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身を任せた流れの先にワニとか居たら?

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「流れに身を任せる」 これを私は大切にしているし、そう心掛けている人は多いんじゃないかなと思う。 このことについて「そう!それ!」と感じることがあったので書きます。 流れに身を任せる、という状態を川に例えたとする。 どんな川を想像する? 私は穏やかな川でノホホンと浮かんでる様子がパッと浮かんだ。 その川が日本海へ向かってるのか太平洋へ向かっているのか、 川の水質状態はこの辺りはキレイだけれど 数十m先に汚水が注ぎ込む場所があるのか、 しばらく進むと200m落差のある滝があるのか、 滝つぼを過ぎると大きなワニ達の住むエリアがあるのか、 自分が流れに身を任せる川は、一体どんな川?? それによって身を任せたいかどうかは、YESかNOか変わると思う。 汚水も滝から落ちるのも嫌だし、 ワニに襲われてGAME OVERもまっぴらごめん、無理。 このイメージのように私は 「それ全然うれしくない、嫌」なパターンが色々あるので、 流れに身を任せる前に『行先』を決めておく。 川のイメージから頭を現実の世界へ戻して言葉を書き進めると、 「私はこうする(こうなる)」と先ずは決める、 その後に初めて「流れに任せる」状態をする。 すると、目的地に到着するまでの間に、 一見、ハプニングと感じる出来事があっても、 一見、まわり道をしたと感じることがあっても、 一見、停滞を感じる時があっても、 すべては『一見』。ぱっと見、そう見えるだけ。 あとになって振り返ると、 それらすべては、到着するまでのストーリーを おもしろくするために起こっているだけだったり、 到着したときの自分がレベルアップしている状態になるための体験だったりする。 「こうする(こうなる)」ということは先に決めているので、 途中に何が起ころうと、 それはただその時々で淡々と対応・処理したらよいだけのことだし、 文句を言ったっていいし気分が盛り下がってもいいけれど、 どんな渦中も瞬間も自分は目的地へ向かって進んでいるのだ、 ということは心の中に留めておく。 「こうする(こうなる)」を決めずに、 または決めているようで決めていない「こうだったらいいな~」くらいで 『流れに身を任せる』をすると、 途中にある様々な川の事情(自分以外の他者の事情や都合)に 巻き込まれたり、もみくちゃになったり、岸に戻されたり、岩でふさがれたり、 要はなにがおこる...

面接はお見合いだと思う

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面接、就学や就職のための面接の話。 サラリーマン時代、私は転職回数が多く、面接回数も多い。 元々ひどく緊張するタイプではないけれど、 通常の自分ではない状態の時もあったと思う。 合格したい、採用してほしい、よく見られたい、などの理由で 自分を装っていたり、うまく話そうとしたり。 なんだけど、ある頃から、面接に対しての私の態度、在り方?が変わった。 なにがきっかけだったのか忘れたけれど、突然こんなふうに思うようになった。 「面接って私のことをアレコレ聞かれるけれど、 私だってそっちのことを色々知りたい。 募集要項だけでは見えないことを色々聞いて、 自分に合う職場なのかどうかを判断したい。」 要は、 ” 面接は雇う側も雇われる側も、お互いのことを知る時間 ” だと思うようになった。 どっちかが主導権を持っているとかはなく、 双方ともに同じ立場だと思うようになった。 それからは緊張はなくなったし、 うまく話そうとか自分を良く見せようだなんていう考えも皆無になった。 そんなことよりも、与えられた面接時間内で、 相手には自分のことをなるべく知ってもらいたいし、 私も相手(会社)のことをなるべく知りたい。 ということで、私から相手へ質問することが増えた。 質問は条件や仕事内容に限らず、 思想とか考え方、雰囲気、などなど色々をキャッチするためのもの。 私が一方的に『面接されている』『審査されている』のではなくて、 私も相手を『面接している』状態だった。 そうすることが、お互いにとっての平和への道だと思っていた。 合わない人を雇用したり、合わない職場で働いたり、することは 後々お互いにすごくストレスになることだと思うから。 それに、自分が合わないポストに頑張ってしがみついているとき、 本当はそこにピッタリの人が活躍する機会と、 会社としてスムーズにまわる可能性を 奪っていることになる。 面接を終えた結果、相手が私を断ってきたこともあるし、 相手は私を採用したいと言ってきたけれど私が断ったこともある。 先日、就職面接の話を聞く機会があって、 こんなことを思い出したのでブログにしてみました。