家族だから、家族なのに。

親だから、子だから、兄弟だから、家族だから。

親なのに、子なのに、兄弟なのに、家族なのに。


「だから」「なのに」の後には、例えばこんな言葉がつくことが多いだろう。


仲良くしなくてはいけない/仲良くするのが当然。

会わなくてはいけない/会うのが当然。

助け合わなくてはいけない/助け合うのが当然。

面倒をみなくてはいけない/面倒をみるのが当然。


私はこれについては、こうするべきとは全く思っていない。

自然にそうできる人もいるし、我慢して努力してそうしている人たちもいるし、

するのが当たり前なんだと思い込んでしている人もいる。

全然そんな風にかかわりたくなくて離れている人もいる。


血が繋がっていようが、育ての親だろうが、一個人と一個人なのだから、

性格やタイプなどが違っていて、人として合わないとか、あまり好きになれない、

ということだってあると思う。

長い間一緒に時間を過ごすことで、お互い「慣れている」ということはあるだろう。

でも、それと、好きかどうかとか、合うか合わないか、とかは別。

それとか、

前までは気も合っていたけれど、なんだか合わなくなってしまい距離が空いている、

ということだって大いにあると思う。

私は、友人関係と同じように捉えたら良いと思うけれど、

「家族だから」という言葉に囚われの身となっていると、

「そうは言っても家族だし、、、」となる。


家族だろうが誰だろうが、まずは、人と人である。

自分とは異なる、人。自分ではない人、他人。別人。

その言い方に冷たさを感じるならば「他者」と言ってもいい。





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