自分軸のある人を演じてみる実験

 ”自分を持ってる人” とか ”自分がちゃんとある人” のように言われる人ってどんな人だろう。最近の言葉で言うと ”自分軸 ” のある人。

10代のころの私は ”自分の意見が言える人 ” が、そういう人のことだと思っていた。

自分の意見を言えるということは、なにかについて「私はそれについてこう思う、こう考える」と考えることができる人のことだ、と思っていたし、

その ”なにか” は、

例えば社会問題とか環境問題とか、日常にある誰かと誰かの問題とか、クラスの中で議題になることとか、いわゆる何か特定の『問題とされること』についてだ、と考えていた節があったように思う。

そして、いまの私がどう考えているかというと、10代のころとは少し変わった。広くなったというか、深くなった。

自分を持っている人(自分軸のある人)というのは、

『問題とされること』について私はどう考えるか(=自分の意見)があることもそうだけれど、もっと日々の日常の中で、

「私はこれ好き、これ嫌い」「私はこれがしたい、これはしたくない」「私は行きたい、行きたくない」

というような単にしたいのかしたくないのか、という自分の自然な欲求希望を、自分の中に持っている人が  ”自分を持っている人(自分軸のある人)”  なんじゃないかと思っている。

しかも、常にそういう欲求希望があることに、自分自身ではっきり気が付くことができていて、もっと言うと、その欲求希望に従って実際動くことができている人。

多くの人が経験ありそうなことで例えると

「あ、12時だからご飯食べなくちゃ」と思って食べる。又は、12時なのを知っていても、周りの人が食べていても「私はいまお腹減ってないから、まだ食べなくていいや」と食べるのはやめる。前者は、自分の今の状態がどうかな?と考えず又は無視して、時間や周囲の都合の方へ自分を合わせている。後者は、周囲はこうだけれど自分はどうかな?と考えて、自分の都合の方へ合わせている。

これだけ聞くと、そんな自分勝手にしていたら周りに迷惑が…、と思うかもしれない。

この例の後者の人は、我慢していない人。周囲よりも自分の方へ合わせている人。こういう人は、身体の状態も良いだろうし、ストレスも少ないだろう。ってことは、おそらく良い気分で過ごしている時が多いだろう。そうすると、自然とやさしくなれたり、寛容になれたり、細かいことにいちいち干渉したりせず、他人のことも尊重できたりする。自分を尊重するのと同じように。

それならみんなも、この後者の人のように過ごせていたら?気分のいい人だらけになったら?

しかもそこには、自分と違う行動をする人に対しての敵対心や対抗心は無い。「あなた我慢しなさいよ(私も我慢してるのに・・・)」とか「Aが正しいんだからBは間違ってる」とかは無い。

話を戻すと、この例えの後者の人のような人が ”自分を持っている人” ”自分軸のある人” なのだと思う。これはご飯の例えだけれど、こういったことを日常のあらゆる方面でしている人。

学校全体、会社全体でいきなりこれをするのはハードル高いだろうから、まずは、自分の家でだけやってみるとか、毎日ができなければ、休みの日だけやってみるとか、試す方法はいくらでもあるし、試してみる価値もめちゃくちゃあると思う。

やってみたら自分の気分はどうなるか?

そしたら、自分は周囲の出来事にどんな反応をするだろうか?

そしたら、自分は周囲の人へどんな対応をするだろうか?

そしたら、周囲の人はどうなるか?


例えば、ご飯をいつ食べるか、何を食べるか、食べないのか。一カ月に一回でも試してみたら、どうなるかちょっとおもしろそうじゃない?







このブログの人気の投稿

ネットワークビジネス

私の個展のお知らせ(2024年2月静岡県浜松市)

家族だから、家族なのに。