自分探しと自分剥がし

「自分探し」ということで、旅に出たり、いつもと違うことをしてみたり、

気になるものを片っ端から学んでみたり。

でも。

外側のどこかには探している自分はいない。

そしてある時気づく。

「なんだ、私のなかに全部あるんだった。」


自分探し、という言葉を、自分剥がし、に変えてみる。

地球に生まれた瞬間から、周囲の大人たちによって刷り込まれていくアレコレ。

大人から刷り込まれ済みのクラスメイト達から言われる言葉たち。

自分の周りにペタペタと貼り付けていく、

常識・普通・一般的・平均的・道徳的・宗教的

などの自分を覆うラップのようなもの。


いつしかそのラップは『自分を守ってくれているもの』だと思うようになり

剥がすことが怖くなる。

変化が怖くなる。

同じようなラップを被った人と一緒にいることが安心であるかのように思う。

同じようなラップを被っていない人を見ると「変な人」だと思ったり、

「でもちょっとあこがれる」と思ったり、

「あの人を見るとイライラする」だったりもする。


自分を覆っているラップをもしも剥がしたら

何が起きると思う?

どうなると思う?


私は、息がしやすくなって風通しがよくなって気持ちよさそうだと思う。

セルフヒーリング講座の受講生さんたちや、

私の個人セッションを受けた人たちが、

どんどん軽くなっていくのを見て、なんて気持ちよさそうなんだ!

と思う。


そもそも、自分はラップに覆われている、と気づくかどうか。

気づく鍵は「あれ?」という疑問や違和感、モヤモヤ感。

その小さな「ん?」が起きた時、

「まあ、それが普通なんだししょうがないでしょ」

「そういうもんでしょ」

「気のせいかな」

と、流さないことも鍵だったりする。




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