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雨が降ってきたら「やべえ!」のか?

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Aさん「うわ!やべ!雨じゃん!最悪~!!」 Bさん「あ、雨、傘持ってないな~。。。ん?あの雫すごいきれい~」 Cさん「やった!雨!これで庭の水まきしなくていいじゃん!ラッキー!」 Dさん「△×□◇▽涙怒悲・・・」 (他のこと考えてて雨に気づいていない) Eさん「洗濯物濡れちゃう!まあ、乾かせばいいし、いっか」 Fさん「雨、、、あ、もしかしたら後で虹が出るかも(*‘∀‘)) この6人全員が一緒にいたとして、他者の反応に対して「ムッ」としたとします。 例えばこんなふうに。 「こんな最悪な状況で『きれい』とか言って、頭どうかしてんじゃないの?」 「濡れたらどうするの?そんなあっけらかんとして」 「雨が降らなかったらどんなに大変か、全然わかってないなあ」 「また乾かせばいいだけなのに、なんでムカムカしてるんだろう」 「雨なんてどうでもいい。なんでみんなそんな呑気なわけ?なのに私は。。。」 「未来永劫降り続けるわけじゃあるまいし、大げさだなあ」 「雨ってすごくきれいな風景が見れるんだよ!?気づいてよー」 「私に雨は止められないんだからしょうがないじゃん」 こんな感じの言い合いとか? 心の中での言い合いの人も多そうですが。 これ、100人いたら100通りの反応があるはず。 その中で更に、 100%嫌がってる系の人たち~全然気にしない系の人たち 似たような反応の人たちごとに、大まかなグループに分けることができる。 (同じグループにいる人たちが似た者同士、類友、似た波動・周波数の人たち。隣のグループとはなんとなく話が合うこともあるし合わないこともある。すごく離れたグループだと全く嚙み合わないし、会うこともない。同じグループの中でも更に同じように細分化がある。) 雨が降ってきた、という事実は全員共通で同じ1つの出来事。 けれども反応(解釈)は人の数だけある、みんな違う。 更には、 同じ人であっても、先月の反応と今月の反応は違うことだってある。 なぜかというと、その時のその人の事情や都合によるから。 しかもその事情や都合は、本人にしか分からない物のことも多い。 AさんがFさんの言葉を聞いて 「ん?虹が出るの?それは見てみたいかも」と、もしも思えば、 次に雨が降ったときにFさんのような反応に変わるかもしれない。 Cさんの身になにか大変なことが起こっているときには、 Dさんのように雨に気づ

対話型調香セッションawai

これまでおこなっていた調香セッションをリニューアルしました。 いまのところ価格も以前のままだし、やり方が大きく変わったわけではないけれど、 私的には大きく変化した感覚を持っています。 旧『ナカソトノカオリ』は、2024年10月10日より 『 a 〇 i 』(awai)となりました。 ウェブサイトに載せている文章を抜粋します。 /////// ●香りと感情の関係   セッションで使用する香料は、植物から抽出された香気成分です。 香りを嗅ぐと、香りは電気信号に変換され脳へ届きますが、 嗅覚は他の感覚器官 (視覚・触覚・味覚・聴覚) には無い独自の特性を持っています。 嗅覚以外の器官は感覚を感じると、まずは左脳 (理性や思考を司るエリア) へ電気信号が伝わります。しかし、 香りの電気信号だけは左脳を経由せず 右脳へ直行し ます。右脳は感情や記憶や本能を司るエリアで、潜在意識に含まれます。香りを嗅ぐと、思考がアレコレと考え始めるよりも前に、潜在意識の部分への働きかけが起きるということです。   そのことを知ってか知らずか、古代から世界中の儀式の場で、 精神的な変化や場の浄化、人以外の存在との繋がり、などを目的として 植物の香りが活用されてきました。 例えば寺院で線香が使われるように ” 香りのない宗教は存在しない ” とも言われます。 (唯一、神道では表向きは香りを使用しないようです)   私たちが言葉を発したり行動をするとき、出発点となるものは感情です。 ささやかな揺らぎの感情から爆発的なものまで、感情が スイッチとなり言動活動に結びつきます。 その感情の部分に働きかけるものが、先に記した通り香りです。   目に見えない感情、そこに影響を与える香り、が先にあり、 その次に、目に見える言葉や行動が生まれます。     ●あなただけの香りが持つ力   香りを創る前に、あなたとの対話の時間をもちます。 このセッションを受けるきっかけや香りの好みの傾向などを伺いますが、 私はその場で生まれる直感的な流れを大切にしているため、 質問の内容は人により千差万別です。 耳に聞こえる言葉だけでなく、ふとした表情や反応、感情の揺らぎなど、 そこにある全てのエネルギーを感じさせていただく時間です。   対話の中で私が感じたすべてが、香りを創るときの ”素” となります。 ”素” は、あなたの深

左回転で身体が緩むのか?

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「お腹に手を置いて、左回りにゆっくりなでると、身体が緩む」 私がこれを始めて聞いたのは、多分お父さんから。 聞いたのは20年以上前か、さらにそれより前、 まだあんまりインターネットが普及していなかった時代。 その時に理由も教えてくれたと思うが、それは覚えていなくて、 「ネジは左に回すと緩み、右に回すと閉まる。それと同じと覚えておけば良い。」 と言われたことは覚えていた。 ただ私は普段ネジそのものを触る機会があまりなかったので、 いちいち「ネジってどっちがどうだったっけ?」となってしまって、 まずはネジを触った数少ない記憶を思い出すところから始めたり、 「自分のどっちから見て左周りだっけ?」と考えてみたり、 いちいち面倒な感じになっていた。 今思うと、ネジは水道の蛇口と同じだから、 左に回すと緩んで水が出る&蛇口が軽くなる 右に回すと閉まって水が止まる&蛇口が固くなる のイメージの方が、当時の私には合っていたかもしれない。 その頃はまだ、そういう仕組みの水道も多かったし。 (もしかして父はネジ=蛇口は当たり前に同じものと思うはずだ、として「ネジ」と言っていたのかも。仕組みを知らない当時の私は連想できなかった。) 今だったら「ペットボトルの蓋を開ける時と閉める時」というイメージが良いかも。 そしてその後、 お茶を急須から器に注ぐとき、手をなんとなく回転させながら注ぐ理由は その方がお茶が美味しくなるから。日本でもトルコでも云々。 というような情報を見かけた。 なんだけれど、やっぱりそこでも私は、 回転させる理由は美味しくなるから、は分かったけれど、 なんで美味しくなるのか、の理由を覚えていない。 。 。 。 そのまま20年が過ぎました。 そしてこの文章を書いている日の前日、友人がお茶を淹れてくれた時に 「左周りと右回り、それぞれにかき混ぜて飲み比べてみて」と言ってきた。 「そうそう、それ!」と思い出し、それぞれの味わいの違いを楽しみながら、 違いが生まれる理由は何だと思うか尋ねてみた。 その友人は、中医学も西洋医学も専門にしていたり、様々知識の深い人。 友人曰く、 地球の自転が左回転(北極側から見た場合)なので、 ・左回転は無意識に人は安心する ・道に迷った人を探すとき左→左→左で探すと見つかりやすい  (迷いながら自然に左ルートを選んで進んでいる可能性高いから) ・陸

ピンクのバナナは想像しないで!

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ピンク色のバナナは想像しないで! と言われたら、瞬間的に頭の中に浮かぶのは? 私はピンク色のバナナが浮かんじゃう。 これ系統の話、聞いたことのある人も多いかもしれない。 ピンク色のバナナ想像しないで!と言われても、 脳の仕組上、誰でもが、 ピンク色のバナナを頭に思い浮かべちゃう、のが普通。 あ、でも、バナナという物自体を知らなくて見たこともない人は 思い浮かべることはできないけれど。 人の意識の中の95~97%を占めると言われている潜在意識(無意識の領域)は、 その量もあって、私たちの思考・感情・言動に及ぼす影響は多大。 だって意識の殆どを占めているわけだから。 で、 潜在意識は肯定文と否定文を区別しない。 なぜかというと潜在意識は言葉ではなく、 イメージで受け取る機能を持ったモノだから。 ピンク色のバナナを想像しないでください という否定系の文章であっても、 ピンク色のバナナが出てきてしまうのはそういうわけです。 なので、なにかの願いごとをする時や、望む状態があった時、 その望みの状態を本当に叶えたいのであれば、 もしくは、絶対にそうなってほしくないことがあるのであれば、 言葉の使い方を工夫したらいいと思う。 例えば日常の中でのこんなこと。 「転ばないようにね」= 転ぶイメージが潜在意識へ伝わっている 「焦らないでね」 = 焦っているイメージが潜在意識へ 「太りませんように」 = 太っていくイメージ 「怒られませんように」 = 怒られるイメージ 「雨が降りませんように」 = 雨が降って残念がっているイメージ 「戦争は反対です」 = 戦って大変な世になっているイメージ ここに書いた『イメージの方』が、潜在意識へ伝わり、 そして潜在意識の次の仕事が始まる。 次の仕事とは、まるでパズルのピース集め。 そのイメージの現実化(=パズルの完成図)を目指して、 必要なピースをどんどん集め、 出来事として起こしていく、情報を見せたり、聞かせたりしていく。 心の状態もそれに近づけるため、記憶を思い出させたり、 思考させたり、ホルモンの分泌状態すら変えていく。 「太りませんように」と願う = 太っていくイメージ  =潜在意識「太るんですね。了解。そうなるために必要なものをどんどん集めますね」 =やたらに甘いものが食べたくなる、炭水化物ばかり思いつく、やけにお腹が減る、いつもよりも人か

運のいい人、になっておいて損はない

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運のいい人 という言葉って、 一発大きく当てる人のことも、日常的に細々ラッキーなことが起こる人のことも まとめて言っている気がするので、 ここでは日常の方。 「常に自ら開運していける人」=「開運体質の人」 のことを運のいい人と呼びます。 運がいいと、なにが起こるかと言うと 「なんか知らんけどおまけしてくれたー」 「ちょうど並ばず入れたんだよね」 「私は買えたけど、すぐ後の人は売り切れだった」 「私が通ったときはたまたま渋滞じゃなかったよ」 「たまたまキャンセルで空きが出て予約できた」 「たまたま欠航になったおかげで、待ち時間中にあの人に会えたんだよ」 「ちょうど私の後の列車から運航停止だったらしい」 みたいな感じで、 「えー良かったねえ」というようなありがたい出来事に遭遇する。 こういうことが起きると大抵 「偶然に」とか「たまたま」とか「なんだか知らないけど」 とかいう言葉をつけて話す場合が多いと思う。 これ、本当は偶然でもたまたまでも神業でもなく、 れっきとした物理の法則なんだけれど その話はここでは横においておくとして。 例えば、こういった運のいい人が自分のグループに一緒にいたらどうだろう? よく言われる例としては、 「雨女/雨男だから雨になった!」ってありますよね。 本当に雨女かどうかは別として、雨女本人だけでなく、 一緒に行動を共にする人たちも全員もれなく雨女の影響を受けるパターン。 (晴れでも同じく) そう、 多かれ少なかれ、身近な人の影響を必ず受ける。 これも物理の法則で説明できること。 人間関係の単位である、カップル・親子・家族、というグループに 一人だけでも開運体質の人がいたら?? または、集合住宅の同じ階、同じ住宅地、会社の同じ部署、同じ町内に、 開運体質の人がいたら?? そしたら先にあげた例の「たまたま私の云々」の「私」が「私たち」になる。 「たまたま私たちだけ云々」 「偶然うちの家だけ云々」 「ちょうどうちのエリアが云々」 言い方が適切かわからないけれど、 「おこぼれにあずかる」的な感じになる。 開運体質の人が一人でもいる家は、家族全員ラッキーなことに遭遇する可能性が高い。 分かりやすく家族と書いているけれど その近くにいる人、関係性が近い人、という意味。 要は、最低でも自分一人が開運体質でいられれば、 自動的に周囲にも貢献することになる、とい

「こういう自分になりたい」は本当にそうなる

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調香セッションでクライアントの香りを創るとき、まずは対話の時間を持つ。 香りを創るにあたっての、だいたいの質問事項は用意してあるが、 その時によって使う質問と使わない質問があり、 その時の話の流れや、閃きでする質問もある。 いわゆる『匂い』に関する質問もするけれど、 そうじゃない話もたくさんするので、 初めてセッションを受けてくれる人からは 「いまの話の内容で、一体どうやって香りができあがるんですか?」 と逆質問を受けることもある。 「本当は私、こういう自分になりたいんです」 という想いを伝えてくれる人も多い。 調香セッションでは、そういう自分に向かうための一つのツールとして、 植物の香りを強力なサポーターにする。 それにはちゃんと理由があって、 人の嗅覚と脳とホルモンの連携、潜在意識と顕在意識の関係、量子力学の仕組み、 そういったことで説明ができる。 因みに私は「こういう自分になりたい」という想いを聞いたとき、 100%のレベルで心から「なれますよ」と思っている。 もちろん可能性というのは無限にあるので、 どのチャンネルを選ぶかは、その人のこれからの思考と行動パターンによる。 けれども、なぜ確信をもって「なれて当然」と思うかと言うと やっぱりここにも理由がある。 脳と波動エネルギー(量子力学)の仕組みからすると、 自分とは全っっっ然別世界のものは「そうなりたい」という想像すらできないから。 例えば、ネットの中でも実世界でもいいけれど、憧れの人がいるとする。 憧れるという時点で、もうそこにはエネルギー共振が起こっている。 そもそも同じ人を知っていたとしても、憧れなんて抱かない人もいる。 「ふーん」「そういう人もいるんだな」くらいで終わるか、 もしくは視界にすら入らない。完全スルー。 (これも脳の仕組み) 「こういう自分になりたい」の ”こういう状態” を イメージできているということは、 お互いに何かしらの干渉(触れあう部分)があって、 触れているからこそ共振共鳴する。 すでにその状態は、自分の射程圏に入っているということ。 だから、 その状態を現実のものとするために、 香りだったらこう使う、 引寄せの法則だったらこう使う、 感情思考解放ヒーリングだったらこう使う、 という具合に、 自分と縁あるものをサポーターとして活用したら良いのであります。 それであとは、そのサ

思考の備え(防災用品みたいに)

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ミナミAアシュタールさんのYoutubeを見ていたとき 「思考の備え」という言葉が出てきたときがあって。 そうだ、その言葉!と思った。 日本では防災のため、水やらなにやらの ”物 ” を備えている人は多いのだろうし、 さらに、避難経路や場所などの ”動き ”を家族全員で確認しあっている人も多いと思う。 じゃあ『思考の備え』とは何か。 質問でーす! 自分が行動するときのきっかけは何でしょう? または行動をやめるときのきっかけは? 他者や出来事に向けて言葉を発するときのきっかけは? ちょっと自分の言動を思い出してみると、 気分の上下、さまざまな感情の揺れ、いろいろな思考(こうあるべきとか)、 がきっかけになっているはず。 余裕のある気分のときは、 人に対して広い心で対応できるし許せたりする。 イライラしている時は、 物も人も丁寧に扱わなかったりする。 つまらないと感じると、 どんなに熱心に話しかけられても集中できなくなる。 すごく好きだと思うと、 他のことは目に入らず一目散にそこへ向かうことができたり。 情熱が冷めてきて面倒になり、 習い事に行くのをやめる。 自分が我慢していることを他人が自由にしていると、 許せない気分になり批判の言葉が出る。 落ち着いた気分のとき、 物事を冷静な視点で眺めることができたり。 「あなたの言葉も行動も、ぜーーーんぶ、 あなたの感情や思考に支配されているんですよ! あなたを支配している存在は、あなたの感情や思考です。」 と言っていいくらいに影響を与えていると思う。 パッと口から出た言葉、ついしてしまった行動、 またはそれがよく考えた上で言ったこと、したことであっても。 その根底にあった自分の本当の本当の感情や思考、は何だったのか? 例えば会社の人事や、 国同士の関係での大きな決断(例えば原爆投下の場所)なども 結局最後の決め手は「感情」であることが歴史をみると分かる、 という本を読んだことがある。 どんなに戦略的に論理的に考えて決断して行動すると言われる種類の人達であっても、 結局最後は感情が決め手になることも多いそうだ。 計画を練って話し合いを重ねて最後決める時、 いまこの瞬間選ばなければいけない時、 「Aはやっぱり気にくわないから」「Bは想い出のあるとても大切な場所だったから」 「Cにはどうしても違和感が残るから」 みたいな個人的な感情

猫のようにするといいらしい

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大人になってから、ある時に気づいたことがあった。 「私は身体にいつも力が入っている」 初めのころは、だからそれが何なのかとか、それをどうにかしようとか、 思っていなかったのだけれど、 実はその力みが体調に関係していることに徐々に気づいていった。 気づいてからは、意識してリラックスさせることをしてみたが、 ふと気づくと、また力が入っている。 グーッとパワー的な力を発しているというようりも、 長く静かに続く緊張感の系統の力み方。 常に緊張状態にいることが通常モードになっているらしかった。 力を抜くための動作をいくつか習慣にしてみたり、 香りを使ってみたり、潜在意識下に入っているものを解放してみたり、 身体に聞いて押し込めていた感情を解放してみたり、 いろいろ試して以前よりも随分マシになったのは感じている。 でも、まだある。 最近自分はそこをもっと集中的に改善したくなっている時期ようで、 ふと目にするインスタ投稿が、 私と同じような緊張モードの人の投稿だったりする。 自分の身の周りに起きる出来事は、自分の思考の反映なので、 自分がよく目にするもの耳に入ってくるものを観察すると、 自分が何に意識を向けていたのかがよく分かる。 先ほどみたミナミAアシュタールのYoutubeでも ちょうど緊張モードの話がテーマになっていた。 そこで、相談を受けていた宇宙人アシュタールさんが答えていた中にあった言葉が 私的には印象的だった。 力が入っている=緊張状態=戦闘態勢=何かから自分を守ろうとしている あなたは何から自分を守ろうとしているのでしょうか? というようなことを言っていた。 緊張状態、までは私も思っていたけれど、 それが戦闘態勢とは考えていなかった。 もし私がこの状態だとしたら、 一体わたしは何から自分を守ろうとしているんだろう? という視点で自分をみてみたら、出てきた映像と感情があったので、 それらは解放して、思考設定も取った。 わたしは「息をひそめていなければいけない」という状態にあった。 取った瞬間に体感で分かるのだけれど、これは割と大きめなものを取れた。 あと、猫のこともアシュタールさんは言っていて、 試したことがない系統のことだったので、やってみようと思う。 実は聞いた後にすぐにやってみたが、まだうまくできていないので、 今後も引き続き試してみる。 これまた全然関係のな

メタトロン診断

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自分の身体の状態を知るため、 年に1~2回くらいのタイミングでメタトロン診断を受けている。 日本の病院でやっているような健康診断は、10年くらいは受けていない。 メタトロンは周波数測定機器で、 元々はロシアの宇宙飛行士の健康診断のために開発されたもの。 細胞、体液、神経、筋肉、臓器、骨、感情 etc、 体内をくまなくスキャンしていくので ものすごく様々なことが分かる機械なのだけれど、 初めて受けたときに私が一番知りたかったことは、 自分と夫の今の身体に合う食材と合わない食材。 家での食事は私が準備することが殆どなので、知っておきたい情報だった。 かといって、ストイックになりすぎるのは好きではないので、 「参考にする」というくらいなスタンス。 因みに診断では、機械から出てきた数値や言語を単に見て終わり、ではなく、 診断士が数値から読み取ったことを教えてくれたり、 それについて話し合ったり、 いろいろな視点・方向からのアドバイスを聞いたりする。 ここが人間的な部分で私はとても好きだし、 割と重要視しているポイント。 ただし、人間が言葉を発するということは、 ”診断士の知識の広さ深さや人となり” によるところがめちゃくちゃ出る部分なので、 どんな人からメタトロン診断を受けるか、がとても大切だと思っている。 私は幸い、自分的にとても信頼できて波長の合う人と出会えたので 毎回その人に頼んでいる。 そう、それで去年の今ごろに受けた時に、 小麦粉が要注意食材のリストに上がってきていた。 それまでは、そのリストに何か出たことはなく、初めての経験。 それを見た時「あーやっぱりそうなんだ!」という感想だった。 私はパンが大好きで年中ほぼ毎朝パンを食べていたのに、 去年の夏頃は食べたいと思わなくなっていた。 それにその頃、小麦の麺類やピザなどを食べると、 なんだか気持ち悪くなるような感じがすることがあった。 という体感があったので「やっぱり」だった。 アレルギーにはなっていなかったのがラッキーだった。 パンもピザもパスタも大好きだから、おいしいものをこれからも楽しみたい。 何故このタイミングで、こういう結果になっているのか、 というところについて、 その頃の生活を振り返ることや、入れるもの出すもののこと、 様々な要素から読み解いてもらったりして、 気の流れ、思考回路、感情、季節、食べ方、

私はスピリチュアル系か?

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この2年くらいで出会った人から、時々 「りえさんのようなスピ系みたいな人って云々」という言葉を聞くことがあって、 その都度私は心の中で「え?私ってスピ系と思われてるの?」と少し驚く。 少し驚くけれど、大抵そのときの話の焦点はそこではないので、 その部分は聞き流して、話しの本筋の方に集中して耳を傾けている。 そもそも「スピリチュアル系」とは何か、というのは人によって認識の違いはあれど、 「こういうことが好きな人たち」みたいな、 世の中で言われる(おそらくメディアが広げた)認識というのがある気がする。 私が感じている「スピリチュアル系の人」は次のような感じ。 神社仏閣系統が好き、お参りにいくのが好き、龍とか妖精とか好き、神様系の話が好き、崇めている対象がある、占いとか好き、目に見えない存在が好き、高次元が好き、パワースポットが好き とかとか? いま思いついたものを羅列しました。 私はヒーリングスクールやセッションの仕事を始めて、 講師も受講生も含めて、そこで関係する人たちと触れ合う中で気づいたことは、 「出身地の違い」 みたいなこと。 上に羅列したような界隈の人が多いように感じたことが何度かあったことで、 「私、そこ界隈の出身じゃないんです」と思うに至ったし、 それが私の特徴なのかも、と思った。 因みに出身地が違うからといって、仕事をするうえで困ったことはない。 ただ単に、私とは違う見方の話を耳にする機会があったり、 私の知らない世界の話(占いの館とか)を耳にするだけ。 で、やっぱりそういう時も話しの本筋はそこではないので困ることはない。 (自分自身の生徒たちは、類は友を呼び、私と似た系統の人が多かったりする) 私は上に羅列したものは、しない、行かない、興味がわかない、という感じ。 あっても、たまにチラッと覗き見するとか、参考情報のひとつにするとか、 いいとこどりして終わりとか、その程度です。 何かが視える聞こえるで困った経験もない。 存在は知っているし尊重はしているが崇めてはいない。 なんというか、全員同じ(レベル?階層?)だと思っているというか。 おそらく単なる興味の方向性の違いや、信じているものの違い、かもしれない。 物質的なものではないものをSpiritualと言うならば、 私は、この世はスピリチュアルで成り立っている、信じている。 この世は目に見えないものの方