投稿

12月, 2025の投稿を表示しています

出版する本のこと

イメージ
もしも、 自分の人生を、自分でつくっていけるとしたら? しかも、100%自分の好きなように。 そして、今からでもそれが可能だとしたら? 人生を変えたい、生き方を変えたい もっといい人生にしたい その想いが強いほどに、 何かを頑張ったり、正解ルートを探したり、 大きくジャンプできる方法を探したり、 してしまいがちになるかもしれない。 私は、その鍵は、 「いま進行中の日常生活の中にある」 と思っています。 人は、心から安心しているとき、 好きなように表現ができる。 人の意識の力は、本当に、 どこまでも影響を及ぼしていきます。 もっともっと、自分の感覚を信じ、 使いこなし、 自分の望む物語を展開していけるとしたら? この本は、 すでにあなたの中にある感覚や感性、思考回路を、 もっと自然に使って生きていくための本です。 スピリチュアルだけでなく、 理論だけでなく、 哲学だけでなく、 特別な能力でもない。 右脳と左脳、 感性と理性、 アートとサイエンス。 両方を上手に行き来しながら、 あなた好みの日々をつくりだしていくための、 具体的な視点や知恵を綴りました。 今の人生で、 体験したいことを体験し、 表現したいように表現し、 人生の終わりの時に 「あ~、満足した~」 と思って旅立ちたいですか? 私はYESです。 この本は、そうでありたい人へ向けて書きました。 ――― 想像=創造 ~日常生活をあなた好みにデザインするためのアレコレ~ 瀬戸里絵(著) クエーサー出版 2026年1月7日発売 アマゾンで販売 https://amzn.asia/d/hT6XpnM

サンタさんの存在

イメージ
サンタさんについて、今朝「そうかも、、、!」と閃いたこと。 今の私的には、おそらくそう、だと思うこと。 まず、結論から。 『いろんな存在がサンタさんの役目をしている』 です。 親が、祖父母が、サポーターの人たちが、という意味ではなく、 生きている人間以外の存在のことを意味している。 怖い話じゃないです。 私の仮説は、 地球にいる人間以外の存在たち、例えば、 ・非物質の存在 ・家そのもの ・風や木々などの自然 などが、サンタさんやトナカイやソリの「ふり」をしている。 そう思うような動きをする。 例えば、 家であれば、ガタッと音を立てて「誰か来た?」と思わせる。 風であれば、風向きや強さを工夫して「ソリの音!?」と思わせる。 非物質存在であれば、人影を装い「サンタさん?」と思わせる。 みたいな感じ。 これらのことは、 「すべての存在はそれぞれ、個性と意思を持っている」 ということが前提。 本当のところはどうなのか知らないけど、私はそれを信じている。 でね、そうであれば、 その存在のなかでも、遊び心を働かせた存在が、もしいたとしたら、 こういうことをしてもおかしくないと思ったのです。 なぜそれをするか、なぜ遊び心を働かせるのか、というと、 それはもちろん、 人間側の意識に反応してのこと。 例えば、その家の子供が、 心の底からサンタさんの存在を信じていて、 心の底から「会いたい」と思っていたとしたら。 もしかしたら、 純粋に発せられた、その子の望みに応えるかもしれない。 もちろん応えないかもしれなくて、 それは、その存在たちの個性や気まぐれの問題。 もっと言えば、 人間のその子と他の存在が、無意識レベルで、 エネルギー場で話をして 「こういう体験つくろっか」「いいねいいねやろう」 と了解をしあった間柄だけが、その体験をつくりだす。 かもしれない! 私は子供のころ、周りと比べたら割と高年齢まで サンタさんの存在を信じていた。 学校でみんなが「そろそろ分かってきた」という雰囲気を出していても、 あるいは、ダイレクトに「あれ、親だよね」と言っていても、 私は心の中で、 「そうは言っても、絶対いるに違いない」 と信じていた。 それに今思うとうろ覚えで、本当にそうだったのか分からないけれど、 ベランダで何か音がした、家族はみんな家の中なのに という経験の記憶もある。 信じるがあまり、...

本が出ます

イメージ
本が出ます。 1年くらいコツコツと書き進め、 今年の夏に書き終えました。 また追って、詳細を紹介させていただきます。 誰でもが意図をもって、 想像して創造することを 続けられるように。 瀬戸里絵 2025年12月22日

ワタシ・イセカイデ・デキタ②

イメージ
前回の続きです。 異世界Bで私が試したことは。 ワタシノ イシキノ チカラ! です。 自分の意識の力を使って、自分の望む状態状況をつくりだすこと。 これって、 理論を理解して練習したら、誰にでもできるようになることです。 なんだけど、 自分の状態がブレブレでやっても、うまくいかない。 やはり土台が重要だし、土台は自動的にできることはなく、 自ら意識して作らなければいけない。 異世界Aと異世界B、 それぞれでの私の状態を振り返ると、よく分かる。 まず、異世界Aでの私はどうだったか? 不慣れな異世界にキョロキョロ 心も頭もエネルギーも、落ち着いていなかった この場で「自分はどう過ごしたいか」方向性を決めていなかった ここを去るとき「どんな感じで去りたいか」を決めていなかった ただの「来訪者」になっていて、相手のペースに巻き込まれていた 異世界Aの流れに飲み込まれ、選択権を相手に渡していた 異世界Aでの私は、すっかり意識の力を使うことを忘れ、 何も意図せず、ただただ反応し、 私に選択権があることすら忘れ、 ある意味ボーっと流されるままに時を過ごしていた。 なので結果的に、 相手の「良かれ」をすべて受け入れて(=相手の意図の影響を受け)、 ありがたいんだけれど、よく考えると実は、 「自分の本当の気持ちと違うかも、、、」 が心の中にあったりして、 感謝と違和感の両方が交じり合った気持ちで終えることになった。 その経験を踏まえ、異世界Bで私はどうしたか? ここは異世界なんだ、と改めて自分の中で意識した 異世界の価値観の中にいる緊張感と恐怖感に気づき、その感覚をじっと見つめた けれども誰も敵ではなく、みんな私の応援団だと思い出した 「ここで私は本当はどうしたい?」を考え、そうすると決めた 「私はどんな気持ちになってここを出たい?」を考え、そうすると決めた いつでもどこでも私に選択権がある、と思い出した 異世界Bの人と私は同等の立場なんだと、思い出した 私が色々考えをめぐらすのと同じく、相手もそうしている、と思った これらのことをやりました。 そして結果的に、 私が最も安心して納得する結論を、異世界Bで手に入れ、 ルンッ という気分で帰路につきました。 まとめると、Bでやったことは、 ここで私はどんな体験をしたいか決める そうなることを信じる したい体験と同じ波動の自分を事前につく...

ワタシ・イセカイデ・デキタ①

イメージ
異世界へ行って帰ってきたところで、 感覚を忘れないうちに、ここに記します。 まず1日目、異世界A での話。 異世界すぎて、 「???」と感じることがアレコレあったけれど、 途中で気づきました。 「ア、ココデハ ワタシガ イセイジン ダッタ!」 そっちの世界には、そっちのルールや当たり前がある。 そこの世界で「マル」とされていることを、私に提供してくれる。 「???」が続きながらも、よく考えてみると、 ん?? この世界の人たちは私の応援団になってくれている。 だって、そこで「マル」とされていることを、 どんどん私に提供してくれるんだから。 そうだそうだ、みんな私の応援団なんだ。 そうだ、やっぱり全部が「ありがとう」なんだな。 と思った。 この想いは、本当に自然に湧いてきたものだったのだけれど、 なんだけれど。 同時に隣にあったのは、 フツフツとした何かの違和感だった。 まるで、 小さな親切を受け入れたのは私なのに、 「大きなお世話かも」とも思うような、、、。 その系統の感覚に似ていたかもしれない。 そして2日目、異世界Bへ行くことに。 異世界Bは、異世界Aのボスからの強いおすすめで行くことになった場所。 おすすめを断りきれなかった私の心の中は 「 メ ン ド ク サ イ  」 だった。 その心の奥の声を表すかのように、 異世界Aで用意された ”Bへの招待状” は、 暴風で飛んでいってしまった。(本当に飛ばされて数人で探したけれど見つからなかった) 私のことを想うAの世界の人たちは、 招待状をわざわざ再発行して、 私のカバンに収まる大きさに折り曲げて渡してくれ、 私がそれをカバンに入れるのを見届けてくれた。 その招待状を持って、異世界Bへ行ったわけですが、 結論から言うと、 異世界Bでの体験は、Aとは全く違うものになった。 感謝と違和感が同時にあった異世界Aとは違い、 異世界Bから帰ってきた今の私は、 ワタシ、スッキリ!!!! アーリーガートーウーーーーーー!!! という気持ち100%なのであります。 私の心の中の話なので、ちょっと伝わりづらいかもしれませんが、 本っ当に、全然違う結果になった。 実は、 異世界Bの方が、Aよりも1万倍以上巨大な世界であり、 目に見える範囲だけでも、相当な人数の異世界人がいる。 異世界感が半端ない。 その中で、違う結果になったのは...