。 結果、私が生のひろのぶさんから感じたことは、重さではなく軽やかさでした。 笑えて泣けて優しくて強くて、みたいな。 そして、現場でものすごく行動している人だからこその言葉とエネルギー。 インスタで入力されている言葉だけを見ていたときには、私には見えていなかったことが いろいろと感じられました。実際に会ってみるって、受け取る情報量がすごいなと感じた。 毎日のように日本全国でお話会をされているので、 少しでも興味のある方は現場へ行ってみられると良いと思います。 さとうみつろうさんには、まだ会ったことがない。ブログ、YouTubeを見ています。 すごく興味深いことをたくさんされている。 二人が出会ったと知って、何かが生まれると思った、と先に書いたけれど、 誰と誰が出会おうがそれはその通りだと思っている。人は影響しあっているから。 もしかしたらこの二人それぞれへ持っている私の思い込みから、期待値が上がり、 この二人の出会いを特別に感じたのかもしれない。 本当のところはどうなのか分からない。 ...

[日にち変更]11月の点描曼荼羅画レッスン

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レッスンのお知らせです。 私の描いている点描曼荼羅画は、その殆どが ”宙を奏でる点描曼荼羅画” の技法に則ったものです。(そらをかなでる と読みます) その技法とは ・色とか形とかデザインを考えない ・直感を使って描く ・対称性がある 他にもいろいろありますが、大枠はこのような感じ。 デザインを考えなくて良いので 「私、デザインなんてセンスありません」「絵は苦手です」「色合わせ苦手です」 みたいな方であっても、まったく無関係です。そして直感を使うことに関しても、 「そんな第六感みたいなもの、ありません」「直感ってなんですか」 という方も、大丈夫です。人は皆、持っている感覚で、その辺のお話もレッスンの中でたくさんしていきます。 コンパスと定規と色ペンを使うことができればOKです。 一番大切なことは「描いてみたいな」という気持ちです。 疑問点はお気軽にお問合せくださいね。 問い合わせページ 因みに「こんなこと質問していいかな・・・」という不安は不要です。私自身とっても質問が多いタイプなので、お気になさらず。 2021年11月 点描曼荼羅画レッスン ■ファースト講座(基本/基礎/入門)オンライン  [3時間x2回で完結 または 6時間x1回で完結]   11/10(水)・12(金 )19:00-22:00    ↑日にち変更しました 11/17(水)19(金) 時間は変更なし  11/22(月)9:00-16:00 ※これ以外の日時も開催可能です。希望を教えてください。 ※対面レッスンも可能です。 ※道具類を発送しますのでお早目に申込ください。 オンラインレッスン料金 15,700円 (テキスト・レッスン・修了証発行・専用文具一式・送料・消費税 全て込み) (対面レッスンで道具貸与の場合は13,200円) 宙を奏でる点描曼荼羅画の詳細は こちら お問合せやご予約は こちら 私の作品を載せたインスタグラムアカウントは こちら 販売中の私の作品は こちら レッスンでお会いできる方を楽しみにお待ちしております💛

犬猫インコ、そして鹿

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私は犬(特に大型犬)と猫とインコ(特にセキセイインコ)がとても好きで、 彼らと一緒に暮らす生活もいいなあ、と思っています。 大型犬とインコは実際に長い間一緒に暮らしていました。インターネットで見る動物動画も、犬猫インコのものが多いです。 では鹿は。 このポストカードはリスボンのどこかのお店で出会い買ったもの。 例えば犬猫インコが好きだからと言っても、ポストカードを買うことはありません。 でもなぜか鹿は、ときどきふっと惹かれる絵に出会って、なんだかその世界に魅せられるのです。 しかもそれは、必ず金色の鹿で、木や植物に囲まれた中にいる設定の絵。 なぜだかは不明です。 本物の鹿はそんなに惹かれないし、普段出会うこともないし、鹿の動画も特別見たいとは思わない。 私の初めての金色の鹿のいる世界の絵は、こちらでした。 市の広報誌のページの切り抜きです。たまたま見かけて、ものすごく心惹かれ、切り取って大切に何年も持っています。 誰の絵なのかも知らずにいましたが、何年もたってから、秋野不矩さんという方の絵だと 知りました。 「きんいろのしか」というタイトルの絵本の絵だそうです。

ヒーラータイプ&オーラ鑑定を受けました

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まいちゃんのヒーラータイプ&オーラ鑑定セッション を受けました。 (まいちゃんとは、これまで何度かこのブログに登場しているプロのヒーラー、友人であり先生である) 私は今回、プチヒーリング付き、のメニューで申込をしました。 結論から言うと、申込をしてすごく良かったです。 自分がやりたいこと、自分の仕事について、やるべきことについて、 更なる自信がついて、良い意味でドッシリとした感じがします。 それに、自分でできることだけれど、時々自分以外の人にしてもらうというのは、 とても良いと思いました。勉強にもなるし、新たな気づきがあったり、見直しがあったり、 なんだか流れが良くなる感じというか。 美容師さんが自分の髪を他の美容師にあえて切ってもらう、みたいな感じでしょうか。 (人によるかもしれないが、美容師さんから聞いた話と共通点を感じたので例に出してみた) 普段、気になったことは、セルフリーディング&ヒーリングで解決していますが 最近ちょっと感じていたことは、自分のことをするのがイマイチやりづらい、 ある段階から先へ進めない感じがする、という状態。 他人のリーディングヒーリングは問題なくできているのに。 そこをまいちゃんにみてもらいました。 「え!あのイメージってそういう意味だったんだ!!」という意外な盲点というか 気づきがあり、結果的に、やはり宇宙はいつも答えてくれていた、 というのが良く分かりました。 気になっていることは、さっさと解決するのがいい。 さっさとそこから抜け出して、日々やりたいことに時間もエネルギーも使いたいです。 その方が私は楽しいし嬉しい。 因みに私の第三の目は、ばーーんっ!!と光っていて、ビジュアルでみるのが得意だね、 と言われました。自分でもそうだと思います。 そしてヒーラータイプとしては、 そこにゴチャゴチャと色んなものがあった時に、不要なものをどんどん取り除いて 必要なポイントを見つけ出し、そこに向けて行動だったりをしていけるように導く、 のようなことが得意なタイプだそう。 これを聞いて過去を思い返してみると、確かに思い当たる節がたくさんあります。 私のオーラの一番外側は赤色だそうで、その意味も聞いたおかげで、あるイメージが湧き、 ますますヒーリングがやりやすくなりました。 繰り返しになりますが、ときどき人にしてもらうって良いなあ、と改めて。 ま...

お墓というモニュメントとは

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「自分が死んで魂と言われるものになったとき、  お墓の中になんて絶ーーーーっっ対にいないよ」 あるときからこのように思っていました。いつからだろう、中学生とか高校生かな。 私の実家は両親それぞれ仏教のある宗派に属していて、寺院にお墓があります。 なので、いわゆる仏教的行事の時は(お盆とか、〇回忌とか)そのお墓へお参りに行くし、 自分が大人になってからは、ふと思い立ったときにお花とお線香を持っていったりも しています。 因みに、現在のところ私自身は無宗教です。 私を火葬した後の骨は、海に撒くとか土にそのまま埋めるとかがいいなと考えています。 納骨のためのある特定の区画の樹木葬みたいなのは私はちょっと違うなと感じていて、もっと自然の中に自然に、というイメージを持っている。 上のように思い始めたのは、おそらく幼い頃から私の中に、ふつふつと違和感が芽生えていたからで、 行事とかお葬式とかでお墓の前に行くたびに 「この石の小さな空間の中にずっといるなんて、なんか変じゃない?ご先祖様たち本当にここにいるの?家にだってお仏壇があって、お仏壇にも毎朝お参りして、更にお墓にもして、一体どっちにいるわけ?変な事だらけ。私は死んだら身体から自由に羽ばたきたい。」 などなどと、長い年月をかけて私の頭の中に浮かんできていた。 それである時  ”お墓とは死んだ人のためのものではなくて、生きている人のためのもの  生きている人が死んだ人達を忘れないようにするため、思い出すためのもの” そのようにも考えるようになりました。どこかでそんな感じのことを読んで納得したのかもしれません。 宗教だってある一面はビジネスで、檀家になってもらい、お墓の土地やお墓自体の購入、 ある時期ごとにある行事や儀式への参加、などのことをしてもらいたいわけです。 (宗教否定とか嫌味で言ってるわけではなくて、世の中を見ていて、そうなんだろうなと私が個人的に感じていること。) とはいえ、お墓の前やお仏壇の前へ行くと、手を合わせてご先祖様たちに感謝の気持ちを伝えたりもします。 お墓へお水をかけたり、汚れていたら掃除もする。 お墓やお仏壇の前に行かない時、普段自宅に居る時などでも、ご先祖様たちのことを想います。 身体を持った私という存在の遺伝子をつないでくれた。たった一人かけただけでも、 もしくは誰かや何かのタイミングがちょ...

イタリアから日本へ、調香セッションやっとローンチしました

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少しずつ準備を進めていたメニューを、今日ローンチしました。 ローンチするタイミングを自分的に探っていたのですが、 今日になってやっとその気になり、気持ちが盛り上がりまして。 100%オリジナルの、あなたの香りをつくるセッションです。 ミラノでしていたものをブラッシュアップさせ、 より一層わたしの得意分野を融合させたものにしました。 香りは100%天然香料、植物から採れるエッセンシャルオイルを使用します。 植物の香りが、人の脳に与える影響はとっても凄いのです。 それは身体の様々な部分にも関係するし、感情や気分にも大きく影響し、 目には見えないエネルギーの部分にだって影響します。 香りを纏うことが好き、と言う方にも、香りから何かしら特定の影響を受けたい場合 にも、とってもとってもおすすめです。 しかも、その方に合わせたブレンドを創るので、やはり特別だし効果的なわけです。 私がこれまで積み上げてきた イギリスアロマテラピー、フランスアロマテラピー、フランスアロマコロジー、 調香、リーディング、ヒーリング、 の知識と技術を総動員したセッションになります。 楽しんでいただける方がたくさんいらっしゃいますように。 どうぞ、よろしくお願い申し上げます。 パーソナルアロマ調香セッション  ”ナカソトノカオリ” 今のあなたに合う香り、つくります

ホピ族から火を受け継いできた日本人

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とっても凄い。。。。。 と感じた動画です。 動画です、というか、ストーリです。それも壮大な実話。インタビュー形式です。 何世代ものあいだ、ある民族の中で守られてきたものが、この間の夏至の日に解き放たれた。 どうぞ動画をご覧ください。 地球や人類のために様々な行動をされている、さとうみつろうさんの動画です。 私はとても興味深く観ました。 偶然か運命か、導きか、この役目をすることになったのは沖縄人の男性なのですが、 ちょうど近頃わたしは、沖縄人と縄文人の関係、縄文人と世界の先住民族との関係、 などなどの情報を知ったり聞いたり読んだりしていたところだったので、 なんだか余計に、納得するものがある内容でした。 あちらこちらにキーワードが散りばめられている感じでした。

アカバンしたりされたり、立場による創意工夫

「 おすすめのサイト」という項目に登録していたリンクを変更しました。 私が、勉強のため、様々な角度からみたニュースを知るため、などに 楽しみに見ていたサイトが続々と削除されてしまいました。 Youtubeなどの動画サイトやSNSなどの、いわゆるアカバンというものですね。 削除したのはもちろんご本人達ではなく、会社側です。 言論統制が激しくなっている今、会社側にとって都合のよくない発言は 無視されたり、消されたり、検索しても出てこない仕組みになったり、いろいろです。 削除されては、新しいアカウントを立ち上げ、また削除され、また立ち上げ、 と追いかけっこのようにしている方もいらっしゃるし、 これまでの場所では当たり障りのない話をし、消されにくいとされる別の動画サイトで 様々な話をする、とか、こちらもいろいろ。 それぞれの側がたくさん工夫して、お互いの立場を守っている、という感じでしょうか。 おすすめサイトは、私がよく見るものを載せていますが、これしか見ていないわけでは ありませんし、その時々の私の状態でよく見るものも変わっています。

概念と現実/座ZEN

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先日、私としては珍しい行動をしました。 「これは参加したい!この人に会いたい!この場に行きたい!」と強く思った ワンデイリトリート がありわざわざ新幹線に乗って出かけたのです。(わざわざ何かのイベントなどに時間を合わせてお金を使って参加、ということは普段あまりしない) ヨガ・感情リリース・座禅の内容で、それぞれのスペシャリストの方々とのトークセッションもあり、朝から夕方まで気持ちの良い空間を過ごすことができました。 最後の座禅は、 京都の栖賢寺の住職 宗貫 さんとの時間。 目を開いたまま瞑想をする、という感じの時間でした。このブログでも時々書いているように、私もほぼ毎日瞑想はしていますが、目は閉じています。何故なら、閉じたほうが集中できる気がしていたので。 座禅の前にあった宗貫さんのお話でとても心に残っていることは ”すべてをあるがままにしておく” ということ。あるがままの現実をそのまま感じながら、ただそこに居る。それは、周りの音だったり目の前の景色だったり、肌で感じる湿度や、漂ってくる匂い、頭のなかに浮かぶ思考だったり。 それら全てのことを自分でどうこうしようとせず、ただそのままにする。その中で自分は座禅をする。 目を開いていたら私は空っぽになれない、と思い込んでいる節があった私としては、この座禅の時間がとても良い時間となりました。 今そのままを感じながら、自分の中がとても静かな時間を過ごすことができたと思う。これを書いている今日も、そのように瞑想をしてみました。 宗貫さんが「瞑想で目を閉じていても、それって瞼の裏側を見てるだけですから」とおっしゃっていたのが、確かに!という感じでちょっと面白かったです。 因みに、この座禅の時、若干の修行が私の身に起こりました。 「あるがままにそのままに」とかいうお話を聞いて頷いている最中に、少し大きめのクモが私の少し前を横切って、すぐ近くで停まった。虫が苦手な私は、ついいつものようにギョッとし、「座禅が始まってから私の方に来たらどうしよう」という不安が湧き出てきたのですが、不思議なことにこの時はその不安とかギョッとした感覚を流すことができたのです。 この ”流す”って、後で考えても ”その気持ちを抑え込んだ” とは違う感じで。だからなのか、そのクモは座禅の最中も視界には居たけれどそのままどこかに歩いていってしまった。 概念と現実...