旅に行きたい?
わたしは昔から旅が好きです。
見たことのない風景を見たり、その土地独特の空気感を全身で感じたり、異文化を知ったり、知らないものを知ることが楽しい。自然の中を歩き回ったり、泳いだり、食事の支度を気にせず、ただただゆっくりするのも良い。
最近のわたし、旅に行きたいと思ってる??
と自問すると、答えは NO です。
細かく言うと、行きたいところはあるけれど、多分なにか足りないものを心に感じながら行くことになって、100%行きたいかというとそうではない。その程度の気分のものにお金を使うならば、別のことに、とも思う。
わたしが一番行きたい場所、したいこと、それは
自宅に帰ること。
自分のベッドで寝て起きて、気候に合った洋服をタンスから選んで、自分の調理器具でお料理をして、自分の食器で食事をして、自分の快適な生活に必要なものは何でも揃っていて、窓の外にはいつもの風景が広がっていて エトセトラエトセトラ、、、
”自宅”という場所での生活ができていてこそ、旅をしたいし楽しめる、それが私なのかな~と今回思っています。
2月後半~3月前半、ミラノの自宅に居た時のこと。
国のルールとして「必要不可欠な買い物や通院をのぞく外出は禁止」という状況のとき、わたしは全く不便は感じていなくていつもと同じ生活をおくっていました。
そもそも家に籠って作業していることが多い生活だったので、そこは別に変わらない。食材の買い物も行けるし、買い物の往復路が私にとっての散歩で、それもいつもと同じ。しいて言えば、ふらりとカフェに寄ったり、友達と会ったりができないことが、いつもと違うかなという程度(自分のこと以外では色々あります)。日本に帰り始めた人たちが増えてはいたけれど、私は帰る気も必要性も全く感じていませんでした。
他の国々でも外出禁止令ができ始めた頃、インターネットで見かけたStay Homeの風景で、Stay Homeできる快適な家があるって、なんて恵まれているのだろうか、と思ったことがあります。キッチンがあって食事する場所があってシャワーがあってベッドがあって窓があって。
家があったとしても、寝るスペースがあるだけで、眠るとき以外は外に出ていた方が快適、という人々も多くいることを知りました。でも家の外に出ることは禁止されている。手のひらくらいの大きさの窓があるだけの空間で、何時間も何日も何週間も過ごすのです。
そもそも、家という場所がない人々もいます。
Stay Homeとか、家時間を楽しもう、家時間を快適に、とは、家のある人の言う台詞だな~なんて思っていました。
※日本の自粛はルールではなく「なるべく自粛してくださいね」ですが、イタリアを含め他の多くの国は、外出時は申請書持参、違反の場合は禁固刑や罰金という規則でした。駐車違反レベルではなく、前科あり、の身分になるということ。
ミラノの友人知人たちは、いまは普通に生活しています。バカンスシーズンなので、バカンスに出かけている人たちも多くいます。(各自が自己防衛しながらの普通の生活です)
なので、イタリアの友人たちからは、私が未だに戻ってこないことを不思議がられます。
私は夫の会社の駐在でイタリアに住んでいるので、すべては会社の命令次第。日本に一時帰国せよという命令に従い、まだ戻ってはいけないという命令に従い、次の命令を待つ。
所属して雇用されている、とはこういうことで、守られていて恵まれていることも山ほどあるし、自分の意思とは全く違うことに従わなければいけないことも山ほどある。
状況を調べて自分で考えて自分の責任で自分で動く、は許されないしできない。
選べる自由のある人になりたいな、という気持ちが益々大きくなるのでした。
100%ではないけれど自分の時間がたくさんとれる今、そのおかげで学べていることがあって、これはもしかしたら後になって凄く意味を持つ期間なのかも。
わたしは割とポジティブ思考だと思いますが、いつでもやたらにポジティブに、とは思いません。誰だってダークな思考のときがあって、気分は上がったり下がったり波波で当たり前。
因みに昨日、一人でゼリーを食べていた時、家に帰りたいなと思って涙が出てきました。そのまま涙を出していたら、ちょっとすっきり。感動したり誰かとのお別れで泣くことは良くありますが、自分自身のことで泣いたのは久しぶり。
涙を流すと一緒にストレスホルモンも出ていくので、身体の仕組み的にも我慢せずに泣くとよい。