感覚明晰化

●頭脳明晰 ずのうめいせき

思考や判断力が曇りなく、はっきりしているさま (weblio辞書より)


●感覚明晰 かんかくめいせき

自己の感覚をはっきり感じ取り、気づけるさま (わたしが考えた)


20年くらい前にある大きなセミナーに参加したとき、その講師の人が言っていた。

「僕は算数もあんまりできないし、漢字も書けないものが多い。

でも僕はいわゆる成功者の部類です。計算は電卓にやってもらえばいい。

僕は僕の得意なことだけに集中してエネルギーを注いでいます。」

みたいな内容だった。


このころはまだChat gptもないし、Google先生も昨今ほど頻繁には使われていなかったと思う。スマホもなかったし。

この講師の人が今も健在で、当時と同じような考えであれば、

自分の不得意なことはAIや、それが得意な他の人たちに益々任せて、

自分の得意なことにエネルギーを集中させているだろうと思う。


ネットで検索したらなんでも出てくる時代。

ただし検索キーワードによってヒットするものは違う。

そして近年はちょっと変わって、

検索エンジンによってはなんでも出てこない時代になった。

検索エンジンの運営会社の方針によって、

検索上位に表示するものしないもの、をAIによってプログラムしている。

運営してるのは企業なわけだし、

株主の意向や資金提供してくれる人たちの意向が反映されるのは当然なんだろう。


とはいえ、20年前と比べたら膨大な量の知識を得ることができるようになった。

簡単に、表面上は無料で。(検索エンジンはこっちの情報を集めてるので敢えて表面上と言う)


情報がありすぎて

「一体どれが本当か分からない」「なにを信じたらいいのかわからない」

みたいなことになってる人も多いと感じる。

そうなってくると

「NHKで言ってることなら間違いないでしょ」「政治家が言ってた」

「芸能人の〇〇が言ってた」「TVで言ってた」「Twitterで話題になってた」

「私の尊敬する〇〇さんが言ってた」

というように、

自分的に「すごい人」だと信じている「誰かや何か」が言ってたものを

『 正 』とする人もいると思う。


私はどうしてるかというと、自分の感覚を頼っている。

誰がなにを言っていようが、街中がある方向の雰囲気になっていようが、

検索上位に一つの種類のことばかりが表示されようが

「なんか変な感じがするな~」「なんかしっくりこないなあ」「ん?」

という感じがするなら、ちょっと一時停止する。

同じく、

すっごくたくさんの人が「Aですよ」と言っていても、

「なんかBの方がいい気がする」「Bの方がなんか気になる」のであれば、

「いまの私にとっての正解は B」とする。

もっと言うと、

「世間はAと言っているし、どう調べてもAの方がメリットがある」

「なのに、なんか私はBが気になっている」のであれば、ますます、

「いまの私にとってはBが絶対正解なんだ」とする。


正解か間違いか、0か100かしか無い、ということではなくて、

正解は人の数だけある、と思う。

真実は人の数だけある、とも言える(これはパラレルの話につながる)

それぞれの人にとって、その時のその人にとって、自分が選んだそれが正解。

ポイントは『自分で選ぶ』こと。

更に言うと『自分の感覚で選ぶこと』。


誰かにとっての正解、誰かにとってのメリット、

に自分を合わせなくていいと私は思っている。

小さくてささやかな違和感、なんかしっくりくる、なんかすっきりする、

風通しの良さや軽さ、

そういう感覚は、

私にとっての、私の人生にとっての「正解」「こっちだよ」を教えてくれている。


うーん、分かる気もするけど、でもねえ。。。。

と思う人は、実験してみたらいいと思う。私は何度も実験している。

実験結果をたくさん積み上げてきているので、確信が持てるようになっているのだ。

日常のささいなことがすごく実験材料になるし、ささいなことなので、

どう転んでも別に大きな問題にもならないことが多い。


例えばね、こういう実験。

人と一緒に歩いていて私は「この道を右へ行こう」と、ふと思った。けれど相手は「もう一本先を右へ行った方がいい」と言う。

この時、自分の感覚に従うか相手の意見に従うか。そしてその選んだ結果がどうなるか。


みたいなことを、いろいろ試してみたら、実験結果がたくさん手に入る。

で、私の実験結果は

「なるほど、やっぱりあの時の私の感覚で良かったんだな~」

ということが多いです。

こういう実験、ゲームみたいで興味深いしおもしろいなあと思ってる。











このブログの人気の投稿

ネットワークビジネス

私の個展のお知らせ(2024年2月静岡県浜松市)

家族だから、家族なのに。