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意識を使いこなすと便利だし社会貢献になる

私たち人間の意識は、 二種類から成り立っていることがわかっている。 それぞれ役目が違う。 ・顕在意識__自分で認識できる 頭で考えるような思考、理性、論理的 ・潜在意識__無意識 生命の維持(血流とか体温とか)、記憶、感情、習慣、癖、本能 人間は「頭でっかち」(頭でばかり考える)とは言うものの、 実は、頭で考える担当の顕在意識は、 意識全体の、たった1~3%。 くらべて、無意識の領域の潜在意識の方は、 残りの97~99%を受け持っている。 いまこうして、これを読んでいる間にも、 身体の中ではホルモンが出て、あらゆる臓器が動いて、 一瞬も止まることなく血流量や体温が監視されて、 生命維持がおこなわれている。 これは潜在意識の仕事の範囲なので、 私たちは意図してやっているわけではなく無意識。 (すごい!) それとか、 過去のありとあらゆる記憶データをもとにして、 今の状況が瞬時に判断されていて、 どう反応するかが決まる。感情が出る。 同時にホルモンが出る。 全部無意識のうちに。 これも潜在意識の領域。 どんなに知識を得ても、どんなに考えても、論理を組み立てても、 どれだけ「頭でわかった」と思っていても、 圧倒的に大きな領域を占め、 圧倒的に大きな影響力のある 潜在意識の厚みには、顕在意識は勝てない。 勝てない、というと語弊があるかもしれない。 いろいろなパターンがあるので。 例えば、こういうこともある。 ある程度までは顕在意識だけで突き進むことができても、 あるときどこかで、 「頭打ち」 を感じることになるときが来る。 どうがんばっても、どう工夫しても、 「これ以上いけない」 というときが来る。 顕在意識だけでそこまでできたら、ある意味すごいと思う。 だって、たった1~3%の範囲の中でそこまでできたのだから。 例えば、そういう人が、潜在意識も活用できたら? あと97%も伸びしろや可能性がある、とも言える。 人は誰でも、 何かを考えた結果、 行動したり、言葉を発したり、ものをつくったりする。 同じように、 何かを感じた結果、 行動したり、言葉を発したり、ものをつくったりする。 考えたり感じたり、は目に見えない。 でもいつでも必ず、 この、目に見えない「意識と感情」が先にあり、 そのあとに、 目に見える言動がある。 そう考えると、 すべての出発点である目に見えない「意識と感...

小学校で学びたかったこと身に付けたかったこと

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いま思うと、 「なんかこれって、小学校6年間で義務教育のひとつとして、 知りたかったし、身に着けておきたかったなー。 そしたらその後めちゃくちゃ楽じゃん。」 と思うことが私はいくつかあります。 なぜ小学校かというと、 身体の発達と脳の発達の面で、まさにつくられていく途中だから。 新しいものを吸収して、 身体の感覚として身に付けたり、癖にできたり。 思考回路が育ち太くなり、思考癖をつけたり。 そういったことが容易にできる年齢。 脳の仕組みによると、7,8歳くらいまでがより一層そういう感じらしい。 アルファ波が優位なので、脳波的にはとってもリラックスした状態で、 そういう状態のときは「スッと」物事が自分の中に入っていく。 よくもわるくも。 で、小学校で学びたかったと私が個人的に思っているものとして、 まず身体のことについては、身体の使い方!!! 立ち方、歩き方、座り方、すべてにおいての重心の置き方とバランス 身体のほぐしかた、ゆるめかた、整え方 呼吸の仕方、整え方 調子を崩したときの整え方 こういったことを体育で教えてほしかった。 生徒全員、一生において役立つと思うから。 50m走が何秒とか跳び箱何段とかは、 当時私は割とどうでもよいと思っていた方、というか なぜそんなことをしなくてはいけないか疑問に思っていた。 けれど、やらねばならぬ、と思って一生懸命やっていた。 頭と心の面については、思考と感情の仕組み!!! ものごとにはいろんな側面があるんだよ、とか どの視点を持つかは人それぞれ違っていいよ、とか 視点を変えることで気分というものが変化するんだよ、とか それとか、 人の態度の裏には必ずその人なりの理由や背景があるんだよ、とか 本当のところはその人にしかわからないんだよ、とか とか、 感情にはこんな種類があるよ、とか この感情のときあなたはどんな行動をすると思う?、とか 同じものを見聞きしたときに人それぞれどんな感情を持つかの違いを体験する、とか これらもやっぱり、全員に対して一生役立つことだと思う。 身体と心と頭は、生きている限り、 絶対に一生、一秒たりとも離れずに、一緒に過ごすもの。 しかも調子が悪いと、 生活すべてに影響を及ぼすもの。 生活のルーティンにも、人間関係にも、経済状態にも、 ぜんぶに。 Chat gptさんに脳波と年齢の関係の図をつくってもらった。...

春分点のエネルギー状態

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昨日は春分の日、地球が春分点を通過する日。 ちょうど数日前に、作家のさとうみつろうさんのYoutubeを見て、 彼が声掛けをしていた春分点通過イベントに参加してみた。 地球上で多くの人が一斉に願いを放った瞬間、 地球のエネルギー状態がどのような影響を受けるのか、 ということを乱数発生器を使って測定もする。 因みに、各自の願いごとは、事前にGoogleフォームで入力しておくだけ。 詳しくはこの動画 で、 実際の春分点は3月20日の18:01(日本時間)だったのだけれど、 たまたま彼がライブ配信をしているのを知って、 たまたまタイミングがあったので見てみた。 純正律に調整されたピアノを彼が弾いていて、 視聴者や現場にいる人たちは瞑想をするスタイル。 その間に春分点を地球が通過していた。 私は途中から、寝てるような起きているような状態でいた。 それで思ったことは、 みつろうさんありがとう ということだった。 なんだか彼の生き方に感動の気持ちがわいてきて、 それで涙が出てきた。

あと一歩のところでMottainai!

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見ていて、すっごく勿体ないと思うこと。 見ている側だからこそ気づける 「あと一歩なのに」って、あると思う。 職業柄もあると思うけれど、私は割とそういう事がある。 自分の生徒さんからのメッセージや、 生徒ではない人からのメッセージなど、 やり取りをしていくなかで、そういう場面に出くわす。 この人、変わりたいんだな 変わろうとしている最中なんだな という人ほど、 あと一歩のところで何かを『やめる』という状態が起きている。 やめる理由は人それぞれだけれど、 「なんかしらないけど嫌になった」 「他のことですごく忙しくなったから無理」 「考えているうちに忘れてしまった」 などが多い気がする。 この状態になるのは、その人が悪いとかではない。 だって本人は、そもそも 「やる気だった」 「変わりたいと思っていた」 「●●にしたいと思っていた」 この気持ちは嘘ではない。 「〇〇のせいだ!」というのを敢えて言うとすると、 これは、 その人の潜在意識のせい です。 私は潜在意識のことを勉強して、こういうことがあるのだと知って、 その後、自分のことでも人のことでも、 実体験として「本当にそうだ」と分かった。 潜在意識が変化を拒んでいる。 変化しないように、今のままのあなたでいるように、 やる気をなくさせて、 忘れさせて、 やらないためのあらゆる理由を天才的に閃かせる。 現状維持が潜在意識の役目だから。 反対から見ると、 やる気がなくなったり、 あと一歩のところで辞めたりする ってことは、 『そのまま進むと変化するよ』 ということ。 サインを出してくれている。 私の講座の生徒さんも、 サポート期間中に上手に私を使ってくれる人は (報告や相談や質問をよくしてくる人) 私が第三者として、その状態に気づくので、 「それはサインだから」と軌道修正できる。 潜在意識にとっての『現状』が、新たなものに更新されれば、 その新しい現状は、潜在意識が自動的に維持してくれるので、 もうこっちのもん。 この話は以前もブログにした気がするけれど、 とても大切なので何度でも気にせず書きます。 今日ちょうど、メンターというものについて意識を向けたので 連想したのだけれど、 自分のメンターをつくって、 コンサルティングを定期的に受けている人も、きっと、 メンターが第三者として、 自分の状態に気づいてくれるというメリットも...

嫌いなはずの数字から受け取った初めての感覚

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先日、確定申告データを送信し終えた。 (多分できたはず・・・) 入力作業をしながら、 いつもと違うことが起きていることに気づいた。 作業中の自分の心の状態が「快適♪」だったのです! 快適どころか感謝の感情まで伴っていた。 去年までは、ただの数字の入力作業、 というだけの時間だったはずなのに 「あ~これだけ使ったということは、使えるお金があったんだなあ この分だけ手に入れたものがあるということだなあ ありがたいなあ」 「あ~この頃こういう仕事をさせてもらったなあ たのしかったなあ、ありがたいなあ」 とか思っていたんですよ、 お金を支払った方も、受取った方も、両方に対して同じように。 気づいたらしみじみとそんなことを感じながら入力の手を動かしていた。 去年の売上や利益が良かったから、という理由ではないです。 結果を見たら、おととしと同じくらいだったし。 数字を扱っているときに、自然にこんな感情になるということは 私的には天地がひっくり返るくらい驚くことで、 「あれ?ん?なに?私どうしたの?」 と先ずは思った。 私は計算が非常に苦手で、10本指で足りない計算になると混乱する。 電卓を使うとしても、答えを出すために割るのか掛けるのかなども すごく考えないとわからない。 数字を見ただけで 「ツ―――――――――」という思考停止の音が聞こえてくる。 頭の神経回路がおかしくなる感じがする。 乱視と近視と遠視と涙目が一気に出てきたように 視界がぼやけてくる。 というわけで、 確定申告のために支出と売上の数字を入力することすらストレスだった。 ストレスに感じることなので、毎日コツコツなんてできなくて、 申告の時期になると集中して一気にやっていたのです。 ほとんど思考停止の状態で入力するので 左側に1000(イチ マルマルマル) 右側に1000(イチ マルマルマル) 登録、次へ みたいな感じでつぶやきながら、入力作業を12ヶ月分繰り返していただけ。 そこに心は無かった。 今回、いままでとは違う感覚になっていた理由を考えてみた。 去年から私は自分自身の人生全体のステージアップというか アップデートを望んでいて、 実際、現実に見える形でそれが動き始めていた。 その関連で感じ方も変わったのではないか、と思う。 お金や仕事をすること、などにまつわる思い込みやトラウマなどは セルフヒーリングで潜...

曼荼羅画の個展のお知らせ

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点描曼荼羅画の個展をしています。 すべて手描きの一点ものです。 実物ならではのエネルギーを体感ください。 《瀬戸里絵 点描曼荼羅画展示》 場所: 亞ba茶 (アバチャ_カフェと地球の雑貨店) 静岡県袋井市大門15ー1(2階) 駐車場は建物横の川沿い 12時頃〜20時頃 水木休み 期間: 2025年2月末まで 販売: すべてご購入可能です その場でお持ち帰りいただけます クレジットカード使用できます 私のおすすめ: どの飲み物もおいしいですが、 私はコーヒー(自家焙煎)とチャイが好きです。 ゆったりとまったりと過ごす時間が似合う お店だと感じています。  

休業のお知らせ2024年12月26日~

少しの間、仕事は休業いたします。 期間は2024年12月26日~2025年1月下旬ころまでの予定。 この間も、タイミングによっては、 できるメニュー、できないメニューがあります。 問合せにはいつでも対応できますので、 随時お問合せください。 瀬戸里絵 H.P.  想像して創造する チエキス

直感を無視したらひもじい思いをした

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車で移動しているとき休憩した場所にコーヒー屋台が出ていた。 それを見て「あ、なんかコーヒー飲みたいかも」と思った。 けれども「あと1時間くらいで目的地へ着く。着いたらもうお昼ごはん。」ということを聞き、 「うーん、じゃあやめておこうかな。」とやめた。 そしたらですよ。 その後いろいろあって、結局、水分にありつけたのも食料にありつけたのも、 3時間を過ぎた頃。 すっごく喉が渇いたしお腹も減ったしで 「あの時ふと思ったのを無視しなければよかった。。。」 となりました。 私は普段から直感を無視しない、ということを実践するようにしているし、 生徒さんたちにも口を酸っぱくして言っているのに、 時々こういった、一見些細にみえることで無視してしまう時がある。 その度に「ああ、やっぱりあの時の・・・」と後で分からされる。 そしてまさに今日のことですが、またあった。 朝起きてパジャマから洋服に着替えるとき、 なんとなく「ピンク色のニット」が着たいような気がした。 なんだけれど、 今日は夜に調香の仕事が入っていて、調香の時は黒色の衣類を着ると決めているため、 気分は違うけれど黒い洋服を選んで着た。 (着替えたらいい話だけれど、私は途中で着替えたり洗濯が増えるのが嫌なので一日同じ服で過ごしたい人) そしたら午後になって先方から連絡があり、急な体調不良により延期、となった。 これもまた、 「なんだ、やっぱり朝のあの感覚で合ってた」 という結果でした。 毎度毎度、ちょいちょいと、こんな感じで教えてくれる。 「あなたの感覚はあなたにとって正しいよ!」 ってね。 自分の感覚をいつでも信じること、それを実践すること、 もし実践しなかったとしても、 別のことを選ぶことに決めたのは自分なので、 どんな結果も受け入れること どんな結果だとしても楽しむ心を持つこと

身を任せた流れの先にワニとか居たら?

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「流れに身を任せる」 これを私は大切にしているし、そう心掛けている人は多いんじゃないかなと思う。 このことについて「そう!それ!」と感じることがあったので書きます。 流れに身を任せる、という状態を川に例えたとする。 どんな川を想像する? 私は穏やかな川でノホホンと浮かんでる様子がパッと浮かんだ。 その川が日本海へ向かってるのか太平洋へ向かっているのか、 川の水質状態はこの辺りはキレイだけれど 数十m先に汚水が注ぎ込む場所があるのか、 しばらく進むと200m落差のある滝があるのか、 滝つぼを過ぎると大きなワニ達の住むエリアがあるのか、 自分が流れに身を任せる川は、一体どんな川?? それによって身を任せたいかどうかは、YESかNOか変わると思う。 汚水も滝から落ちるのも嫌だし、 ワニに襲われてGAME OVERもまっぴらごめん、無理。 このイメージのように私は 「それ全然うれしくない、嫌」なパターンが色々あるので、 流れに身を任せる前に『行先』を決めておく。 川のイメージから頭を現実の世界へ戻して言葉を書き進めると、 「私はこうする(こうなる)」と先ずは決める、 その後に初めて「流れに任せる」状態をする。 すると、目的地に到着するまでの間に、 一見、ハプニングと感じる出来事があっても、 一見、まわり道をしたと感じることがあっても、 一見、停滞を感じる時があっても、 すべては『一見』。ぱっと見、そう見えるだけ。 あとになって振り返ると、 それらすべては、到着するまでのストーリーを おもしろくするために起こっているだけだったり、 到着したときの自分がレベルアップしている状態になるための体験だったりする。 「こうする(こうなる)」ということは先に決めているので、 途中に何が起ころうと、 それはただその時々で淡々と対応・処理したらよいだけのことだし、 文句を言ったっていいし気分が盛り下がってもいいけれど、 どんな渦中も瞬間も自分は目的地へ向かって進んでいるのだ、 ということは心の中に留めておく。 「こうする(こうなる)」を決めずに、 または決めているようで決めていない「こうだったらいいな~」くらいで 『流れに身を任せる』をすると、 途中にある様々な川の事情(自分以外の他者の事情や都合)に 巻き込まれたり、もみくちゃになったり、岸に戻されたり、岩でふさがれたり、 要はなにがおこる...

面接はお見合いだと思う

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面接、就学や就職のための面接の話。 サラリーマン時代、私は転職回数が多く、面接回数も多い。 元々ひどく緊張するタイプではないけれど、 通常の自分ではない状態の時もあったと思う。 合格したい、採用してほしい、よく見られたい、などの理由で 自分を装っていたり、うまく話そうとしたり。 なんだけど、ある頃から、面接に対しての私の態度、在り方?が変わった。 なにがきっかけだったのか忘れたけれど、突然こんなふうに思うようになった。 「面接って私のことをアレコレ聞かれるけれど、 私だってそっちのことを色々知りたい。 募集要項だけでは見えないことを色々聞いて、 自分に合う職場なのかどうかを判断したい。」 要は、 ” 面接は雇う側も雇われる側も、お互いのことを知る時間 ” だと思うようになった。 どっちかが主導権を持っているとかはなく、 双方ともに同じ立場だと思うようになった。 それからは緊張はなくなったし、 うまく話そうとか自分を良く見せようだなんていう考えも皆無になった。 そんなことよりも、与えられた面接時間内で、 相手には自分のことをなるべく知ってもらいたいし、 私も相手(会社)のことをなるべく知りたい。 ということで、私から相手へ質問することが増えた。 質問は条件や仕事内容に限らず、 思想とか考え方、雰囲気、などなど色々をキャッチするためのもの。 私が一方的に『面接されている』『審査されている』のではなくて、 私も相手を『面接している』状態だった。 そうすることが、お互いにとっての平和への道だと思っていた。 合わない人を雇用したり、合わない職場で働いたり、することは 後々お互いにすごくストレスになることだと思うから。 それに、自分が合わないポストに頑張ってしがみついているとき、 本当はそこにピッタリの人が活躍する機会と、 会社としてスムーズにまわる可能性を 奪っていることになる。 面接を終えた結果、相手が私を断ってきたこともあるし、 相手は私を採用したいと言ってきたけれど私が断ったこともある。 先日、就職面接の話を聞く機会があって、 こんなことを思い出したのでブログにしてみました。